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2015/03/12

耳嚢 巻之十 亡妻の遺念を怖し狂談の事

 亡妻の遺念を怖し狂談の事

 

 八町堀輕き町人、妻を失ひしが、未(いまだ)乳を不放(はなさざる)小兒もありけるが、其妻存生(ぞんしやう)の内(うち)夫に對し、我等死し候ともあの子を里にはやりたまふまじと、くれぐれ賴(たのみ)けるが、身まかりし後、男の手ひとつにて養ふ事もなりがたく、甚(はなはだ)難儀なしけるが、彼(かの)者の弟に、近所に隙(ひま)なる勤(つとめ)の男ありけるが、右弟幷(ならびに)家主(やぬし)相店(あひだな)の者など、里子にいだし候ても、むかふる人次第にてよく育(そだつ)るものもあれば、兎角里に遣し可然(しかるべし)と申(まうす)故、外へ遣しけるが、さるにても亡妻のくれぐれも契置(ちぎりおき)しを、もだせし事もびんなしと心に思ひけるが、日數(ひかず)たちて去るもの日々にうときたとへにて、いつしか其事も等閑(なほざり)に思ひ捨(すて)、稼(かせぎ)の間、與風(ふと)賣女屋(ばいたや)などへ遊びに出、夜泊(よどま)りになして、其節は彼(かの)弟ひまなる勤(つとめ)故いつも留守を賴(たのみ)しに、ある時其弟思ひけるは、かく度々留守をも賴、淋しく寢ふしなすに、兄は近頃遊び所などへ至る由も聞(きき)、我等淋しさしのかんやうもなしと、壹人(ひとり)の夜發(やほつ)を呼入(よびいれ)、暫くの心を養ひしに、夜五ツ頃にもなりしに其兄歸り來りて、表の戸をあけ候樣(やう)申(まうし)けるに驚きはゐもふして、夜發をば急に二階へあげ、さておもての戸をあけて、こよひは早く歸りたまひしと申ければ、兄は預(あづけ)し子の事も氣遣(きづかひ)故、立寄(たちより)早く歸りし、留守を賴み嘸々(さぞさぞ)退屈なるべし、少しも早く歸り候やう申ける故、右夜發を二階よりおろし迯(にが)し候事も難成(なりがたく)、いまだ夜發への勤(つとめ)も不拂(ふばらひ)のまゝ宿へ歸りしに、兄はさるにても亡妻の賴(たのみ)を不用(もちゐず)、里に子を預け候も本意(ほい)なし、無據(よんどころなき)事といへど亡妻の思(おもは)ん事も哀れ也(なり)と、佛壇へ燈明(たうみやう)などあげて念佛二三篇唱へけるに、二階にて物音いたしける故、なにならんと思へば、二階より怪敷(あやしき)女の聲を出せしに驚き、扨は亡妻の執心來りしかとかつと云(いひ)て逃出で、近所の者へ爲知(しらせ)ける故、打寄(うちより)相談なしけるが、家主申けるは、夫(それ)は何とも迷惑成(なる)儀、怪物(くわいぶつ)長屋など沙汰有之(これあり)候ては借り主も無之(これなく)、地主へ申開(まうしひらき)、取斗(とりはからひ)も可有之(これあるべき)旨申(まうし)、則(すなはち)地主へ爲知申(しらせまうし)候處、地主も家主同樣に申(まうし)候故、右の内了簡を附(つけ)候者有(あり)て、右妻の執心殘り候畢竟子供故の儀故、里より取戻(とりもどし)、乳持(ちちもち)を置(おき)候事も成間數(なるまじき)間、里に置(おき)候とも、增扶特(ましぶち)等、地主より月一歩(ぶ)づゝ差遣(さしつかは)し、丁寧に養育爲致(いたさせ)可然(しかるべき)旨申(まうす)故、地主其外とも承知の上、右の通り相談相決(あひけつし)、扨二階を打寄(うちより)改候處、何も不相見(あひみえず)候處能々(よくよく)搜し候得ば、片蔭(かたかげ)に色まつしろにおしろひをぬり候異體(いたい)の女、蹈反(ふんぞり)かへり臥し居(をり)し故、一同驚きけるに、彼(かの)弟もいかゞなりしやと立歸(たちかへ)り、大勢も居(をり)候處見候處、最初に呼入(よびいれ)し夜發故、心安きものへしかじかの由、最初の譯を咄しける故、一同安堵し大笑(おほわらひ)致しける。增扶持の沙汰も、止みけると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。この話、如何にも落語であるが、オチがない。というか、結末が私はどうにも気に入らない。私は最後にこの男が子ども好きの女でも妻を迎え、里子に出した子をまた引き取って大団円にして欲しいのである。冒頭に頑是ない子どもを出しておきながら、それが結局、後の画面に出ず、最後には何一つ、事態は変わらない。いや何より、ぐじぐじ言うだけの骨無しの、後悔たらたらの強迫神経症の主人公というのが、どうにも好きになれないのである。せめて地主が増扶持していたら私の印象は全然違った。厭な印象を持つと私はなかなか気持ちを入れ替えられない程度に癇症なのである。だから訳も夜発に演技して貰って、別な笑い話を結末に持ってきて溜飲を下げた。翻案なれば、ご不満の向きもあろうが、悪しからず。

・「相店」相借家(あいじゃくや)。同じ棟の中にともに借家すること。また、その住人。いわゆる落語で同じ長屋を借りている熊さん・八さんの類いであるが、この「輕き町人」、「輕き」とある割には二階屋の家に住んでいるので、これは我々が時代劇で見る平屋の長屋ではなく、粗末ながら一戸建或いは二階を持った長屋形式の、ややグレードの高い長屋借家群のように思われる。そもそも粗末な平屋長屋の住まいなら弟に留守番を頼む必要はない。何か、商売をしていたものか。

・「もだせし事」「もだす」は「黙(もだ)す」で、口を噤(つぐ)む・黙る、黙って見過ごす・そのままにして捨て置くの意であるから、ここは(妻の里子には決してやらないでという末期の懇請を)聞き入れずに放っておくこと、の意である。

・「ふびん」不便・不憫・不愍(但し、「不憫」「不愍」は当て字)は、現行、「不憫」「不愍」と書いて、かわいそうなこと・憐れむべきこと・また、その様を指す意で用いられ、ここでも男は彼自身によって約束を破られた妻を「哀れで」「かわいそう」の意で用いているのだが、そうした捩じれで読むよりも、現行の「不便(ふべん)」に近い「不便(ふびん)」、自分にととって都合が悪いこと・または、その様の意でとった方が実は、この意志薄弱の無責任夫・無責任父の、厭らしさには、しっくり来るように思われる。

・「去るもの日々にうとき」故事成句「去る者は日々に疎し」は「文選」の以下の詩に基づき、卜部兼好も「徒然草」(第三十段「人の亡きあとばかり」)で、『年月經ても、つゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々に疎しと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。骸(むくろ)は氣うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく、卒都婆(そとば)も苔むし、木の葉降り埋みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける』とする。

 

  去者日以疎

去者日以疎

來者日以親

出郭門直視

但見丘與墳

古墓犂爲田

松柏摧爲薪

白楊多悲風

蕭蕭愁殺人

思還故里閭

欲歸道無因

 

     去る者は日々に疎し

  去る者は日に以つて疎(うと)く

  來る者は日に以つて親(した)し

  郭門(くわくもん)を出でて直視すれば

  但だ丘(をか)と墳(つか)とを見るのみ

  古墓は犂(す)かれて田と爲(な)り

  松柏(しやうはく)は摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と爲る

  白楊(はくやう)は悲風多く

  蕭蕭(しやうしやう)として人を愁殺(しうさつ)す

  故(もと)の里閭(りりよ)に還(かへ)らんことを思ひ

  歸らんと欲するも 道 因(よ)る無し

 

……もうじき私の母の……四年目の祥月命日である……

 

・「夜發」夜、辻で客を引いた最下級の私娼。辻君(つじぎみ)・総嫁(そうか)。

・「夜五ツ頃」冬至で午後八時過ぎ頃、夏至で午後九時、春分や秋分で午後八時半。五ツ半で午後九~十時(半時は一時間)、四ツで午後十~十時半となる。不定時法は「昼九ツ」(正午)から数字が順に下がって、午前零時で「暁九ツ」となり、そこからまた数字が減って行くので注意が必要。

・「はゐもふ」底本には右に『(廢忘)』と注する。「廃忘」(敗亡とも書く)は正しくは「はいまう(はいもう)で、狼狽(うろた)えること・驚き慌てること、また、忘れ去ること・忘却の意でここは前者(なお、「廃忘怪顛(はいもうけでん)」で、狼狽えること・狼狽(ろうばい)することの意がある。「顛」は動顛で「慌てる」の意)。

・「里に子を預け」底本では、ここに鈴木氏が里子についての注を以下のように附しておられる。『さととは、養育料を定めて、小児を預ける事、其養育料を里扶持といひ、其預り主を里親といひ、其預けられたる小児を里子といふ。(三村翁)』。

・「二三篇」底本には「篇」の右に『(遍)』と訂正注がある。

・「かつと云て」底本には「かつ」の「か」右に『(わカ)』と注がある。

・「地主」岩波の長谷川氏注に、『家主は借家の管理人で、地主が持主』とある。則ち、ここに出る「家主」というのは正確には、持主の代わりに貸家(かしや)や貸地(かしち)を管理する「差配」のこととなる。

・「增扶持」里親に払っている里扶持(養育料)の増額。

・「一歩」一分。一両の四分の一。本作が執筆時の文化年間とすれば、私の従来の換算では、現在の一万二千五百円ほどに相当する。出してやんなよ! 地主さん!

・「蹈反(ふんぞり)」は底本の編者によるルビ。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 亡妻の遺念を怖れた笑い話の事

 

 八町堀に身分の低い町人がいたが、これが妻を失った。いまだ、乳を放さぬ乳飲み子もあったが、かの妻、息のあるうち、この夫に対し、

「……妾(わらわ)、死のうとも、あの子を里子(さとご)にだけは――決して――お遣りなさいまするな。……よろしゅうございますな。きっとで御座います。……」

と、何度も頼んだという。

 しかし乍ら、妻の身罷った後(のち)、男手一つでは、これ、養うこともなし難く、はなはだ難儀していた。

 ところが、この男の弟で、近所にて如何にも暇(ひま)多き勤めを生業(なりわい)としていた男があったが、この弟并びに家主(やぬし)・相店(あいだな)の者などが口を揃えて、

「……里子に出して御座っても、の。……それを――迎える人――次第じゃ。……ちゃあーんと育つ者も、これ、あるぞ。……じゃけ。兎も角も里子に出すが、一番じゃて。……」

としきりに勧めた。

 されば結局、言われた通りに、子は里子へ出してしまった。

 それでも内心は、

『……それにしても……あいつには「くれぐれも」と言われもし……里子には出さんと約束もしたればのぅ……それを……聞き入れず……かくも破ってしもうたは……これ何とも、ちいと……悪ぅて……後ろめたい……』

と、暫くの間は、大いに気に病んでは、いた。

 しかし日数(ひかず)の経って――「去るもの日々に疎(うと)き」――の譬(たと)えの如く、いつしか、その呵責(かしゃく)もいい加減となり、日々にあっては忘れ去って、稼ぎの間(ま)には、ぷらりと女郎屋へ遊びに行き、夜泊(よどま)りなど、することも、これ、ちょくちょくあるようになった。

 その折りには、かの弟に――くどいが、暇(ひま)な勤めであった――いつも長屋の留守を頼んでおいた。

 そんな男の女郎買いの、ある夜のことである。

 いつもの通り留守番を頼まれた、かの弟、つくづく思うことに、

「……かくもたびたび、留守を頼まれ……おいらは、かくも淋しく独り、臥し寝しておるというに。……兄いは近頃、遊び所なんどへ、しばしば出入りしとるとか耳に挟んだに。……おいらが方のこの淋しさ……これ、凌(しの)ぎようもねえちゅうんは、ちょいと、おかしくはねえか?!……」

と、異様にむかついて参り、その勢いで、一人(ひとり)の夜発(やほつ)を呼び入れ、鬱憤を――まあ――そっちの方(ほう)で――一心地(ひとごこち)つけんとした。

 ところが、それから暫くして、夜(よる)五ツ頃にもなった頃か、かの兄、突然、帰って参り、表の戸をドンドンと叩くと、

「――戸を――開けてくんない!――」

と呼ばわった。

 されば弟、慌てふためき、夜発は急いで二階へ上げさせ、慌てて着物を引っ掛くると、寝惚けて今起きたような素振りをしつつ、徐ろに表の戸を開け、

「……兄い!?……今夜は早(はよ)うに、お帰りなされたのぅ……」

と応じた。すると兄は、

「……預けおいた子のことも気遣いじゃったけ。……ちいと、そっちが方(かた)へ立ち寄っての、今日は早(はよ)うに帰って来た。いっつもいっつも、留守を頼んで、悪かったのぅ。……さぞさぞ退屈しとろうと思うての。……悪(わり)いな、今日は少しでも早(はよ)ぅにお帰り。」

と言われたれば、かの夜発を二階より下ろして逃がすゆとりもなく、いまだに夜発への揚げ代も払わぬままであったが、仕方なく己れの長屋へと帰って行った。

 さて、兄は、これ、またぞろ、亡き妻のことをじくじくと思い出し始め、

「……さるにても……あいつの頼みを聴き届けず……里子として乳飲み子を預けてしもうたは……これ、ほんに儂(わし)の本意(ほい)では、ない。……よんどころなきことじゃった。……とは言え……あいつの切なる末期(まつご)の思い……これ……まっこと、哀れじゃった。……」

と、仏壇へ燈明(とうみょう)を上げ、

「……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」

と、念仏を二、三遍(べん)唱えた……と!

――ガタン! シュッ!

と、二階にて何やらん、物音の、した。

 されば、

『何じゃ?』

と思うた、その瞬間、

「……アふっ……はッ……ふぅ……はーっ……」

――と!

――二階より!

――怪しの女の声!

……その意味は分からねど……確かにこれ!

――女の声!――

 されば、吃驚仰天、

「……さ、さ、さてはッツ!……あ、あ、あいつの、し、し、執心の! 来(きた)ったかあッツ!――ワァァァッツ!!――」

と叫ぶや、脱兎の如く家を飛び出し、泡食って、近隣の者のところへと走り込み、その怪異を告げた。

 されば、その者の家より家主方へも即座に知らせたところ、家主、わざわざ出向いて参り、直ちにその近隣の家内(いえうち)にて、長屋の面々も集うて、相談なすことと相い成った。

 まず、家主の申すことには、

「……亡き連れあいの亡霊?!……いやぁ! こりゃあ、何とも、迷惑な話じゃのぅ!……これ――怪物長屋――なんどという風聞の広まったりしてごらんな、あんた!……そうなったらこれ、借り手も、全く、つかんように、なる!……いや! こりゃすぐ、地主さまへ正直に申し上ぐるがよかろう!……地主さまなれば、なんぞこうした折りの取り計らい方も、これ、あろうほどに!……」

と急(せ)いて申したによって、またまた、直ちに地主が方へと知らせを走らせたところ、幽霊の出たと聴いた地主は、これまた大慌てで、衆議の場へと出向いて参った。

 そうしてこの地主もまた、先の家主と同じき危惧(きぐ)を述べたによって、さればこそと、またまた皆して、雁首うち傾(かたぶ)け、どうしたらよいものかと思案を始めた。

 すると、中の一人が格好の策を語り出した。それは、

「……かの亡妻の執心が残っておると申すのも、これは畢竟(ひっきょう)、子供の処置に関わることなれば……最もよき策は、これ――里子方より子を取り戻し、乳母(うば)を雇って育てる――ことなれど……これはそうそう成るまじいことじゃろう。……そこでじゃ。ここは一つ、今まで通りに里子に出しおくことと致いて、しかし――里扶持(さとぶち)の増扶特(ましぶち)として――地主さまより月一分(ぶ)ずつを里方へとさし遣わし――さらにさらに、丁寧に優しゅう、かの子を養育致さする――と申すがこれ、しかるべき法にては、御座るまいか?……」

といったものであった。

 すると、幽霊怪物化物長屋の風評被害ばかりを恐懼しておった家主や地主は、その場に集った者どもその他と一緒に、これ、諸手を挙げて、

「そ、それじゃ! それがよい!!」

と、一同承知と相い成ったれば、その通り、衆議決した。

 ところが、かの兄なる男、かく決まっても、幽霊の出たればとて恐れ戦き、一向に動こうとせぬ。

 そこで、ともかくもその怪異をば確かめずんばなるまいとの声の上がったによって、これまた皆して、かの男の家へと向かうことと相い成った。

 さても、怪しき音と妖しき女の声のしたと申す二階へ、大勢してうち寄り、ぞろぞろと登っては、恐る恐るその部屋内(うち)を、おっかなびっくり少うしだけ、首を差し入れるようにちょっと改めてみた――ところが――これといっておかしなところ――妖しの影とても――これ、ない。

 よくよく検(けみ)せずんばあらずと、さても本格的に家探しをしてみた……ところ……入口からは、これ、暗くてよく見えなんだ部屋の隅の……少うし奥まって蔭になった暗がりの辺りに……

――色

――真っ白に

――白粉(おしろい)を塗ったる

――異形(いぎょう)の女!

……これ……ふんぞりかえって……大鼾(いびき)をかいて――寝て――おった。……

 これには一同、驚いた。

 ちょうどその時、かの弟、金を払っておらねばこそ夜発がどうなったものやら、気が気でなければ、再び兄の家へとたち帰って参ったところであった。

 見れば、夜の夜中に、大勢の者が兄の家の門口から中までぎっしりと立ち並んでおる。

 しかも、その人々の真ん中には、

「――金!――金くんなきゃ、あたいはこっから出ていかねえからなッツ!!」

と、女だてらに尻はしょりして、啖呵を切っている女が一人、どっかと座っておる。

 が、これ、よくよく見れば、彼が最初に呼び入れた、かの夜発であった。

 されば、たまたまその大勢が中(うち)に、彼の気の知れる者のあったを見つけたによって、

「……恥ずかしながら……これは……かくかく……しかじか……のことなれば……」

と、件(くだん)の出来事の訳を正直に話し、夜発の揚げ代も、この者の手に摑ませた

 さればその者、徐ろに夜発の前に進み出ると、黙って彼より託された金を渡した。

 すると、夜発は破顔一笑、

「――金さえ貰えば、用はないサ! 温けえところで一眠りさせて貰ったヨ!――じゃあネ! みなさ~ん! あちきんこと! どうぞ! ご・ひ・い・き・に! ♪ウッツフン♪ ♪フフフ♪」

と言い放つと、闇の中へと、ほの白き跡を残して、消えて行った。

 さてもそれより、この金を渡した者が、かの弟の話を、なるべく穏便に言い換え、その場の者どもに語って聴かせたれば、一同、これにて大安堵。

 夜の夜中の長屋中に、これ、皆の大きな笑い声が響いたのであった。……

 ……なに?……増扶持の件?……いや、それは……残念ながら……沙汰止みと相い成ったとのことじゃ……

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