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2015/04/05

耳嚢 巻之十 狐仇をなせし事

 狐仇をなせし事

 

 常州眞壁村の百姓、妻子を殘し江戸表へ奉公稼(かせぎ)に出しが、眞壁村に殘りし妻子は百姓をいたし居(をり)候處、或時夜に入(いり)て右夫歸り來り、在所出(いで)候以後、所々流趣致候處、與風(ふと)盜賊の仲間へ入(いり)、此節盜賊の吟味強く同類不殘(のこらず)被召捕(めしとられ)しが、仕合(しあはせ)に我身一人まぬかれしが、同類共(ども)の白狀にて、定めて妻子共迄も無實の事にて難儀及ぶべき間、早々村方を立退可然(たちのきしかるべし)、我等は直ぐに立退候由にて、いつ地(ち)へか行去(ゆきさ)りしが、驚(おどろき)て妻子ども不殘(のこらず)某所を立退しが、其後何の沙汰もなく打過(うちすぎ)し處、彼(かの)夫(をつと)暫く奉公もなせし故、故郷の事も氣遣敷(きづかはしく)、立歸(たちかへ)り候處、我が住(すみ)し家は誠にあれ果(はて)、家内もいづ地へ行(ゆき)しやしれるものなければ、驚きて村役人元(もと)組合の方抔へ至り、我等住居はいか成(なる)事にてかく荒果(あれはて)、家内は何國(なんごく)へ行たるにやと、念頃に尋(たづね)しに、さればの事か、身の勤先(つとめさ)きも不相知(あひしれず)、いか成(なる)故にや妻子息とも何れへ行しや、一夜の内に立退被申(たちのきまうされ)し間、所々尋候へ共(ども)行衞(ゆくゑ)も不相知(あひしれず)、無據(よんどころなく)其事屆(とどけ)も濟(すみ)候、此程承及(うけたまはりおよび)候へば、子息は上州桐生(きりふ)邊にも居(をり)候由、内方(うちかた)は近郷何村に近頃も居候段、申聞(まうしきき)候故、驚入(おどろきいり)、先(まづ)近所成(なり)と聞(きき)、妻の許へ尋行(たづねゆき)て面會いたし、何故今かく奉公抔いたし居候哉(や)と尋(たづね)ければ、先達(せんだつて)一旦立歸り、盜賊の仲間入(いり)いたし、無滯(とどこほりなき)詮議可有之(これあるべき)候間、早速村方立退候樣(やう)、御身被申(まうされし)故の由答(こたへ)けるに、村方へ立歸り候儀も無之(これなく)、左樣成(さやうなる)儀夢(ゆめ)聊(いささか)無之(これなく)、さるにてもいか成(なる)故ならんと考(かんがへ)しが、彼者(かの)傳通院(でんづうゐん)前屋敷方(がた)に奉公なせしが、其屋鋪(やしき)年久敷(ひさしき)狐の穴ありて、近き頃右狐折々いたづらをなして主人も迷惑の由かたりしを、夫(それ)は不埒なる畜生也(なり)、急ぎいぶし可然(しかるべし)と申(まうし)けるを、主人も止(とど)めぬれど、憎き奴なりとて強(しい)て申勸(まうしすす)め、松葉を積(つみ)て穴をことごとくいぶしければ、狐絶(たえ)がたくや飛出(とびいだし)し事ありしが、右狐の仇(あだ)をなせしなるべしと也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。「耳嚢」に恐らく最も多い妖狐譚の怪談である。「耳嚢」は残すところ六話であるが、実はまだ後一話、妖狐譚がある。やはりお狐さまは、これ、江戸のアーバン・レジェンドのチャンピオンであったのである。やはり話柄の最後が尻窄みになっている。主人公に「真壁村の何野太郎兵衛(なんのたろべえ)」と言上げさせておいた。これによって、狐は復讐すべき相手を特定出来るからである。

・「常州眞壁村」現在の茨城県真壁郡真壁町。

・「所々流趣致候處」底本には原典のママ注記がある。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『所々流浪(るらう)致(いたし)候處』。そちらで訳した。

・「氣遣敷(きづかはしく)」底本編者のルビ。

・「組合」領主の命令により組織された隣保制(相互扶助・相互監視を伴う隣組組織)の五人組のこと。ウィキの「五人組(日本史)」によれば、「五人与(ぐみ)」「五人組合」などとも呼ばれた。『制度の起源は、古代律令制下の五保制(五保の制)といわれ』、慶長二(一五九七)年に『豊臣秀吉が治安維持のため、下級武士に五人組・庶民に十人組を組織させた』ものが直接の原型である。『江戸幕府もキリシタン禁制や浪人取締りのために秀吉の制度を継承し、さらに一般的な統治の末端組織として運用した』。『五人組制度は村では惣百姓、町では地主・家持を近隣ごとに五戸前後を一組として編成し、各組に組頭などと呼ばれる代表者を定めて名主・庄屋の統率下に組織化したものである。これは連帯責任・相互監察・相互扶助の単位であり、領主はこの組織を利用して治安維持・村(町)の中の争議の解決・年貢の確保・法令の伝達周知の徹底をはかった。また町村ごとに遵守する法令と組ごとの人別および各戸当主・村役人の連判を記した五人組帳という帳簿が作成された』。『実態は、逃散したりして潰れた家や実際の住民構成とはかけ離れた内容が五人組帳に記載されていた場合があったり、また年貢滞納をはじめとする村の中の争議は、村請制の下では五人組ではなく村落規模で合議・責任処理されるのが普通であったため効果としては疑問がある。また、村によっては一つの村内で領主が家ごとに別々(相給)になっているケースがあり、その場合には領主が編成する五人組と村が居住区域をもって定めた五人組(「郷五人組」)が並存するという現象も生じた。しかし五人組制度が存在することによって、間接的に名主・庄屋の権威を裏付け、住民の生活を制約すると同時に町村の自治とりまとめを強化することには役立った。近代的自治法の整備とともに五人組は法制的には消滅したが、第二次世界大戦中の隣組にその性格は受け継がれていた』とある。

・「上州桐生」現在の群馬県桐生市。

・「内方」他人の妻の敬称。奥方。裏方。ここは五人組の者が主人公の夫に彼の妻の所在を語っている直接話法のシーンである。

・「無滯詮議可有之候間」一応、文字通り「滯り無き詮議」と訓じたのだが、どうもおかしい。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『無據(よんどころなき)詮議(せんぎ)可有之(これあるべき)間』(「候」はない)である。そちらで訳した。

・「傳通院」東京都文京区小石川三丁目の高台にある浄土宗無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)。徳川将軍家菩提寺で江戸三十三箇所観音札所の第十二番札所。慶長七(一六〇二)年八月に徳川家康の生母於大(おだい)の方が京都伏見城で死去したが、家康はこの母の遺骸を遺言通り江戸へ運び、大塚町の智香寺(智光寺)で火葬、位牌は安楽寺(愛知県蒲郡市在)に置かれたが、翌慶長八年、家康は母の遺骨を現在の墓地に埋葬し直し、小石川極楽水(現在の小石川四丁目)にあった寿経寺をここに移転して堂宇を建立、彼女の法名である「伝通院殿」にちなんで院号を伝通院とした(以上はウィキの「伝通院」に拠る)。岩波の長谷川氏注には、この『境内に沢蔵司稲荷があり、この狐は駒込吉祥寺の所化に化けて勉学していたか、昼寝してうっかり尻尾を出してしまい、稲荷に祀られたものという』とある。「澤蔵司稲荷」はこれで「たくぞうすいなり」と読む伝通院の別当寺で慈眼院が正式名。この伝承は同稲荷公式サイトの「澤蔵司稲荷 縁起」に詳しいが、そこには『駒込吉祥寺』とは記されていない(因みに、こういう鈴木氏のような注こそが私は正しい注だと思うのである。注とはそれを附けている人の姿が髣髴とする掘り下げ方、広がり方がまずなくてはならず、そして究極に於いて面白くなくてはならぬない。単なる辞書の孫引き注はこれ本当の注とは言えない。無論、これは自戒を含めての謂いであって誰かを批判するものではない)。

・「絶がたくや」底本では「絶」の右に『(堪)』と訂正注がある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 狐、仇(あだ)を討つ事

 

 常陸国真壁(まかべ)村の百姓、妻子を残し、江戸表へ奉公稼ぎに出でて、真壁村に残った妻子が方(かた)は百姓で身過ぎ致いて御座った。

 ある日のこと、夜(よ)も深まった頃になって、突然、かの夫、帰って参って、

「……在所を出でて御座ってこの方(かた)、さまざまなるところを流浪致いて参ったが、ふと出来心より盜賊が一党の仲間へ入(い)った。……この頃、盜賊の探索・吟味方(がた)、殊の外厳しく、一党の者どもは残らず召し捕られたが、幸いにも我が身一人、これ、捕縛から免れた。……されど、その捕えられたる仲間らが白状致さば、定めて我らが故郷も知られ、お前たち妻子らまでも無実にも拘わらず、吟味の難儀、これ、及ばんものと思うたよって。――早々、この村方を立ち退くがよい。……我らもこれより直ぐにまた、ここから立ち去らねばならぬ!……」

と告げるや、闇の中を何処(いずこ)かへと立ち去ってしまった。

 あまりの急なことに驚きつつも、夫の謂いに随い、その(よ)夜、妻子ども残らず、秘かに夜逃げ致いた。

 その後、妻子が方へは、何の消息も噂も到来致いさず、空しく時のうち過ぎて御座った。

   *

 さて、かの夫、暫く江戸表にて屋敷奉公をなし、小金も貯まり、故郷のことも少しく気になって参ったによって、主家よりお暇まを頂戴致いて真壁村へと久方ぶりに帰った。

 ところが、我が住み慣れし家はすっかり荒れ果てており、家内(かない)も何処(いづこ)へ行ったかさえ知れる者も、これ御座らなんだによって、ひどく驚き、村役人の許(もと)やら五人組の方々なんどへも足を運び、

「……我らが住居(すまい)は……これ……いかなる訳にて、かく荒れ果てたので御座いましょうや?……さても、家内(かない)と我が子はこれ、一体何処(いづこ)へ行ってしもうたのもので御座いましょうや?……」

と、切(せち)に訊ねたところが、五人組の組頭の者の所でやっと、

「……そのことよ!!……おん身の勤め先きもよう分からず、連絡のとりようもなかったぞ!……いかなる訳のあったものかは知らねど……かの妻や子息らなんども何処(いずこ)へ行っしもうたもんやら、これまた行方知れずとなったんじゃ。……何しろ、一夜(いちや)のうちに皆、これ、姿を消してしもうたんじゃから、の。……それより、ところどころ訪ね捜してはみたものの、これ一向、行方知れずのままよ。……よんどころのぅ、その旨、お役人さまへの届けもこれ、先般出だしおいたところじゃった。……それがの! つい今日のことよ! 行方知れずじゃった妻子二人の行先、これ、知れたぞ!……この度、呼ばれてお役人さまより承り及んだるところによればじゃ。――子息は――上州桐生(きりゅう)辺りに住まいなしておる由――にて、さても――御内儀の方(ほう)は――おうさ!――近郷の〇×村に――今もおるとことじゃ!……そう今日日(きょうび)、申し下されたを聴き及んで参ったとろこじゃった!……」

との答えなれば、男はこれまた驚き入り、まずはごく近所である旨、聴いたによって、その足で直ちに奉公勤めをなしおるという妻の許へと訪ねて参り、まずは無事、面会することが出来た。

 逢うなり、男は、

「……なして! 今、家や田畑(でんぱた)を捨てて、かくも奉公なんど致いておるのかッ?!」

と質いたところが、

「……だって……先だって、一旦、お帰りになられて――盜賊の仲間入りをした――逃れ難き厳しき詮議がなされておるから、すぐにこの村方を立ち退くようにしなさい――と、おん身自ら、申されたではありませんか?!……」

と答えた。

 ところが男は、

「……儂(わし)は、江戸表へ出て今日の今日まで、村方へ立ち帰ったことなど、これ、一度もないぞ?!……盗賊の一党?……厳しき詮議だ?……夜逃げせよ?……さような儀、これ、ゆめゆめ、いささかも存ぜぬことじゃ!!……しかし……それにしてもこれ、どういうことじゃろう?……儂に――化けた――者の……おるちゅうことか?……?……!……!!……」

と、男にはふと、思い当たることのあったのである。……

   *

……この男、江戸表にては、かの伝通院(でんづういん)の門前にある武家屋敷が方(かた)に奉公致いて御座ったが、この御屋敷にはこれ、年を経たる古き狐の巣穴のあり、ちょうどその頃、そこに巣くうておる狐が、おりおり悪戯(いたずら)をなし、御屋敷の主人も、これ、大いに迷惑を蒙っておらるる由、直かに語っておられたを、たまたまこの男、庭先にて耳に致いて御座ったによって、

「……お畏れ乍ら申し上げまする。――それはまことに不埒なる畜生にて御座いますれば――直ちに燻(いぶ)して追い出すがよろしゅう御座いましょう。我ら常陸国真壁村の百姓なればこそ――狐や狸の燻り出しは――これ、得意にて御座いまする。」

と言上致いたところ、

「……いや……狐なればのぅ……」

と、周囲の朋輩は思わず身を引き、また、

「……まあ……悪戯の類いなれば……ここは……そこまでやらずとも……」

と主人までも弱気になって止(とど)めんとしたが、男は、

「――狐の分際にて――まっこと、憎(にっく)き奴では御座いませぬか! やりやしょう! 何! あっという間に追いだしてご覧に入れまする!」

と、しきりに慫慂し申し上げたによって、主人よりお許しのあったれば、早速、穴の前に松葉を山と積み上げ、あらゆる穴という穴を、これ、悉く同時に燻し始めるや、

やあやあ! 音にも聴け! 目にも見よ! 我ら、真壁の何野太郎兵衛と申す者ッツ!!――百姓なりとて甘く見るなッツ!――さっさと燻り出されて、とっとと立ち退くがよいぞッツ!!

とまたまた大音声(だいおんじょう)に名乗りを挙げたところが――

――一匹の狐

――あまりの煙に堪えられずなったものか

――矢のように飛び出すと

――ふっと

姿を消してしまった。……

   *

「……さても――立ち退く――と申す言葉といい……また、そなたらを迷わず訪ね得たと思わるる節なんど、これ、思い合わすれば……さては!……あの時の、あの狐が、これ、仇(あだ)を討って参ったに相違あるまいよ。……」

と男は気づいたと申すことで御座った。

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