志賀理斎「耳嚢副言」附やぶちゃん訳注 (Ⅴ)
一 町奉行の時にや、御勘定奉行の時にや有(あり)けん、本所邊(へん)見分事(けんぶんごと)ありしに、諸役人打(うち)つれて越(こ)されし時、晝辨當(ひるべんたう)の折(をり)から人申(まうし)けるは、「扨々肥前殿には是迄結構に家を起され、殊に御子息迄も御役勤(つとめ)られ、其上いつも健固(けんご)にて彼是(かれこれ)目出度(めでたき)事共(ども)、誠にあやかり度(たき)事也(なり)」と申ければ、次には支配下の者も此事を聞居(ききをり)たりしに、肥州答(こたへ)て、「さればにて候。我等身(み)不肖なるもの斯(かか)る御めぐみは有難(ありがた)き事(こと)言語に申盡(まうしつく)しがたし。我等よりも廣大無邊の有難き身は妻が身の上なり。我等は毎日毎日御奉公御役(おやく)には立(たた)ね共(ども)相勤(あひつとめ)候なり。妻事(こと)はなにもせずに唯今にては女子共(をんなこども)召仕(めしつかひ)、不自由なく罷在(まかりある)と申(まうす)も上(か)みの御恩なり。我等妻抔は各方(おのおのがた)の奧樣とは違ひ、むかしは豆腐を買(かひ)に罷出(まかりいで)たるものにて、みづから臺所釜(かま)の下(した)の世話のみ致させし身分にて候き」と、高らかに笑ひながら挨拶せしとぞ。是は村山米藏(よねざう)が物語りなり。
[やぶちゃん注:鎮衛の愛妻家の一面が見てとれる微笑ましいエピソードである。本所のしっとりとした風景にまさにぴったりの話柄ではないか。
・「人申けるは」の人物は、後に「支配下の者も此事を聞居たりしに」とあることから、根岸の支配の部下ではなく、この検分に関わって同道した別な部署の、相応に官職の高い(但し、鎮衛よりは格下)の人物である。しかし、なんとなくこの男の台詞、如何にもおべんちゃら臭い。そう取ってこそまた、根岸の答えがより生き生きとしてくるように私は思う。
・「妻」鎮衛の妻は、大坂蔵奉行などを務めた旗本桑原盛利(もりとし)の女「たか」。で「官府御沙汰略記(かんぷごさたりゃくき)」著者小野直方(なおかた)の孫の一人。小野直方は広敷添番(ひろしきそえばん:大奥の出入りの監視等の担当職。)を最後に引退した幕臣で、「官府御沙汰略記」は直方が延享二(一七四五)年から安永二(一七七三)年まで、幕府の令達や人事等の記事に加え、小野家の日々の生活を記録した書である(以上は国立校文書館公式サイト内の「旗本御家人」にある解説に拠った)。父桑原盛利が相応に女子に対して厳しく躾けた可能性はあろうが、ここで鎮衛が「むかしは豆腐を買に罷出たるものにて、みづから臺所釜の下の世話のみ致させし身分」というのは、どう見ても誇張があるように思われる。
・「村山米藏」不詳。優れてリアルな描写から、この当時、この検分に同道したその支配の部下の一人である。
■やぶちゃん現代語訳
一 南町奉行を勤めておられた折りのことか、はたまた、それ以前の御勘定奉行の折りのことであったか、本所辺りをさる一件にて検分なされたことがあった。
諸役人をうち連れ、現地に赴かれて検分をもなし、ちょうど昼時となったれば、野外にて弁当を食されんとなされた折りから、同行したさる御役人の申さるるに、
「……さてさて肥前殿にはこれまで、まっこと結構なるご昇進によって家を興され、殊に今は御子息までもこれ、なかなかの御役をお勤めになられておらるる。その上、何時(いつ)もご健勝んしてご壮健……どれもこれも、全く以って目出たきことどもばかり! まことに、我らも是非とも、あやかりたきことと存じまする。」
とおべんちゃらを申したところ、脇にては御自身の部下の者どもも、この話を聴いて御座ったが、肥前守殿、答うるに、
「……さればにて御座る。……我らが身(み)は、これもともと、すこぶる不肖なる者にて。……かかる御恵(おんめぐ)みはまさに想像だにせなんだ――在り難きこと――に御座っての。……かくまで――在る――ことに就きてはこれ、何とも言語に申し尽くし難きものにて御座る。……そうさ、正直、不詳の我らには訳の分からぬことと申せましょうぞ。……いや! 我らよりもこれ、広大無辺のお慈悲によって――在り難き身として在る――と申すはこれ、我が妻の身の上にて御座る!……我らは毎日毎日の御奉公――これ、一向にお役には立ち申さねども――辛うじてかくも相い勤めて御座るが、この妻儀は――これ、何一つ何(なん)にも致さず――しかも! 今にあってはこれ、女子どもから召し使いまでその支配に置き何不自由なく――罷り在る――と申すも! いやいや! 実にこれ、お上(かみ)の御恩の賜物にて御座るよ!……我らが妻なんどは各々方(おのおのがた)の奧方様とはこれ、大いに違(ちご)うて、昔は手鍋提げて豆腐を買いに罷り出でたるような者にて御座って、自ら台所の竃(かま)の下の世話――飯炊き女――のようなことのみ致いて参ったる、愚かな身分の者にて御座るじゃ!」
と、高らかに笑いつつ、かの御仁へ挨拶なされた、とのことで御座る。
これはその折りの部下であられた村山米蔵殿の直談にて御座る。]
一 むかしをわすれざるためとて、町奉行のときまでも、妻女の下帶(したおび)には平日は木綿(もめん)を用ひられ、年に一度づゝ正月毎に奧方手づから飯を焚(たき)て召仕(めしつかひ)のもの迄に振舞(ふるまは)れしと。是(これ)等(など)古風ありて今時(いまどき)のものゝする事にあらず。誠に肥州の用意格別といふべき處いと尊(たつ)とし。
[やぶちゃん注:「耳嚢」では、この妻たか女のことは取り立てて記されていないが、根岸家の何とも言えない暖かさが伝わってくる一話ではないか。
・「妻女」妻たか女との間には男子衛粛の他に三人の娘がいた。
・「下帶」装束の下、小袖の上に締める帯。鎮衛の家格ならば妻女のそれは絹製であったろう。木綿のそれは当時は礼服や正装ではあり得ない、武士でも下級の者の帯びる粗末なものという感じが強かったものと思われる。
■やぶちゃん現代語訳
一 昔の清貧の頃を忘れぬようにするためとて、町奉行の時までも、肥前守殿のご妻女の下帯(したおび)には平日はこれ、木綿(もめん)を用いられ、年に一度ずつ正月ごとに、奧方たか女(じょ)さま手づから飯(めし)を炊かれて、家中の召し使いの者に至るまで皆に振る舞われたと申す。
これなど、如何にも古風なる麗しき習わしにして、今時(いまどき)の奢侈(しゃし)にどっぷりと浸かった誰彼のなす事にては御座ない。
まことに肥前守殿の深き心遣い、これ格別なり、と申すところにして、たいそう尊(たっと)きことにては御座らぬか。]
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