耳囊 卷之十 荒木坂下妖怪の事
荒木坂下妖怪の事
文化十一年の六月或人かたりけるは、當月三日の夜、櫻木町近所荒木坂に奇異の事ありし由。右町□□□と申(まうす)湯屋(ゆうや)の門先にて、色々の油揚(あぶらあげ)を拵(こしらへ)、屋臺鄽(やたいみせ)にて商ひいたし、三日の夜五ツ時分迄追々餘程賣(うり)候後(のち)、中間(ちうげん)體(てい)のもの三四人參り、右油揚調(ととのへ)、直(ぢき)に其場にて喰(くら)ひ候處、右體(てい)のものは、時として無錢(むせん)にて食ひ逃(にげ)いたし候儀も有之(これある)故、心を付居(つけをり)候處、頻りに眠氣(ねむけ)付(つき)候へ共(ども)、勤(つとめ)てこらへ居(をり)候處、あく迄(まで)眠りを催し不思(おもは)睡り候て、暫過(しばらくすぎ)、目覺(めざめ)候處、あたりにも人も無之(これなく)、右の中間もいづちへ行(ゆき)しや不相見(あひみえず)、右屋臺の勢に仕込置(しこみおき)候油揚は不殘(のこらず)紛失いたし、彼是(かれこれ)にて六七百文の損をせし由。尤(もつとも)右場所人通りも少(すくな)き所なれども、いまだ五ツ時頃にてあたりに人も立𢌞り候場所、全(まつたく)狐の仕業成(なる)べしと、其最寄に住(すめ)る人のかたりぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:「耳囊」最後の妖狐譚。都市伝説としてはリアリズムもあり、悪くない。
・「荒木坂」桜木町(現在の小日向一丁目。次注参照)の現在の東京メトロ小石川検車区の南西から真南に下る坂。
・「文化十一年の六月」底本の鈴木棠三氏の「卷之十」の記載の推定下限文化一一(一八一四)年六月というのは、これに基づくものであろう。
・「櫻木町」底本の鈴木氏注に、『三村翁「桜木町は小石川の桜木町なり、徳川氏の女官音羽青柳桜木に給し、皆町名となせしと伝ふ、荒木坂は第六天町に在り。」』とある。江戸切絵図で確認すると、護国寺門前から南東に延びる音羽通りが江戸橋にぶつかる手前の左右の音羽町九町目の外側の地域をそれぞれ同名の「櫻木町」と呼んでいる。一種の飛び地か、若しくは江戸橋の手前の細い敷地で繋がっていたものか。
・「油揚」江戸時代に単にこう言った場合は豆腐の油揚げである。
・「五ツ時分」旧暦六月三日であるから、午後七時半から七時四十五分頃であろう。
・「勢」底本には右に原典の『ママ』注記がある。
・「六七百文」私の御用達サイト贋金両替商「京都・伏見 山城屋善五郎」の「江戸時代の諸物価(文化・文政期)」によれば、当時、稲荷寿司一つが六文で現在の百五十円相当、但豆腐一丁は高級品で六十文で千五百円相当と異様に高い。千文が二万五千円として、一万五千円から一万七千五百円相当である。この「油揚」は前に注したように豆腐を揚げたものであるから、これと同じ値(少し上でもよいが、江戸のリサイクル事情から考えれば、恐らくは古い豆腐を揚げ用に用いたと考えた方がよく、とすれば同じ値段かそれ以下であろう)仮定すると、仕入れて未販売の屋台内にあった油揚げ(中間らが注文した分は除く)は凡そ十~十二個ほどあったものと考えられ、盛んに売れた日野屋台の残りの分量としては自然であるように思われる。これだけの量の油揚げを食おうというのだから、そこからもちょっと人間離れしていることは確かである。
■やぶちゃん現代語訳
荒木坂下の妖怪の事
文化十一年六月に、ある人の語ってくれた話である。
この六月三日の夜、桜木町近くの荒木坂にて奇異なることの出来(しゅったい)致いたという。
その桜木町の何とかと申す銭湯の門先(かどさき)にて、いろいろな油揚げを拵えては屋台(やたい)にて商(あきの)うておる者の御座ったが、その三日の夜(よ)は五つ時分まで、これ随分、売り捌いて御座ったと申す。
ところがその時、中間体(ちゅうげんてい)の者が三、四人参って、油揚げをさわに注文なし、出来上がったそばから、これ、その場にてむしゃむしゃと次々食い始めたと申す。
こうした中間体(ちゅうげんてい)をなしたる者の中には、これ、時として無銭飲食なんどなしては、食い逃げ致す不良なる輩(やから)もまま御座るによって、亭主も気をつけて見ておった。
ところが突然、これ、どういうわけか、急に強い眠気(ねむけ)が襲い始め――何とか必死に堪(こら)えに堪えておったものの――遂に――ふっと――眠り込んでしもうた。……
……しばらくして目を醒ましたところが、これ、最早、辺りには人影もなく、さっきの中間体(ちゅうげんてい)の者どもも、一体何処(どこ)へ行ったものやら、雲か霧の如く、消え失せておったと申す。
ふと見てみれば――屋台内(うち)に仕入れておいたはずの残りの油揚げ――これ――一枚残らず全て無くなっており、売値に換算して、かれこれ六、七百文の損害となったとのことで御座る。……
「……しかし、この屋台を出しておった荒木坂界隈と申す場所はこれ、人通りこそ少ない所とは申せ、いまだ五つ時分ならば、余計、人通りもある場所にて御座るによって、さしずめ、これ、全く以って狐の仕業にて御座ろうと存ずる。……」
と、その荒木坂の最寄りに住もうておる御仁の、語って御座った。

