志賀理斎「耳嚢副言」附やぶちゃん訳注 「追加」 (Ⅲ)
一 根岸翁の町奉行にて御政事(ごせいじ)をきかれける中には、樣々の面白き捌(さばき)あり。一とせ名主(なぬし)共(ども)一同に願ひしは、「町役之(の)長をも相勤(あひつとめ)候へば、何卒可相成(あひなるべく)ば巳來(いらい)挾箱(はさみばこ)をもたせ候樣致し度(たく)、左候得(ささふらえ)ば下々(しもじも)の存じ付(つき)格別に御威光を以(もつて)重んじ可申(まうすべく)、一(ひとつ)には私共(ども)身に取り候ても難有(ありがたき)段、ひとへに御慈悲を以(もつて)被仰付被下(おほせつけくださられ)候樣(やう)に」としきりに願ひければ、翁聞かれ、「これは至極尤(もつとも)の願筋(ねがひすぢ)也。いかにも唯(ただ)上下(かみしも)斗(ばかり)にては外々(ほかほか)の御用聞(ごようきき)町人と同じすがた也。然る處挾箱を持(もた)するときはそれら共(とも)紛れず、だれが見ても名主殿と見えて威光もあるべし。隨分聞請(ききうけ)たれば願之通(ねがひのとほり)伺之上(うかがひのうへ)にて箱を持たすべし」と申されしかば、行事・名主・年番(ねんばん)その他惣(そう)名主、「誠に難有(ありがたし)」と申(まうし)ける。扨又翁申されけるは、「とは申(まうす)ものゝ一體挾箱といふものは至(いたつ)て六ケ敷(むつかしき)格式あることにて、武士も無席(むせき)のものは持(もた)する事ならず。片箱(かたばこ)より兩箱(りやうばこ)、又は先(さ)き箱(ばこ)、大名は其上にみの箱などゝ各(おのおの)其家格有(あり)て、猥(みだり)に持(もた)する事ならず。御(おん)いしなどは、儒醫諸出家制外(せいがい)の事とあれ共(ども)、なんぼ大惣(たいそう)なるも町醫者は箱もたする事ならず。御醫師斗(ばかり)挾箱と藥箱(くすりばこ)とを持(もつ)也。かゝる事なれば容易にさしゆるす事はならず。箱を持たせたくば我等がいふ通りにせねばならず。右之通箱といふは目印になるもの故、いよいよ持たせたくば名主・大屋(おほや)と誰(たれ)が見てもわかる樣に、巳來名主は髮を大(おほ)ばちびんにし、大屋はあたまをすりこかしにすべし。左樣(さやう)致(いたす)ならば箱は隨分持たすべし。爰はよくよく分別處なるべし。とくと考へて申出(まうしいで)よ」と申渡(まうしわた)しければ、名主共(ども)大(おおい)におどろき、申(まうし)おろしにせしとなり。是(これ)常の奉行ならば、「町人の分際(ぶんざい)として格式のある箱を持たせんなどゝは不屆(ふとどき)なる願ひ也」と、大にしかるべき處を、例の滑稽にて名主共をさとしたまふ。些細の事をばとがめず、大量(だいりやう)の處置たるを見るべし。
[やぶちゃん注:
・「名主」江戸時代の村役人・町役人。郷村では村落の長として村政を統轄、組頭・百姓代と合せて「村方三役」と呼ばれ、郡奉行や代官の支配を受けた。「名主」の呼称は主として関東で行われ、関西では「庄屋」、東北では「肝煎」と称することが多かった(ここまでは主に「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。この名主の下にあってそれを補佐する者が「組頭(くみがしら)」「年寄」「村年寄」、で一般の農民側から出た代表が「百姓代」である(因みに、こうした村役人としての名主とは別に多くの田畑を所有する有力農民のことを同じく「名主」と書いて「みょうしゅ」とも呼んだので注意が必要。但しこれは、平安後期から中世にかけての名田(みょうでん:荘園や国衙領の構成単位をなす田地の一つ。開墾・購入・押領などによって取得した田地に取得者の名を冠して呼んだもの。)の所有者で、領主に対して年貢・夫役(ぶやく)などの負担の義務を負う一方で家族・所従・下人などに名田を耕作させた豪農の謂いが後まで残ったものと思われる)。
・「挾箱」衣服などを持ち運ぶための長方形の浅い箱の蓋に環を附け、着脱可能な長い棒をとり付けたもので、従者に担がせた。一般には登城や参勤交代の道中に衣類を入れて従者が担いだ風景で知られ、武家が公用の外出の際、従者に必要な調度装身具などを納めて運ばせたもので、鎮衛が述べるように、家格によって紋や作りの仕様も異なっていたと言われる。後に出る「片箱」は一人で片方の肩に懸けて斜め縦形に担がせるタイプ、「兩箱」は大きめな挟や箱或いは小形の葛籠(つづら)を棒の両端に掛けて二人で担いだタイプ、「先き箱」大名などの行列に於いて正装の装束を入れて特に先頭の者に担がせた特別な挟み箱。「みの箱」不詳。蓑箱か? 「身の箱」で上下に分離する箱(厳密にはその下方の物品を入れる方の箱の呼称)のことか? 識者の御教授を乞う。
・「御用聞」には複数の意味があるが、ここは「町人」と併置してあるところからは特権的御用商人或いは豪農の格式の一つを指す語と考えられる。「御用達(ごようたし)」よりも格下とされた。「御用聞き」は外に、巡回訪問販売の呼び方の一種、及び当時の警察機構の末端を担った岡っ引の異称でもある(ウィキの「御用聞き」に拠った)。
・「行事」町内または商人の組合を代表し事務を取り扱った人。行司。
・「年番」年番名主。町村内に於ける名主年番の制によって任命された一年交代勤務の名主。
・「惣名主」惣代名主(そうだいなぬし)。年貢米を領主の御蔵まで廻漕する際に宰領の任に当たった村落の代表者。納名主(おさめなぬし)。数ヶ村や十数ヶ村を統轄担当し、各村の名主の上にあった。「大名主」とも称する。
・「無席」無役。幕府の公職に任ぜられていない状態。
・「儒醫諸出家制外の事」「武家諸法度」の「天和令」(天和三(一六八三)年に徳川綱吉が発布、殉死禁止や末期養子の禁の緩和が明文化された)の条の中に、
一 乗輿者一門之歷々、國主城主壱万石以上
國大名之息、城主及侍從以上之嫡子或五
拾以上許之、儒・醫・諸出家者制外之事
とあるのを指す。原文は私と同じ大船に住まいされておられるらしい大船住人氏のサイト「大船庵」の「天和武家諸法度原文・現代語訳」を参考にさせて戴いて、恣意的に正字化して示した。同大船住人氏の現代語訳によれば、『一 乗輿は徳川一門の歴々、國主城主壱万石以上並びに国大名の子息、城主及び侍従以上の嫡子或は五拾才以上は許す。儒・医・僧侶は制限外』である。これは「輿」の乗用についての禁制であるが、挟箱については事実、鎮衛の言うような不文律の習わしがあったと考えてよいであろう。でなければ、この名主どもがそれを事実と相違するとして批判するはずだからである。
・「大ばちびん」撥鬢(ばちびん)の大きなもの。撥鬢は江戸中期に流行した男子の髪形の一つで、両鬢を耳の上では細く、後ろへゆくほどに広くした三味線の撥の形にそり込んだもの。当時どうであったかは知らないが、私などは撥鬢奴(やっこ)など、侠客風の傾奇者(かぶきもの)といった印象が強い。凡そ年配の名主連中にはとんでもない髪型である。
・「大屋」大家。貸家の持ち主・家主。ここで根岸は挟箱を持ちたいと願い出た名主階級だけではなく、その同位から下層に位置する、店子(たなこ)を持つ大屋の連中にまで剃髪を命じるという提案をした訳で、これは大屋連中にしてみれば、とんだ大迷惑ということになる。そこをも鎮衛は計算に入れて居よう。
・「すりこかす」「すり」は「剃(す)る」で「こかす」は接尾語で、四段型活用の動詞の連用形に付いて、その意を強めるもの。「すっかり~する」「さんざんに~する」。
■やぶちゃん現代語訳
一 根岸翁、永い町奉行としての御政務に於いて御聴取・御吟味なされた中には、これ、さまざまに面白き捌きのあらるる。そんな中の一つ。
ある年のこと、江戸市中の名主(なぬし)どもが一同に願って参り、
「……町役(まちやく)の長(おさ)をも相い勤めて御座いますれば、何卒、出来ますれば、これより後、我ら、従者に挟み箱を持たせるように致したく存じまする。……そのように致しましたならば、下々(しもじも)の者らも我らに対し感じ入り、格別にお上の御威光の忝(かたじけな)きを以って、ひいては御政事(おんまつりごと)をも、これ、いっそう、重んじ申すようなりますると存じまする。……また一つには、私どもの身にとりましても、名誉にして、ありがたきことにて御座いますればこそ、ひとえに御慈悲を以って挟み箱使用の儀、お許し方、どうか、仰せつけ下さいまするよう、お願い申し上げまする。……」
と、しきりに願うた。
されば、翁、その一部始終を直かにお聴きになられると、
「――これは至極もっともな願い筋である。如何にも。ただ裃(かみしも)ばかりにてはこれ、巷におる他の御用聞きやら町人やらと同じ姿にしか見えぬ。然るに、かの挟み箱を持たせた時にはこれ、それらの者どもと紛れようもなく、誰(たれ)が見てもこれ、名主殿と見えて、いよいよ威光も生まるるに相違あるまい。その儀、これ随分、聴き受けたによって、願いの通り、お上にお伺(うかが)いを建てたる上、随分、そなたらに挟み箱を持たするように致そうぞ。」
と申されたによって、惣名主(そうなぬし)・名主は言うに及ばず、居並んだその他の年番(ねんばん)名主や行司といった連中までこぞって、
「誠にありがたきことじゃ!」
と口々に悦びの声を挙げた。
ところが、翁の次いで申されたことには、
「……とは申すものの……一体(いったい)に、この挟み箱というものはこれ、至って難しき格式のあるものであっての。武士にても無役(むやく)の者はこれ、持つことが許されぬ。
――片箱(かたばこ)より両箱(りょうばこ)――または先(さ)き箱(ばこ)――大名は其上に――みの箱(ばこ)……
などと申して、これ、おのおの、その家格のあって、濫(みだ)りに持ち歩くことは、これならぬものじゃ。
御幕医(おんばくい)の方などは、「武家諸法度」にある通り、
『儒医諸出家、制外(せいがい)の事』
と、確かに、あるにはあるがの。……
なんぼ、たいそうなる町医者であってもこれ、挟み箱を持つことは、出来ぬ。
――御幕医師ばかりが――この――挟み箱と――薬箱(くすりばこ)とをこれ、持つことが許されておる。
こうした訳であるからして、容易にはこれ、挟み箱を差し持つを許すことは出来ぬ。
さればじゃ。
そなたら、箱を持ちたく存ずると申すのであれば……我らが言う通りにせねばならぬ。……
以上述べた通り、挟み箱と申すはこれ、家格や職務の目印になるものであるからして……いよいよ是が非でもそれを持ちたいとならば……名主・大屋と誰(たれ)が見てもわかるようにせねばならぬ。……
されば向後、
――名主は髪を大撥鬢(おおばちびん)に成し
――大屋は頭を御医師と同じくつんつるてんに剃る
ように致せ。
そのように致いたとならばこれ――他の下々の御用聞きやら町人やらとはっきり違うということが一目瞭然――なればこそ、これ、挟み箱も随分、持たして遣わそうぞ。……
……さてもさても……ここはこれ……よくよくの分別のしどころじゃ。……挟み箱を採るか……普通の髷を採るか……とくと考え、これ、再度、申し出でよ。……」
と申し渡されたところが、居並ぶ名主ども大いに驚き、即刻、願いを取り下げたと申す。
これ、常の奉行であったならば、
――町人の分際(ぶんざい)として格式のある箱を持たんと欲するなど不届き至極な願いである――
と、大いに叱りおくところであろうが、翁はこれ、お得意の例の滑稽にて、結果、名主どもを美事、諭しなさったのである。
些細の案件に於いてはそれを殊更に咎め立てなさろうとはせず、かくも度量大なる御処置を施されておられたということを、この話から読み取らねばならぬと私は思うのである。]
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