譚海 卷之一 例幣使下向の事
例幣使下向の事
○伊勢の例幣使下向す。毎年九月十五十六日の神事也。拜見の貴餞瑞籬(みづがき)の内外に充滿し山上山下にも群集す。長官(かみ)鑰(かぎ)を奉じて本社の御戸をひらく時、御戸のひらく響(ひびき)にあはせて參詣の諸人感聲を發す。山川も鳴(なり)わたる程也。内殿ちかく入(いれ)こまざれば、まのあたり拜見する事かたき故、奔走する人山のごとし。無禮を制せんとて人長杖(ちやうぢやう)をふりたて、忿怒(ふんぬ)の相をなして人をうつ。然れども血を出す事神事に忌む事なれば、怪我のなきやうにはかる故、重く人をうつ事なしとぞ。撫(なづ)るやうに打(うつ)事也。
[やぶちゃん注:ここまでの三条が伊勢神宮近辺をテーマとしており、次の一条も紀州で、ニュース・ソースが同一人物であった可能性が高いと思われる。
「伊勢の例幣使」伊勢例幣使。毎年九月(陰暦)に伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい:天皇がその年の新穀を伊勢神宮に奉る祭儀。十月に実施される。)に幣帛(へいはく:広義には神に奉献する供物の総称。布帛(ふはく)・衣服・紙・玉・酒・武器など種々ある。狭義には天皇・国家・地方官から神に奉献する供物を指し、ここはそれ。「みてぐら」「にぎて」「ぬさ」「幣物」などとも称する。)を奉納するために派遣された勅使。ウィキの「奉幣」(ほうべい/ほうへい)によると(下線やぶちゃん)、「奉幣」とは『天皇の命により神社・山陵などに幣帛を奉献することである。天皇が直接親拝して幣帛を奉ることもあるが、天皇の使い・勅使を派遣して奉幣せしめることが多く、この使いの者のことを奉幣使という』。『延喜式神名帳は奉幣を受けるべき神社を記載したものであり、ここには』総計で三千百三十二座もの対象がが記載されているという。『奉幣使には五位以上で、かつ、卜占により神意に叶った者が当たると決められていた。また、神社によって奉幣使が決まっている場合もあり、伊勢神宮には王氏(白川家)、宇佐神宮には和気氏、春日大社には藤原氏の者が遣わされる決まりであった。通常、奉幣使には宣命使が随行し、奉幣の後、宣命使が天皇の宣命を奏上した』が、『中世以降、伊勢神宮の神嘗祭に対する奉幣のことを特に例幣(れいへい)と呼ぶようになった。例幣に遣わされる奉幣使のことを例幣使』(日光例幣使の「例幣使」と区別して伊勢例幣使とも)という。『また、天皇の即位・大嘗祭・元服の儀の日程を伊勢神宮などに報告するための臨時の奉幣を由奉幣(よしのほうべい)という』とある。因みに、『第二次大戦後は、伊勢神宮などの勅祭社の例祭などに対する奉幣、および、山陵の式年祭に対する奉幣が行われている。この場合、掌典職の関係者が奉幣使となっている』とある。
「感聲」底本では「聲」の右に編者竹内利美氏による『(嘆)』という訂正注が附されてあるが、私はこれで問題ないと思う。]