大和本草卷之十四 水蟲 介類 石決明 (アワビ)
石決明 海介ノ上品也亦蚫ト云肉モ殼モ目ヲ明ニス
弘景蘓恭ハ石決明ト鰒魚ヲ一物トス蘓頌ト時珍ハ
一種二類トスホンポウニ二品アル事ヲ聞ス但雌雄アリ
雄ハメクリノフチ高ク色黑クシテコハクアラシ其形長シ
雌貝ハフチヒキク白クヤハラカナリ其形マルシ雌貝ヲ爲
良生ナルヲ靜ニタヽキテ煮熟シ柔脆ナルヲ食フヘシ生
ナルト煮テコハキハ不益人
〇やぶちゃんの書き下し文
石決明(あはび) 海介の上品なり。亦、蚫と云ふ。肉も殼も目を明にす。弘景(こうけい)・蘓恭(そきよう)は石決明と鰒魚(あはび)を一物とす。蘓頌(そしよう)と時珍は一種二類とす。ほんぽうに二品ある事を聞かず。但し、雌雄あり。雄(を)は、めくりのふち、高く、色、黑くして、こはく、あらし。其の形、長し。雌(め)貝は、ふち、ひきく、白く、やはらかなり。其の形、まるし。雌貝を良と爲(す)。生なるを靜かにたゝきて、煮熟し、柔脆(じうぜい)なるを食ふべし。生なると、煮てこはきは、人に益あらず。
[やぶちゃん注:現行の和名「アワビ」自体が腹足綱原始腹足目ミミガイ科 Haliotidae のアワビ属 Haliotis の総称であるので、国産九種でも食用種のクロアワビ Haliotis discus discus ・メガイアワビ Haliotis gigantea ・マダカアワビ Haliotis madaka ・エゾアワビ Haliotis discus hannai (クロアワビの北方亜種であるが同一種説もあり)・トコブシHaliotis diversicolor aquatilis ・ミミガイ Haliotis asinina までを挙げておけば、とりあえずは包括出来よう。
「弘景」陶弘景(四五六年~五三六年)は六朝時代の道士で本草学者。道教茅山派開祖。漢方医学の基礎を築いた人物。前漢の頃に成立した中国最古の薬学書「神農本草経」を整序して五〇〇年頃に「本草経集注」を完成させた。この中で彼は薬物の数を七百三十種類と従来の二倍にし、薬物の性質などをもとに新たな分類法をも考案しており、この分類法は現在も使用されている(以上はウィキの「陶弘景」に拠った)。
「蘓恭」唐の高宗(六四九年~六八三年)の時代に編纂された「新修本草」(散逸)の編者の一人である蘇敬か。
「蘓頌」蘇頌(一〇二〇年~一一〇一年)は宋代の科学者にして博物学者。一〇六二年に刊行された勅撰本草書「図経本草」の作者で、儀象台という時計台兼天体観察装置を作ったことでも知られる。
「時珍」李時珍(一五一八年~一五九三年)は既出の一五九六年頃に完成した「本草綱目」の作者で明代を代表する医学者にして本草学者。主として医学的利用価値に立脚した本草学を確立した。
「雄は、めくりのふち、高く、色、黑くして、こはく、あらし。其の形、長し。雌貝は、ふち、ひきく、白く、やはらかなり。其の形、まるし」誤り。雌雄の判別は外見上ではまず不可能で、剖検して生殖腺の色で見分けられる(生殖腺が緑のものが♀・白っぽいものが♂)。ここに出るのは実際には「雄」とあるのがクロアワビ Haliotis discus discus 、「雌」とあるのがメガイアワビ Haliotis gigantea 或いはクロアワビの幼体や別な種と思われる。
「雌貝を良と爲」以上のように「雌」とあるのがメガイアワビ Haliotis gigantea であるが、現行では味の点でクロアワビに比べてやや劣るとされ、圧倒的にこちらの方が安価に取引される。本叙述を見ると、現在の堅い水貝の刺身が好まれるのに対し、軟らかい煮こんだものが好まれたと思しく、納得がいく。]
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