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2015/04/23

博物学古記録翻刻訳注 ■14 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海月の記載

博物学古記録翻刻訳注 ■14 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海月の記載

 

[やぶちゃん注:「博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載」「博物学古記録翻刻訳注 ■13 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる老海鼠(ほや)の記載」「本朝食鑑」の第三弾。私の偏愛するクラゲである。「本朝食鑑」については上記「12」のリンク先の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館のデジタルコレクションの以下の頁から始まる「海月」パートの画像を視認した。本文は漢文脈であるため、まず、原典との対照をし易くするために原文と一行字数を一致させた白文を示し(割注もこれに准じて一行字数を一致させてある。底本にある訓点は省略した)、次に連続した文で底本の訓点に従って訓読したものに、独自に読みや送り仮名を附したものを示し、その後に注と訳を附した。原典ではポイント落ち二行書きの割注は〔 〕で同ポイントで示した。なお、原典では原文の所で示したように、頭の見出しである「海月」のみが行頭から記されてあり、以下本文解説は総て一字下げである。二度出て来る「鰕」とした字は原典では「叚」の右部分が「殳」であるが、表示出来ない字であるので、文意からこれと判断して示した。「蔵」「静」など異体字は原典のママである。字体判断に迷ったものや正字に近い異体字(「狀」など)は正字で採った。

 注文するも未だ東洋文庫版は到着せず。――暴虎馮河のオリジナル現代語訳を敢えて公開する。【二〇一五年四月二十三日 藪野直史】一九七七年平凡社東洋文庫刊の国語学者島田勇雄(いさお)氏の手に成る訳注本を昨日入手したので、追記箇所が分かるようにして補足した。訳のうち、最後の「然れども微温か。未だ詳らかならず」の箇所のみ島田氏の訳を参考に修正を行った。【二〇一五年四月二十八日追記】遅巻き乍ら、「本朝食鑑」には和漢の本草記載の違いを考察する「華和異同」という別項が各部の終りに附されていることに気づいたので、その本文に準じて追加することとした。但し、本文とダブる箇所が甚だ多いので注は最小限に留めてある。【二〇一五年五月二十三日追記】

 

□原文

 

海月〔訓久良介〕

 釋名水母〔鰕附從之如子之從母故曰水母源順

 曰食經海月一名水母貌如月在海中

 故以名之凡自古以海月而名者尚矣以形色名

 之則於水母不相當雖圓形而不正其色亦殊一

 種有水海月者色白形圓言之乎陳蔵器

 李時珍俱以江瑤爲海月是形色相當矣〕

 集觧狀如水垢之凝結而成渾然體静隨波逐潮

 浮于水上其色紅紫無眼口無手足腹下有物如

 絲如絮而長曳魚鰕相隨※1其涎沫大者如盤小

[やぶちゃん注字:「※1」=「口」+「匝」。]

 者如盂其最厚者爲海月頭其味淡微腥而佳江

 東未見之海西最多故煎茶渣柴灰和鹽水淹之

 以送于東而爲魚鱠之伴或和薑醋熬酒以進之

 一種有唐海月者色黄白味淡嚼之有聲亦和薑

 醋熬酒以進之是自華傳送肥之長﨑而來本朝

 亦製之其法浸以石灰礬水去其血汗則色變作

 白重洗滌之若不去石灰之毒則害人一種有水

 海月者色白作團如水泡之凝結亦曳絲絮魚鰕

 附之隨潮如飛漁人不采之謂必有毒又有無毒

 者而味不好江東亦多有之古人詠艶情之歌有

 海月遇骨之語是誕妄乎

 氣味鹹平無毒〔或曰鮾則生腥臭然微温乎未詳〕主治婦人朱血

 及び帶下食之而良或謂伏河豚毒

 

□やぶちゃん訓読文(原典の一字下げは省略した。読み易くするために句読点・記号・濁点・字空けを適宜、施した。一部に独自に歴史仮名遣で読みや送り仮名を附してあるが、読解に五月蠅くなるので、特にその区別を示していない。なお、原典には振られている読み仮名は少なく、片仮名で「尚(ヒサ)シ」・「水海月(クラケ)」(「水」にはない)・「水垢(アカ)」(「水」にはない)とあるのみである。また、「貌」(かたち)には「チ」が、「者」(もの)には「ノ」が、「狀」(かたち)には「チ」が送られてあるが、省略した。また、つまらぬ語注を減らすためにわざと確信犯で訓読みした箇所もあり、こうした恣意的な仕儀を経ている我流の訓読であるので、学術的には原典画像と対比しつつ、批判的にお読みになられたく存ずる。)

 

海月〔久良介(くらげ)と訓ず。〕

 釋名 水母〔鰕(えび)、附きて之れに從ふ。子の母に從うふがごとし。故に水母と曰ふ。源順(みなもとのしたごふ)が曰く、『「食經」、海月、一名、水母。貌(かたち)、月の海中に在るがごとし。故に以つて之れに名づく。』と。凡そ、古へより海月を以つて名づくる者、尚(ひさ)し。形・色を以つて之れに名づくれば、則ち、水母、相ひ當(あた)らず。圓形と雖も不正なり。其の色も亦、殊(こと)なり。一種、水海月(みづくらげ)と云ふ者、有り。色、白く、形、圓(まどか)にして之を言ふか。陳蔵器・李時珍、俱に江瑤(かうえう)を以つて海月と爲(な)す。是れ、形・色、相ひ當れり。〕

 集觧 狀(かたち)、水垢(みづあか)の凝(こ)り結びて成るがごとく、渾然、體(てい)、静かなり。波に隨ひ、潮を逐ふて、水上に浮かぶ。其の色、紅紫。眼・口、無く、手・足、無し。腹の下、物、有りて絲のごとく、絮(ぢよ)のごとくにして、長く曳く。魚鰕、相ひ隨ひて其の涎沫(よだれ)を※1(す)ふ[やぶちゃん注字:「※1」=「口」+「匝」。]。大なる者は盤のごとく、小さきなる者は盂(はち)のごとし。其の最も厚き者は、海月の頭と爲る。其の味はひ、淡(あは)く微腥(びせい)にして佳なり。江東、未だ之を見ず。海西、最も多し。故に煎茶渣(かす)・柴灰(しばはひ)、鹽水に和して之を淹(あん)じて、以つて東に送りて、魚鱠(うをなます)の伴と爲す。或いは薑醋(しやうがず)・熬酒(いりざけ)に和して、以つて之を進む。一種、唐海月(からくらげ)と云ふ者、有り。色、黄白、味はひ淡く、之を嚼(は)みて、聲、有り。亦、薑醋・熬酒に和して、以つて之を進む。是れ、華より肥の長﨑に傳送して來たる。本朝にも亦、之れを製す。其の法、浸すに石灰・礬水(ばんすゐ)を以つてして其の血・汗を去る。則ち、色、變じて白と作(な)る。重ねて之を洗ひ滌(のぞ)く。若(も)し、石灰の毒を去らざれば、則ち、人を害す。一種、水海月と云ふ者有り、色、白くして團(だん)を作(な)し、水泡の凝結するがごとく、亦、絲絮(しぢよ)を曳きて、魚鰕、之に附く。潮に隨ひて飛ぶがごとし。漁人、之れを采らず、謂ふ、必ず、毒、有ると。又、毒無き者有るとも、味はひ、好からず。江東にも亦、多く之れ有り。古人、艶情の歌を詠(えい)じて、「海月、骨に遇ふ。」の語、有り。是れ誕妄(たんばう)か。

 氣味 鹹平(かんへい)。毒、無し。〔或いは曰く、『鮾(あざ)る時は則ち、腥臭(せいしう)生ず。』と。然れども微温か。未だ詳らかならず。〕 主治 婦人の朱血及び帶下(こしけ)、之を食ひて良し。或いは謂ふ、河豚(ふぐ)の毒を伏すと。

 

□やぶちゃん語注(私は既に寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の――「海※2」(「※2」=「虫」+「宅」)の項――則ち、クラゲの項――の私の注で、包括的なクラゲについての概説と見解を述べてある。出来ればそちらも是非、参照されたい。但し、「本朝食鑑」全体の構成要素である「釋名」等の語意については既に「博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載」で施しているので繰り返さなかった。そちらを参照されたい。)

・「海月〔久良介(くらげ)と訓ず。〕……」以下、「くらげ」の語源説が示されてある「水母」のそれは私には初耳乍ら、その是非は別としても、クラゲの生態をよく観察していて興味深い(後注参照)。本邦の水族館としてのクラゲの本格常設展示の濫觴の後身である新江ノ島水族館の公式ブログ「えのすいトリーター日誌」の『9は9ラゲの9~(その5)「クラゲ」の語源』には、表記としては他に「水月」「鏡虫」「久羅下」を掲げ、

 ・海の中をクラクラと浮遊しているから、クラゲ

 ・暗闇にいる化物→暗化け→クラゲ

 ・目がなくてさぞかし暗いだろうから、暗げ

 ・丸くてくるくる回っている→くるげ→くらげ

 ・いるとなんとなく暗いから、暗げ

という語源説示す。目がないとされたところから「暗い」意或いは「黒い」意とするのは、松永貞徳「和句解」(寛文二(一六六二)年)や貝原益軒「本釈名」(元禄一二(一六九九)年)に載る旨、ネットのQ&Aサイトにあった。また、ウィキの「クラゲ」には別に、『丸い入れ物「輪笥(くるげ)」に由来するとの説』を見出せるが、この一見、古さを感じさせ、まことしやかに見える説については、村上龍男・下村脩共著「クラゲ世にも美しい浮遊生活 発光や若返りの不思議」(二〇一四年PHP研究所刊)の「クラゲの語源」で、『確かに形は似ているかもしれないが、比較的身近にいる生き物より、二つの言葉』(「くるむ」「くるめく」などの「丸い」の意を含む接頭辞「輪(くる)」と食器の「笥(け)」の二語ということ)『が合成されてでき上がった人工物の名のほうが古いとは考えにくいのではなかろうか。実際、「輪笥」という言葉は、古事記にも万葉集にも出てこない』とあり、私も頗る同感である。

 語源は辿れぬものの、私が遙かに興味深いのは、本邦の文学・史書に最初に現われる最初の生物こそが、この「くらげ」である事実なのである。ご存じのように、それは日本最古の史書にして神話である「古事記」の、それもまさに冒頭に登場するという驚天動地の事実なのである。「古事記」本文の冒頭を引く。

〇原文

天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此、次高御巢日神、次神巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。

次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時、如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神此神名以音、次天之常立神。訓常云登許、訓立云多知。此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。

〇やぶちゃんの訓読

 天地(あめつち)の初めて發(おこ)りし時、高天(たかま)の原に成れる神の名(みな)は、天之御中主(あめのみなかぬし)の神。次に高御産巣日(たかみむすひ)の神。次に神産巣日(かみむすひ)の神。此の三柱(みはしら)の神は、並(みな)、獨神(ひとりがみ)に成り坐(ま)して身を隱すなり。

 次に、國、稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)のごとくして、九羅下(くらげ)なす多陀用弊(ただよ)へる時、葦牙(あしかび)のごと、萌(も)え騰(あが)る物に因りて成れる神の名は、宇摩忘阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に天之常立(あめのとこたち)の神。此の二柱(ふたはしら)の神も亦、獨神と成り坐(ま)して、身を隱すなり。

「獨神」とは、男女神のような単独では不完全なものではない相対的存在を超越した存在の意で、また「身を隱す」というのは、天地の本質の中に溶融して一体となったことを意味すると、私は採っている。「葦牙」は、生命の誕生の蠢動を象徴する春の葦の芽の意。

 これを見ても分かる通り、日本神話に於いてはこの地上の地面そのものがカオスからコスモスの形態へと遷移する浮遊状態にあったそれを「久羅下(くらげ)」に比しているのである。まさに――「くらげ」は日本に於いては世界で最初に神によって名指された生物である――ということになるのである! 私は「古事記」を大いにしっかり授業でやるべきだと考えている(『扶桑社や「新しい歴史教科書」を編集している愚劣な輩へ告ぐ!!!』をも参照されたい)。それは、若者たちが、こういう博物学的な興味深い事実にこそ心打たれることが大切だと考えるからである。それは、強い神国としての日本をおぞましくも政治的に宣揚するためにではなく、である。

・「鰕、附きて之れに從ふ。子の母に從うふがごとし」すぐ頭に浮かぶのは鉢虫綱根口クラゲ目イボクラゲ科エビクラゲ Netrostoma setouchiana であるが(私は二〇〇八年前に寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」ではこの共生するエビ類について『ここで共生するエビは、特定種のエビではないようである(ただ研究されていないだけで特定種かも知れない)』と述べたが、今回、二〇一一年刊の『広島大学総合博物館研究報告』の大塚攻・近藤裕介・岩崎貞治・林健一共著の論文「瀬戸内海産エビクラゲNetrostoma setouchiana に共生するコエビ類」によって『コエビ類の共生はエビクラゲのみから確認され』たこと、それによって『宿主特異性が高いこと』が判明していることが分かった)、さらに好んで鉢虫・ヒドロ虫類及びクシクラゲ類・サルパ類(この後者の二種は触手動物門や原索動物尾索類だ、などと鬼の首を捕ったように言う勿れ。彼らは広い意味で永く水中を漂う立派な「クラゲ」として「~クラゲ」としてその名を附して呼ばれたり、同じ仲間として認識されてきたのである)に寄生するエビとなれば、節足動物門大顎亜門甲殻綱エビ亜綱エビ下綱フクロエビ上目端脚目(ヨコエビ目)クラゲノミ亜目 Hyperiideaに属するクラゲノミHyperiame medusarumやオオタルマワシPhronima stebbingi などの同クラゲノミ亜目に属するウミノミ類の仲間辺りが挙げられよう。それ以外にも刺胞毒の強いヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目カツオノエボシ科カツオノエボシ Physalia physali 等に共生(私はエボシダイがクラゲの体の一部を食べることがあること、エボシダイに明白なカツオノエボシの刺胞毒に対する耐性が認められることなどから、寄生或いは胡散臭いので好きな言葉ではないのだが片利共生と考えている)しているスズキ目エボシダイ科エボシダイ Nomeus gronovii の幼体など、調べて見れば、クラゲを「母」とする、特定の「子」は実は決して稀ではないことが分かるはずである。そうしてそういうものを目にしてきた漁師やそれを伝聞した本草家がいたということ、それがこうして記載されていることこそが、幸せな博物学の時代を象徴するしみじみとした事実として私の心を打つのだとだけは言っておきたいのである。

・「源順」(延喜一一(九一一)年~永観元(九八三)年)は平安中期の学者で歌人。嵯峨源氏の一族で、大納言源定の孫左馬允源挙(みなもとのこぞる)の次男。以下、ウィキの「源順」によれば、若い頃より奨学院において勉学に励んで博学として知られ、二十代で日本最初の分類体辞典「和名類聚抄」を編纂した。天暦五(九五一)年には和歌所の寄人(よりゅうど)となり、「梨壺の五人」の一人として「万葉集」の訓点と「後撰和歌集」撰集に参加した。漢詩文に優れた才能を見せる一方、天徳四(九六〇)年の内裏歌合にも出詠しており、様々な歌合で判者を務めるなど和歌にも才能を発揮した。特に斎宮女御徽子(きし/よしこ)女王とその娘規子内親王のサロンには親しく出入りし、貞元二(九七七)年の斎宮規子内親王の伊勢下向の際にも随行した。『だが、彼の多才ぶりは伝統的な大学寮の紀伝道では評価されなかったらし』い。それでも康保三(九六六)年に『従五位下下総権守に任じられ(ただし、遥任)、翌年和泉守に任じられるなど、その後は受領として順調な昇進を遂げるが、源高明のサロンに出入りしていたことが安和の変』(安和二(九六九)年に起きた藤原氏による他氏排斥事件。謀反の密告により左大臣源高明が失脚)『以後に影響を与え』、以後の昇進は芳しくなかった。『三十六歌仙の一人に数えられる。大変な才人として知られており、源順の和歌を集めた私家集『源順集』には、数々の言葉遊びの技巧を凝らした和歌が収められている。また『うつほ物語』、『落窪物語』の作者にも擬せられ、『竹取物語』の作者説の一人にも挙げられ』ている。以下は「和名類聚抄」からの引用。であるが、国立国会図書館のデジタルコレクションの当該頁を視認すると、やや異なる。以下に示す。

   *

海月 崔禹錫食經云海月一名水母〔和名久良介〕貌似月在海中故以名之

   *

・「食經」唐の本草学者崔禹錫撰になる食物本草書「崔禹錫食経」。現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測されている。順の「倭名類聚鈔」に多く引用されている。

・「水海月」現行、狭義のそれ、真正の「ミズクラゲ」は刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目ミズクラゲ科ミズクラゲ属 Aureliaのミズクラゲ Aurelia aurita 。なお、本邦には他に北海道に分布するキタミズクラゲ Aurelia limbata がいる。これは傘径が三〇センチメートル前後と大型で(ミズクラゲは十三センチメートル前後)、放射管が網目状になっている点、触手や傘の辺縁部が褐色を帯びる点でミズクラゲ Aurelia aurita と識別出来る。しかし、本項の最後の叙述などを見ると、これは現在の狭義のミズクラゲとは一致しない謂いと私は採る(後注参照)。

・「陳蔵器」(六八一年?~七五七年?)は唐代の医学者で本草学者。浙江省の四明の生まれ。開元年間(七一三年~七四一年)に博物学的医書「本草拾遺」を編纂している。

・「李時珍」(一五一八年~一五九三年)は明代を代表する医学者で本草学者。湖北省の蘄州(きしゅう)の生まれ。中国古来の植物・薬物を研究、兼ねて動物や鉱物を加味しながら主として医用の立場で集成した本草学の確立者にして伝統的中国医療の集大成者。本「本朝食鑑」が模しているところの彼の主著「本草綱目」(五十二巻)は一五九六年頃の刊行で、巻頭の巻一及び二は序例(総論)、巻三及び四は百病主治として各病症に合わせた薬を示し、巻五以降が薬物各論で、それぞれの起源に基づいた分類がなされている。収録薬種一八九二種、図版一一〇九枚、処方一一〇九六種にのぼる。

 

・「江瑤」「瑤」は美しい宝玉の意。蔵器と時珍は「海月」に相当するものを「江珧」と呼んでいる事実はある。しかし、

 「海月」=「江珧」≠クラゲ

なのである(それは人見も認識しているようである)。例えばこの「江瑤」が、貝原益軒の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 タイラギ」にも以下のように表れている(これは貝の足綱翼形亜綱イガイ目ハボウキガイ科クロタイラギ属タイラギである。学名を示さないのには理由がある。リンク先を必参照)。以下、リンク先で私が書き下したものを示す(下線やぶちゃん)。

   *

たいらぎ 殻、大にて、薄し。肉柱、一つあり、大なり。食すべし。腸(はらわた)は食ふべからず。和俗、※1の字を用ゆ、出處なし。江瑤(かうえう)及び玉珧(ぎよくえう)は本草諸書にのせたり。肉柱、四つあり。殻、瑩潔(えいけつ)にして美なり。たいらぎは殻、美ならず。肉柱、一つあり。是れ、似て是れならず。然れども、たいらきも江瑤の類いなるべし。「※2※3」は本草に載せたり。「たいらぎ」と訓するは非なり。

[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+「夜」。「※2」=「虫」+「咸」。「※3」=「虫」+「進」。]

   *

この「江瑤」がどこから出て来たものか、今の所、その水源を捜し得ないのであるが、まず「本草綱目」のどこに「江珧」が出るかというと、貝類の載る「介之二」なのである(底本は国立国会図書館のデジタルコレクションの「本草綱目」の画像を視認した。下線やぶちゃん。句読点や『 』の記号は、特に分かりやすくするために部分的に恣意的に用いている。語釈を附すと、痙攣的に注が終わらなくなるので一部を除いて略した。以下の引用でも同じ)。

   *

海月〔拾遺〕

釋名玉珧〔音姚〕 江珧 馬頰 馬頰〔藏器曰、『海月、蛤類也。似半月、故名。水沫所化、煮時猶變爲水時珍曰馬甲、玉珧、皆以形色名萬震贊云、厥甲美如珧玉、是矣。〕

集解〔時珍曰劉恂「嶺表錄異」云海月大如鏡、白色正圓、常死海旁。其柱如搔頭尖、其甲美如玉。段成式「雜俎」云玉珧形似蚌、長二三寸、廣五寸、上大下小。殼中柱炙蚌稍大、肉腥韌不堪。惟四肉柱長寸許、白如珂雪、以雞汁瀹食肥美。過火則味盡也

附錄海鏡〔時珍曰一名鏡魚、一名瑣、一名膏藥盤、生南海。兩片相合成形、殼圓如鏡、中甚瑩滑、映日光如云母。有少肉如蚌胎。腹有寄居蟲、大如豆、狀如蟹。海鏡飢則出食、入則鏡亦飽矣。郭璞賦云、『瑣※3腹蟹、水母目蝦、即此。〕

 

[やぶちゃん字注:「※3」=「王」+「吉」。]

氣味甘、辛平。無毒。主治消渴下氣、調中利五臟、止小便。消腹中宿物、令人易飢能食。生薑、醬同食之〔藏器〕。

   *

「拾遺」というのは「本草拾遺」だから、少なくとも時珍は蔵器の「海月」(ひいては「江珧」)も同一物だと言っているということになって、人見の言と一致はすることになると言える。しかし、この文脈、中国語の出来ない私がぼーぅと読んでいても、これは貝――それも貝柱を食用にする二枚貝、殻の形が月の様に丸いてなことを述べていることぐらいは分かる。即ち、この「海月」は「クラゲ」でないのである。しかもここに出る「海鏡」の形状はこれはまた今度はタイラギではなく、斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ上科マルスダレガイ科カガミガイPhacosoma japonicum 、いや寧ろ、光沢を持つ点では斧足綱翼形亜綱ウグイスガイ目ナミマガシワ超科 ナミマガシワ科マドガイPlacuna placenta が同定候補に浮上してくるという、まさに痙攣的な大混戦の様相を呈しているのである。但し、何と! 驚くべき偶然か? ここに出る郭璞の「江賦」からの引用の『水母目蝦』の「水母」というのは、それこそこれ私が前で注した、クラゲとそれに寄生する甲殻類と思われてくるではないか?!

 では戻って、例えば「本草綱目」にクラゲは出ないのかと言えば、これが出ているのである。しかしそれは「鱗之四」の「海※4」(「※4」=「虫」+「宅」。「かいた」或いは「かいだ」。〕なのである。底本はやはり国立国会図書館のデジタルコレクションの「本草綱目」の画像を視認した(下線やぶちゃん。句読点や『 』の記号は、特に分かりやすくするために部分的に恣意的に用いている)。

   *

海※4〔「拾遺」〕

釋名水母〔拾遺〕 樗蒲魚〔拾遺〕 石鏡〔時珍曰作、宅二音。南人訛爲海折、或作蠟、 者、並非。劉恂云閩人曰、※4廣人曰水母。「異苑」、名石鏡也。〕

集解〔藏器曰、※4、生東海、狀如血■、大者如牀、小者如斗、無眼目腹胃、以蝦爲目蝦動。※4沉、故曰水母目蝦亦猶※5※5之與※6※7也。煠出以薑醋進之海人以爲常味。時珍曰、水母、形渾然凝結其色紅紫、無口眼腹。下有物如懸絮、羣蝦附之、其涎沫浮泛如飛。爲潮所擁、則蝦去而※4不得歸。人因割取之、浸以石灰礬水、去其血汁色遂白。其最濃者、謂之※4頭、味更勝。生、熟皆可食茄柴灰和鹽氷淹之良。〕

[やぶちゃん字注:「■」は判読不能。「血」+(「焰」-「火」のような(つくり)か?)。「※5」=「跫」-「足」+「鳥」。「※6」=「馬」+「巨」。「※7」=「馬」+「虛」。

氣味鹹、溫。無毒。主治婦人勞損、積血帶下、小兒風疾丹毒、湯火傷〔藏器〕。療河魚之疾〔時珍出異苑〕。

   *

因みに、後に寺島良安は、この部分を「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海※2」(「※2」=「虫」+「宅」)で以下のように訓読している(私の語注がリンク先にある)。

   *

「本綱」に『海※2は、形ち、渾然として凝結し、其の色、紅紫、口・眼、無く、腹の下に物有り。絮(しよ)を懸けたるがごとし。羣蝦(むれえび)、之に附きて、其の涎沫(よだれ)を(す)ふ。浮汎(ふはん)すること、飛ぶがごとく、潮の爲に擁せらるれば、則ち蝦去りて、※2、歸るを得ず。人、囚りて割〔(わけ)〕て之を取る。常に蝦を以て目と爲す。蝦、動けば、※2、沈む。猶ほ蛩蛩(きようきよう)の※6※7(きよきよ)とのごとし。其の最も厚き者、之を※2頭と謂ふ。味【鹹、温。】、更に勝れり。生・熟、皆、食ふべし。薑醋(しやうがず)を以て之を進む。茄柴の灰、鹽水に和して、之を淹(い)れて良し。又、浸すに石灰・礬水(ばんすゐ)を以つて、其の血汁を去れば、其の色、遂に白し。』と。

   *

 以上で検証は一先ず終りとするが、私にはやはり調べれば調べるほど、人見の叙述は多様な別種を神経症的に羅列し、博物学的には興味深いものの、なかなか真正のクラゲに至っていないやや迂遠な解説、という気がしてならないのだが、如何であろう?【二〇一五年四月二十八日追記】島田氏の注に、「国訳本草綱目」(戦前の刊行なので「支那」とあるので注意)に「和名いたやがひ」とし、その頭注で白井光太郎氏が『海月・王珧、元ト二物、時珍之ヲ合ス誤リナリ』とし、木村康一氏は『海月ハ扇状ノ二枚貝。左右概ネ不同ニ膨ラム。殻表ハ淡褐赤色ナリ。支那本土ニ海岸ニ分布ス』と附しているとある。これだと、斧足綱翼形亜綱カキ目イタヤガイ亜目イタヤガイ科イタヤガイ Patinopecten albicans ということになる(同定候補としてはそれもありではあろう)。また、島田氏は中国でのその貝の異名として王珧・江瑤・馬頰・角帯子・江珠・楊妃舌・江瑤柱を示しておられる。因みに楊妃舌は現代中国語ではイタヤガイ科のホタテガイ Patinopecten yessoensis を指す。

 

・「渾然」全く差や違和感がなく、一つのまとまりになっているさま、もしくは角や窪みのないさまを言う。まさに、クラゲのためにあるような語である。

・「腹の下、物、有りて絲のごとく、絮のごとくにして、長く曳く」は、主として鉢クラゲ類で目立つ口腕及び一部の種のその口腕の付属器を指しているのであろう。当然、その他の縁弁を含む傘縁触手や有櫛動物の場合の触手も含んでいると考えてよい。「絮」は綿・真綿・草木の綿毛の意。

・「涎沫」音は「センマツ」で、ここもこう音読みしている可能性は高いと思われるが、私は達意の観点から確信犯で「よだれ」と訓じた。唾(つばき)や口から吹いた泡のこと。

・「※く」(「※」=「口」+「匝」)この字は音「サフ(ソウ)」で、射は吸う・啜るの意。

・「盤」食物を盛る大きな皿。盥(たらい)の意もある。

・「盂」本来は中国古代の礼器の一つで土器・青銅器ともにあり、飲食物の容器で大口の深鉢に足と左右の取手が附いているものを言うが、ここは比較的小さな飲食物を盛る口の広い鉢を指している。

・「海月の頭と爲る」クラゲの親分になるというのか? それもおかしいので一応、クラゲの頭部(傘)となると訳しておいた。【二〇一五年四月二十八日追記】この注の記載後に入手した東洋文庫版の島田勇雄氏訳注でも『最も厚いところは海月の頭といわれ』と訳しておられた。

・「江東、未だ之を見ず。海西、最も多し」ここでは既にして、食品加工用の特定のクラゲを指している。即ち、鉢虫綱根口クラゲ目ビゼンクラゲ科ビゼンクラゲ属ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta 、その近縁種で有明海固有種のヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum 、ビゼンクラゲに極似したスナイロクラゲ Rhopilema asamushi (現在は原材料としないようである)である。但し、最後のスナイロクラゲの分布域は九州から陸奥湾に広く分布するのであるが、恐らくは古くより、これらを採取して食品として加工する技術が主に西日本で発達したことに由来する、分布理解の不十分な認識によるものであろう。なお、後で注するが、同科の現在の日本近海では主に有明海と瀬戸内海に棲息する本邦のクラゲ中でも最大級の種としてのエチゼンクラゲ Nemopilema nomurai は、実は江戸時代には食用クラゲとしての加工の歴史はなかったので、ここには出していない。

・「唐海月」「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海※2」(「※2」=「虫」+「宅」)に、

   *

肥前水母【又、唐水母と名づく。】 一物にして、異製なり。其の製、明礬に鹽を和して揉み合はせ、之を漬ける。色、黄白ならしめ、使ふ時、能く洗浄し、礬氣を去る。肥前の産、最も佳し。故に名づく。其の味、淡く、之を嚼(か)むに聲有り。

   *

と出る。これに就いて私は当該注で、以下のように記した。

   *

「肥前水母」ヒゼンクラゲ 良安はこれを塩クラゲの製法違いとしているが、既に横綱エチゼンクラゲに土俵入りしてもらっている以上、やはり種としてのヒゼンクラゲにも控えてもらおう。

 ところが、その前に片付けておかなくてはならない事柄がある。私は実は、肥前(ひぜん:佐賀県と長崎県の一部)や備前(びぜん:岡山県と兵庫県の一部)といった採取された旧国名からついた和名が極めて似ているため、このヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum という種とビゼンクラゲ Rhopilema esculenta という種が同一のクラゲのシノニムであると思っていた(事実、前掲の二冊のかなり新しいクラゲの出版物でも索引にはビゼンクラゲしか載らない)。次に少し経って、ヒゼンクラゲというのは、ビゼンクラゲに極めて類似したスナイロクラゲ Rhopilema asamushi のシノニムではないかとも疑った。ところがレッドーデータ・リスト等を検索する内、実際にはこの三種はすべて別種であるという記載があり、また多くの観察者の記載を見るに、私もこれらは異なった種であろうという印象を持つに至った。即ちクラゲ加工業者の間で「白(シロクラゲ)」と呼称されるヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum は有明海固有種であり、私がシノニムを疑ったスナイロクラゲ Rhopilema asamushi はその分布域が九州から陸奥湾に広く分布するという記述だけで最早同一ではあり得ず、またビゼンクラゲ Rhopilema esculenta は業者が「赤(アカクラゲ)」と呼称するように、傘が有意に褐色を帯びており(但しヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum でも傘に紅斑点があるものがあり、その方が塩クラゲにするには上質とされるらしい)、見るからに異なったクラゲに見えるのである。今後のアイソザイム分析が楽しみである。

 更に付け加えておくと昨今、大量発生で問題になっているエチゼンクラゲについては、実は日本では過去に塩クラゲ加工の歴史はなかった、というのも眼からクラゲであった。昔は来なかったんだよな。はい、江戸博物書の注であっても、やっぱり温暖化の問題は避けて通れませんね。

 更に追伸。「唐水母」という名称は、今の異名としては残っていない。ところが「唐海月」という語ならば、井原西鶴の「好色一代女」卷五の冒頭「石垣戀崩」に『おそらく我等百十九軒の茶屋いづれへまゐつても。蜆やなど吸物唐海月ばかりで酒飲だ事はない。』と出て来る(近世物は苦手なので注釈書が手元にないのでこれまでである)。しかし、これはもしかするともともとは中国製の加工食品としての塩クラゲを言う言葉ではなかったか。その製法が江戸期に日本に伝わり、肥前で作られたものにこの呼称が残ったとは言えまいか(あ、さればそのルーツはまさにエチゼンクラゲ製であったかも知れないぞ)。

 最後にちゃんと名前を挙げよう。鉢クラゲ綱根口クラゲ目ビゼンクラゲ科ビゼンクラゲ属ヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum 。種名の頭は「ヒ」! 「ビ」じゃあない!

   *

くどいが、ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta とヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum はご覧の通り、違う種である。八年も前の自分の叙述に、不覚にも思わず読み入ってしまった。……

・「華より肥の長﨑に傳送して來たる。本朝にも亦、之れを製す」以上述べた通り、中国からの舶来の加工クラゲの原材料は本邦では対象としなかった(或いは漂ってこなかった)エチゼンクラゲ Nemopilema nomurai のものである可能性が大きく、後者はビゼンクラゲ Rhopilema esculenta・ヒゼンクラゲ Rhopilema hisphidum・スナイロクラゲ Rhopilema asamushi (現在は原材料としないようである)であったということになる。味わいの違いはそうした素材種や個体の大小の違い(無論、処理方法の違いもあるであろうが)によるものであったとも言えよう。なお、現行の加工過程は「国立研究開発法人 水産総合研究センター 中央水産研究所」公式サイト内の『水産加工品のいろいろ「塩蔵クラゲ」』がよい。ここでは石灰の使用が記載されていないが、他サイトを見るとやはり使用しているようである。またサイト「くらげ普及協会」もなかなかに必見である。

・「石灰・礬水」「礬水」は「どうさ」と当て字読みし、膠(ニカワ)とミョウバンを水に溶かした液体のことを指す。一般には和紙や絹地の表面に薄く引いて、墨や絵具等が滲むのを防ぐ効果を持つ顔料である。しかし、ここでは単に明礬(ミョウバン)=硫酸アルミニウムカリウム12水和物AlK(SO4)212H2Oの水溶液を指していると考えられる。言うまでもないが「石灰」は消石灰=水酸化カルシウムCa(OH)2のことである。

・「一種、水海月と云ふ者有り、色、白くして團を作し、水泡の凝結するがごとく、亦、絲絮(しぢよ)を曳きて、魚鰕、之に附く。潮に隨ひて飛ぶがごとし。漁人、之れを采らず、謂ふ、必ず、毒、有ると。又、毒無き者有るとも、味はひ、好からず。江東にも亦、多く之れ有り」ここまで総てがこの「水海月(みづくらげ)」なるものの、一貫した記載であるとしか読めないのであるが、これはどうもミズクラゲの単種を指しているとはどうしても読めない。まず漁師が「必ず、毒、有る」と確信犯で述べている点である。これは漁師の言としてはやや奇異である。但し、ミズクラゲの刺胞毒は極めて弱いことで知られるが、個人差があってミズクラゲでも刺される人はおり、体質によっては結構な症状を呈する。私の高校時代の友人にもミズクラゲで痛みを感じ、実際に炎症を起こす者がいた。例えば「三重県農林水産部水産資源課」公式サイト内の「ミズクラゲに刺される ミズクラゲを侮るなかれ」を参照されたい(そもそも真正のクラゲ類では、まず刺胞毒が全くないものといのは極めて稀で殆んどないとと言ってもよい。本邦産のものは基本、如何なるクラゲも刺胞には安易に触らぬ神にの類いではある。但し、傘なら安全と言う訳でもない。海外のケースであるが、TV番組で傘だけを持ったレポーターが数日後に激しい炎症を起こした事例を知っている)。話を戻すと、私は当時の漁師にとって「必ず毒がある」としてまず採らないというのは強毒のアカクラゲやカツオノエボシなどで(通称言うところの電気クラゲであるアンドンクラゲなども強い刺胞毒を持つが、この手のクラゲは獲るも獲らないも、小さ過ぎて初めから漁獲対象足り得ないから挙げない)、ミズクラゲに対して、このような忌避表現をするとは思えないというのが一。今一つは、「亦、絲絮を曳きて、魚鰕、之に附く」という部分で、ミズクラゲにも幼魚や甲殻類がいることはあるものの、「絲絮を曳きて」と表現するのは寧ろ、やはりアカクラゲやカツオノエボシで、それらには前に述べたようにエボシダイの幼魚や小海老と言うべきウミノミ類のような寄生や片利共生を容易に現認出来るからである。

・「古人、艶情の歌を詠じて、海月、骨に遇ふの語、有り」延慶三(一三一〇)年頃に成立した藤原長清撰になる私撰和歌集「夫木和歌抄」の巻二十七雑九に、

 

  我が戀は浦の月をぞ待ちわたるくらげのほねに逢ふ夜ありやと  仲正

 

とあるのを指すものであろう(寺島は「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海※2」(「※2」=「虫」+「宅」)で本歌をやや手を加えて引いている)。源仲正(仲政とも書く)は平安末期の武士で、酒呑童子や土蜘蛛退治で有名なゴーストバスター源頼光の曾孫である。即ち、ひいじいさんの霊的パワーは彼の息子、鵺(ぬえ)退治の源頼政に隔世遺伝してしまい、仲正の存在はその狭間ですっかり忘れ去られている。しかし歌人としてはこの和歌に表れているような、まことにユーモラスな歌風を持つ。訳しておくと、

   *

やぶちゃん訳:私の恋は、浦に上る遅い月をひたすら待ち続けるようなもの……意地悪くも、その上ぼる月が水面に映ったかと見紛う海月……その海月の骨に出逢う夜が――世が――時が――やって来るのであろうか? いや、それは海月に骨がないように、私の恋は、決して成就することなどないに違いない……

   *

といった感じである。

・「誕妄」「妄誕」で「ばうたん(ぼうたん)」の方が一般的か。言うことに根拠のないこと、また、その話の意。「妄」は「まう(もう)」と読んでもよい。

・「鮾る」魚肉などが腐る。

・「然れども微温か。未だ詳らかならず」漢方で軽く温める効果を持つものを「微温」と称するが、腐ると腥い臭気を帯びるものは微温ではなく微寒の効果を持つはずなのに、という人見の疑問か? ここ、文脈の繋がり方がよく分からない。識者の御教授を乞うものである。訳では分からないながらに逐語訳して誤魔化した。【二〇一五年四月二十八日追記】この注の記載後に入手した東洋文庫版の島田勇雄氏訳注では、この割注全体は『鹹平。無毒。あるいは鮾敗(くさ)ると腥臭を発生するともいうが、微温かどうかはは未だ詳らかでない』と訳しておられるので、ここは「然れども微温なるかは未だ詳らかならず」で、私の認識とは逆に――腐ると腥(なまぐさ)い臭いを発するという以上、微温の性質であるということであるらしいが、本当にそうかどうかはいまだよく分からない――という意味である。その方が叙述としては自然に感じられるので、私の訳もそのように今回改変した。

・「失血」不詳。漢方用語にはない。以下の並列する「帶下」から考えると貧血ではバランスが悪く、生殖器からの異常な不正出血を指すものか。

・「帶下」女性生殖器からの血液以外の分泌物。普通、通常の分泌を越えて不快感を起こす程度に増量した状態を指す。

・「河豚の毒を伏す」先の海鼠の記載にも出るが、不詳。私はこのような民間療法を聴いたことはない。識者の御教授を乞う。

 

■やぶちゃん現代語訳(読み易さを考えて適宜改行した。一部、前後の文脈との齟齬のある箇所は翻案している。)

 

海月〔久良介(くらげ)と訓ずる。〕

 釋名 水母〔小海老がついてきてこれに従う。子が母に從うが如くである。故に「水母」と言う。源順(みなもとのしたごう)の「和名類聚抄」に言う、『「食経」に、「海月、一名、水母。形(かたち)は月の海中にあるかの如くである。故に以って、かく名づけている。」と。』とある。

 およそ、古えより「海月」を以って名づくる海産動物は、これ、随分とあって、また相応に古いものである。

 形と色を以ってこれに名づけるとするならば、如何にも「水母」というのは相応しくない。そもそも円形を成していると言っても、その形は正円ではなく歪(いびつ)である。さらにその色もまた多種多様で、月の如き清澄な銀色を呈していないものも多い。但し、一種に「水海月(みずくらげ)」という種がおり、その色は確かに白く、形も円(まど)かであるから、これを以って「海月」と称しているものか。陳蔵器や李時珍はともに、二枚貝の「江瑤(こうよう)」を以って「海月」と同定している。これならば形・色ともに、よく当たっている。〕

 集觧 形は水垢(みずあか)が凝結して成った如きもので、渾然一体となった体を持ち、至って静かな生態を持つ。波に随い、潮を追って、水上に浮かんでいる。その色は紅紫色を呈する。眼や口はなく、手足もない。腹の下に一物があって、これは糸の如く、綿毛の如きものであって、それを長く曳いている。魚や小海老が、この垂下物につき随っており、その海月が摂餌の滓(かす)として垂らす涎沫(よだれ)を吸っては、またそれを餌としている。大きなものでは盥(たらい)ほどもあり、小さなものでは小鉢ほどといった感じである。その最も大きく厚い部分が、所謂、「海月の頭(あたま)」、傘となるのである。

 その味わいは、淡くして、やや海の香を香らせて、良きものである。

 東日本では、いまだこの類を見ない。西日本の海に、最も多くこれが認められる。

 故に煎茶の渣(かす)や柴を燃やした残りの灰(はい)に塩水(えんすい)を混ぜて、その液の中に、この生の海月を塩漬けにして、以って東に送って、魚の刺身の友としている。

 或いは生姜酢や熬(い)り酒を加えて、以ってこれを珍味として出だす。

 一種に「唐海月(からくらげ)」と言うものがいる。この色は黄白色を呈し、味わいは頗る淡いもので、これを噛むと、きゅっきゅっという如何にも絶妙な音を立てる。これもまた先と同様に生姜酢や熬酒を注いで、以ってこれを珍味として出だす。これは、中華より肥前の長崎に伝送されて齎(もたら)される舶来の品である。本朝に於いてもまた、これと同じものを製する。

 その方法は、まず、石灰と明礬(みょうばん)の水溶液に海月を浸し、以ってその血や体液を取り去る。すると色が変じて白色となる。これをさらに水で洗って汚れを細かに取り除く。特に万一、この折りに有毒な石灰の除去が不完全であると、食した者に害が及ぶ。

 一種、「水海月(みずくらげ)」というものがいる。色は白くして団塊状をなして、謂わば、水泡が凝結したかの如き形態であり、また、下に糸や綿毛様のものを長々と曳いていて、そこに小魚や小海老が好んで住みついている。潮に随って飛ぶように漂う。漁師はこれを獲らない。何故と謂うに、「必ず、毒があるから。」とのこと。また、毒がないものもいるけれども、その味わいは、これ、良くない、と。この「水海月」は東日本にもまた多くいる。

 古人に、艶情の思いを歌に詠じて、「海月、骨に遇う。」という表現をする。これは、無論、根拠のない戯言(たわごと)というべきものであろう。

 氣味 鹹平(かんへい)。毒はない。〔或いは言う、『塩海月は腐りかけた時には、すなわち、腥(なまぐさ)い臭いをずる。』と。しかし、本当に「微温」の性質を持つ食材であるかどうかについては、いまだ私にはよく分からない。〕 主治 婦人の失血及び帯下(こしけ)の症状には、これを食して良い効果がある。或いは言う、河豚(ふぐ)の毒をよく制する、とも。
 
 
 

◆華和異同

□原文

   海月

曰水母曰※或名樗蒲魚又名石鏡或謂華之海月

[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「宅」。]

者江瑤也然崔氏食經云海月一名水母貌似月在

海中然則華人以水母亦爲海月惟疑崔氏所言者

以色白者則指水海月而言乎海月色紫不似月之

色若以團容而言則可也南産志曰色正白濛濛如

沫者今之水海月也乎

 

□やぶちゃんの書き下し文

   海月

曰く、水母(すいぼ)。曰く、※(たく)[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「宅」。]。或いは樗蒲魚(ちよぼぎよ)と名づく。又、石鏡(せききやう)と名づく。或いは華の海月と謂ふ者は江瑤(かうえう)なり。然れども崔氏が「食經」に云く、『海月。一名、水母。貌(かたち)、月に似て、海中に在り。』と。然らば則ち、華人、水母を以つても亦、海月と爲す。惟だ、疑ふ、崔氏が言ふ所は、色、白きを以つてする時は、則ち水海月(みづくらげ)を指して、言ふか。海月、色、紫、月の色に似ず。若し、團容(だんよう)を以つて言ふ時は、則ち可なり。「南産志」に曰く、色、正に白にして濛濛(もうもう)として沫(あは)のごときとは、今の水海月ならんや。

 

□やぶちゃん注

・「樗蒲魚」「樗蒲」は「かりうち」とも訓じ、中国から伝来した博打(ばくち)の一種を言う。「かり」と呼ばれる楕円形の平たい四枚の木片を采(さい)とし、その一面を白、他面を黒く塗って、二つの采の黒面に牛、他の二つの采の白面に雉子を描き、投げて出た面の組み合わせで勝負を決するものを言うから、恐らくはその采の形状をクラゲに擬えたものであろう。

・「江瑤」本文の私の同注を参照されたいが、ここで人見はまさにこれをクラゲではない、恐らくは斧足類のタイラギやカガミガイとして理解しようとしているように私には読める。

・「水海月」ここでは、ここに限ってなら、これは現行のミズクラゲ科ミズクラゲ属 Aureliaのミズクラゲ Aurelia aurita と採ることが可能である。

・「海月、色、紫」人見はクラゲの一般的な色彩を「紫」と言っている。鉢虫綱根口クラゲ目ムラサキクラゲ Thysanostoma thysanura は一般には黄褐色(実際には目につくクラゲ類ではこの色のクラゲ類が最も多いように私には思われる)であるが、時に非常に美しい紫色を呈する個体もいる。他の種でも、色彩の変異がしばしば見られ、当時の紫という色範囲が青味の強いものも含むから、ヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目カツオノエボシ科カツオノエボシ Physalia physali まで含まれると考えれば、強ち、おかしな認識とは言えないように思われる。

 

□やぶちゃん現代語訳

   海月

「水母(すいぼ)」と言う。「※(たく)」とも言う[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「宅」。]。或いは、「樗蒲魚(ちょぼぎょ)」と名づける。また、「石鏡(せききょう)」と名づける。或いは、中国に於いて「海月」と言った場合、その物は二枚貝の一種である「江瑤(こうよう)」を指す、とする。しかし、崔禹錫氏の「食経」には、『海月。一名は水母。その形は月に似ており、海中に棲息している。』と述べてある。とするならば、中国人は本邦で言う「水母(くらげ)」を以ってしても、二枚貝の「江瑤」を「海月」というのと別にやはり、「海月」と称しているのである。但し、疑問に思うことは、ある。崔氏が謂うところの生物は、色の白いものを以ってかく称しているということで、則ちこれは、今言うところの「水海月(みずくらげ)」を指して言っているのだろうか、という疑義なのである。何となれば現在、私の知れる一般的な海月(くらげ)の色は基本、紫色であって、白銀の月の色には似ていないからである。但し、もしも海月(くらげ)の頭のその丸い形を以ってして海の「月」と称しているのであるとするならば、それはそれで正しいとも言える。さすれば、「閩書南産志」に曰く、『色は真っ白で、その形は何かぼんやりとしていてはっきりと捉えることが出来ぬ、謂わば水面に浮いた泡のような』とあるのも、現在の「水海月(みずくらげ)」のことを指して言っているのであろうか。

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