譚海 卷之一 紀州蜜柑幷熊野浦の事
紀州蜜柑幷熊野浦の事
○紀州蜜柑の籠に詰(つめ)あはする石菖蒲(せきしやうぶ)は、わざわざ畠に作るなり。自然と生(はえ)たる斗(ばか)りにては間に合(あひ)がたし。又熊野海邊は鯨をとりて常の產とする故、獵師の家は皆鯨の骨にて垣を築(きづき)たり。たちうすをならべたる如くにみゆと云(いふ)。風雨にされて年を歷(へ)し骨、堅き事金石のごとし。劍戟も刄を立る事あたはずと云。
[やぶちゃん注:「み熊野ねっと」のこちらのページによれば、和歌山県東牟婁郡太地町太地にある恵比寿神社には、再現されたものであるが、鯨の骨の鳥居がある。それによれば、『井原西鶴の『日本永代蔵』の巻二に収められた「天狗は家な風車(てんぐはいえなかざぐるま)」に「紀伊国に隠れなき鯨ゑびす」とあり、「鯨恵比寿の宮をいはひ、鳥井にその魚の胴骨立ちしに、高さ三丈ばかりも有りぬべし」とあって、その鯨骨の鳥居を再現したものがこの鳥居で』あるとして写真も載る。現在のものは1丈(約三メートル)ほどの高さだったと思われるので、西鶴の時代にはその三倍ほどの高さの鯨の肋骨(あばらぼね)の鳥居があったようだと記されておられる。必見。!
「石菖蒲」単子葉植物綱ショウブ目ショウブ科ショウブ属セキショウ Acorus gramineus 。「有田みかんデータベース」内の御前明良氏による「輸送容器の変遷」に『竹籠は江戸時代から明治の初期まで使われた。江戸向けは』十五キログラム、関西向けは七・五キログラムで、『荷造りは蓋の部分は石菖(せきしょう)という草で覆い、縄で括った。石菖はミカンを冷やして腐敗を防ぐ役をしたと言われている』とある。実際、セキショウに含まれるテルペンには抗菌・防腐効果がある。]
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