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2015/04/05

耳嚢 巻之十 神明の利益人を以其しるし有事

 神明の利益人を以其しるし有事

 

 文化十一年の春の事なりし、神明(しんめい)境内には納鷄(をさめどり)多く有(あり)しを、或時境内の町屋にて米を舂居(つきをゐし)舂屋(つきや)の男、密(ひそか)に右鷄を〆殺(しめころ)し前垂(まへだれ)に包(つつみ)、傍(かたはら)の木の枝にかけ置(おき)しは、誰(たれ)もしらざりしが、同町並(ならび)にて屋根を葺居(ふきをり)候者是を見、あなにくしも思ひしや、暮時(くれどき)前、右の米舂(つき)外へ參り候を見請(みうけ)、密に右鷄を取出(とりいだ)し、右代りを尋(たづね)しが、其邊へ納(をさめ)し柵(さく)の内に有之(これある)御祓(おはらひ)を入置(いれおき)、鷄は取除(とりのけ)し置(おき)しを、彼(かの)米舂(こめつき)立歸り右の鷄と思ひ前垂をあけ見しに、御祓なれば大きに驚きたる體(てい)、顏色眞靑(まつさを)に成り、神罰の恐しさにかたえの井の元にて水を浴び、それにても心不濟(すまざる)哉(や)、もとどりを切(きり)、念頃(ねんごろ)に神明を拜しけるを、屋根ふきつくづくと見て、これも由なきざれ事せしと後悔せし。頓(やが)て右米舂(こめつき)たへがたくやありけん、神主の元にまかり、かくかくの事にて我(われ)神前の鷄を殺しけるが、かゝる奇異の事あり、くれぐれも神明の御罰恐(おそろ)しと、是よりてい髮(はつ)して諸國修行にまかる由申(まうし)ければ、神主別當も尤(もつとも)と哀(あはれ)を催せし折から、屋根葺(やねふき)も右あらましを聞(きき)て難捨置(すておきがたく)、同じく神主の方(かた)へ至り、しかじかの事成(なり)と申(まうし)ければ、右米舂(こめつき)大(おほい)に怒り、右體(てい)人を欺き恥かゝせる事、憎さとやにて互(たがひ)に握み合(あひ)しを、別當社人抔引分(ひきわけ)、米舂(こめつき)の鷄を殺し候を則(すなはち)大神宮の御祓ひと引替(ひきかへ)しは、則(すなはち)神明の御教戒なり、既にこそ米舂(こめつき)もさんげなし過(あやまち)を悔(くやま)れ、則(すなはち)屋根葺(やねひき)の手を借りて神明のしかなしたまふ也(なり)、夢々爭ふべからずと教諭して、納(をさま)りしとや。これ當る正月の事の由、人の語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:芝神明宮で軽く連関。この話、私は好きだ。

・「納鷄」奉納物として生きた鷄を寺社へ納めること。西郊民俗談話会公式サイト内の長沢 利明氏の「寺社への納め鷄」がすこぶる参考になる。私の妻も小学生の時に雛から育てた雄鶏の「ぴぴちゃん」が大きくなって時の声が近所迷惑だとして父が熱田神宮に納めたと言っていた。リンク先のよれば東京都国立市にある谷保天満宮の場合は氏子の中に「納め鶏マニア」のような人物が推定されるともある(但し、現在は狐に食い殺されて殆どいないとある)。但し、今や勝手に鶏を境内地に放てば、「動物の愛護及び管理に関する法律」によって「遺棄」と見做されて五十万円以下の罰金が科せられる時代。素朴な信仰や長閑な景観も如何にも窮屈になってしまった。

・「握み合ひしを」底本では「握」の右に『(摑)』と訂正注がある。

・「舂屋」精米を専門とした米搗き屋のこと。三谷一馬氏の「江戸商売図絵」の「米搗き」によれば、大抵は屈強な若者で、江戸では越後出身の者が多かったという。一定の出入り先で米搗きをする者と、杵(きね)を担って町を歩き、呼び込まれて搗く者とがあったとある。ここは前者か。そこに掲げられた歌川豊国の「米搗き」の絵では、まさに「前垂」(後注参照)の上にさしこ布を着けて、その上に杵の柄の端を当てて米を搗いている姿が描かれてある。この話一読、禊をして髻(もとどり)を切り、剃髪を望んで諸国行脚の旅に出ると本気で言い張るところで、完全に落語ネタであることが分かるが、千葉県八千代市の大和田落語会丸花亭公式サイト内にある鈴木和雄氏の「搗き米屋」が詳細を極めて必見である。それによれば、『「江戸の生業事典」渡辺信一郎著に出てくる大道搗き米屋という人もいる。これは屈強な男が杵を担ぎ、臼を往来で転がして歩き、出入りの家を回ったり、呼び込まれたりしながら、その家の内庭や玄関先、家の前の道端に臼を置いて米を搗いたという』。また『「江戸美味草紙」にあるような体ひとつで各戸を回り、その家の臼と杵を使って米搗きをする人も居たようだ。そして米の搗き方もその家の注文で』七分搗きとか八分搗きとかもあって、『結構商売になったようである。こうゆう人達が仕事をした後は、庭や家の前の路上に臼の形のあとが十五夜の月のように残り、その周りに糠が落ちていたという情景を表す「十五夜のように搗屋は置き土産」の句がある』と粋な解説が載る。三谷氏は杵としか記しておられないが、岩波の長谷川氏注も『町屋を臼を持ってまわり』とあり、これ、杵だけでなく臼をも背負っているところにこそ剛腕の格好良さがある気がする。

・「前垂」江戸方言では「まえだら」とも。商家に働く者や女中などが衣服に汚れがつかぬように帯から下に掛ける布のこと。

・「其邊へ納し柵の内に有之御祓」新しい御祓いの札を貰い受けると、古い以前の同じ札は境内地に返納する。

・「過を悔れ」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『過ちを悔るは』で、そちらの方が文法的に無理がない。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 神明の利益(りやく)、人を以ってその験(しるし)を顕わせし事

 

 文化十一年の春のことである。

 芝神明(しばしんめい)の境内には納鶏(おさめどり)が多くおったが、これをある時、境内地に建てて御座った町屋にて米を搗(つ)く舂(つ)き屋の男が、これ秘かに後にて食わんがため、この鶏(とり)を絞め殺し、前垂(まえだれ)に包み、あたかもちょっとした荷でもあるかの如く、傍らの木の枝に引っ掛けておいた。

 これ、誰(たれ)も知らなんだ……

……と……

……思いきや……

……ちょうどその時、同じ町内の並びの家の屋根の修理を頼まれて屋根葺きをなして御座った、これ、やはり若き職人が、この一部始終を、これ、屋根の上からしっかと見ており、畜生一羽とは申せ、奉納の鶏(とり)なれば、

『……なんて太(ふて)え野郎だっつ!――』

と、妙な義憤に駆られたらしく、暮れ時前、かの米舂きが、どこぞの家へ搗きに呼ばれたと見えて、杵と臼を背負って出て行くを見届けたによって、屋根葺き、これ、手を休めて、

――するするっ

と、下へ降りると、舂き屋が方へと、

――すすっ

とこっそり忍び足、かの木にぶら下げた前垂を取り外すと、かの絞められた鶏(とり)を取り出だいた。さても、その代りに入るるに手頃なものを辺りに求めたところが、ちょうど、その近くに玉垣(たまがき)のあって、その内に納められて御座った古き御祓いの御札を見かけたによって、

「――これはまさに――もってこい――ってもんだぜい!」

と、それを入れおき、鶏(とり)は取り除け、境内に懇ろに埋めおいた。

 さても、かの米舂き、たち帰ると、

「……一仕事の後はこれ、鶏鍋(と、り、な、べ)じゃ!……」

とほくそ笑みながら、前垂を開けて見たところが、中から転がり出でたはこれ、

――御祓いの札!

されば米舂き、大きに驚きたる体(てい)にて、顔色(がんしょく)もこれ真っ青となって、神罰の恐しさに、近くの井戸の許へと走り込み、服のまんまに頭から水を、

――ざんぶ!

と浴びて禊なした。

 が、それでも気の済まなんだものか、何と、小脇差を抜き放つと、

――ぶつっ!

と髻(もとどり)を、これ、切ってしもうた。

 そうしてそのまま、神明さまの社殿へと向い、必死になって拝んでおる……

……を……

……かの屋根葺き、仕事仕舞いの折りからつくづくと見かけ、

『……こりゃあ……ちぃと……やり過ぎたのぅ……』

と後悔致いて御座った。

 されば、そのまま木蔭から舂き屋がことを覗いておると、かの者、まっこと神罰の下ったるその怖ろしさに耐え兼ねたものと見え、そのまま直ちに、神明宮の神主が許へと罷り越し、

「……かくかくの事にて我ら……神前のお鶏(とり)さまを殺してしもうて御座いまする!……が……かかる怖ろしき奇異のあったればこそ!……まっこと! 神明さまの御罰(おんばち)!!……これ、恐ろしゅう御座いまする!!!……」

と、大声にて訴えるその声、門柱の蔭に潜んで聴き耳を立てて御座った、かの葺き屋の若者の耳にも届いた。しかも、

「――我ら! これより剃髪致いて――諸国行脚の修行に罷る所存にて御座る!!」

とまで申したによって、神主はもとより、神宮寺別当もそこへ出合わせ、

「……その悔悟……いや! もっともなることじゃ!……じゃがのぅ……」

「……そうじゃ!……その出来事にて、これ、出家すると申すことも、これのぅ……」

と神主も別当も――かくなる変事を以って屈強の米舂きの若者が、あたら出家致すというも――これ、いささか不憫な気が致いて御座った折から、屋根葺きの若者も、この一部始終を秘かに聴いては、これ、捨ておくことの出来ずなったによって、その三者のおったる場へと直ちに走り込むと、

「……いや! そのことでござんすが……これ……しかじかと申すが、へえ。真相にてごぜえやすんで。……」

と、自身の仕儀を告げたところが、かの米舂きの若者、大いに怒り狂い、

「――や、野郎ゥッツ! よ、よぉくもまあッツ! か、かくもッ! 人を騙しやがってッツ! は、恥かかかして呉れたなッツ! クウ!~ソオッツ!! 憎(にっく)き奴ッツがッツ!!!」

と、矢庭に屋根葺きの若者に組みついたれば、かたや、

「――て、手前(てめえ)が御神鶏(ごしんけい)を食わんと殺したは! ほんとの事じゃねえかいッツ!! 神明さまをも!! 畏れぬッ!! 不埒ド外道の極悪人がッツ!!!」

と、売り言葉に買い言葉、互いに摑み合いの修羅場になりかかったを、かの別当と神主その他、騒ぎを聞きつけて参った下役僧や神人(じにん)、下男ら総出にて、やっとのこと、引き分けさせたと申す。

 しばらく致いて二人とも落ち着いた頃合い、別当と神主より、

「……米舂きの鶏(とり)を殺して御座ったを――これ則ち――大神宮の御祓いの札と引き替えたは――これ則ち――神明の御教戒じゃ。……」

「……既にこそ米舂きも正直に懺悔(さんげ)なして過ちを悔いておる。――これ則ち――屋根葺きの手を借りて――神明さまがかく成された――ということじゃ。向後、ゆめゆめ、争うてはならん。よいか?!」

と教諭なしたによって、二人の若者も、これ、それぞれに己(おの)が誤まれるところを認め合(お)うて、めでたく手打ちなした、とのことで御座る。

 これ、当年正月の出来事の由、さる御仁の語って御座った。

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