甲子夜話卷之一 33 人事を曉らざる者の事
33 人事を曉らざる者の事
人の事を曉らざるの甚しきに至るものあり。先年御成還御のとき、尾張町のあたりにて、御道筋を人止しければ、貴賤諸人皆止られて剋を移す間、溜り居たり。予もそのとき止られし中なりしが、やがて通御濟たり迚、かためを拂たれば、止られし人人わやわやと散り行く。其中に町人と覺しきもの、獨語に云よう、さても御威勢迚、誰叶べき者はなけれど、さすが還御には御かなひなされぬと見えて、かためを拂たりと云き。世には是ほど事を曉らぬものあるものと、珍らしきばかりに覺へき。
■やぶちゃんの呟き
「曉らざる」「さとらざる」。「通暁」という熟語があるように、「暁」には悟る・分かる・知るの意がある。
「先年御成還御」第十一代将軍徳川家斉のそれ。
「尾張町」現在の東京都中央区銀座五丁目と六丁目付近の旧地名。尾張藩がこの地を埋め立てたことに由来する。
「人止」「ひとどめ」。以下も「止(とめ)る」で訓じていよう。
「剋」「とき」。
「さても御威勢迚、誰叶べき者はなけれど、さすが還御には御かなひなされぬと見えて、かためを拂たり」――さても! よう! 天下の将軍さまのご威勢なればよ、誰(たれ)独りとして敵うはずの者(もん)はいねえはずだけんど、よ! さすがに! 還御さまにはお敵いなさらぬと見えて、ほぅれ! 警固を解いたぜぇ!――……しかし果たして、この男、本当に静山の言うような、救い難い馬鹿、落語に出て来る、足りない熊さん八さん、なんだろうか?……いや寧ろ、私は佯狂を装った粋な洒落のように思えてならないのだが? そうしてこの短い話柄を見ると、二百字ちょっとたった五文から構成されているこの文章の内、エピソードを挟む二文で「人の事を曉らざるの甚しきに至るものあり。」「世には是ほど事を曉らぬものあるものと、珍らしきばかりに覺へき。」と如何にも無駄な重語を成しているところや、「予もそのとき止られし中なりし」に静山自身が通行不能に迷惑している気持ちが仄かに窺われること、「止られし人人わやわやと散り行く」というオノマトペイアにやはり『やれやれ』という如何にもな人々の仕方ないというダルな気持ちが表現されている点など、寧ろ、権力を笠に着る者への諦めが窺えるように私には思えるのである(天下の将軍さまのお膝下の江戸っ子が、スローなあの頃に、そんなかぶいた言葉を吐く輩がいようはずもないと指弾する御仁は、これ、もう私のブログ自体をお読み戴かなくてよいと存ずる)……少なくとも、この時のこの街角には長い間(「剋」で最低二時間は通行止めを喰らったはずである)待たされた市井の人々の、嘲笑でない、すこぶる明るい哄笑が湧き起ったものと私は思うのである。……

