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« 大和本草卷之十四 水蟲 介類 ウミタケ | トップページ | 堀辰雄 十月  正字正仮名版 附やぶちゃん注(Ⅹ) »

2015/04/25

堀辰雄 十月  正字正仮名版 附やぶちゃん注(Ⅸ)

 

十月二十三日、法隆寺に向ふ車窓で  

 きのふは朝から一しよう懸命になつて、新規に小說の構想を立ててみたが、どうしても駄目だ。けふは一つ、すべての局面轉換のため、最後のとつておきにしてゐた法隆寺へ往つて、こなひだホテルで一しよに話した畫家のSさんに壁畫の模寫をしてゐるところでも見せてもらつて、大いに自分を發奮させ、それから夢殿(ゆめどの)の門のまへにある、あの虚子の「斑鳩(いかるが)物語」に出てくる、古い、なつかしい宿屋に上がつて、そこで半日ほど小說を考へてくるつもりだ。

 

[やぶちゃん注:「畫家のSさん」不詳。識者の御教授を乞う。個人サイト「タツノオトシゴ」の「年譜」によれば、直前の条である二日前の昭和一六(一九四一)年十月二十一日に『阿部知二とその連れとともに三月堂や戒壇院を見て回る』とあった後に続けて『法隆寺の壁画を模写している絵描きさんやお寺の坊さんと知り合いになる』とある人物ではある。

『夢殿(ゆめどの)の門のまへにある、あの虚子の「斑鳩物語」に出てくる、古い、なつかしい宿屋』『虚子の「斑鳩物語」』というのは明治四〇(一九〇七)年に『ホトトギス』に掲載された高浜虚子の小説で、翌明治四十一年一月に出版された虚子初の短編小説集「鶏頭」に所収された。私は実は俳人としての虚子を生理的に激しく嫌悪している男である。しかし、少なくとも彼のこの写生文を意識した小説「斑鳩物語」は、しかしその映像性と浪漫性から――悔しいことに――大いに惹かれてしまう小品なのである。以下、簡単に梗概を記す。本文引用は国立国会図書館デジタルコレクション斑鳩物語」画像を視認した。踊り字「〱」は正字化した(新字体の全文は青空文庫のここで読める)。筆者然とした主人公(但し、公務員であって実は法隆寺や法起寺への来訪は公務であって物見遊山ではない。文部省所轄の文化財担当事務官か?)「余」が斑鳩の里を訪れ、法隆寺の夢殿の南門前にある両三軒の内の一つ、大黒屋という旅籠に泊り、『色の白い、田舎娘にしては才はじけた顏立ち』の『十七八の娘である』『お道』という仲居らしい少女に好感を抱く。また、ここに出る旅宿大黒屋は、「東京紅團」の「堀辰雄の奈良を歩く」の「法隆寺の鐘と大黒屋を歩く」によれば既に現存しない。当該頁では主人公「余」が持たれた欄干と思われるものが見える「旧大黒屋」の写真が見られる。辰雄はこの「斑鳩物語」のイメージを抱いて大黒屋を実際に訪れたのであった(次章参照)。以下、まず、「斑鳩物語」冒頭を引く。 

   《引用開始》

 法隆寺の夢殿の南門の前に宿屋が三軒ほど固まつてある。其の中の一軒の大黑屋といふうちに車屋は梶棒を下ろした。急がしげに奥から走つて出たのは十七八の娘である。色の白い、田舍娘にしては才はじけた顏立ちだ。手ばしこく車夫から余の荷物を受取つて先に立つ。廊下を行つては三段程の段階子を登り又廊下を行つては三段程の段階子を登り一番奧まつた中二階に余を導く。小作りな體に重さうに荷物をさげた後ろ姿が余の心を牽く。

 荷物を床脇に置いて南の障子を廣々と開けてくれる。大和一圓が一目に見渡されるやうないゝ眺望だ。余は其まゝ障子に(もた)れて眺める。

 此の座敷のすぐ下から菜の花が咲き續いて居る。さうして菜の花許りでは無く其に點接して梨子の棚がある。其梨子も今は花盛りだ。黃色い菜の花が織物の地で、白い梨子の花は高く浮織りになつてゐるやうだ。殊に梨子の花は密生してゐない。其荒い𨻶間から菜の花の透いて見えるのが際立つて美しい。其に處々麥畑も點在して居る。偶〻燈心草を作つた水田もある。梨子の花は其等に頓着なく浮織りになつて遠く彼方に續いて居る。半里も離れた所にレールの少し高い土手が見える。其土手の向うもこゝと同じ織物が織られてゐる樣だ。法隆寺はなつかしい御寺である。法隆寺の宿はなつかしい宿である。併し其宿の眺望がこんなに善からうとは想像しなかつた。これは意外の獲物である。

 娘は春日塗の大きな盆の上で九谷まがひの茶椀に茶をついで居る。やゝ斜に俯向いてゐる橫顏が淋しい。さきに玄關に急がしく余の荷物を受取つた時のいきいきした娘とは思へぬ。赤い襦袢の襟もよごれて居る。木綿の著物も古びて居る。それが其淋しい橫顏を一層力なく見せる。

 併しこれは永い間では無かつた。茶を注いでしまつて茶托(ちやたく)に乘せて余の前に差し出す時、彼はもう前のいきいきした娘に戾つて居る。

「旦那はん東京だつか。さうだつか。ゆふべ奈良へお泊りやしたの。本間(ほんま)にァ、よろしい時候になりましたなァ」

と脫ぎ棄てた余の羽織を疊みながら、

「御參詣だつか、おしらべだつか。あゝさうだつか。二三日前にもなァ國學院とかいふとこのお方が來やはりました」

と羽織を四つにたゝんだ上に紐を載せて亂箱の中に入れる。

 余は渇いた喉に心地よく茶を飮み干す。東京を出て以來京都、奈良とへめぐつて是程心の落つくのを覺えた事は今迄無かつた。余は膝を抱いて再び景色を見る。すぐ下の燈心草の作つてある水田で一人の百姓が泥を取つては(み)に入れて居る。箕に土が滿ちると其を運んで何處かへ持つて行く。程なく又來ては箕に土をつめる。何をするのかわからぬが此廣々とした景色の中で人の動いて居るのは只此百姓一人きりほか目に入らぬ。

 娘は緣に出て手すりの外に兩手を突き出して余の足袋の埃りを拂つて又之を亂箱の中に入れる。

「いゝ景色だナァ」

といふと直ぐ引取つて、

「此邊はなァ菜種となァ梨子とを澤山に作りまつせ。へー燈心も澤山に作ります。燈心はナー、あれを一遍よう乾かして、其から叩いてナー、それから又水に漬けて、其から長い(きり)のやうなもので突いて出しやはります。其から又疊の表にもしやはりまつせ。長いのから燈心を取りやはつて短かいのは大槪疊の表にしやはります」

「疊の表には藺をするのぢやないか。燈心草も疊の表になるのかい」

「いやな旦那はん。燈心草といふのが藺の(こ)つたすがな」

と笑ふ。余は電報用紙を革袋の中から取り出す。娘は棚の上の硯箱を下ろして蓋を取る。

「まァ」

といつて再び硯箱を取り上げてフツと輕く硯の上の埃りを吹いて藥罐(やくわん)の湯を差して墨を磨つて吳れる。墨はゴシゴシと厭やな音がする。

 電報を認め終つて娘に渡しながら、

「下は大變多勢のお客だね。宴會かい」

と聞く。娘は電報を二つに疊んで膝の上に置いて、

「いゝえ。皆東京のお方だす。大師講のお方で高野山に詣りやはつた歸りだすさうな。今日はこゝに泊りやはつてあした初瀨(はせ)に行きやはるさうだす。今晩はおやかましうおますやろ」

と娘は立たうとする。電報は一刻を急ぐ程の用事でもない。

「初瀨は遠いかい」

とわざと娘を引とめて見る。

「初瀨だつか」

と娘も一度腰を下ろして、

「初瀨はナー、そらあのお山ナー、そら左りの方の山の外れに木の茂つたとこがありますやろ……」

と延び上るやうにして、

「あこが三輪のお山で、初瀨はあのお山の向うわきになつてます。旦那はんまだ初瀨に(い)きやはつた事おまへんか」

「いやちつとも知らないのだ。さうかあれが三輪か。道理で大變に樹が茂つてゐるね。それから吉野は」

「吉野だつか」

と娘は電報を疊の上に置いて膝を立てる。手摺りの處に梢を出してゐる八重櫻が娘の目を遮ぎるのである。余は立上つて緣に出る。娘も余に寄り添うて手摺りに凭れる。

「そら、此向うに高い山がおますやろ、霞のかゝつてる。へーあの藪の向うだす。あれがナー多武の峰で、あの多武の峰の向うが吉野だす」

娘は櫻の梢に白い手を突き出して、

「あの高い山は知つとゐやすやろ……」

「あれか、あれが金剛山ぢやないか。あれは奈良からも見えてゐたから知つてる」

娘は手摺り傳ひに左りへ左へと寄つて行つて、

「旦那はん、一寸來てお見やす。そらあそこに百姓家がおますやろ。さうだす、今鴉の飛んでる下のとこ。さうだす、あの百姓家の左の方にこんもりした松林がおますやろ。そやおまへんがナー。それは鐵道のすぐ向うだすやろ。それよりももつとずつと向うに、さうだすあの多武の峰の下の方にうつすらした松林がありますやろ。さうさう。あこだす、あこが神武天皇樣の畝火山だす」

 娘の顏はますますいきいきとして來る。畝火山を敎へ終つた彼はまだ何物をか探して居る。彼の知つて居る名所は見える限り敎へてくれる氣と見える。

「お前大變よく知つて居るのね。どうしてそんなによく知つて居るの。皆な行つて見たのかい」

「へー、皆んな行きました」

といつて余を見た彼の眼は異樣に燃えてゐる。

「さう、誰と行つたの、お父サンと」

「いゝえ」

「お客さんと」

「いゝえ。そんな事聞きやはらいでもよろしまんがナァ」

と娘は輕く笑つて、

「私の行きました時も丁度菜種の盛りでなァ。さうさうやつぱり四月の中頃やつた」

と夢見る如き眼で一寸余の顏を見て、

「旦那はん、あんたはんお出でやすのなら連れていておくれやすいな、ホヽヽヽ私見たいなものはいやだすやろ」

「いやでも無いが、こはいナ」

「なぜだす」

「なぜでも」

「なぜだす」

「こはいぢやないか」

「しんきくさ。なぜだすいな、いひなはらんかいな」

「いゝ人にでも見つからうもんなら大變ぢやないか」

「あんたの」

「お前のサ」

「ホヽヽヽ、馬鹿におしやす。そんなものがあるやうならナー。……無い事もおへんけどナー。……ホヽヽヽ、御免やすえ。……アヽ電報を忘れてゐた。お風呂が沸いたらすぐ知らせまつせ」

と妙な足つきをして小走りに走つて疊の上の電報を(すく)ふやうに拾ひ上げて座敷を出たかと思ふと、襖を締める時、

「ほんまにおやかましう。御免やすえ」

 としづかに挨拶してニツコリ笑つた。

「お道はん、お道はん」

と下で呼ぶ聲がする。

「へーい」

といふ返辭も落ついて聞こえた。

 お道サンが行つたあとは俄に淋しくなつた。きのふ奈良でしらべた報告書の殘りを認める。時々下の間で多勢の客の笑ふ聲に交つてお道サンの聲も聞えるが、座敷が別棟になつてゐるのではつきりわからぬ。

 夢殿の鐘が鳴る。時計を見るともう六時だ。

   《引用終了》

その後、風呂が沸いたと告げにきた女将(おかみ)から、彼女は『此うちの娘でなくすぐ此裏の家の娘で、平常は自分のうちで機械機を織つて居るが、世話しい時は手傳ひに來る』娘と知る(ここまでが「上」)。

 翌日、「余」は法起寺の三重の塔を仰ぎ見て、それに無性に登りたくなり、寺の小僧に乞うて一緒に昇り出したものの、予想を超える難所で、ほうほうの体でやっと三層目の欄干へと辿りつく。『回廊傳ひに東の方に廻つて見る。宿屋の二階で見た菜の花畑はすぐ此塔の下までも續いて居る。梨子の棚もとびとびにある。麗かな春の日が一面に其上に當つて居る。今我等の登つてゐる塔の影は塔に近い一反ばかりの菜の花の上に落ちて居る』。

   《引用開始》

「又來くさつたな。又二人で泣いてるな」

と小僧サンは獨り言をいふ。見ると其塔の影の中に一人の僧と一人の娘とが倚り添ふやうにして立話しをして居る。女は僧の肩に凭れて泣いて居る。二人の半身は菜の花にかくれて居る。

「あの坊さん君知つてるのですか」

「あれなあ、私の兄弟子の了然(れうねん)や。學問も出來るし、和尙サンにもよく仕へるし、おとなしい男やけれど、思ひきりがわるい男でナー。あのお道といふ女の方がよつぽど男まさりだつせ。あのお道はナァ、親にも孝行で、機もよう織つて、氣立もしつかりした女でナァ、何でも了然が岡寺に居つた時分にナァ、下市とか上市とかで茶屋酒を飮んだ事のある時分惚れ合つてナァ、それから了然はこちらに移る、お道はうちへ歸るししてナァ、今でもあんなことして泣いたり笑つたりしてますのや。ハヽヽヽ」

と小僧サンは無頓着に笑ふ。お道は今朝から宿に居なかつたが今こゝでお道を見やうとは意外であつた。殊に其情夫が坊主であらうとは意外であつた。我等は塔の上からだまつて見下ろして居る。

 何か二人は話してゐるらしいが言葉はすこしも聞えぬ。二人は塔の上に人があつて見下ろして居やうとは氣がつくわけも無く、了然はお道をひきよせるやうにして坊主頭を動かして話して居る。菜の花を摘み取つて髮に挿みながら聞いてゐたお道は急に頭を振つて包みに顏をおしあてて泣く。

「了然は馬鹿やナァ。あの阿呆面見んかいナ。お道はいつやら途中で私に遇ひましてナー、こんなこというてました。了然はんがえらい(ぼん)さんにならはるのには自分が退(の)くのが一番やといふ事は知てるけど、こちらからは思ひ切ることは出來ん。了然はんの方から棄てなはるのは勝手や。こちらは焦がれ死に死ぬまでも片思ひに思うて思ひ拔いて見せる。と斯んなこというてました。私はお道好きや。私が了然やつたら坊主やめてしもてお道の亭主になつてやるのに。了然は思ひきりのわるい男や。ハヽヽヽヽ」

と小ぞ僧サンは重たい口で洒落たことをいふ。塔の影が見るうちに移る。お道はいつの間にか塔の影の外に在つて菜の花の蒸すやうな中に春の日を正面(まとも)に受けて居る。淚にぬれて居る顏が菜種の花の露よりも光つて美くしい。我等が塔を下りようと彼の大佛の穴くゞりを再びもとへくゞり始めた時分には了然も纔に半身に塔の影を止めて、半身にはお道の浴びて居る春光を同じく共に浴びてゐた。了然といふ坊主も美しい坊主であつた。

   《引用終了》

ここまでが「中」である。而して、その晩のこと、戻った大黒屋で晩酌に酒を数杯飲んで机に凭れてとろとろとし、

   《引用開始》

ふと目がさめて見るとうすら寒い。時計を見ると八時過ぎだ。二時間程もうたゝ寝をしたらしい。昨日に引きかへ今日は広い宿ががらんとして居る。客は余一人ぎりと見える。静な夜だ。耳を澄ますと二處程で(をさ)の音がして居る。

 一つの方はカタンカタンと冴えた筬の音がする。一つの方はボツトンボツトンと沈んだ音がする。其二つの音がひつそりした淋しい夜を一層引き締めて物淋しく感ぜしめる。初め其筬の音は遠いやうに思つたがよく聞くと餘り遠くでは無い。余は夢の名殘りを急須の冷い茶で醒ましてぢつと其二つの音に耳をすます。

 蛙の聲もする。はじめ氣がついた時は僅に蛙の聲かと聞き分くる位のひそみ(ね)であつたが、筬の音と張り競ふのか、あまたのひそみ音の中に一匹大きな蛙の聲がぐわアとする。あれが蛙の聲かなと不審さるゝ程の大きな聲だ。晝間も燈心草の田で啼いてゐたがあんな大きな聲のはゐなかつた。夜になつて特に高く聞えるのかも知れぬ。一匹其大きなのが啼き出すと又一つ他で大きなのが啼く。又一つ啼く。しまひには七八匹の大きな聲がぐわァぐわァと折角の夜の寂寥を攪きみ亂すやうに鳴く。其でも蛙の聲だ。はじめひそみ音の中に突如として起こつた大きな聲を聞いた時は噪がしいやうにも覺えたが、其が少し引き續いて耳に慣れると矢張り淋しいひそみ(ね)の方は一層淋しい。氣の(せい)か筬の音もどうやら此蛙の聲と競ひ氣味に高まつて來る。カタンカタンといふ音は一層明瞭に冴えて來る。ボツトンボツトンといふ音は一層重々しく沈んで來る。

 お神サンが床を延べに來る。

「旦那はん毛布(けつと)なんかおかぶりやして、寒むおまつか」

「少しうたゝねをしたので寒い。それに今晩は馬鹿に靜かだねえ。お道さんは來ないのかい」

「今晩は來やはりまへん。そら今筬の音がしてますやろ、あれがお道はんだすがな」

「さうかあれがお道さんか」

と余は又筬の音に耳を澄ます。前の通り冴えた音と沈んだ音とが聞こえる。

「二處でしてゐるね。其に音が違ふぢやないか。お道さんの方はどちらだい」

「そらあの音の高い冴え冴えした方な、あれがお道さんのだす」

「どうしてあんなに違ふの。機が違ふの」

「機は同じ事こつたすけれど、筬が違ひます。音のよろしいのを好く人は筬を別段に吟味(ぎんみ)しますのや」

 余は再び耳を澄ます。今度は冴えた音の方にのみ耳を澄ます。カタンカタンと引き續いた音が時々チヨツと切れる事がある。糸でも切れたのを繫ぐのか、物思ふ手が一寸とまるのか。お神サンは敷布團を二枚重ねて其上に上敷きを延べながら、

「戰爭の時分はナァ、一機(ひとはた)の織り賃を七十錢もとりやはりましてナァ、へえ繃帶にするのやさかい薄い程がよろしまんのや。其に早く織るものには御褒美を吳りやはつた。其時分は機もよろしうおましたけど、もう此頃はあきまへん。へーへあんたはん一機二十五錢でナア、一機といふのは十反かゝつてるので、なんぼ早うても二日はかゝります」

 お神サンは聞かぬ事まで一人で喋舌(しやべ)る。突然筬の音に交つて唄が聞こえる。

『苦勞しとげた苦しい息が火吹竹から洩れて出る』

「お道さんかい」

と聞くと、

「さうだす。えゝ聲だすやろ」

とお神サンがいふ。余は聲のよしあしよりもお道サンが其唄をうたふ時の心持を思ひやる。

「あれでナァ、筬の音もよろしいし唄が上手やとナァ、よつぽど草臥れが違ひますといナ」

「あんな唄をうたふのを見るとお道サンもなかなか苦勞してゐるね」

「ありや旦那はん此邊の流行唄(はやりうた)だすがナ、織子といふものはナァ、男でも通るのを見るとすぐ惡口の唄をうたうたりナァ、そやないと惚れたとかはれたとかいふ唄ばつかりだす」

 俄に男女の聲が聞こえる。

「どこへ行きなはる」

「高野へお參り」

「ハヽァ高野へ御參詣か。夜さり行きかけたらほんまにくせや」

「お父つはんはもう寢なはつたか」

「へー休みました」

 高野へ參詣とは何の事かと聞いて見たら、

「はゞかりへ行くことをナァ、此邊ではおどけてあないにいひまんのや」

とお神サンは笑つた。よく聞くと女の聲はお道サンの聲であつた。男の聲は誰ともわからぬ。長屋つゞきの誰かであるらしい。

 筬の音が一層高まつて又唄が聞こえる。唄も調子もうきうきとして居る。

『鴉啼迄寢た枕元櫛の三日月落ちて居る』

 お神サンは床を延べてしまつて、机のあたりを片づけて、火鉢の灰をならして、もうラムプの火さへ小さくすればよいだけにして、

「お休みやす。あまりお道サンの唄に聞きほれて風邪引かぬやうにおしなはれ」

と引下る。

 酒も醒めて目が冴える。筬の音を見棄てゝ此儘寢てしまふのも惜しいやうな氣がする。晝間書きさして置いた報告書の稿をつぐ。ふと氣がつくといつの間にやら筆をとゞめて、きのふのお道サンの喋舌つた事や、今日塔から見下ろした時の事やを回想しつゝ筬の音に耳を澄まして居る。又唄が聞こえる。

『大分世帶に(しゆ)んでるらしい目立つ鹿の子の油垢』

 調子は例によつてうきうきとして居るが、夜が更けた(せゐ)かどこやら身に沁むやうに覺える。これではならぬと更に稿をつぐ。

 終に暫くの間は筬の音も耳に入らぬやうになつて稿を終つた。今日で取調の件も終り、今夜で報告書も書き終つた。がつかりと俄に草臥れた樣に覺える。

 火を小さくして寢衣(ねまき)になつて布團の中に足を踏み延ばす。筬の音はまだ聞こえて居る。忘れてゐたが沈んだ方のもまだ聞えて居る。

 眠るのが惜しいやうな氣がしつゝうとうととする。ふと下で鳴る十二時の時計の音が耳に入つたとき氣をつけて聞いて見たら、沈んだ方のはもう止んでゐたが、お道サンの筬の音はまだ冴え冴えと響いてゐた。

   《引用終了》

なお、続けて、私は明治四一(一九〇八)年に出版された虚子初の短編小説集「鶏頭」に所収された初出に最も近いものを底本にした私の電子化した「斑鳩物語」があるので、余裕のある方は、そちらを読まれたい。俳人虚子は大嫌いだが、この小説は、妙に心に残る。そも……この「お道さん」に逢って見たかった気がするのは……恐らく……私だけではあるまい……]

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