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2015/04/04

耳嚢 巻之十 建部家の家來腮はづれし療治の事

 建部家の家來腮はづれし療治の事

 

 建部(たけべ)家の家來某、與風(ふと)腮(あご)はづれし故、近邊名ある醫師を招(まねき)て療治を乞(こひ)しに、いと安き事なりと何か高言自讚(かうげんじさん)なして、兩手を以て腮抱上(かかへあ)げ色々手品(てしな)ありけれども、更に復せず。最初の高言に哉(や)恥(はぢ)けん、醫師も何か工夫あれば明朝罷越(まかりこす)と約して歸りしに、右跡亭主甚(はなはだ)憤り、差當(さしあた)り甚(はなはだ)難儀の所、明日と約す段(だん)甚(はなはだ)不情なり、居合(ゐあひ)抔を申(まうし)、口療治なせる井上何とか云(いへ)る藥賣(くすりうり)、前に右樣(みぎやう)の療治なせしと聞(きき)、是を可賴(たのむべし)と、早速井上方へ申達(まうしたつし)候處、無程(ほどなく)罷越(まかりこし)て右の樣子を見候て、是は腮の工合(ぐあひ)、片々(かたがた)違ひたるなり、兩方を療するとて手をひつかけ候故、復せざる由にて、片手を以(もつて)右の方を、抱(かか)ひ上(あげ)候樣(やう)にいたしければ、即座に直りけると也。是は心得にもなるべきと、記(しるし)おくなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。「耳嚢」には実は非常に多い医事関連譚である(以前にも述べたが、「耳嚢」というと怪談集というイメージは大変な誤りである)。これは根岸家に出入りする複数の医師や医事関係者が彼のニュース・ソースや情報屋であったことによる。そうして医師であるから当時のレベルで相応に科学的であったから、自ずと怪談の比率は少なくとも彼らの提供分に於いては有意に割合が低くなるという訳である。

・「建部家」播磨林田藩藩主主家。外様一万石。藩庁は林田(現在の兵庫県姫路市林田町聖岡)。「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年六月で、ここに登場する「亭主」は第七代藩主建部政賢(まさかた 延享四(一七四七)年~文政元(一八一八)年)である。

・「腮はづれし」顎関節脱臼(がくかんせつだっきゅう)。ウィキの「顎関節脱臼」を読むに、この場合のそれは前方脱臼と思われる。以下、その解説(下線やぶちゃん)。『下顎頭が前方に脱臼した状態。顎関節脱臼においてほとんどのケースが前方脱臼である。関節を元にはめ直すだけの簡単な施術で元に戻り、また周囲の組織の損傷の心配がほとんどないので、元に戻れば痛みもなくなる』。その「発生機序」の項には以下の二つのパターンが多いとし、『極度の開口を行った(大きく口を開けた)際に下顎頭が関節結節を越え、さらに外側靱帯、咬筋、外側翼突筋の牽引力で固定される』場合と、『開口時にオトガイ部に衝撃を受け、さらなる開口を強制される。正面から衝撃を受けた場合は左右両側の顎関節が脱臼するが、斜め前から衝撃を受けた場合は片側のみ脱臼することが多い』とある。「症状」の項。『顎関節が外れている状態のため、口が閉じられない。唾液がうまく飲み込めずこぼれ出てくる。また頬骨の下に下顎頭が突出するため人相が変化する』(本文には「更に復せず」とあるから開かなくなるのではなく、口が閉じられない状態と私は見る。藤八の見立ての「片々違ひたるなり」という謂い及び最終的な療法からは両方が異なった方向に脱臼していることを示すように思われ、最終療法は一方を戻すことによって反対の脱臼が自然に戻ったというニュアンスを感じる)。続いて「治療」の部。『発症の種類の項目でも説明しているが、前方脱臼の場合は比較的簡単に元に戻すことが出来る。自ら関節を戻す者も居るが、関節を痛める可能性もあるため、念のため整形外科や口腔外科、柔道整復師等で整復した方が良い。習慣的脱臼になっている場合は手術も考慮する』。『新鮮例に対しては徒手整復がおこなわれる。整復法にはヒポクラテス法、ボルカース法などがある』。以下、「ヒポクラテス法」の解説。『患者を椅子などに腰かけさせた上で頭部を固定する。施術者は両方の親指を下顎臼歯咬合面に置き、口腔外の両手の他の指で下顎を支える。この状態で、まず臼歯を下方へ押し、次いで後方へ導く。下顎頭が下顎窩に引き込まれるのを感じたら前歯部を上方に回転させ、下顎全体を手前に引く。下方へ押圧したあとで後方へ導くのは、下顎頭と関節結節が衝突して損傷することを避けるためである』。以下、「ボルカース法」の解説。『施術者が患者の後頭部から抱えるように固定する。その状態で、下顎を上前方に回転させつつ手前に引くことによって整復する方法』(ここで先の医師が行ったものはヒポクラテス法に近いか。井上藤八が行ったものはこの孰れとも似ていないように見える)。『整復後は患部を安静にし』、二週間程度は『硬い食べ物を避ける』とある。

・「不情」この場合は「不精(ぶしょう)」の意。

・「井上何とか」岩波の長谷川氏注に、『上野仁王門下で居合い抜をして歯磨を売っていた井上藤八』とある。金沢大学法文学部論集・文学篇(一九六〇年二月刊)所収の本田康雄氏の「浮世物真似を求めて 洒落本研究のために」の中に、安永八(一七七九)年刊の酒落本「呼子鳥」の梗概を記された中に後半の上野の「山下八景」の部分(踊り字は正字化した。下線やぶちゃん)、

   《引用開始》

 「山下八景」は茂久左衛門なる田舎の「おャぢ」と「ばァ」さんが「馬ご」の案内で上野山下を見物する状況を写したものである。但し、おャぢは最初に一寸登場する丈で、主として田舎の老婆と馬ごとの会話が描写されている。老饗の無智な質問や感想、方言が滑稽で笑わせられる。最初のところに蛙の鳴声が出てくるのが如何にも浮世声色らしくて注目されるが、以後は道中、界町の芝居に就いての馬ごの話、筋違御門、柳原土手の古岩屋についての説明があり、山下へ向う。

 次いで、しらミうせ薬の売手の口上、目薬、土平飴、おこま飴の口上、一人相撲の芸人、すたすた坊主、鶴吉(大道手品師)、からくり、講釈師、豆蔵、井上藤八(居合抜きを看板とした歯磨売り)、十九文店、等々の口上をそのまま写している。文末に「……『馬ご』ほんにからいでんがくだァ此からいのでめがさめましてござりまする」とあるが、これは前半「品川八最」の末尾と相俟って浮世声色の結びに相応しい。

   《引用終了》

と登場する。「浮世声色」は「うきよこわいろ」「うきよこわね」と読むか。本田氏の論文題名にある「浮世物真似(うきよものまね)」と同義で、物売りや動物の身振りや音声などを真似ること。また、その芸を指す。これは、役者の身振り・声色を真似る芸「役者物真似」に対して言ったものである。

・「抱(かか)ひ」は底本編者によるルビ。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 建部(たけべ)家家来が腮(あご)を外し、それに係わる療治の顛末の事

 

 建部家の家来某(ぼう)、ふとしたことで腮が外れてしまった。

 即座に、近辺にて名のある医師を招いて療治を乞うたところが、

「――腮の外れなんどを治すは、これ、たいそう容易なことで御座る。」

と、何やらん、偉そうに己(おの)が腕前など殊更に自讃なし、やおら、両手を以って腮を抱え上げ、いろいろと手を尽くしておったものの――これ――幾らやっても――一向に――元に戻らぬ。

 最初の高言(こうげん)が恥ずかしくなったものか、その医師、

「……ち、ちと、難症なればこそ……さても何故か、理由は分かり申しかぬるが……どうもこれ、上手く参りませぬのぅ……まずは……何かその……別の工夫も、これ……御座るによって……そのぅ……明朝……再応罷り越しまするによって……今日のところは……これ……お大事に――」

などと約して帰ったものの、これを伝え聴いた御主君建部政賢(まさかた)殿、はなはだ憤られ、

「――結局、療治はなはだ難儀なれば、一向に治すこと、これ出来ず、行き詰って『明日』と約したる段(だん)、これ、はなはだ、いい加減なる仕儀ではないかッ!……そうじゃ! ……居合などをも成すと称し、歯磨きなど売り、また、口の療治をも致すと聴いた井上何とか申す薬売り、これ、上野山下辺に住むとか。その者、以前に、かくなる腮の外れたる難症を美事療治致いたと聴いたことがある。――これを頼むがよい!」

と、早速、その井上藤八が方へ人を遣わしたところ、ほどなく罷り越し、その家来の様子をとくと見た。すると、藤八、

「――これは腮の具合――左右両方が別々な形で、外れておりますな。――こういう場合、両方を一遍に治療しようとして両腮に手を引っ掛けますると、これ自ずと、関節を同じような力、同じような方向に押し戻そうと無意識に致すこととなりまするが故に――いっかな、元に戻らぬ――ので御座います。――こうした際には――片手を以って――右の方(かた)を――抱(かか)え上げるように致しますれば――即座に治りまする。」

と申し、直ちにその療治を行い、あっという間に、外れた腮、これ元に戻った、と申す。

 これは万一の時の心得にもなるべきことと思えば、特にここに記しおくことと致す。

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