高濱虛子 斑鳩物語 (正字正仮名・初版形)
[やぶちゃん注:「斑鳩物語(いかるがものがたり)」は明治四〇(一九〇七)年に『ホトトギス』に掲載された高浜虚子の小説で、翌明治四十一年に出版された虚子初の短編小説集「鶏頭」に所収された。
底本は明治四一(一九〇八)年一月春陽堂刊の当該作品集「鶏頭」を国立国会図書館デジタルコレクションの「斑鳩物語」の画像で視認した(リンク先は同作品の冒頭頁画像)。但し、底本は総ルビであるため、私が読みが触れると判断したものと、若い読者にはやや難読かと思われるもののみのパラルビとした。踊り字「〱」は正字化した。段落冒頭が一字下げになっていないのはママである。但し、会話文は、底本では一字下げの鍵括弧で始まり、二行以上に渡る際にはシナリオの台詞のように総て二字下げとなっているが、ブログ版ではブラウザ上の不具合が生ずるので再現せずに、改行後は行頭まで上げてある。仮名の「し」の一部で草書の「志」となっているが(例えば「お道さんが行つたあとは俄かに淋しくなつた。きのふ奈良でしらべた報告書の殘りを認める。」の箇所の「しらべた」の「し」など)、有意な表記上の差があるとは思われないので、通常の「し」で表記した。
一昨日、堀辰雄の「十月」の注で梗概を述べ、抜粋引用したのだが(但し、そこでは視認が容易な本初版とは異なる昭和二三(一九四八)年養徳社刊行の版を用いたので、本テクストとは微妙に異なる。特に読みについては本初版では意外な箇所もままあるので注意されたい)、ここで三重の塔の登りの滑稽な箇所も含めてその全体を公開することとする。その注でも述べた通り、私は俳人としての高浜虚子を生理的に激しく嫌悪している男である。しかし、少なくとも彼のこの写生文を意識した小説「斑鳩物語」は、その映像性と浪漫性から――おぞましくも悔しいことに――大いに惹かれてしまう小品であることは言を俟たない。敢えて――恩讐の彼方に――【二〇一五年四月二十七日 藪野直史】]
斑鳩物語
上
法隆寺の夢殿の南門(なんもん)の前に宿屋が三軒(げん)ほど固まつてある。其の中の一軒の大黑屋といふうちに車屋は梶棒を下ろした。急がしげに奥から走つて出たのは十七八の娘である。色の白い、田舍娘にしては才はじけた顏立ちだ。手ばしこく車夫(くるまや)から余の荷物を受取つて先に立つ。廊下を行つては三段程の段階子を登り又廊下を行つては三段程の段階子を登り一番奧まつた中二階に余を導く。小作りな體に重さうに荷物をさげた後ろ姿が余の心を牽く。
荷物を床脇に置いて南の障子を廣々と開けてくれる。大和一圓が一目に見渡されるやうないゝ眺望だ。余は其まゝ障子に凭(もた)れて眺める。
此の座敷のすぐ下から菜の花が咲き續いて居る。さうして菜の花許りでは無く其に點接(てんせつ)して梨子(なし)の棚がある。其梨子も今は花盛りだ。黃色い菜の花が織物の地(ぢ)で、白い梨子の花は高く浮織(うきお)りになつてゐるやうだ。殊に梨子の花は密生してゐない。其荒い隙間から菜の花の透いて見えるのが際立つて美くしい。其に處々麥畑も點在して居る。偶〻(たまたま)燈心草(とうしんぐさ)を作つた水田(みづた)もある。梨子の花は其等に頓着(とんちやく)なく浮織りになつて遠く彼方(あなた)に續いて居る。半里も離れた所にレールの少し高い土手が見える。其土手の向うもこゝと同じ織り物が織られてゐる樣だ。法隆寺はなつかしい御寺(みてら)である。法隆寺の宿はなつかしい宿である。併し其宿の眺望がこんなに善からうとは想像しなかつた。これは意外の獲物である。
娘は春日塗(かすがぬ)りの大きな盆の上で九谷(くたに)まがひの茶椀に茶をついで居る。やゝ斜(なゝめ)に俯向(うつむ)いてゐる橫顏が淋しい。さきに玄關に急がしく余の荷物を受取つた時のいきいきした娘とは思へぬ。赤い襦袢(じゆばん)の襟もよごれて居る。木綿の着物も古びて居る。それが其淋しい橫顏を一層力なく見せる。
併しこれは永い間では無かつた。茶を注(つ)いでしまつて茶托(ちやたく)に乘せて余の前に差し出す時、彼(かれ)はもう前のいきいきした娘に戾つて居る。
「旦那はん東京だつか。さうだつか。ゆふべ奈良へお泊りやしたの。本間(ほんま)にア、よろしい時候になりましたなア」
と脫ぎ棄てた余の羽織を疊みながら、
「御參詣だつか、おしらべだつか。あゝさうだつか。二三日前にもなア國學院とかいふとこのお方が來やはりました」
と羽織を四(よつ)つにたゝんだ上に紐を載せて亂箱(みだればこ)の中に入れる。
余は渇いた喉に心地よく茶を飮み干す。東京を出て以來京都、奈良とへめぐつて是程(これほど)心の落つくのを覺えた事は今迄無かつた。余は膝を抱(いだ)いて再び景色を見る。すぐ下の燈心草の作つてある水田(みづた)で一人の百姓が泥を取つては箕(み)に入れて居る。箕に土が滿ちると其を運んで何處(どこ)かへ持つて行く。程なく又來ては箕に土をつめる。何をするのかわからぬが此廣々とした景色の中で人の動いて居るのは只此百姓一人きりほか目に入(い)らぬ。
娘は椽(えん)に出(で)て手すりの外に兩手を突き出して余の足袋の埃りを拂つて又之を亂箱の中に入れる。
「いゝ景色だナア」
といふと直ぐ引取つて、
「此邊はなア菜種(なたね)となア梨子とを澤山に作りまつせ。へー燈心も澤山に作ります。燈心はナー、あれを一遍よう乾かして、其から叩いてナー、それから又水に漬けて、其から長い錐(きり)のやうなもので突いて出しやはります。其から又疊の表にもしやはりまつせ。長いのから燈心を取りやはつて短かいのは大概(たいがい)疊の表にしやはります」
「疊の表には藺(ゐ)をするのぢやないか。燈心草も疊の表になるのかい」
「いやな旦那はん。燈心草といふのが藺の事(こ)つたすがな」
と笑ふ。余は電報用紙を革袋(かはぶくろ)の中から取り出す。娘は棚の上の硯箱を下ろして葢(ふた)を取る。
「まア」
といつて再び硯箱を取り上げてフツと輕く硯の上の埃りを吹いて藥罐(やくわん)の湯を差して墨を磨つて呉れる。墨はゴシゴシと厭やな音がする。
電報を認(したゝ)め終つて娘に渡しながら、
「下は大變多勢のお客だね。宴會かい」
と聞く。娘は電報を二つに疊んで膝の上に置いて、
「いゝえ。皆(みんな)東京のお方だす。大師講(だいしかう)のお方で高野山に詣りやはつた歸りだすさうな。今日はこゝに泊りやはつてあした初瀨(はせ)に行(い)きやはるさうだす。今晩はおやかましうおますやろ」
と娘は立たうとする。電報は一刻(こく)を急(せ)く程の用事でも無い。
「初瀨は遠いかい」
とわざと娘を引とめて見る。
「初瀨だつか」
と娘も一度腰を下ろして、
「初瀨はナー、そらあのお山ナー、そら左りの方の山の外れに木の茂つたとこがありますやろ……」
と延び上るやうにして、
「あこが三輪のお山で。初瀨はあのお山の向うわきになつてます。旦那はんまだ初瀨に行きやはつた事(こと)おまへんか」
「いやちつとも知らないのだ。さうかあれが三輪か。道理で大變に樹が茂つてゐるね。それから吉野は」
「吉野だつか」
と娘は電報を疊の上に置いて膝を立てる。手摺りの處に梢を出してゐる八重櫻が娘の目を遮ぎるのである。余は立上つて椽(えん)に出る。娘も余に寄り添うて手摺りに凭れる。
「そら、此向うに高い山がおますやろ、霞のかゝつてる。へーあの藪の向うだす。あれがナー多武(たふ)の峰で、あの多武の峰の向うが吉野だす」
娘は櫻の梢に白い手を突き出して、
「あの高い山は知つとゐやすやろ」
「あれか、あれが金剛山(こんがうざん)ぢやないか。あれは奈良からも見えてゐたから知つてる」
娘は手摺り傳(づた)ひに左りへ左へと寄つて行つて、
「旦那はん、一寸(ちよつと)來てお見やす。そらあそこに百姓家がおますやろ。さうだす、今(いま)鴉の飛んでる下のとこ。さうだす、あの百姓家の左の方にこんもりした松林がおますやろ。そやおまへんがナー。それは鐵道のすぐ向うだすやろ。それよりももつとずつと向うに、さうだすあの多武(たふ)の峰の下の方にうつすらした松林がありますやろ。さうさう。あこだす、あこが神武天皇樣の畝火山(うねびやま)だす」
娘の顏はますますいきいきとして來る。畝火山を敎へ終つた彼はまだ何物をか探して居る。彼の知つて居る名所は見える限り敎へてくれる氣と見える。
「お前大變よく知つて居るのね。どうしてそんなによく知つて居るの。皆(み)な行つて見たのかい」
「へー、皆んな行きました」
といつて余を見た彼の眼は異樣に燃えてゐる。
「さう、誰(だれ)と行つたの、お父サンと」
「いゝえ」
「お客さんと」
「いゝえ。そんな事(こと)聞きやはらいでもよろしまんがナア」
と娘は輕(かろ)く笑つて、
「私の行きました時も丁度(ちやうど)菜種の盛りでなア。さうさうやつぱり四月の中頃やつた」
と夢見る如き眼で一寸余の顏を見て、
「旦那はん、あんたはんお出でやすのなら連れていておくれやすいな、ホヽヽヽ私見たいなものはいやだすやろ」
「いやでも無いが、こはいナ」
「なぜだす」
「なぜでも」
「なぜだす」
「こはいぢやないか」
「しんきくさ。なぜだすいな、いひなはらんかいな」
「いゝ人にでも見つからうもんなら大變ぢやないか」
「あんたの」
「お前のサ」
「ホヽヽ、馬鹿におしやす。そんなものがあるやうならナー。……無い事もおへんけどナー。……ホヽヽヽヽ、御免やすえ。……アヽ電報を忘れてゐた。お風呂が沸いたらすぐ知らせまつせ」
と妙な足つきをして小走りに走つて疊の上の電報を抄(すく)ふやうに拾ひ上げて座敷を出たかと思ふと、襖(ふすま)を締める時、
「本間(ほんま)におやかましう。御免やすえ」
としづかに挨拶してニツコリ笑つた。
「お道(みち)はん。お道はん」
と下で呼ぶ聲がする。
「へーい」
といふ返辭も落(おち)ついて聞こえた。
お道さんが行つたあとは俄かに淋しくなつた。きのふ奈良でしらべた報告書の殘りを認める。時々下の間で多勢の客の笑ふ聲に交つてお道サンの聲も聞こえるが、座敷が別棟(べつむね)になつてゐるのではつきりわからぬ。
夢殿の鐘が鳴る。時計を見るともう六時だ。
漸く風呂が沸いたと知らして來た。其はお道さんでは無く、此(この)家(や)の主婦であらう三十四五の髮(かみ)サンであつた。晩飯の給仕に來たのもお道さんで無く此の髮サンであつた。
此髮サンの話によると、お道サンといふのは此うちの娘でなくすぐ此裏の家(うち)の娘で、平生(ふだん)は自分のうちで機械機(きかいばた)を織つて居るが、世話しい時は手傳ひに來るのだとの話であつた。
「へい、此邊でナー、ちつと澁皮(しぶかは)のむげた娘(こ)はナー、皆(みんな)南の方へ行きやはります。南の方といふのはナー下市(しもいち)、上市(かみいち)、吉野あたりだす。お道はんも一寸行(い)てやはりましたが、お父つあんが一人で年よつてるさかいに半年許(ばか)りで歸つて來やはつた。へー、何だす。そりやナー若い時はナー。そやけれどお道はんに限つてそないな事はありまへんやらう。ホヽヽヽ」
とお髮サンは妙な眼つきをして人の顏を見て笑ふ。
中
翌日午前は法隆寺に行つて、午後は法起寺(はふきじ)に行つた。これで今囘官命の役目は一段落となるのである。法起寺は住職は不在で、年とつた方の所化も一寸出たとの事で、十五六になるのつそりした小僧が炭をふうふう吹いて灰だらけにした火鉢を持つて來て、ぬるい茶を汲んで來て主(あるじ)ぶりをする。取調(とりしらべ)の事は極めて簡單で直ちに結了(けつれう)する。塔の修覆が出來てからまだ見ぬので庭に出て見る。腰衣(こしごろも)をつけた小僧サンもあとからついて來る。白い庭の上に余の影も小僧サンの影もくつきりと映る。うらゝかな春の日だ。三重の塔は法隆寺の塔を見た目には物足らぬが其でも蟇股(かへるまた)や撥形(ばちがた)の爭はれぬ推古式のところが面白い。余はふと此塔に登つて見度くなつた。
「小僧サン、塔に登りたいものですが……」
「塔にお登りやすの、きたのうおまつせ」
といひながら無造作に承諾してもう鍵を取りに行く。頭に手をやつて見たり、腰に手をやつて見たり自分の影法師を面白さうに見ながら悠々として庫裡の方に行つた。
直下(ました)に立つて仰ぐと三重の塔でも中々高い。三重目の欄干のところに雀が群がつて飛んで居る。立札を讀むと特別保護建造物で一年餘を費して修理したとある。別に立札に内務省の下賜金が二萬何千圓とある。此地はもと聖德太子の御學問處(ごがくもんじよ)で、推古天皇の御創立になつた官寺(かんじ)で、昔はたいしたものであつたのだらうが、今は當時の建物として此塔許り殘つてゐて他(た)は見すぼらしい堂宇許りだ。とても法隆寺などには比べものにはならん。
小僧サンが悠然として鍵を持て來て、いきなり塔の扉に突ッ込む。ゴトンと音がして大きな扉ががたがたと開(あ)く。冷たい風が塔の中から吹く。安置されて居る佛體は手や足の無くなつてゐる古佛(こぶつ)でこれも推古時代の彫刻かと思はれる。小僧サンはもう梯子(はしご)を登つて居る。
此梯子は高さ一間半許りの幅のせまい勾配の急な梯子で一步踏む度に少しゆらぐ。余は元來臆病な方だが今更止めるわけに行(い)かぬので小僧サンのあとについて登る。戶をがらがらと開ける音がする。埃りが落ちて來るので閉口しながら仰向いて見ると、天井に二尺角(しやくかく)程の小さい穴があいて居る。小僧サンは今其穴に體半分を突込(つツこ)んで足を二本宙(ちゆう)にぶら下げて居る。おやおやと思つて見て居るうちに體操のやうな事をしてヒヨイと上に飛び上(あが)る。余は恐る恐る登つて其穴の處に達し漸く頭を突込んで上を見上げると驚いた。余は塔の中の構造も普通の家と同じに一階二階と其々天井のやうなものが出來てゐることゝ思つてゐたに、天井は一階のところに在る許りで、見上げると此上はもう頂上まで筒拔けで、中央の大きな柱が天にまで達するかと思ふやうに高い。小僧サンはもう第二の短い梯子を登つて右から左にかゝつてゐる木を輕業(かるわざ)のやうに兩手をふつて渡つてゐる處だ。
余は穴に頭を突込(つツこ)んだまゝ、
「小僧サンもうよしませう」
といふ。小僧サンは不平さうに、
「折角こゝまで來たんやよつて上(のぼ)りなはれ」
と橫木(よこぎ)の上に立つたまゝ下を見下して居る。何だか此際(さい)小僧サンに無限の權威があるやうに思はれて仕方なしに上ることにする。小僧サンは今體操をするやうなことをして此の穴を上がつたが、其が已に余に取つて大困難だ。頭の上に斜(なゝめ)に橫たはつてゐる木に手をかけて見る。木が大きくて手のさきがかゝる許りだ。指のさきに懸命の力を籠めて左りの手を其(その)木にかけ、右の腕でべたりと天井の上を壓(お)さへると埃りだらけで紋付羽織がだいなしになる。漸く天井裡に登る。
其(それ)から第二の梯子は無造作に登れたが、小僧サンが手をふつて渡つてゐた橫木の上に來て途方に暮れる。何かつかまへるものが無いと足がふるへて顚倒(てんだう)しさうだ。頭の處に併行(へいかう)した大きな木がある。兩手をぐつと上げて此(この)木を握る。足の方も見ねばならず手の方も見ねばならず、上目を使つたり下目を使つたり一分(ぶ)きざみに渡つて居ると忽ちゴーといふ地鳴りのやうな音がする。何事かと思つて立どまつて見ると一陣の風が塔に吹き當る音であつた。ゆれはしないかと中央の大きな柱を見ると大船(おほふね)の帆柱よりも大きいのが寂然(じやくねん)として立つて居る。漸く意を安(やす)んじて橫木を渡つてしまふと、サア行き詰(づま)りになつてしまつてどうしてよいのかわからぬ。梯子もなく、別に連絡して居る他(ほか)の木もない。俄(にはか)に恐ろしくなつて來てもう空目(そらめ)を使つて小僧サンを見る勇氣もない。
「小僧サン、これからどうしたらいゝんです」
小僧サンの聲は思はぬ方から聞こえる。
「其(その)上の木にまたいで上りなはれ」
と極めて易々(いゝ)たる事のやうにいふ。其がさう易々(いゝ)たる事なら何も小僧サンを呼びはしないのだが、これはいよいよ窮地に陷(おちい)つた事だと泣き度(た)くなる。仕方なしに兩方の手で上の木に抱きつくやうにしてやつと這ひ上る。羽織の袖が何かにかゝつたらしいのを一生懸命で振り切る。一息ついて上を見上げると上はまだなかなか遠い。下を見下ろすと下ももうなかなか遠い。もう下りるのも上(あが)るのも同じく命がけだと覺悟を極(きは)めて未練なく登ることにする。
小僧サンは立どまつてはふりかへり、ふりかへつては歷階(れきかい)して上つて居る。余もまけぬ氣になつて登る。
「こゝの欄干のところにしまひよか、露盤(ろばん)のところに出なはるか」
と小僧サンが上の方から呼ぶ。露盤の處から九輪(りん)の處に首を突出(つきだ)す事が出來るといふ事は曾て聞いた事もあつた。小僧サンは其處(そこ)までも行く氣と見える。其處まで行くうちには余はもう手足の力を失つて途中から轉落するに極(きま)つてる。
「欄干のところで結構です」
「さうだつか。露盤のとこに出ると畝火の方がよく見えまんがなア」
畝火は宿屋の二階からでも見えぬことは無い。こちらは其どころでは無いのだ。小僧サンはどうするかと氣が氣でなく見て居ると、やつと露盤の方は斷念したと見えて、欄干の方に出る小さい窓を開けて居る。
小僧サンは其窓を大佛殿の柱くゞりといつたやうな風に這うて出る。余も漸く其窓に達して、今度こそすべり落ちたら百年目と度胸を据ゑて這うて出る。窓の外は三重目の小さい囘廊(くわいらう)で欄干を握つて立つと、ニチヤニチヤと手につくものがある。見ると雀の糞(ふん)だ。其邊(そこら)眞白になつて居る。さつき雀の飛んで居つたのが此處だなと思ふ。小僧サンに並んで欄干を摑まへて下を見下ろす。
自分の足下(あしもと)には二重目の屋根が出て居る。此處に立つて下を見下ろすのは想像してゐた程に恐ろしく無い。小僧サンに跟(つい)て囘廊傳ひに東の方に𢌞つて見る。宿屋の二階で見た菜の花畑はすぐ此塔の下までも續いて居る。梨子の棚もとびとびにある。麗(うらゝ)かな春の日が一面に其上に當つて居る。今我等の登つてゐる塔の影は塔に近い一反ば(たん)かりの菜の花の上に落ちて居る。
「又來くさつたな。又二人で泣いてるな」
と小僧サンは獨り言をいふ。見ると其塔の影の中に一人の僧と一人の娘とが倚り添ふやうにして立話しをして居る。女は僧の肩に凭れて泣いて居る。二人の半身(はんしん)は菜の花にかくれて居る。
「あの坊(ぼう)さん君知つてるのですか」
「あれなあ、私(わし)の兄弟子の了然(れうねん)や。學問も出來るし、和尙サンにもよく仕へるし、おとなしい男やけれど、思ひきりがわるい男でナー。あのお道といふ女の方がよつぽど男まさりだつせ。あのお道はナァ、親にも孝行で、機もよう織つて、氣立(きだて)もしつかりした女でナァ、何でも了然が岡寺(をかでら)に居(を)つた時分にナァ、下市(しもいち)とか上市(かみいち)とかで茶屋酒(ちややざけ)を飮んだ事のある時分惚れ合つてナァ、それから了然はこちらに移る、お道はうちへ歸るしゝてナァ、今でもあんなことして泣いたり笑つたりしてますのや。ハヽヽヽ」
と小僧サンは無頓着(むとんちやく)に笑ふ。お道は今朝(けさ)から宿に居なかつたが今こゝでお道を見やうとは意外であつた。殊に其情夫が坊主であらうとは意外であつた。我等は塔の上からだまつて見下ろして居る。
何か二人は話してゐるらしいが言葉はすこしも聞こえぬ。二人は塔の上に人があつて見下ろして居やうとは気がつくわけも無く、了然はお道をひきよせるやうにして坊主頭を動かして話して居る。菜の花を摘み取つて髮に挿みながら聞いてゐたお道は急に頭を振つて包みに顏を推しあてゝ泣く。
「了然は馬鹿やナァ。あの阿呆面(あはうづら)見んかいナ。お道はいつやら途中で私に遇ひましてナー、こんなこというてました。了然はんがえらい坊(ぼ)んさんにならはるのには自分が退(の)くのが一番やといふ事は知(しつ)てるけど、こちらからは思ひ切ることは出來ん。了然はんの方から棄てなはるのは勝手や。こちらは焦がれ死にゝ死ぬまでも片思ひに思うて思ひ拔いて見せる。と斯(こ)んなこというてました。私(わし)お道好きや。私(わし)が了然やつたら坊主やめてしもてお道の亭主になつてやるのに。了然は思ひきりのわるい男や。ハヽヽヽヽ」
と小僧サンは重たい口で洒落たことをいふ。塔の影が見るうちに移る。お道はいつの間にか塔の影の外に在つて菜の花の蒸すやうな中に春の日を正面(まとも)に受けて居る。淚にぬれて居る顏が菜種の花の露よりも光つて美くしい。我等が塔を下りやうと彼の大佛の穴くゞりを再びもとへくゞり始めた時分には了然も纔(わづか)に半身(はんしん)に塔の影を止(とゞ)めて、半身にはお道の浴びて居る春光を同じく共に浴びてゐた。了然といふ坊主も美くしい坊主であつた。
下
其夜(そのよ)晩酌に一二杯を過ごして毛布(けつと)をかぶつたまゝ机に凭れてとろとろとする。ふと目がさめて見るとうすら寒い。時計を見ると八時過ぎだ。二時間程もうたゝ寢をしたらしい。昨日に引きかへ今日は廣い宿ががらんとして居る。客は余一人ぎりと見える。靜(しづか)な夜だ。耳を澄ますと二處(ふたところ)程(ほど)で筬(をさ)の音(おと)がして居る。
一つの方はカタンカタンと冴えた筬(をさ)の音がする。一つの方はボツトンボツトンと沈んだ音がする。其二つの音がひつそりした淋しい夜を一層引き締めて物淋しく感ぜしめる。初め其筬(をさ)の音は遠い樣に思つたがよく聞くと余り遠くでは無い。初め其筬の音は遠い樣に思つたがよく聞くと餘り遠くでは無い。余は夢の名殘りを急須(きふす)の冷い茶で醒ましてぢつと其二つの音に耳をすます。
蛙(かはづ)の聲もする。はじめ氣がついた時は僅(わづか)に蛙の聲かと聞き分くる位(くらゐ)のひそみ音(ね)であつたが、筬(をさ)の音(おと)と張り競ふのか、あまたのひそみ音(ね)の中に一匹大きな蛙の聲がぐわアとする。あれが蛙(かはづ)の聲かなと不審さるゝ程の大きな聲だ。晝間も燈心草(とうしんぐさ)の田で啼いてゐたがあんな大きな聲のはゐなかつた。夜(よ)になつて特に高く聞こえるのかも知れぬ。一匹其大きなのが啼き出すと又一つ他(ほか)で大きなのが啼く。又一つ啼く。しまひには七八匹の大きな聲がぐわアぐわアと折角(せつかく)の夜(よ)の寂寥(せきれう)を攪(か)きみ亂すやうに鳴く。其(それ)でも蛙の聲だ。はじめひそみ音(ね)の中(うち)に突如として起こつた大きな聲を聞いた時は噪(さわ)がしいやうにも覺えたが、其が少し引き續いて耳に慣れると矢張り淋しいひそみ音(ね)の方は一層淋しい。氣の勢(せい)か筬(をさ)の音(おと)もどうやら此蛙(かはづ)の聲と競ひ氣味(ぎみ)に高まつて來る。カタンカタンといふ音は一層明瞭に冴えて來る。ボツトンボツトンといふ音は一層重々しく沈んで來る。
お髮サンが床を延べに來る。
「旦那はん毛布(けつと)なんかおかぶりやして、寒むおまつか」
「少しうたゝねをしたので寒い。それに今晩は馬鹿に靜かだねえ。お道さんは來ないのかい」
「今晩は來やはりまへん。そら今筬(をさ)の音(おと)がしてますやろ、あれがお道はんだすがな」
「さうかあれがお道さんか」
と余は又筬(をさ)の音に耳を澄ます。前の通り冴えた音と沈んだ音とが聞こえる。
「二處(ふたところ)でしてゐるね。其(それ)に音が違ふぢやないか。お道さんの方はどちらだい」
「そらあの音の高い冴え冴えした方な、あれがお道さんのだす」
「どうしてあんなに違ふの。機(はた)が違ふの」
「機は同じ事(こ)つたすけれど、筬が(をさ)違ひます。音のよろしいのを好く人は筬を別段に吟味しますのや」
余は再び耳を澄ます。今度は冴えた音(おと)の方にのみ耳を澄ます。カタンカタンと引き續いた音が時々チヨツと切れる事がある。糸でも切れたのを繫(つな)ぐのか、物思ふ手が一寸とまるのか。お髪サンは敷布團を二枚重ねて其上に上敷(うはし)きを延べながら、
「戰爭の時分はナァ、一機(ひとはた)の織り賃を七十錢もとりやはりましてナア、へえ綳帶(ほうたい)にするのやさかい薄い程がよろしまんのや。其に早く織るものには御褒美を呉りやはつた。其時分は機(はた)もよろしうおましたけど、もう此頃はあきまへん。へーへあんたはん一機(ひとはた)二十五錢でナア、一機といふのは十反(たん)かゝつてるので、なんぼ早(はや)うても二日はかゝります」
お髮サンは聞かぬ事まで一人で喋舌(しやべ)る。突然筬(をさ)の音に交つて唄が聞こえる。
『苦勞しとげた苦しい息が火吹竹(ひふきだけ)から洩れて出(で)る』
「お道さんかい」
と聞くと、
「さうだす。えゝ聲だすやろ」
とお髮サンがいふ。余は聲のよしあしよりもお道サンが其唄をうたふ時の心持(こころもち)を思ひやる。
「あれでナア、筬(をさ)の音もよろしいし唄が上手(じやうず)やとナア、よつぽど草臥(くたぶ)れが違ひますといナ」
「あんな唄をうたふのを見るとお道サンもなかなか苦勞してゐるね」
「ありや旦那はん此邊(このへん)の流行唄(はやりうた)だすがナ、織子(おりこ)といふものはナア、男でも通るのを見るとすぐ惡口(わるくち)の唄をうたうたりナア、そやないと惚れたとかはれたとかいふ唄ばつかりだす」
俄(にはか)に男女(なんによ)の聲が聞こえる。
「どこへ行きなはる」
「高野(かうや)へお參り」
「ハヽア高野へ御參詣か。夜(よ)さり行(い)きかけたらほんまにくせや」
「お父つはんはもう寢なはつたか」
「へー休みました」
高野へ參詣とは何の事かと聞いて見たら、
「はゞかりへ行くことをナア、此邊ではおどけてあないにいひまんのや」
とお髮サンは笑つた。よく聞くと女の聲はお道サンの聲であつた。男の聲は誰(たれ)ともわからぬ。長屋つゞきの誰(たれ)かであるらしい。
筬(をさ)の音が一層高まつて又(また)唄が聞こえる。唄も調子もうきうきとして居る。
『鴉啼(なく)迄寢た枕元(まくらもと)櫛(くし)の三日月落ちて居(ゐ)る』
お髮サンは床を延べてしまつて、机のあたりを片づけて、火鉢の灰をならして、もうラムプの火さへ小さくすればよいだけにして、
「お休みやす。あまりお道サンの唄に聞きほれて風邪引かぬやうにおしなはれ」
と引下(ひきさが)る。
酒も醒めて目が冴える。筬(をさ)の音を見棄てゝ此儘寢てしまふのも惜しいやうな氣がする。晝間書きさして置いた報告書の稿(かう)をつぐ。ふと氣がつくといつの間にやら筆をとゞめて、きのふのお道サンの喋舌(しやべ)つた事や、今日(けふ)塔から見下ろした時の事やを囘想しつゝ筬(をさ)の音に耳を澄まして居る。又(また)唄が聞こえる。
『大分(だいぶ)世帶(しよたい)に染(しゆ)んでるらしい目立つ鹿(か)の子(こ)の油垢(あぶらあか)』
調子は例によつてうきうきとして居るが、夜が更けた勢(せゐ)かどこやら身に入(し)むやうに覺える。これではならぬと更に稿をつぐ。
終(つひ)に暫くの間(あひだ)は筬(をさ)の音も耳に入(い)らぬやうになつて稿を終つた。今日で取調(とりしらべ)の件(けん)も終り、今夜で報告書も書き終つた。がつかりと俄(にはか)に草臥(くたび)れた樣に覺える。
火を小さくして寢衣(ねまき)になつて布團の中に足を踏み延ばす。筬(をさ)の音はまだ聞こえて居る。忘れてゐたが沈んだ方(はう)のもまだ聞こえて居る。
眠(ねむ)るのが惜しいやうな氣がしつゝうとうととする。ふと下で鳴る十二時の時計の音(おと)が耳に入(はひ)つたとき氣をつけて聞いて見たら、沈んだ方のはもう止んでゐたが、お道サンの筬(をさ)の音(おと)はまだ冴え冴えとして響いてゐた。