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2015/04/28

本朝食鑑 鱗介部之三 海馬

 人見必大著島田勇雄訳「本朝食鑑」(平凡社東洋文庫一九七六~一九八一年刊)全五巻を入手した。

 これより、これとガチで勝負を始める。

 既に私は、

博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載

博物学古記録翻刻訳注 ■13 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる老海鼠(ほや)の記載

博物学古記録翻刻訳注 ■14 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海月の記載

の三篇をものしているが、今回、これらと島田氏の訳注を対照してみても、私の見解や訳に重大な誤認はなかったし、アカデミズムの哀しさで国語学者であられた島田氏の注には殆んど見られない生物学上の注に関しては相応の自負を持ってよいことが改めて意識された。

 さればこそ、自身の海岸生物に対する強い偏愛を力に、

カテゴリ「本朝食鑑 水族の部」

を立ち上げることとする。

 「本朝食鑑」は医師で本草学者であった人見必大(ひとみひつだい 寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年:本姓は小野、名は正竹、字(あざな)は千里、通称を伝左衛門といい、平野必大・野必大とも称した。父は四代将軍徳川家綱の幼少期の侍医を務めた人見元徳(玄徳)、兄友元も著名な儒学者であった)の元禄一〇(一六九七)年刊の本邦最初の本格的食物本草書。全十二巻。「本草綱目」に依拠しながらも、独自の見解をも加え、魚貝類など、庶民の日常食品について和漢文で解説したものである。

 上記三件と同様、底本は国立国会図書館のデジタルコレクションの画像を視認して起こす。本文は漢文脈であるため、まず、原典との対照をし易くするために原文と一行字数を一致させた白文を示し(割注もこれに准じて一行字数を一致させてある。底本にある訓点は省略した)、次に連続した文で底本の訓点に従って訓読したものに、独自に読みや送り仮名を附したものを示し、その後にオリジナル注と現代語訳を附した。この際、私の訳注をまず完成させその上で島田勇雄氏の東洋文庫版と最終的に比較、島田氏のそれから私の誤認誤訳と認知出来た箇所に就いては逐一その旨を記載して補正し、私の正しいと信ずる見解と異なる箇所に就いては、概ね私の疑義を表明することとする。即ち、それ以外はあくまで私のオリジナルな注であり、オリジナルな訳であるということである。

 原典ではポイント落ち二行書きの割注は〔 〕で挟み、同ポイントで示した。なお、原典では原文の所で示したように、頭の見出しである「海鼠」のみが行頭から記されてあり、以下本文解説は総て一字下げである。異体字は原典のママとし、字体判断に迷ったものや正字に近い異体字は正字で採る(例えば、「鰕」とした字は、原典では多くが「叚」の右部分が「殳」である。しかしこれは表示出来ない字であるので、文意から間違いなく「鰕」(えび)と同義と判断して総て「鰕」に統一した)。

 訓読文では原典の一字下げは省略した。読み易くするために句読点・記号・濁点・字空けを適宜、施した。一部に独自に歴史仮名遣で読みや送り仮名を附してあるが、読解に五月蠅くなるので、特にその区別を示していない。なお、原典には振られている読み仮名は少ない。また、「今」(いま)に「マ」が、「狀」「貌」(かたち)などには「チ」が、「者」(もの)と読む字には「ノ」が送られてあるが、これらは送り仮名としては省略した。また、つまらぬ語注を減らすためにわざと確信犯で訓読みした箇所もあり、こうした恣意的な仕儀を経ている我流の訓読であるので、くれぐれも原典画像と対比しつつ、読者御自身の正しいと信ずる読み方でお読みになられることを強く望む(因みに、島田氏の東洋文庫版には原文・書き下し文は載らず、現代語訳と注のみである)。

 注の内、「本朝食鑑」全体の構成要素である「釋名」等の項立てや、五味についての語意については既に「博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載」で施しているのでそちらを参照されたい。また「本草綱目」を引用する場合は、概ね、国立国会図書館デジタルコレクションのそれを視認して原文を示したが、披見される際に読み易さを考えて句読点や記号などを打ってある。

 たまたま上記三篇は「海月」「海鼠」「老海鼠」の順に第十二巻に並んでいるものであるので、ここは一つ、ランダムに電子化注釈をすることをせず、「老海鼠」の前後を広げる形で電子化訳注を始めることとし、まずは「老海鼠」の直後の「海馬」からスタートする((その次は次の「雀魚」(ハコフグ)ではなく、「海月」の前の「烏賊」を予定している。何故かというと、私は海洋動物では脊椎動物の魚類よりも無脊椎動物を遙かに偏愛するからである。リンク先は国立国会図書館のデジタルコレクションの当該頁画像)。――いざ! 伴に行かん!――江戸の博物学の迷宮(ラビリンス)へ!……

 

海馬

 集觧狀有魚體其首似馬其身類蝦其背傴僂長

 三四寸雌者黄色雄者青色漁人不采之但於里

 網雜魚之内而得之若得之則賣藥肆以備産患

 爾凡臨産之家用雌雄包收于小錦嚢以預佩之

 謂易産今爲流俗流例此物性温煖有交感之義

 乎

 氣味甘温平無毒〔本朝未聞食之者〕主治李時珍曰暖水

 臓壯陽道消瘕塊治疔瘡腫毒故有海馬湯海馬

 拔毒散未試驗以

 

□やぶちゃんの訓読文

 

海馬

 集觧 狀(かたち)、魚體なれど、其の首、馬に似(に)、其の身、鰕に類す。其の背、傴僂(うろう)、長さ三、四寸。雌は黄色、雄は青色。漁人、之を采らず。但し、罜網(しゆまう)雜魚(ざこ)の内に於いて若(も)し之を得れば、則ち、藥肆(やくし)に賣りて、以つて産患(さんかん)に備ふのみ。凡そ臨産(りんさん)の家、雌雄を用ゐて、小錦嚢(しやうきんなう)に包み收め、以つて預(あづかし)め、之を佩(は)きて、易産と謂ふ。今、流俗・流例と爲(す)。此の物、性、温煖、交感の義、有るか。

 氣味 甘温(かんをん)、平。毒、無し。〔本朝、未だ之を食ふ者を聞かず。〕主治 李時珍が曰く、『水を暖め、臓、陽道を壯(そう)し、瘕塊(かくわい)を消し、疔瘡(ちやうさう)・腫毒を治す。故に海馬湯(かいばとう)・海馬拔毒散(かいばばつどくさん)、有り。』と。未だ驗(しるし)を試みず。

 

□やぶちゃん語注

・「海馬」「かいば」と音読みしている模様で、本書では「たつのおとしご」といった読みは出ないので注意されたい(但し、島田氏はそうルビを振ってはおられる)。言わずもがな乍ら、立派な魚類である、

トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus

で、本邦産種は、

タツノオトシゴ   Hippocampus coronatus

ハナタツ      Hippocampus sindonis

イバラタツ     Hippocampus histrix

サンゴタツ     Hippocampus japonicas

タカクラタツ    Hippocampus takakurai

オオウミウマ    Hippocampus keloggi

クロウミウマ    Hippocampus kuda

の七種を数えるが、最近、

ピグミーシーホース Hippocampus bargabanti

が小笠原や沖縄で確認され(私は個人的には本当は外来語には単語の切れ目に「ピグミー・シー・ホース」を入れたいアナログな人間であることをここに表明しておく。和名であればなおさらだと思う)、通称「ジャパニーズ・ピグミー・シーホース」(ここは通称なので入れた)なる未確認種もあるやに聞いている。分類方法はズバリ! Chano 氏のサイト「海馬」このページが学術的にも正しく分かり易くビジュアル面からも最良である(昔から好きなサイトだったが二〇〇九年で更新が停止しているのが淋しい)。また、私の作成した栗本丹洲「蛙変魚 海馬 草鞋蟲 海老蟲 ワレカラ 蠲 丸薬ムシ 水蚤(「栗氏千蟲譜」巻七及び巻八より)」の美事な画像もお薦めである。

・「狀、魚體にて有れど、其の首、馬に似、其の身、蝦に類す」私の敷衍訓読。底本には「にて」も「れど」も送られていないが、こう読まないと自然には読めない。幾つかの訓読を試みたが、これが私には最もしっくりきた。「似」の「に」の読みは右に打たれた「ニ」を読みと呼んだ。これを送り仮名として「似(にる)に」と読めないこともないが、それではやはり下と続きが悪い。

・「傴僂」は、背をかがめること。差別用語としての「せむし」の意もあるが、ここは本来の意味でよいであろう。

・「三、四寸」約一〇~一二センチメートル。

・「雌は黄色、雄は青色」は誤り。体色は種のみでなく、個体間でも変異が多い。雌雄の区別は腹部を見、直立した腹部の下方に尻ビレが現認出来、腹部全体が有意に膨らんでいるのがメスである。前掲サイト「海馬」の「オスとメスの見分け方」を参照。

・「罜網」当初、安易に「罜」を「里」と誤読して、地引網の類いかなどと想像したのであるが、島田氏の訳の『罟網(あみ)』で目から鱗であった(島田氏の底本は私の視認している版とは異なるものと思われ、明らかに国会図書館蔵本では「罜」である)。「罜」(音「シュ」)は小さな網のことである。寧ろ、大きな網ではなく、和船で曳く網のことであろう。

・「藥肆」「肆」は商店の意。漁師がそこに持ち込んだというより、そうした漢方薬を扱う薬種問屋の仕入れ商人が定期的に巡回していたものと私は推測する。

・「産患に備ふ」以下の「易産」、所謂、安産の御守りについて、かつて寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海馬」で述べた私の注を以下に引く。タツノオトシゴの♂が「出産する」ことは、現在、よく知られている。♂には腹部に育児嚢があり、♀は交尾時に輸卵管を♂の下腹部にあるこの育児嚢に挿入、その中に産卵する。♂がそれを保育し、約二週間ほどで、親と同じ形をした数十~数百匹の子供を♂がかなり苦しそうな動きをしながら「出産する」のである。幾つかの説が、このタツノオトシゴの生態から安産のお守りとなったという説を載せている。しかし、「和漢三才圖會 巻第四十七 介貝部」の「貝子」(タカラガイ)の項の注で述べたように、私はタツノオトシゴが胎児(若しくは妊婦の姿そのもの)と似ているからであろうと考えている。フレーザーの言うところの類感呪術の一つである。その生態としての♂の育児嚢からの出産から生まれた風習という説は、考えとしては誠に面白いが、古人がそこまでの観察と認識から用いたとは、残念ながら私には思えないのである。但し、それを全否定できない要素として、ここで雌雄をセットで御守としている点が挙げられはする。但し、これに対しても受卵前の雌雄若しくは個体(雌雄の判別のところで述べたが、受卵前の♂は腹部のラインがすっきりとスマート、逆に♀は有意に膨らんでいる。加えて受卵し保育する♂も有意に膨らむ)が丁度、出産の前と後とのミミクリーであるとの見解を私は持っている。……いや、その最初の発案者たる呪術師はもしかすると、水槽にタツノオトシゴを飼育し、その雌雄の生態(但し極めて高い確率で♂と♀を取り違えていたと思われるが)を仔細に観察していたのかも知れぬ。……しかし、何故に、彼若しくは彼女(巫女かも知れぬ)はタツノオトシゴを飼育していたのであろうか?……タツノオトシゴを見る巫女……何だか僕は Hippocampus なロマンを感じ始めたようだ。……

・「交感の義」次のまさに前注で私が述べた、「氣味」の『甘温、平。無毒』(これは「本草綱目」の引き写しである)という性質の類感的呪術効果ではないか? と人見は推理しているものと思われる。しかし、これは実は「本草綱目」に、海老と同じ効能であると、かく断定されてある。人見は自分が治験してみたことがない(末尾参照)のでかく言っているのであろう。

   *

發明時珍曰海馬雌雄成對,其性溫暖、有交感之義、故難及陽虛房中方術、多用之、如蛤蚧、郎君子之功也。蝦亦壯陽、性應同之。

   *

・「本朝、未だ之を食ふ者を聞かず」とあるが、「タツノオトシゴを捕獲して食す」に、『IT検索すると唐揚げしたり、あるいは卵を漁村ではご飯にかけて食べたり、中国ではかりかりに焼いて串に刺して売っていたりするそうです。揚げたものは所謂骨せんべいの味とのこと』とあり、実際に食べた味が語られてある。私は中国で料理に入っているものを食べた経験はあるものの、味は中華の濃い味付けで良く分からなかったが、恐らく美味いものであろうとは容易に想像出来る。

・「主治」以下の引用部は概略で、実際には「本草綱目」では「海馬湯」について、対象疾患と処方の具体が別々に以下のように細かく示されてある。

   *

附方〔新二。〕海馬湯治遠年虛實積聚癥塊。用海馬雌雄各一枚、木香一兩、大黃(炒)、白牽牛(炒)各二兩、巴豆四十九粒、青皮二兩(童子小便浸軟、包巴豆扎定、入小便再浸七日、取出麩炒黃色、去豆不用)、取皮同衆藥爲末。每服二錢、水一盞、煎三五沸、臨臥溫服。 「聖濟錄」海馬拔毒散治疔瘡發背惡瘡有奇効。用海馬(炙黃)一對、穿山甲(黃土炒)、朱砂、水銀各一錢、雄黃三錢、龍腦、麝香各少許爲末、入水銀研不見星。每以少許點之、一日一點、毒自出也。 「秘傳外科」

   *

・「陽道を壯し」先に引いた「本草綱目」の「發明」にはっきり『陽虛房中方術』と記す。男性用の媚薬である。

・「瘕塊」腹中に塊の出来る症状をいう。必ずしも癌とは限るまい。

・「疔瘡」口腔内に出来た黄色ブドウ球菌などによる皮膚感染症である口底蜂窩織炎(こうていほうかしきえん)のこと。蜂窩織炎の中でも性質(たち)が悪い劇症型に属する。これが口ではなく鼻や頰などに生じたものが「面疔(めんちょう)」である。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

海馬(かいば)

 集觧 形は、魚体であるが、その首は馬に似ており、その身は海老に類している。その背は著しく屈(かが)まった形をなし、長さは三、四寸。雌は黄色、雄は青色を呈する。漁師は、これを漁の対象としては獲らない。但し、引網の中の雑魚(ざこ)の類いの中に於いて、もしこの生き物を獲り得た時には、直ちに薬種問屋に売る。

 しかしこれは食うのでは勿論なく、以って難産の際の御守りとして商品化するばかりである。

 およそ出産を間近に控えた妊婦のいる家では、この海馬の雌雄を用いて、小さな錦の袋に包み収め、以ってこれを妊婦に持たせ、これをその腰に下げさせておくと、安産となると言う。今も、この民草の間での習俗は極めて一般的に市井に行われている。

 これはこの海馬の気味の性質が温暖であるからして、その交感の象徴性によって、体を温める効果が得られるからなのであろうか。

 気味 甘温(かんおん)、平。毒はない。〔但し、本朝に於いては、未だ、これを食べるということは聞いたことがない。〕主治 李時珍の曰く、『体内の水気を暖め、男性の陽気をいやさかに昂(たか)め、腹腔内に生じたしこりや腫れ物を消し、口に生じた重い疔瘡(ちょうそう)や腫物に由来する毒害を癒やす。ゆえに「海馬湯(かいばとう)」「海馬拔毒散(かいばばつどくさん)」と言った処方がある。』と。但し、私は、これらの処方及び海馬単品の服用による効果は、これ、いまだ試みてみたことはない。

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