LOUISE LABÉ Lyonnaise ソネット集(一五五五年) 堀辰雄訳
LOUISE LABÉ Lyonnaise ソネット集(一五五五年) 堀辰雄訳
[やぶちゃん注:先般電子化した堀辰雄満三十六歳当時の書簡体小説「十月」(昭和一八(一九四三)年一月から『婦人公論』に連載を始めた「大和路・信濃路」で「十月(一)」「十月(二)」と題して昭和一八(一九四三)年一月号に掲載され、後に「十月」と改題して、作品集「花あしび」(青磁社昭和二一(一九四六)年刊)に所収された)の最終章、
十月二十七日、琵琶湖にて
けさ奈良を立つて、ちよつと京都にたちより、往きあたりばつたりにはひつた或る古本屋で、リルケが「ぽるとがる文(ぶみ)」などと共に愛してゐた十六世紀のリヨンびとルイズ・ラベといふ薄倖の女詩人のかはいらしい詩集を見つけて、飛びあがるやうになつて喜んで、途中、そのなかで、
「ゆふべわが臥床(ふしど)に入りて、いましも甘き睡りに入らんとすれば、わが魂はわが身より君が方にとあくがれ出づ。しかるときは、われはわが胸に君を搔きいだきゐるがごとき心ちす、ひねもす心も切に戀ひわたりゐし君を。ああ、甘き睡りよ、われを欺(たばか)りてなりとも慰めよ。うつつにては君に逢ひがたきわれに、せめて戀ひしき幻をだにひと夜與へよ。」
といふ哀婉な一章などを拾ひ讀みしたりしつつ、午過ぎ、やつと近江(あふみ)の湖(うみ)にきた。
ここで、こんどの物語の結末――あの不しあはせな女がこの湖のほとりでむかしの男と再會する最後の場面――を考へてから、あすは東京に歸るつもりだ。
いま、ちよつと近所の小さな村を二つ三つ歩いてきてみた。どこの人家の垣根にも、茶の花がしろじろと咲いてゐた。これで、晝の月でもほのかに空に浮かんでゐたら滿點だが。――
に登場する、フランスの女性詩人ルイーズ・シャルラン・ペラン・ラベの堀辰雄による、彼女の二十四篇の「ソネット」から五篇を選んだ邦訳である。自身が述べているように(後掲)、概ね、リルケによるドイツ語訳が元となっている。引用は「第九歌」であるが、以下に見るように決定稿はかなり異なっている。
ルイーズ・シャルラン・ペラン・ラベ(Louise Charlin Perrin Labé 一五二五年~一五六六年)はモーリス・セーヴ(Maurice Scève 一五〇〇年頃~一五六四年頃)などと並び称せられるルネサンス期のリヨンで活動した代表的な詩人であり、「ラ・ベル・コルディエール」(La Belle Cordière 綱屋小町)と呼ばれた(以上はウィキの「ルイーズ・ラベ」とそのリンク先に拠った)。堀辰雄の筆に成る「リルケ年譜」には、『一九一四年 ミケランジェロの詩を譯す。又、十六世紀中葉のリヨンの閨秀詩人ルイズ・ラベの遺せる二十四篇のソネット(Die vierundzwanzig Sonette der Louïze Labé)を譯す。歐洲大戰勃起し、巴里を立退く。』とある(引用は青空文庫所蔵の当該作に拠った)。当時、リルケ三十九歳であった。
底本は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーの角川書店昭和二三(一九四八)年刊の「堀辰雄作品集 六 花を持てる女」所収の正字正仮名のものを視認した。標題「LOUISE LABÉ」の最後のアクサンテギュ(accent
aigu)は本文では手書き鉛筆が疑われる程に薄いが、ただ活字の「E」自体が微かに前の「E」よりも低くなって見え、何より目次にはしっかりアクサンテギュが附されてあるのでかくした。「Lyonnaise」はフランス語で「リヨンの」「リヨン人」の意。私の個人的なオードとして、各詩の後に仏語の Wikisource の Élégies et
Sonnets より当該歌の仏語原詩を添え置いた。
訳詩中の「アムウル」は愛の女神でキューピッド(仏語 Cupidon )のこと、「アドニス」はギリシア神話で女神アフロディテに愛された美少年、「ヴュルカン」はウルカヌス、英語読みでヴァルカン(Vulcan)はローマ神話に登場する火と鍛治の神であるが、後にギリシア神話の鍛冶神ヘパイストスと同一視される。ここで何故、彼らの名が登場して来るのかは神話に疎い私にはよくは分からぬが、ウィキの「ヘーパイストス」や「アドーニス」を読む限りでは、ヘパイストスはアフロディテの最初の夫であり、アフロディテが軍神アーレスと浮気をしていることを知ったヘパイストスが二人の密通現場を押さえるために密かに用意した「見えない網」で二人は裸で抱き合ったまま動けなくされてしまうというエピソード、さらにアドニスは嫉妬の末に猪に化けたこのアーレスによって殺害されている事実など、神々の宿命的な恋情による惹かれ合いという情痴の連関が強く関係している謂いではあるように私には思われる。識者の御教授を乞えると嬉しい。
なお、同底本には堀辰雄自身による「あとがき」があるがその末尾追記の中に、以下の記載を見出せる。
ソネット集の作者、ルイズ・ラベの名は、一たびリルケの「マルテの手記」をひもといたことがある人ならなつかしい名の一つであらう。十六世紀中葉、まだロンサアルなどさへ出て來ないまへの、リヨンの閨秀詩人。その詩業中、この二十四篇よりなるソネット集(一五五五年刊)が最もすぐれ、リルケの獨逸譯がある。そのことのフランス語の古語を殆ど解せない私は、これを譯すにあたつて、そのリルケの譯に據つたところが多かつた。又、このうちの第九歌だけ、英詩人ロバアト・ブリッヂスがサッポオ風に譯してゐるのを見たことがある。私が嘗つて「花あしび」の中に引用したのは、そのブリッヂスの譯をおもひ浮べながら、ふとそのをり口ずさんだものである。
ここで言う「花あしび」とは昭和二一(一九四六)年青磁社刊の作品集であるが、「花あしび」という作品があるのではなく、これは、これに所収されたまさに私が冒頭に引用した「十月」のコーダを指して言っているものと思われる(「花あしび」の所収作品は「樹下―序に代へて」・「十月」(「一」「二」)・「古墳」・「淨瑠璃寺の春」・「死者の書」及び後記)。この謂いには私は、辰雄にとってこの、敗戦直前に刷本まで辿りつきながら戦火の中で失い、しかし幸いにも焼亡を免れた紙型が残っていたため、それを元に戦後すぐ、刊行された作品集への強い偏愛が窺われる気がする(出版事情は株式会社朗文堂公式サイト「タイポグラフィ
つれづれ艸」の「花あしびによす」の記載に拠った)。【2015年5月5日 藪野直史記】]
LOUISE LABÉ
Lyonnaise
ソネット集(一五五五年)
第八歌
われは生き、われは死す。われは燃え、われは溺る。
われは熱火に耐へつつ、しかも氷のごとく冷ゆ。
人生は我にはあまりにも軟く、あまりにも硬し。
わが倦怠はつねに歡喜(よろこび)と雜(ま)じりあへり。
われは笑ふかと見れば、忽ちわれは泣く。
快樂のうちにも、われは苦惱の潛(ひそ)むを見出づ。
わが有てるものはすべて亡び易く、しかも失はれず。
われは忽ちにして枯れ、忽ちにして萌(も)ゆ。
かくのごとく、アムウルは絶ゆる間なくわれを捉ふ。
われ屢(しばしば)、堪へがたく苦しきことよと歎ずれば、
忽ちその苦しみ去つて、心なごむを知る。
されど、またわが幸福の完(まつた)くして、
いみじきかなと悦べば、それも束の間、
われは再び前(さき)の日の不幸に突き落さるるよ。
VIII
Ie vis,
ie meurs : ie me brule et me noye.
I’ay chaut
estreme en endurant froidure :
La vie
m’est et trop molle et trop dure.
I’ay
grans ennuis entremeslez de ioye :
Tout à
un coup ie ris et ie larmoye,
Et en
plaisir maint grief tourment i’endure :
Mon bien
s’en va, et à iamais il dure :
Tout en
un coup ie seiche et ie verdoye.
Ainsi
Amour inconstamment me meine :
Et quand
ie pense avoir plus de douleur,
Sans y
penser ie me treuue hors de peine.
Puis
quand ie croy ma ioye estre certeine,
Et estre
au haut de mon desiré heur,
Il me
remet en mon premier malheur.
第九歌
夜となりて、われ、柔かき臥床(ふしど)に入り、
いましも快き睡りに入らんとすれば、
わが悲しめる魂(たましひ)はわが身より
君が方にとあくがれ出づ。
しかるときは、われはわが胸に
君を搔(か)きいだきゐるがごとき心ちす。
日ねもす嗚咽(おえつ)に身を裂かれつつ、
心もせちに戀ひゐたりし君を。
ああ、甘き睡りよ、たへなる夜よ、
靜けさにみつる快き憇ひよ、
夜もすがらわれに夢をば見せしめよ。
さらば、わが哀(あはれ)にも戀ふる心に
眞實(まこと)なんのよきことはあらずとも、
せめて詐(たばか)られてなりと、君に慰められん。
IX
Tout
aussi tot que ie commence à prendre
Dens le
mol lit le repos désiré,
Mon
triste esprit hors de moy retiré
S’en va
vers toy incontinent se rendre.
Lors
m’est auis que dedens mon sein tendre
Ie tiens
le bien, ou i’ay tant aspiré,
Et pour
lequel i’ay si haut souspiré ;
Que de
sanglots ay souuent cuidé fendre.
Ô dous
sommeil, ô nuit à moy heureuse !
Plaisant
repos, plein de tranquilité,
Continuez
toutes les nuiz mon songe :
Et si
iamais ma poure ame amoureuse
Ne doit
auoir de bien en vérité.
Faites
au moins qu’elle en ait en mensonge.
第十三歌
ああ、若しわれにして、我をばかくも寠(やつ)れしめし、
かの人の胸に恍惚として抱かれてあるならば、
若しわれに殘されしこの世をかの人と
ともに生くることを妨げらるることなく、
しかも、彼、われを抱きつつ、 「戀びとよ、
われら固き契りをなして末を遂げん、
嵐にも、流れにも、はた空をとぶ鳥にだに、
仲を裂かるることなく」と我に誓ふならば、
また若し、我、木によづる蔦(つた)かづらのごとく、
わが腕にてかの人にからみ付けるを見、
死の怒りて、彼を見棄てよと我に迫り來らば、
この時こそ、彼、われにつねよりも優しき接吻(くちづけ)をやせむ、
われもまた、彼は脣の上にわが心のすべてを注がん。
よしやそのまま死するとも、生きてあらんよりは、うれしからまし。
XIII
Oh si
i’estois en ce beau sein rauie
De celui
là pour lequel vois mourant :
Si auec
lui viure le demeurant
De mes
cours iours ne m’empeschoit enuie,
Si
m’acollant me disoit, chere Amie,
Contentons
nous l’un l’autre, s’asseurant
Que ia
tempeste, Euripe, ne Courant
Ne nous
pourra desioindre en notre vie :
Si de
mes bras le tenant acollé,
Comme du
Lierre est l’arbre encercelé,
La mort
venoit, de mon aise enuieuse :
Lors que
souef il me baiseroit,
Et mon
esprit sur ses leures fuiroit,
Bien ie
mourrois, plus que viuante, heureuse.
第十四歌
わがまなこの涙いまだ涸(か)れずして、
君と過しし時をなほ惜しみうるかぎり、
又、わが聲の嗚咽(おえつ)にさからひて、
微(かす)かなりとも人に聽ゆるかぎり、
はた又、わが手のいまだ琴をとりて、
君がめでたさを歌ひうるかぎり、
又、わが心のひたすら君が方によりて、
君をのみ戀ふるすべあるかぎり、
われはつゆばかりも死なむと願はず。
されど、わがまなこにして既に涸(か)れ、
聲は潰(つひ)え、手は力なくならん折こそ、
又、わが心衰(おとろ)へて、うつそみの
戀人のあかしを見せがたくならん折こそ、
死よ、來りて、わが明るき日を暗くせよかし。
XIIII
Tant que
mes yeus pourront larmes espandre,
À leur
passé auec toy regretter ;
Et
qu’aus sanglots et soupirs resister
Pourra
ma voix, et un peu faire entendre :
Tant que
ma main pourra les cordes tendre
Du
mignart Lut, pour ces graces chanter :
Tant que
l’esprit se voudra contenter
De ne
vouloir rien fors que toy comprendre :
Ie ne
souhaitte encore point mourir.
Mais
quand mes yeus ie sentiray tarir,
Ma voix
cassee, et ma main impuissante,
Et mon
esprit en ce mortel seiour
Ne
pouuant plus montrer signe d’amante :
Priray
la mort noircir mon plus cler iour.
第二十四歌
女(をみな)らよ、われをな咎(とが)めそ。わが戀せしことを。
われとわが心を千たび焰(ほのほ)にて灼き、
千たび苦惱にてさいなみしことを。
はたまた、歎きつつのみ、わが日を過ごせしことを。
ああ、わが名をな咎めそ。われを打ち負かして、
かくも慘(みじ)めに地におし仆せしもの、かの
アムウルは、いまなほ、このあたりを去らざらん、
われにな寄りそ、おんみら、もし彼が目にとまらば、
み空(そら)なるアドニス、ヴュルカンらのたすけなくとも、
忽ちにして、アムウルはおんみらを捕へて、
その意のままに、戀の虜(とりこ)とやせむ。
しかも、おんみらは、我ほどの故(よし)なきに、
もの狂ほしく激しく戀する女(をみな)となり、
われにもまさりて、不幸なる身ともなりなん。
XXIIII
Ne
reprenez, Dames, si i’ay aymé :
Si i’ay
senti mile torches ardantes,
Mile
trauaus, mile douleurs mordantes :
Si en
pleurant i’ay mon temps consumé,
Las que
mon nom n’en soit par vous blamé.
Si i’ai
failli, les peines sont presentes.
N’aigrissez
point leurs pointes violentes :
Mais
estimez qu’Amour, à point nommé,
Sans
votre ardeur d’un Vulcan excuser,
Sans la
beauté d’Adonis acuser,
Pourra,
s’il veut, plus vous rendre amoureuses.
En ayant
moins que moy d’ocasion,
Et plus
d’estrange et forte passion.
Et
gardez vous d’estre plus malheureuses.
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