譚海 卷之一 寺をかへ宗旨を改る等の事
寺をかへ宗旨を改る等の事
○寺をかへ宗旨をかふるなどいふとき、寺へ言入るに、親類のものをもちて云入(いひいる)れば相濟(あひすむ)也。たとひ他人なりとも親類のよしをいふべし。親類ならでは承引せざる事寺の法也。
[やぶちゃん注:当時は幕府の宗門改や寺請制度といった檀家制度によって家単位での宗旨替えは原則上は認められていなかった(即ち、江戸時代は宗教団体による布教自体は表立っては認められていなかったことを意味する)。但し、個人が一代限りで別の宗派を信仰することはかなり自由に認められていたし、そもそもが国替えが行われた場合、新藩主の中には自身が許容し得ない宗派寺院を特定地域内にあることを認めなかったり、寺院の宗派や名称が変更になったりするケースがままあったし、特に日蓮宗(同宗派には幕府が特に禁教としたファンダメンタルな不受不布施派が知られる)は江戸中期以降にも活発な折伏や弘教を展開していたから、こうした宗旨替えを家単位で望むことも実際には結構あったものと私は考える。
「言入る」は「こといるる」と読むか。「言」は「ことわり」と読んだ方が分かりはよいが、そこまでは無理か。]