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2015/05/24

毛利梅園「梅園介譜」 海鼠(前掲分とは別図三種)

 
 Baien_namako21


黒海鼠
 〔クロナマコ〕

 

黃海鼠〔キナマコ〕

 乙未(きのとひつじ)八月晦日(みそか)、行德(ぎやうとく)魚商善が父、之れを持ち來たる。之れを求め、眞寫す。

 

Baien_namako22

海鼠〔一種 アカナマコ〕

 午十二月廿八日納め。眞寫し、筆(ひつ)す。 

 

[やぶちゃん注:梅園自筆の「介譜」の「海鼠」は一品を既に掲げてあるが、これは同冊に別に二丁連続(「27」・「28」コマ目)で出る図である。鮮度の高い活ナマコ三個体(現行の通称でクロナマコ(上図上方個体一つ)・アオナマコ(本図では「キナマコ」と呼称している上図下方個体一つ)・アカナマコ(下図/下方の個体の刎部の触手の色の全体の形から同一個体の腹部と背部を二様に描いたものと思われる。上部が管足のある腹側で下図が背側である)の身震いするほどの実感覚で迫った実体図である。ここでは最新の知見に基づき、この「クロナマコ」「アオナマコ」の前二種を、

棘皮動物門 Echinodermata ナマコ綱 Holothuroidea 楯手亜綱 Aspidochirotacea 楯手目 Aspidochirotida シカクナマコ科 Stichopodidae マナマコ属マナマコ Apostichopus armata 

とし、後者の「アカナマコ」を、

マナマコ属アカナマコ Apostichopus japonicas

と同定することにする。実は従来、流通では厳然と区別して販売されているこれらは、長い間、分類学上は全くの同種マナマコ Stichopus japonica の色彩変異体に過ぎないとされ、青色や緑色及び黒色を呈するものは一般には静かな内海の砂泥地に、赤色のものは外洋の砂礫帯や岩礁帯に多いなどと記載されてきたのであるが、実は近年、マナマコ Apostichopus japonicusSelenka, 1867)とされていた種類には、真のマナマコ Apostichopus armataSelenka, 1867)とアカナマコ Apostichopus japonicusSelenka, 1867)の二種類が含まれている事実が判明しており、Kanno et al.2003)により報告された遺伝的に異なる日本産 Apostichopus の二つの集団(古くから区別していた通称の「アカ」と、「アオ」及び「クロ」の二群)と一致することが分かっているからである(但し、この記載にも運用上の問題がある。詳しくは「本朝食鑑」の「海鼠」の私の注及びリンク先を参照されたい。リンク先の記載は現在の私の海鼠についての注では最新のものである。なお、正直、この図には、恍惚としてくるのだ! 離れて見て、実にリアルだ! 最大に拡大してもその質感や、超リアル! 特にアカナマコの管足の立体感を見よ! 紙のその奥で(!)あたかもそれらが蠢くのが見えるようではないか!!!

「乙未八月晦日」天保六(一八三五)年。同年の八月は大で八月三十日はグレゴリオ暦で十月二十一日である(この年は閏七月があった)。現在のナマコの流通では最も扱い量が少ないのが十月であるが、実際には海鼠に旬はなく(冬場は身が締まるし、産卵を控える冬から初春に肥えるとは言える)、寿命も五年から十年と、恐らくは想像されるよりもずっと長生きであるし、年中、棲息していて、年中、食える。ただ、夏場は転石下や砂泥中に潜り込んでおり、漁師もことさらに無理して捕ろうとはしないだけである。

「行德」現在の千葉県市川市の南部、江戸川放水路以南の地域名(江戸時代は船橋の一部まで含んだ)。ウィキの「行徳」によれば、『かつて行徳塩田と呼ばれる広大な塩田が広がっていたことで知られ』たが、『漁業も行徳の伝統産業である。江戸時代にはバカガイがたくさん獲れたことから、「馬鹿で人擦れがしている」という意味で「行徳の俎」という言葉が生まれ、夏目漱石の『吾輩は猫である』にも登場する』。『高度経済成長期には水質の汚濁や埋め立てによって漁獲量が激減したが、現在でも三番瀬において主に海苔の養殖とアサリ漁が行なわれている。ただし三番瀬埋め立て計画や第二東京湾岸道路建設計画があり、今なお行徳の漁業は存続の危機に立たされているといってもよい』とある。

「行德魚商善が父」梅園の他の図譜のクレジットにもこの行徳の魚屋が登場する。そこでは「善」とあるから、これは「魚善」(「うをよし」か「うをぜん」)というこの魚屋の屋号のように思われる。恐らくは親子で営んでおり、珍らしい海産動物などが揚がった時には、真っ先に好事の博物学者の許へ運んだのではなかったか? 珍奇なものであればあるほど、相応の対価を梅園は支払ったに違いないから、とびっきりのご贔屓筋だったはずである。これもその「魚善」の親父の方が、新鮮なクロ・アオの大物のナマコを生け捕ったことから、息子は行商に出て留守なればこそ、「こいつぁあ! イキのいいうちに梅園先生のとこへ持って行かにゃ!」と、飯台に海水を注いで、大事大事にナマコを入れると、すたこら自ら持って来た――なんて情景を想像すると、何だか私はすっかり楽しくなってしまうのである。

「午十二月廿八日納め」これは前年の天保五年甲午(きのえうま)の年も押し詰まった十二月二十八日(グレゴリオ暦では一八三六年一月二十五日)。この月はで大晦日は二日後の三十日。「納め」は筆納めで、これをその年の博物画の描き納めとしたということであろう。キャプションにはないが、私は、もしかするとやっぱり、かの「魚善」が正月用のお祝いにと、とびっきり活きのいいアカナマコを歳暮として持って来たものかも知れない――何てまた考えちゃうんである。]

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