毛利梅園「梅園魚譜」 シャチ
〔シヤチホコ〕
〔サカマツ〕
〔サカマタ〕
一名、十※七保哥(シヤチホコ)。大池。
一名、陀革埋紫。古座。
又の名、勿鹵篤摩伏(クロトンボ)、是れなり。
[やぶちゃん字注:「※」=(「羚」-「令」)+「食」。]
[やぶちゃん注:哺乳綱鯨偶蹄目マイルカ科シャチ亜科シャチ Orcinus
orca 。標題及び別名の漢字表記は単なる単漢字音を当てたもので、シャチには多様な呼び名があった。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑 5 哺乳類」の「シャチ」の記載によれば、和名シャチの由来は良く分からないとされつつも、『ただし狩りに幸運をもたらす霊の力を古く〈しゃち(幸(さち)の音が転じたものか)〉といったことからすると』、『海の猛獣として知られるこの動物を狩りの霊獣として崇めた尊称かもしれない』と述べられ、また、ここに出る「サカマタ」は「逆又」「逆戟」と漢字表記することから、『水面上に垂直に高く立った雄の背びれを戟』(げき:中国古代の武器で鉾(ほこ)の一種)『にみたてたもの』と断定しておられる。シャチは♂♀ともに特徴的な大きな背鰭を持つが、♀に比して体の大きい♂では最大二メートルにまで達する(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚譜」の保護期間満了画像)。
なお、鯱(しゃち)或いは鯱鉾(しゃちほこ)というのは、厳密にはこの実在するシャチが呼吸のために頭頂部にある噴気孔から水を激しく吹き上げるところから想像された架空の海獣で、頭は虎に似て背に鋭い棘を持ち、常に尾を反らせているとされる。その噴水の様子から防火の効があるとされたことから、古く、装飾をも兼ねて城郭などの大棟に配されてきた。正徳二(一七一二)年頃成立した「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「しやちほこ 魚虎」には以下のようにまことしやかに書かれてある(リンク先は私の電子テクスト。如何にもな魚型龍の図も必見)。
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しやちほこ
魚虎
イユイフウ
土奴魚 鱐(しゆく)【音、速。】
【俗に鱐の字を用ふるは、未だ詳らかならず。鱐、乃ち乾魚の字なり。】
【俗に奢知保古(しやちほこ)と云ふ。】
「本綱」に『魚虎、南海中に生ず。其の頭、虎のごとく、背の皮に猬[やぶちゃん注:「蝟」に同じ。はりねずみ。〕のごとくなる刺(とげ)有りて、人に着けば、蛇の咬むがごとし。亦、變じて虎と爲る者、有り。又、云ふ、大いさ、斗[やぶちゃん注:柄杓。]のごとく、身に刺有りて猬のごとし。能く化して豪豬(やまあらし)と爲(な)る。此れも亦、魚虎なり。』と。
△按ずるに、西南海に之れ有り。其の大なる者、六、七尺。形、畧ぼ老鰤(おいしぶり[やぶちゃん注:ブリは出世魚で最も大型のブリを指す。])のごとくして、肥えて、刺鬐(とげひれ)有り。其の刺、利(と)きこと、釼(つるぎ)のごとし。其の鱗、長くして、腹の下に翅(はね)有り。身、赤黑色、水を離(か)れば、則ち黄黑、白斑なり。齒有りて諸魚を食ふ。世に相傳へて曰く、『鯨は鰯及び小魚を食ふも、大魚を食はざるの約束有り。故に魚虎(しやち)は毎に鯨の口の傍らに在りて、之を守る。若し大魚を食はば、則ち乍(たちま)ち口に入り、鯨の舌の根を嚙(か)み斷(た)ち、鯨は斃(し)するに至る。故に鯨、之を畏る。諸魚、皆、然り。惟だ鱣(ふか)・鱘(かぢとをし[やぶちゃん注:カジキ。])、能く魚虎を制すのみ。如(も)し網に入らば、則ち忽ち囓み破りて出で去る。故に漁者、之を取る者、稀なり。初冬、汀邊(みぎは)に出づること有り。』と。蓋し猛魚なるを以つて虎の名を得のみ。猶ほ蟲に蠅虎(はいとりぐも)・蝎虎(やもり)の名有るがごとし。必ずしも變じて虎に爲(な)る者に非ず。【「本草」[やぶちゃん注:李時珍「本草綱目」。]に『變じて虎と爲る者有る』と云ふの「有」の字、以つて考ふべし。】鱣(ふか)・鱘(かぢとをし)・鯉(こひ)、龍門に逆(さ)か上(のぼ)りて竜に化すと云ふも亦、然り。
城樓の屋棟(やね)して、瓦に龍頭魚身の形を作り置く。之を魚虎(しやちほこ)と謂ふ【未だ其の據(きよ)を知らず。】。蓋し嗤吻(しふん)を殿脊(でんせき[やぶちゃん注:屋形の屋根。]に置き、以て火災を辟(さ)くと云ふは所以(ゆへ)有り【蚩吻(しふん)は龍の下に詳らかなり。】。[やぶちゃん注:「嗤吻」=「蚩吻」は、やはり大棟に附ける鴟尾(しび)のこと。龍の九匹の子供の内の酒飲みの龍で、古来、屋根を守ると信じられた。]
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なお、「鯱」は国字である。
「クロトンボ」「クロトンボウ」とも呼ばれるようである。「トンボ」は不詳乍ら、一つ、正面から見た際の鰭に依る十字型を蜻蛉に擬えたものではなかろうか?
「大池」全くのあてずっぽうであるが、三重県大王町船越の船越大池附近か?
「古座」紀伊半島の最南端、和歌山県東牟婁郡にあった古座町附近であろう。現在は西牟婁郡串本町と合併して新たに東牟婁郡串本町となっている。
「索革埋侘」「サカマタ」と読むと思われる。
「陀革埋紫」「タカマシ」と読むか? 「サカマツ」の音変化であろうか。]