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2015/05/22

「本朝食鑑」の「海鼠」に「華和異同」を追加

 

遅巻き乍ら、「本朝食鑑」には和漢の本草記載の違いを考察する「華和異同」という別項が各部の終りに附されていることに気づいたので、その本文に準じて追加することとした。まず「海鼠」から。但し、本文とダブる箇所が甚だ多いので注は最小限に留めてある。以下の他項目(「老海鼠」「海月」「烏賊」。「海馬」には「華和異同」がない)の追加分は既記事に追加する形のみ示す。

◆華和異同

□原文

  海鼠

崔禹錫食經曰海鼠似蛭而大者也李東垣食物本

草曰海生參東海海中其形如蠶色黒身多瘣※一

[やぶちゃん字注:「※」=「疒」の中に「畾」。]

種長五六寸表裏俱潔味極鮮美功擅補益殽品中

之最珍者也一種長二三寸者割開腹内多沙雖刮

剔難盡味亦差短今北人又有以驢皮及驢馬之陰

莖贋爲狀味雖略同形帯微扁者是也謝肇制五雜

俎曰海參遼東海濱有之一名海男子其状如男子

勢然淡菜之對也其性温補足敵人參故曰海參按

俱是爲今之海鼠者無疑東垣初言五六寸者今之

生海鼠乎後言二三寸者今武相江上多者乎東垣

能知二者有別謝氏亦能知其佳然不言其腸者爲

恨耳近有以土肉爲海鼠者此亦相似御覧臨海水

土物志曰土肉正黒如小児臂大長五寸中有腹無

口自有三十足如釵股大中食是郭璞江賦所言者

乎南産志有沙蠶土鑽是亦此類耶 

□やぶちゃんの書き下し文

  海鼠

崔禹錫が「食經」に曰く、『海鼠、蛭に似て大なる者なり』と。李東垣が「食物本草」に曰く、『海參は東海海中に生ず。其の形、蠶(かいこ)のごとし。色、黒く、身に瘣※(いぼ)多し[やぶちゃん字注:「※」=「疒」の中に「畾」。]。一種、長さ五、六寸、表裏俱に潔く、味はひ、極めて鮮美なり。功、補益を擅(ほしひまま)にす。殽品(かうひん)中の最も珍なる者なり。一種、長さ二、三寸の者は、割り開きて、腹内、沙、多くして、刮剔(くわつえき)すと雖も、盡き難く、味も亦、差(やゝ)短し。今、北人、又、驢(ろば)の皮及び驢馬の陰莖を以つて贋して狀(かたち)を爲すこと有り。味はひ、略(ほゞ)同じと雖も、形、微(いささ)か扁(へん)を帯ぶる者、是れなり。』と。謝肇制(しやてうせい)が「五雜俎」に曰く、『海參は遼東海濱に之れ有り、一名、海男子、其の状(かたち)、男子の勢のごとし。然も、淡菜の對(つゐ)なり。其の性、温補、人參に敵するに足れり。故に海參と曰ふ。』と。按ずるに、俱に是れ、今の海鼠と爲る者、疑ひ無し。東垣、初めに言ふ、五、六寸なる者は、今の生海鼠か。後に言ふ、二、三寸なる者は、今、武相江上に多き者なるか。東垣、能く二つの者の別有ることを知る。謝氏も亦、能く其の佳なることを知る。然れども其の腸(わた)を言はざる者(こと)を恨みと爲すのみ。近ごろ、土肉を以つて海鼠と爲(す)る者、有り。此れも亦、相ひ似たり。「御覧」に、『「臨海水土物志」に曰く、土肉は正黒、小児の臂(ひぢ)の大いさのごとし。長さ五寸、中に腹、有り。口、無し。自(おのづか)ら三十足有りて、釵股(さこ)の大いさのごとく、食に中(あ)つ。』と。是れ、郭璞が「江賦」に言ふ所の者か。「南産志」に沙蠶(ささん)・土鑽(どさん)有り。是れも亦、此の類か。

□やぶちゃん注

・『崔禹錫が「食經」』唐の本草学者崔禹錫撰になる食物本草書「崔禹錫食経」。現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測されている。順の「倭名類聚鈔」に多く引用されている。

・『東垣が「食物本草」』元の医家李東垣(りとうえん 一一八〇年~一二五一年:金元(きんげん)医学の四大家の一人。名は杲(こう)。幼時から医薬を好み、張元素(一一五一年~一二三四年)に師事し、その技術を総て得たが、富家であったため、医を職業とはせず、世人は危急以外は診て貰えず、「神医」と見做されていた。病因は外邪によるもののほかに、精神的な刺激・飲食の不摂生・生活の不規則・寒暖の不適などによる素因が内傷を引き起こすとする「内傷説」を唱えた。脾と胃を重視し、「脾胃を内傷すると、百病が生じる」との「脾胃論」を主張し、治療には脾胃を温補する方法を用いたので「温補(補土)派」とよばれた。後の朱震亨(しゅしんこう 一二八二年~一三五八年:「陽は余りがあり、陰は不足している」という立場に立ち、陰分の保養を重要視し、臨床治療では滋陰・降火の剤を用いることを主張し、「養陰(滋陰)派」と称される)と併せて「李朱医学」とも呼ばれる)の著(但し、出版は明代の一六一〇年)。但し、名を借りた後代の別人の偽作とする説もある。

・「刮剔」掻き抉り取ること。

・『謝肇制が「五雜俎」』謝肇淛「五雜組」が正しく、「せい」は「せつ」とも読む。明末の文人官人であった謝肇淛(一五六七年~一六二四年)の随筆集。全十六巻。天・地・人・物・事の五部に分けて古今の文献や実地見聞などに基づいた豊富な話題を、柔軟な批評眼で取り上げている。特に民俗に関するものには興味深いデータが多く、本邦でも江戸時代に広く愛読されて一種の百科全書的なものとして利用された。謝は有能な行政官でもあり、多才な詩人でもあった。「五雑組」とは五色の糸で撚(よ)った巧みな美しい組み紐の意である(以上は主に平凡社「世界大百科事典」に拠った)。

・「勢」陰茎。

・「淡菜」斧足綱翼形亜綱イガイ目イガイ科イガイ Mytilus coruscus 。女性の会陰に酷似していることで知られる。古来、海鼠を東海男子と別称したのに対し、胎貝(いがい)は東海夫人と呼称された。私の毛利梅園「梅園介譜」 東海夫人(イガイ)武蔵石寿「目八譜」東開婦人ホヤ粘着ノモノの図を参照されたい。

・「東垣、初めに言ふ、五、六寸なる者は、今の生海鼠か。後に言ふ、二、三寸なる者は、今、武相江上に多き者なるか」人見は海鼠をその大きさで別種と判断していることが見てとれる。無論、これらはマナマコ Apostichopus armata 或いはアカナマコ Apostichopus japonicas であって別種ではない。

・「御覧」「太平御覧」宋の類書(百科事典)。李昉(りぼう)ら十三名の手に成り、全千巻に及ぶ。太祖の勅命により六年を費やして太平興国八(九八三)年に成った宋代の代表的類書である。内容は天・時序・地・皇王に始まる五十五部門に分類され、各部門がさらに小項目に分けられて各項目に関連する事項が古典から抜粋収録されている。

・「臨海水土物志」「臨海水土異物志」。三国時代の呉の武将沈瑩(しんえい ?~二八〇年)の書いた浙江臨海郡の地誌。世界最古の台湾(原典では「夷州」)の歴史・社会・住民状況を記載するという(但し、この比定には異議を示す見解もあるようである)。

・「釵股」刺股/指叉(さすまた)。U字形の鉄金具に二~三メートルの柄をつけた金具で相手の喉・腕などを塀や地面に押しつけて捕らえる警棒。先端金具の両端及びその下部の柄の付根附近には棘(返し)が出ており、それらが黒色で、そうした先頭部が如何にも海鼠然としている。U字部分は或いは口辺部の触手をイメージして似ていると言っているもので、ここは柄を外した先端の金具部分をのみ想起すべきところである。

・「南産志」「閩書(びんしょ)南産志」。南北朝時代の南朝の宋の官僚で文人の沈懐遠(しんかいえん)が広州に流罪となった際の見聞になる地誌で、現在のベトナム北部の地誌である「南越志」と並ぶ彼の著作。

・「土肉」ナマコと同義。大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海鼠」の私の注を参照のこと。

・「沙蠶(ささん)」は漢籍ではゴカイ一般を指す。

・「土鑽(どさん)」同じくゴカイの仲間か、或いは、環形動物の一種と思われる。海底或いは潮間帯の泥土に穴を穿って住むの謂いだからね。  

 

□やぶちゃん現代語訳

  海鼠

 崔禹錫(さいうしゃく)の「食経(しょくけい)」に曰く、『海鼠は蛭(ひる)に似て大きなものである』と。李東垣(りとうえん)の「食物本草」に曰く、『海参は東海の海中に棲息する。その形は、蠶(かいこ)のようである。色は黒く、体中に疣(イボ)が多くある。一種に、長さが五、六寸で、表裏ともに砂泥等を附着しない至って清澄なものがおり、その味わいは、極めてすっきりとして美味い。その効用としては、自由自在に補益を促す。酒の肴の中では最も珍味なるものである。一種に、長さ二、三寸の者があるが、これは身を立ち割って開いてみると、腹中に多量の砂を含んでいて、どんなにそぎ落とし、抉り出してみても、身のあらゆる部分に砂が入り込んでいて取り尽くすことが難しく、味もまた、やや劣る。現在、内陸の北方の人々は、また、驢馬の皮及び驢馬の陰茎を用いて、贋物(にせもの)を作り、干した海鼠そっくりの形状に真似ることがある。味わいはほぼ同じであっても、形がいささか偏平に見える干し海鼠は、この贋物である。』と。謝肇制(しゃちょうせい)の「五雑俎」に曰く、『海参は遼東地方の海浜に棲息しており、一名、海男子と称し、その形状はまさに男性の陰茎にそっくりである。まさに女性の会陰と酷似する淡菜と一対をなすものである。その性質は温補で、漢方に於ける妙薬たる朝鮮人参に匹敵する効果を十分に保持している。ゆえに「海参」と称する。』と。按ずるに、「食経」「五雑俎」の記載はともにこれ、現在の海鼠とするものと考えて間違いない。「食物本草」の最初の部分で東垣が言っている五、六寸のものというのは現在の一般的な海鼠であろうか? また、その直後に記すところの二、三寸なるものという有意に小さなものは、現在、武州や相州の入り江に多く産する別種の海鼠を指すものであろうか? 東垣は、よく、この酷似した二つの種が別種であるということを認識している。謝氏もまたよく、海鼠の美味であることを認識している。しかれども、彼ら二人が、文字通り肝心の、その珍味なるところの腸(はらわた)について、一切言及していない点、これ、甚だ遺憾と言わざるを得ない。なお、近頃、「土肉」を以って「海鼠」であると記すことがある。これもまた、相い似たものである。「太平御覧」に、『「臨海水土物志」に曰く、土肉は真っ黒で、小児の臂(ひじ)ぐらいの太さを呈するものである。長さは五寸、体内に腹部が存在する。しかし口はない。体部から生えた三十本の足があって、まさに刺股(さすまた)の先端の金具ほどの大きさであって、食用に当てる。』と、ある。これはかの郭璞の「江賦」に詠まれたところの海鼠の仲間なのではなかろうか? 「閩書南山志」に「沙蠶(ささん)」・「土鑽(どさん)」という記載がある。これもまた、やはり海鼠の仲間なのではなかろうか?

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