毛利梅園「梅園介譜」 東海夫人(イガイ)
「閩書」(びんしよ)曰く、
淡菜(いがい)〔一名〕殻菜〔浙人、呼ぶ所。〕
「異魚圖讚」
東海夫人 海※〔音、階〕
[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+(「陛」-「阝」)。]
胎介(いがひ)〔「延喜式」胎貝鮨あり。〕
い貝 毛貝〔北国。〕
いの貝
瀬戸貝 〔藝州〕
ひめ貝
うみをんな
「和名抄」
胎貝〔いかい。〕
「爾雅(じが)」云く、
胎貝〔一名〕黒貝
○淡菜の真肉、婦人の陰戸(ほと)に
能く似たり。故に海夫人(うみをんな)と云ふ。
海鼠(なまこ)の海男(うみをとこ)と云ふと一對。天
地の男女(なんによ)をかたどる異品
なり。
[やぶちゃん注:斧足綱翼形亜綱イガイ目イガイ科イガイ Mytilus coruscus 。属名“Mytilus”(ミティルス)は同属のヨーロッパ産のムール貝(ムラサキイガイ Mytilus galloprovincialis )を意味するギリシャ語“mitylos”に由来。因みに英語の“mussel”はギリシャ語の鼠を意味する“mys”を語源とする。参照した荒俣宏氏の「世界大博物図鑑 別巻2 水棲無脊椎動物」の「イガイ」の記載によれば、『殻の形や色が鼠を思わせるためか』とある(なお、“mussel”はイガイ科Mytilidae の(ムラサキ)イガイ類を指す以外に、別にイシガイ科 Unionidae の淡水産二枚貝の総称でもあるので注意が必要。私の「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十三章 アイヌ 8 札幌にて(Ⅴ)」を参照されたい)。なお、クレジットがこの後には見当たらないが、筆の墨の濃さの同一性と、附記の位置から、上の「蟶」(アゲマキ)の図と附記とともに書かれた可能性が高い。とすれば、この図は、
丙申四月六日眞寫
で天保七(一八三六)年の写図である。なお、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 淡菜(イガイ)」及び私の注も参照されたい(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの自筆本「梅園介譜」の保護期間満了画像をトリミングしたもの)。
「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。
「淡菜」淡白なおかずの謂いであろう。こういう字が当てられていること自体、後掲されるように本種が「延喜式」にさえ載る如く、古くから広く食用に供されていたことを示す証左である。
「浙」現在の華東地区中部に位置する東シナ海に面した浙江省。
「異魚圖讚」これは明の楊慎の撰になる「異魚図賛」(四巻)のことと思われる。
「東海夫人」梅園の美事な図を見てもそこはかとなく伝わると存ずるが、イガイは外套膜から殼頂附近で多くの足糸を出して自分の体を岩などへ固定するが、これが陰毛に似ており、また衰弱個体が貝を開いて外套膜や肌色の内臓を覗かせたりした全体の状態が人の女性生殖器によく似ていることからかく呼んだ(実際によく似ていると私も思う。初めて見たのは高校二年の遠足で行った石川県の松島水族館の小さな貝類標本室であった。無論、その時の私は比喩対象されるその元を見知ってはいなかったが、「ニタリガイ」と手書きの解説が附されていて、誰も見に来ないその部屋でドキドキしながら観察したのでよ~く覚えているのである)。本邦でも「ニタリ」「ニタリガイ」「ヒメガイ」「オマンコガイ」「オメコガイ」「ボボガイ」「ソックリガイ」「ツボ」「ヨシワラガイ」などの超弩級に猥褻な異名を多数持つ貝である。
「瀬戸貝」当初は猥雑なる私は「瀬戸」は「火登(ほと)」や「開/窄(つび)」同様、女性器の隠語と思い込んでいたのだが、どうも単に瀬戸内海で多く獲れたことによるものらしい。
「藝州」安芸国。
「爾雅」中国最古の辞書。三巻。経書(けいしょ)類、特に「詩経」の訓詁解釈の古典用語を収集整理したもので紀元前二世紀頃に成立した一種の類義語字典。現存するものは「釈詁」「釈言」「釈訓」など十九編に分類されてある。儒教の基本的古典とされる十三経の一つ。]
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