日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十九章 一八八二年の日本 市井の人々の優しさ
六月十日。私の子供達が行きつけた呉服屋その他の場所で、私は即座に認識され、オ バア サン、ジョン サン、エディ サンはどうしているかと尋ねられた。以前私の車夫をしていたタツが、彼の小さい娘を連れて私を訪問し、次の日には彼の神さんが、タツからの贈物である所の、菓子の一箱を持ってやって来た。
[やぶちゃん注:明治一五(一八八二)年六月十日。
「オ バア サン」原文“O baa san”。妻のエレン(Ellen “Nellie” Elizabeth(一八三七年十二月三十一日~一九一一年五月二十一日)彼らの結婚は一八六三年。旧姓はOwen)のこと。四十二歳は当時の日本では「お婆さん」と呼んでなんら不思議でない年齢である。因みに当時、モース(一八三八年六月十八日~一九二五年十二月二十日)は四十三歳。
「ジョン サン」長男John(一八七〇年八月二日~一九五一年)。因みに彼はウィキの「エドワード・S・モース」によれば、後に『保険検査などの火災統計の調査官にな』ったとあり、磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によれば、一八九八年に結婚している。
「エディ サン」長女Edith(一八六四年十二月九日~一九六二年二月十八日)。因みに彼女はウィキの「エドワード・S・モース」によれば、一八九九年に『ストーン・アンド・エイディス社の重役で、富豪として著名だったラッセル・ローブ』と結婚しているとある。
以下の段との間にも前と同じ有意な一行空けが施されてある。原典も同じ。日付から始まる日記からの完全引用のスタイルであろう。]