譚海 卷之一 攝州多田にて溺死の者蘇生さする法の事
攝州多田にて溺死の者蘇生さする法の事
○攝州多田にて溺死の人を治(じ)せし事。先(まづ)死人を女牛(めうし)の背にうつぶけにくゝり付(つけ)、牛のしりをたゝけば牛おどりありく、その度ごとに死人のはらをおさるゝ故、口鼻より水を出す也。さてよく水を出し置(おき)てのち、牛の背よりとき卸(おろ)し、死人をわらの次の上に寢させ、前後よりわらをたきてあたゝむれば、息をふきかへす。氣付(きつけ)の藥などあたへ、粥抔すゝめ療治せしに、しばらくして蘇生せしとぞ。
[やぶちゃん注:思うに、これは実際には溺れて多量の水を飲む前に心臓麻痺を起して一時的に心肺停止状態になった者を、暴れる牝牛の背に乗せ、そこで与えた衝撃が心肺機能を回復させたように見える。即ち、ロディオが一種のAED(自動体外式除細動器:Automated External Defibrillator)の役割をしたのではなかったか。因みに、多くの溺死は実際には心臓麻痺によるものではなく、耳管に流れ込んだ水の圧によって耳の三半規管を取り囲む錐体骨が骨折し、その錐体内出血によって平衡感覚が喪失した結果、遊泳不能となって溺れることが知られている。そこでは必ず耳からの出血が見られる。
「攝州多田」摂津国多田庄。旧兵庫県川辺郡多田村で、現在の川西市の中部多田地区。]