毛利梅園「梅園介譜」 ダンベイキサゴ
天保八丁酉(ひのととり)年孟春
四月 筆始め 眞寫
[やぶちゃん注:腹足綱 Gastropoda 古腹足目 Vetigastropoda ニシキウズガイ上科 Trochoidea ニシキウズガイ科 Trochidae キサゴ亜科 Umboniinae の数種四個体(全五個体が描かれているものの、最下部の二図は同一個体の表(殻頂側)と裏(臍孔側)である)。最上部の一個体と最下部の二種は縫合下の放射短彩から標題通りのサラサキサゴ属 Umbonium ダンベイキサゴ(団平喜佐古) Umbonium giganteum のように思われるが、間にあるやや橙色を帯びた個体と黒い個体は、同じサラサキサゴ属 Umbonium のキサゴ Umbonium costatum 或いはイボキサゴ Umbonium
moniliferum である可能性が高いかも知れない。ダンベイキサゴと合後の二種は微細に見た際、ダンベイキサゴには渦巻き状の細かな螺溝(巨視的な太い螺肋ではない)が全く見られないのに対し、後者二種ではくっきりと細かに入っていることで容易に識別出来るのであるが、本図ではそこまでは識別出来ない。吉良図鑑(昭和三四(一九五九)年保育社刊吉良哲明「原色日本貝類図鑑」改訂版)では、このキサゴとイボキサゴの二種は殻の形状上は未だ明瞭な区別がなされていないとあり、以下の吉良先生による観察記録が示されてある。
《引用開始》(コンマを読点に代えた)
a.キサゴは長径35mm.以上に大成するが、イボキサゴは20mm.以下を普通とする。
b.キサゴはその棲息深度はやや深く外洋性である。イボキサゴは棲息深度が甚だ浅く内湾性である。
c.キサゴは図に示せる如く臍域は狭く、イボキサゴは広く約2倍に拡がる。
d.キサゴはその色斑紋が殆ど一定して単に濃淡差あるのみであるが、イボキサゴは斑紋に多くの変化あり且つ地色も赤褐色から藍黒色まで雑多である。
《引用終了》
最後の「d」から考えると、この間の二個体はイボキサゴ Umbonium moniliferum である可能性が高いとも言えるように思われる。以下、ウィキの「ダンベイキサゴ」から引く(下線部やぶちゃん)。『本州・四国・九州の沿岸砂底に生息し、食用に漁獲もされている。漁獲地近辺ではナガラミ、キシャゴなど多くの地方名がある』。成貝は殻幅四〇ミリメートルほどで『キサゴより大きく、日本産キサゴ類では最大種である。貝殻は中央部が低く盛り上がった饅頭形をしている。外側に細い螺溝があるが、上面は溝などがなくツルツルしていて光沢がある』。『殻の色は青灰色で、縫合(巻きの繋ぎ目)に沿って藍色斑が並ぶパターンが多く、キサゴやイボキサゴに比べると個体変異が少ない。殻底には他のキサゴ類と同様に滑層が広がるが、キサゴやイボキサゴは赤い部分が多いのに対し、本種では灰色や白の部分が多い』。『男鹿半島・鹿島灘から九州南部までの沿岸に分布する。外洋に面した砂浜に生息するが、キサゴやイボキサゴが波打ち際からいるのに対し、本種はやや沖合いの』水深五~三〇メートルほどの『砂底に多い。半ば砂に埋まりながらブルドーザーのように砂底を這い、デトリタスや藻類などを濾過摂食する。休息する時は殻が隠れる程度に砂に潜る。人間以外の敵はガザミなどのカニ類がいる』。『分布域では九十九里浜・相模湾・駿河湾・浜名湖など各地で食用に漁獲され、市場にも流通する。漁獲期は初夏で、軽く茹でてショウガ醤油に浸すなどの料理がある。酒肴や副菜などに用いられる』。なお、「キサゴ」(キシャゴとも呼ぶ)という名は、谷川健一「列島縦断地名逍遥」(冨山房インターナショナル二〇一〇年刊)に『愛媛県には宇和島市戸島や南宇和島郡西海町鹿島の海岸に美砂子(びしゃご)という地名がみられる。キサゴをサゴ、シャゴともいうから、美砂子は、漢字表記した砂子(しゃご)の美称というふうに解釈することができるかもしれない』という説を私は支持する。また、「ダンベイキサゴ」の「だんべい」というのは和船の一種である団平船(だんべいぶね:幅が広く、底を平たく頑丈に作った船で石・材木・石炭・土砂などの重量物の近距離輸送に用いた。)のことで、本種の底(裏・臍孔側)が巻貝としては有意に平たく、しかもキサゴ類の中での特異的に大きくがっちりしていることに由来するものであろう。なお、クレジットは前の「ホヤ」と共有である(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園介譜」の保護期間満了画像をトリミングしたもの)。
「たんべい」底本ではご覧の通り、「タンベイ」とあって「タ」に濁点はない。
「朝㒵貝」この別名の「アサガオガイ」は、現在は青紫色の美しい、カツオノエボシを捕食する異例の浮遊性貝である腹足綱前鰓亜綱翼舌目アサガオガイ超科アサガオガイ科アサガオガイ属アサガオガイ Janthina janthina に与えられてあるので注意されたい。
「天保八丁酉」西暦一八三七年。
「孟春」「孟」は初めの意で春の初め、初春。]
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