毛利梅園「梅園介譜」 海鼠 / マナマコ
「雨航雜錄」に曰く、沙噀〔なまこ〕。
「和名抄」及び崔禹錫「食經」に曰く、海鼠〔なまこ〕。
海參(いりこ)を以つて「奈萬古(なまこ)」と訓ずは、非なり。海參は、和俗、「金古(きんこ)」と云ひ、奥刕金華山の産、上佳と爲(す)。「海參」は乾したる者を云ひ、「串子(くしこ)」とも云ふ。人參に敵するに足れり。故に「海參」と云ふ。一名、「海男子」。
壬辰(みづのえたつ)閏十一月十七日眞寫
[やぶちゃん注:本文通りの字下げはブラウザの不具合のもとになるので、一部を引き上げてある。緑青色を呈した棘皮動物門ナマコ綱楯手亜綱楯手目シカクナマコ科マナマコ Stichopus japonica 。詳しくは「本朝食鑑」の「海鼠」の私の注(現在、私の海鼠についての注では最新のものである)などを参照されたい。以下は、気になる箇所のみの注とする(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの梅園自筆の方の「介譜」の保護期間満了画像であるが、左上部にあるのは、この図の上にある「蝦」(テナガエビ)の書写クレジットであるので無視されたい)。
「雨航雜錄」明代後期の文人馮時可(ひょうじか)が撰した雑文集。魚類の漢名典拠としてよく用いられる。四庫全書に含まれている。
「和名抄……」画像をご覧になれば分かるが、原典では「食經」が「食徑」である。これは全くの誤字なので訓読では訂した。源順(みなもとのしたごう)の字書「和名類聚抄」に(「国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認)、
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崔禹錫食經云海鼠〔和名古本朝式加 字云伊里古〕似蛭而大者也
(崔禹錫が「食經」に云く、『海鼠。』〔和名、『古』。「本朝式」に「 」の字を加へて『伊里古』と云ふ〕。蛭に似て大なる者なり。)
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とある。因みにこれによれば、本来のナマコの和名古名は文字通り「古(こ)」であって、「延喜式」には後述する煮干して調製した製品をこれに「 「熬」(いる)の異体字)の字を加えて「伊里古(いりこ)」と称する、というのである。寧ろ、この「いりこ」(熬った古)に対して生じた謂いが「なまこ」(生の古)であり、その「古」の腸(わた)が「古(こ)の腸(わた)」なのであろう(これは国語学者の島田勇雄氏も「本朝食鑑」東洋文庫版の「海鼠」の注で推定しておられる)。
「金古」樹手目キンコ科キンコ Cucumaria frondosa var. japonica 。詳細は私の芝蘭堂大槻玄澤(磐水)「仙臺 きんこの記」を参照されたい。ここで梅園が中国の本草書の「海參」はマナマコ及びその仲間では断じてなく、このキンコのことを指すのだ、と限定して言っているところが、他の博物書の海鼠記載と比して特異点である。面白い。面白いが、これは残念ながら正しくはない。
「海男子」言わずもがな、形状を男根に比した大陸伝来の別名。
「壬辰閏十一月十七日」天保三年。西暦では一八三三年一月七日。]