本朝食鑑 鱗介部之三 烏賊魚
烏賊魚〔訓伊加〕
釋名烏鰂〔源順曰烏賊並從魚作鰞※※亦作鰂
[やぶちゃん字注:「※」=「魚」+「賊」。]
時珍曰羅願爾雅翼云九月寒烏入水
化爲此魚有文黒可爲法則故名烏鰂鰂者則也
蘓頌曰南越志云其性嗜烏毎自浮水上飛烏見
之以爲死而啄之乃卷取入水而食之因名烏賊
言爲烏之賊害也或曰此魚水中逐小魚小魚疾
走不能捕之乍出腹中之黒汁令水溷黒則
小魚昏迷不動因食之故曰烏賊諸説未詳
集觧江海處處毎采之自春二三月至秋七八月
最多冬月亦有矣形如小嚢口在腹下足上眼在
口上八足聚繞口之旁其八足交腿之中閒有白
皮包雙黒骨如菱實之小或似小烏小鳶故俗號
鳶烏略與章魚同有白鬚長過尺全體俱着淡黒
薄皮皮上有斑肉白如銀味甚淡美背上有一甲
骨狀如児戯之小舟又似若葉外如鮫皮之白沙
内似刮燒塩之塊重重有紋即是海螵蛸也烏賊
腹有黒汁而如墨淋古人所謂烏賊之血味亦美
也常噀腹墨令水溷黒自衛以防人害然漁人識
而網采漁童尖利竹梢自岸上窺而刺之又鰂好
食小鯷及蛤蝦故作餌而釣之一種有泥障烏賊
者腹背如障泥比常之烏賊則稍廣大而肉軟味
亦勝美
肉氣味甘鹹平無毒主治益胃補肝通婦人月經
療小児雀目今俗所謂性温動熱患諸瘡之人固
禁不食是有所試歟有所據歟未詳若謂動風氣
則呉瑞日用之説也
骨〔即海鰾蛸也俗曰烏賊甲〕氣味鹹微温無毒〔惡白及白歛附子能淡鹽伏磠
縮銀〕主治癨痢聾癭少腹痛眼翳流涙前陰痛腫五
淋小児疳疾婦人肝傷不足血枯血瘕經閉崩帯
令人有子
發明李時珍詳論之謂厥陰血分藥也其味鹹而
走血則厥陰經病竅病無不治之復治肝傷血枯
月事衰少不來等症也予徃年製此方治婦人經
閉海鰾蛸去甲五錢茜草連根一莖細末以雀卵
汁丸小豆大毎五丸以干鮏魚煎汁送下甚得奇
驗本方有鮑魚是未知何之乾魚故以干鮏代之
干鮏性微温能調血本朝自古用婦人血症也詳
見鮏魚條下
附方熱眼赤翳〔攀睛貫瞳及風熱攻眼或血風或流涙不止用烏賊骨黄連黄栢雀
白屎各等分辰砂減半龍脳少計細末和乳汁以鷹羽入眼則癒甚妙〕眼胞生瘡〔烏賊
骨粉黄栢末各等分和以楊梅皮煎汁而點之〕婦人血崩〔海鰾蛸末鹽湯下〕湯火
瘡傷〔烏鰂骨粉爲細末用生薯蕷研碎作粘同和勻傅之〕停耳出膿〔海鰾蛸半錢麝
香一字爲末以蘆管吹入耳中〕趺撲出血〔及金傷血不止用烏賊骨末傅之〕
鯣〔訓須留女〕釋名字書音湯赤鱺也又音亦鱺也然本朝爲乾烏賊者久矣假用者乎宋大
明曰乾者鯗呉瑞曰鹽乾者名明鯗淡乾者名脯
鯗鯗音想乾魚之惣稱也按此鯗者乾烏賊而與
今之鯣同者乎
集觧鯣者用太刀烏賊其腹背狀細長故名之乎
或號筒烏賊此亦據形名之若用尋常之烏賊則
乾肉薄枯色黒味亦短焉太刀者乾肉厚肥色黄
白微赤軟脆而味尚美矣大抵太刀宜乾亦宜鮮
常之烏賊宜鮮不宜乾也古者混稱烏賊延喜式
神祇民部主計等部有若狹丹後隠岐豊後貢烏
賊者是皆今之鯣也近世以自肥之五嶋來爲上
品丹後但馬伊豫次之古來用賀祝之饗膳今亦
然矣源順曳崔氏食經曰小蛸魚訓須留女此亦
同種乎
氣味甘温無毒〔以曝日爲温〕主治患噎膈之人食之則
寛膈進食或強筋骨也
雛烏賊〔訓比伊加〕是烏賊之子也有黒白二種黒者常
之烏賊子白者泥障之子也狀與烏賊同但背骨
細小如芒刺今作羹食其味最美和黒汁及醬而
煮呼號黒煮凡雛多食則動蟲積令人惡心一種
身細小而長如竹管號尺八烏賊是瑣管歟猴染
亦小烏賊歟俱南産志載之
□やぶちゃんの訓読文(「泥障烏賊(あおりいか)」とあるのは原文の読み表記のママである。別な読みのない箇所で示したように歴史的仮名遣では「あふりいか」が正しい。)
烏賊魚〔伊加(いか)と訓ず。〕
釋名 烏鰂(うそく)〔源順(みなものとしたがふ)が曰く、『烏賊、並びに魚により、鰞※(うぞく)に作る。※も亦、鰂に作る。』と[やぶちゃん字注:「※」=「魚」+「賊」。]。時珍が曰く、『羅願が「爾雅翼」に云く、九月、寒烏、水に入りて化して此の魚と爲る。文(もん)、黒きこと、法則を爲すべく有りて、故に烏鰂と名づく。鰂は則なり。』と。蘓頌(そしよう)が曰く、『「南越志」に云く、其の性、烏を嗜(この)む。毎(つね)に自(おのづか)ら水上に浮きて、飛烏(ひう)、之を見て以つて死すると爲(し)て之を啄む。乃ち、卷き取りて水に入れて之を食ふ。因りて烏賊と名づく。言ふ心は烏の賊害たるなり。』と。或いは曰く、『此の魚、水中、小魚を逐ふ。小魚、疾(と)く走りて之を捕ふること能はず。乍(すなは)ち、腹中の黒汁を出して、水をして溷黒(こんこく)せしむ。則ち、小魚、昏迷して動かず。因りて之を食ふ。故に烏賊と曰ふ。』と。諸説、未だ詳らかならず。
集觧 江海處處毎(ごと)に之を采る。春二・三月より秋七・八月に至るまで、最も多し。冬月も亦、有り。
形、小嚢(こぶくろ)のごとく、口は腹の下・足の上に在り、眼は口の上に在り、八足、口の旁(かたはら)に聚(あつ)まり繞(めぐ)る。其の八足交腿(かうたい)の中閒、白皮包(はくひはう)の雙黒骨(さうこくこつ)有り。菱の實の小さきなるがごとく、或いは小烏(こがらす)・小鳶(ことび)に似たり。故に俗に鳶烏(とんびがらす)と號す。略(ほゞ)章魚(たこ)と同じ。白鬚有り、長さ尺に過ぐ。全體、俱に淡黒の薄皮を着く。皮の上、斑、有り。肉、白くして銀のごとく、味はひ、甚だ淡美なり。
背上に一甲骨有り、狀(かたち)、児戯の小舟のごとし。又、若葉に似たり。外(ほか)、鮫皮の白沙のごとく、内(うち)、燒塩(やきじほ)の塊を刮(けづ)るに似て、重重の紋、有り。即ち是れ、海螵蛸(かいひやうせう)なり。
烏賊の腹に黒汁(こくじふ)有りて墨の淋(そそ)ぐがごとし。古人の所謂(いはゆる)、烏賊の血。味も亦、美なり。常に腹の墨を噀(は)きて水をして溷黒ならしめ自(みづか)ら衛(まも)りて以つて人の害するを防ぐ。然れども漁人、識りて網して采る。漁童(りよどう)、竹梢(ちくせう)を尖利(せんり)して、岸上より窺ひて之を刺す。又、鰂、小鯷(ひしこ)及び蛤蝦(がふか)を食ふを好む故、餌と作(な)して之を釣る。
一種、泥障烏賊(あおりいか)と云ふ者、有り。腹・背、障泥のごとく、常の烏賊に比すれば、則ち、稍(やゝ)廣大にして、肉、軟らかに味ひも亦、勝れて美なり。
肉 氣味 甘鹹(かんえん)、平。毒、無し。 主治 胃を益し、肝を補ひ、婦人の月經を通じ、小児の雀目(とりめ)を療ず。今、俗に所謂、性、温、熱を動かし、諸瘡を患(うれへ)るの人、固く禁じて食せず。是れ、試むる所有るか、據る所有るか、未だ詳らかならず。若し風氣を動かすと謂はば、則ち、呉瑞が「日用」の説なり。
骨〔即ち、海鰾蛸なり。俗に曰く、烏賊の甲。〕 氣味 鹹、微温。毒、無し。〔白及(びやくきふ)・白歛(びやくかん)・附子(ぶす)を惡(い)む。能く鹽を淡くし、磠(すな)を伏(さ)り、銀を縮む。〕 主治 癨痢(くわくり)・聾癭(ろうえい)・少腹痛・眼翳(そこひ)・流涙(りうるい)・前陰痛腫・五淋・小児疳疾。婦人の肝傷、不足血枯、血瘕(けつか)、經閉崩帯。人をして子、有らしむ。
發明 李時珍、詳かに之を論じて厥陰血分の藥と謂ふなり。其の味はひ、鹹にして血に走る時は、則ち、厥陰(けついん)・經病・竅病(けうびやう)之を治さざる無し。復た肝傷・血枯・月事衰少不來等の症を治すなり。
予、徃年、此の方を製して婦人の經閉を治す。海鰾蛸、甲を去つて五錢、茜草(あかねぐさ)の連根一莖を細末し、雀卵汁を以つて小豆の大いさに丸(ぐわん)ず。毎五丸、干鮏(からさけ)の魚煎汁を以つて送下す。甚だ奇驗(きげん)を得たり。本方には鮑魚と有るも、是れ、未だ何の乾魚(ほしうを)と云ふを知らず。故に干鮏を以つて之に代ふ。干鮏、性、微温、能く血を調ふ。本朝、古へより婦人の血症に用ゐるなり。詳らかに鮏魚の條下に見へたり。
附方 熱眼赤翳〔睛(せい)を攀して瞳を貫き、及び風熱、眼を攻め、或いは血風、或いは流涙、止まざるに用ゐ、烏賊骨・黄連(わうれん)・黄栢(わうはく)・雀白屎(じやくはくし)各々等分、辰砂減半、龍脳少し計り、細末して、乳汁に和し、鷹の羽を以つて眼に入る時は則ち、癒ゆ。甚だ妙なり。〕
眼胞生瘡〔烏賊骨粉・黄栢末各々等分、和するに楊梅皮の煎汁を以つてして、之を點ず。〕
婦人の血崩〔海鰾蛸末、鹽湯にて下(のみくだ)す。〕
湯火瘡傷〔烏鰂骨粉、細末と爲さしめ、生薯蕷(せいしよよ)を用ゐて研(す)り碎(くだ)き、粘(ねばり)を作(な)さしめ、同じく和勻(わきん)して之を傅(つ)くる。〕
停耳、膿、出づ〔海鰾蛸半錢、麝香一字、末と爲して、蘆の管を以つて吹きて耳中に入るる。〕
趺撲(ふぼく)、血出づ〔及び金傷(かなきず)の血止まざるに、烏賊骨末を用ゐて之を傅くる。〕
鯣〔須留女(するめ)と訓ず。〕 釋名 字書、『音は「湯」、赤鱺なり。又、音、亦、「鱺」なり。』と。然れども本朝、乾烏賊(ほしいか)と爲(す)る者、久し。假り用ゐる者か。宋の大明が曰く、乾(ほしもの)は「鯗(せう)」。呉瑞が曰く、『鹽乾(しほぼし)は「明鯗(めいせう)」と名づく。淡乾(あはぼし)の者を「脯鯗(ほせう)」と名づく。』と。「鯗」、音は「想」、乾魚の惣稱なり。按ずるに、此の鯗は乾烏賊にして今の鯣(するめ)と同じき者か。
集觧 鯣は太刀烏賊(たちいか)を用ゆ。其の腹背、狀(かたち)、細く長し。故に之に名づくか。或いは筒烏賊(つゝいか)と號す。此れも亦、形に據(よ)りて之に名づく。若し尋常の烏賊を用ゐる時は、則ち、乾肉、薄く枯れ、色、黒く、味も亦、短し。太刀は乾肉、厚肥、色、黄白に微赤、軟脆(なんぜい)にして、味はひ、尚ほ美なり。大抵、太刀は乾すに宜(よろ)し、亦、鮮に宜し。常の烏賊は鮮に宜し、乾(ほしもの)に宜からず。
古へは混じて「烏賊」と稱す。「延喜式」の神祇・民部・主計等の部に、『若狹・丹後・隠岐・豊後烏賊を貢する者の有り』と。是れ皆、今の鯣(するめ)なり。近世、肥の五嶋(ごたう)より來たるを以つて上品と爲(な)し、丹後・但馬・伊豫、之に次ぐ。古來、賀祝の饗膳に用ゆ。今、亦、然り。源順、崔氏が「食經」を曳きて曰く、「小蛸魚」を「須留女」と訓ず。此れも亦、同じ種か。
氣味 甘温。毒、無し。〔日に曝すを以つて温と爲す。〕 主治 噎膈(いつかく)を患(うれふ)るの人之を食ふ時は、則ち膈(むね)を寛(ひろやか)にし、食を進む。或いは筋骨を強うす。
雛烏賊(ひいか)〔比伊加(ひいか)と訓ず。〕是れ、烏賊の子なり。黒白二種有り、黒き者は常の烏賊の子、白き者は泥障(あふりいか)の子なり。狀(かたち)、烏賊と同じ。但(たゞ)し、背骨、細小にして、芒刺(ばうし)のごとし。今、羹(あつもの)と作(な)して食ふ。其の味はひ、最も美なり。黒汁及び醬を和して煮る。呼びて黒煮(くろに)と號す。凡そ雛(ひな)多く食へば、則ち、蟲積(ちうしやく)を動かし、人をして惡心(おしん)せしむ。
一種、身、細小にして長く、竹管のごとし。尺八烏賊(しやくはちいか)と號す。是れ、瑣管(さかん)か。猴染(べにいか)も亦、小烏賊(こいか)か。俱に「南産志」に之を載す。
□やぶちゃん注
・軟体動物門
Mollusca 頭足綱 Cephalopoda
鞘形亜綱 Coleoidea 十腕形上目 Decapodiformes(シノニム:Decapoda/Decembrachiata)のイカ類について、「烏賊」の命名説に始まって博物学的記載、多彩な漢方処方の数々(再度述べておくと作者の人見必大は幕医、それも将軍の主治医である)に加えて、食材としてのイカの調製法から各種イカ類をも別個に記載している。なお、私の寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「烏賊魚(いか)」及びそれに続く「柔魚(たちいか)」(スルメイカ)の記載も見られたい。
・「鰂」大修館書店「廣漢和辭典」に、音「ソク・ゾク」、『①烏鰂(ウソク)は、いか。=鯽。』とあり、②では「賊」の義とするから、これ自体が既にして「烏賊」と同義であることが分かった。
・「源順が曰く……」以下は「和名類聚抄」。
*
烏賊 南越志云。烏賊〔今案、烏賊並從魚、作鰞※。※、又、作鰂。見玉篇。和名「伊加」〕。常自浮水上烏見以爲死啄之乃卷取之故以名之。
[やぶちゃん字注:「※」=「魚」+「賊」。]
*
以上の通り、後掲される蘇頌の説がほぼそのまま同じように引かれてある。
・『羅願が「爾雅翼」』南宋の羅願(一一三六~一一八四年)が淳煕元(一一七四)年頃に完成させた漢代の字書「爾雅」を補足解釈した訓詁学書であるが、博物学的要素に富む。
・「蘓頌」蘇頌(一〇二〇年~一一〇一年)は宋代の科学者にして博物学者。一〇六二年に刊行された勅撰本草書「図経本草(ずけいほんぞう)」の作者で(この引用もそれであることが島田氏の訳に示されてある)、儀象台という時計台兼天体観察装置を作ったことでも知られる。
・「南越志」中国南北朝時代の南朝の宋の官僚で文人の沈懐遠(しんかいえん)が広州に流罪となった際の見聞になる現在のベトナム北部の地誌。
・「賊害」恐るべき凶悪な天敵という謂いであろう。
・「溷黒」「溷」は混濁の「混」に同じで混じり合って濁るの意。島田勇雄氏はここを『乍(たちま)ち腹中の墨汁を出して溷黒(まっくろ)にし』と当て読みなさっておられる。私にはこの「こんこく」(溷黒)の方が、後の小魚がその「こんこく」の「こんめい」(昏迷)してしまうという部分と響き合っていて、より面白く感じられる。但し、その代り、島田氏はこの引用部の最後の「烏賊と曰ふ」の箇所の「烏賊」に『くろいぞく』というルビを振っておられ、別な意味で遊び心が感じられて微笑ましい。
・「鳶烏」所謂、タコ・イカの顎(あご)或いは顎板(がくばん)の俗称である烏鳶(からすとんび)である。
一般には、その顎板の周囲の筋肉や口球部分を含み、さらにはその二つの顎板を除去したそれらの部位を加工した燻製や珍味の名としても知られる。参照したウィキの「カラストンビ」によれば、『口を前後から閉める位置に1対があり、それぞれ「上顎板」と「下顎板」と呼ばれる。外から見える部分は黒色であるが、奥へ行くにしたがって色が薄くなる。キチン質からなる硬い組織である。この顎板自体は食用に適さないため、カラストンビという名称で売られている加工食品は、顎板を取り除いて周囲の肉のみ食べるか、すでに取り除いて肉のみとなっているかである。ただし、一部の製品によっては製造工程や加工方法を工夫すると顎板自体が煎餅のようにパリパリになることから、その歯ごたえに注目した製品も売られている』。『カラストンビの周りの筋肉は硬いが、かむほどに味が出』るとある。なお、この顎板は種によって異なり、頭足類に於ける種査定の貴重な資料となる。こちらのサイトに窪寺恒己氏の手に成るその学術的な顎板による種査定マニュアルが示されてあるので一見をお薦めする。
・「白鬚有り、長さ尺に過ぐ」これはイカ類に特徴的な有意に細く長い二本の捕食腕を指しているか?
・「海螵蛸」「いかのかふ」と訓じているかも知れない。十腕形上目コウイカ目Sepiina 亜目コウイカ科 Sepiidae に属する全種に見られる硬く脆い体内構造物の通称。別に「イカの骨」・「烏賊骨(うぞっこつ)」や英名の「カトルボーン」(Cuttlebone)などとも呼ばれるが、正確には同じ軟体動物の貝類の貝殻が完全に体内に内蔵されたものである。学術的には甲あるいは軟甲と呼ぶ。これはまさに頭足類が貝類と同じグループに属することの証と言ってよい。即ち、貝類の貝殻に相当する体勢の支持器官としての、言わば「背骨」が「イカの甲」なのである。あまり活発な遊泳を行わないコウイカ類では、炭酸カルシウムの結晶からなる多孔質の構造からなる文字通りの「甲」を成し、この甲から生じる浮力を利用している。対して、後で語られるように、活発な遊泳運動をするツツイカ類では運動性能を高めるために完全にスリムになって、半透明の鳥の羽根状の軟甲になっている。ツツイカ目のヤリイカ科アオリイカは、外見はコウイカに似るが、甲は舟形ながら、薄く半透明で軽量である。これは言わば、甲と軟甲双方の利点を合わせた効果を持っている。即ち相応の浮力もあり、スルメイカほどではないにしても、かなり速い遊泳力も持ち合わせているのである。以下、ウィキの「イカの骨」から引く。『貝殻の痕跡器官であるため主に炭酸カルシウムから構成されている。もともとの形は巻き貝状、あるいはツノガイ状で、アンモナイトやオウムガイのように内部に規則正しく隔壁が存在し、細かくガスの詰まった部屋に分けられていたと考えられているが、現生種ではトグロコウイカのみがその形状を持ち、他の種はそのような部屋の形を残してはいない。矢石として出土するベレムナイトの化石も、元は貝殻である』。『コウイカの場合、それに当たる部分は現在の骨の端っこに当たる部分(写真では向かって左端、尖った部分が巻き部)であり、本体の気体の詰まった小部屋に分かれて、浮力の調節に使われる部分は、新たに浮きとして発達したものと考えられる。顕微的特徴を見ると薄い層が縦の柱状構造により結合している。このようなイカの骨は種によっては』二百なら六百メートルの水深で内部へ爆縮してしまう。『従ってコウイカの殆どは浅瀬の海底、通常は大陸棚に生息する』。『スルメイカ等では殻はさらに退化し、石灰分を失い、薄膜状になっており、軟甲とよばれている』。『その昔、イカの骨は磨き粉の材料となっていた。この磨き粉は歯磨き粉や制酸剤、吸収剤に用いられた。今日では飼い鳥やカメのためのカルシウムサプリメントに使われ』ており、また『イカの骨は高温に耐え、彫刻が容易であることから、小さな金属細工の鋳型にうってつけであり、速く安価に作品を作成できる』ともある。『イカの骨は「烏賊骨」という名で漢方薬としても使われる。内服する場合は煎じるか、砕いて丸剤・散剤とし、制酸剤・止血剤として胃潰瘍などに効用があるとされる。外用する場合は止血剤として、粉末状にしたものを患部に散布するか、海綿に塗って用いる』とある。
・「噀」は現代中国語でも、口に含んだ水を吹き出す、の意である。
・「小鯷(ひしこ)」「鯷」だけで「ひしこ」とも読める。カタクチイワシ条鰭綱ニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ
Engraulis japonicas の別名。これと「蛤蝦」二枚貝と海老を好物とするというのは、内臓物からの漁師の観察による聞き書きに拠るものかとも思われるが、非常に正確な記載と言える。誰も注目していないが、墨の食用化や味を美味と言っている点などと合わせて、ここは非常に貴重な博物学記載であると私は感じている。
なお、イカ墨は聴くがタコ墨は使われない。これはタコ墨には旨味成分がなく、更に甲殻類や貝類を麻痺させるペプタイド蛋白が含まれているからとされる。私は当初、ブログ記事「蛸の墨またはペプタイド蛋白」をものしたが、その後「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「烏賊魚(いか)」で以下のように改稿した。参考までに示しておく。
*
イカスミは料理に使用するが、蛸の墨はタコスミとも言わず、料理素材として用いられることがないことが気になった。ネット検索をかけると、蛸の墨には、旨味成分がなく、更に甲殻類や貝類を麻痺させるペプタイド蛋白が含まれているからと概ねのサイトが記している。
では、それは麻痺性貝毒ということになるのであろうか(イカ・タコの頭足類は広い意味で貝類と称して良い)。一般に、麻痺性貝毒の原因種はアレキサンドリウム属Alexandriumのプランクトンということになっているが、タコのそのペプタイド蛋白なるものは如何なる由来なのか? 墨だけに限定的に含まれている以上、これは蛸本来の分泌物と考える方が自然であるように思われる。
ただ、そもそも蛸の墨は、イカ同様に敵からの逃避行動時に用いられる煙幕という共通性(知られているようにその使用法は違う。イカは粘性の高い墨で自己の擬態物を作って逃げるのであり、タコの粘性の低い墨は素直な煙幕である)から考えても、ここに積極的な「ペプタイド蛋白」による撃退機能を付加する必然性はあったのであろうか。進化の過程で、この麻痺性の毒が有効に働いて高度化されば、それは積極的な攻撃機能として転化してもおかしくないように思われる。しかし、蛸の墨で苦しみ悶えるイセエビとか、弱って容易に口を開けてしまう二枚貝の映像等というのは残念ながら見たことがない。また、蛸には墨があるために、天敵の捕食率が極端に下がっているのだという話も、聞かない。
更に、このペプタイド蛋白とは何だ? 化学の先生にも尋ねてみたが、ペプタイドとペプチドは
peptid という綴りの読みの違いでしかないそうだ。しかしその先生に言わせれば、「蛋白」という語尾自体が不審なのだそうだ。そもそも、ペプチドはタンパク質が最終段階のアミノ酸になる直前に当たる代謝物質なのであって、アミノ酸が数個から数十個繋がっている状態を指すのであってみれば、この物言いはおかしなことになる。先生は、その繋がりがもっと長いということを言っているのかも知れないと最後に呟いたが、僕も、煙幕が張られているようで、どうもすっきりとしなかった。いやいや、調べるうちに、逆に蛸壺に嵌ったわい。
なおイカの墨から作った顔料は実在する。よく言うところの色名であるセピア
sepia がそれであり、sepia はラテン語でコウイカを指す。ギリシャ・ローマ時代から使用されており、レンブラントが愛用したことからレンブラント・インクとも呼ばれる。但し、実際のレンブラント・インクは暗褐色で、現在言うところの「セピア色」とは、このインクが経年変化して色褪せた薄い褐色になった状態の色調に由来する。薄くはなるが、実際には消えない。良安が言い、信じられているところの、「消える文字」というのは、この褪色効果を大袈裟に語っているに過ぎないのであろう。なお、この墨から液晶が作られたとよく聞くが、これは誤りと思われる。液晶製造初期に於いてイカの肝臓から採取されたコレステロールから作られたコレステリック液晶(グラデーション様に表示される寒暖計等)のことが誤って伝えられたものと思われる。
・「泥障烏賊(あおりいか)」前にも書いたが、原文は片仮名で「アオリイカ」となっている。歴史的仮名遣では「あふりいか」が正しい。閉眼目
Myopsida ヤリイカ科 Loliginidae アオリイカ属 Sepioteuthis アオリイカ Sepioteuthis
lessoniana 。「泥障」は「障泥」はとも書き、馬具の付属具で鞍橋(くらぼね:鞍。)の四緒手(しおで:鞍の前輪(まえわ)・後輪(しずわ)の左右につけて胸繫(むながい)・尻繫(しりがい)を結びつける革紐(かわひも)の輪。)に結び垂らして、馬の汗や蹴上げる泥を防ぐもの。同種の鰭の色や形が障泥に似ることに拠る。「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「烏賊魚(いか)」には、
*
障泥烏賊(あをりいか) 眞烏賊(まいか)より大にして、四周に肉緣有り。状(かたち)、障泥(あをり)に似たり【阿乎里以加(おをりいか)。】。是れも亦、鮝(するめ)と爲(し)て佳(よ)し。
*
とある。
・「風氣を動かす」これは「本草綱目」の「烏賊魚」の気味に、『酸、平。無毒。瑞曰、味珍美。動風氣。』とあるのに拠る。「風気」は漢方で言う風気内動・内風のことであろう。諸臓腑の機能が失調して気血が逆乱して、眩暈・痙攣・意識障害・顔面神経麻痺・上方凝視などの「風動」と呼ぶ症状が生じる病理現象を指す。
・『呉瑞が「日用」』元代の新安海寧県の医学官呉瑞が著わした食物本草書「日用本草」。一三二九年自序。
・「白及」単子葉植物綱綱 Liliopsida キジカクシ目 Asparagale ラン科 Orchidaceae セッコク亜科 Epidendroideae エビネ連 Arethuseae Coelogyninae 亜連シラン属 Bletilla シラン
Bletilla
striata の偽球茎(偽鱗茎(英語:pseudobulb)とも。ラン科の一部の種に見られる茎の節間から生じる貯蔵器官)の漢方名。止血や痛み止め・慢性胃炎に処方される。
・「白歛」双子葉植物綱 eudicots ブドウ目 Vitales ブドウ科 Vitaceae ノブドウ属 Ampelopsis カガミグサ Ampelopsis
japonica の根のことか。漢方では解熱作用があり、腫瘍・子供の癲癇・月経痛に効果があるとする。
・「附子」双子葉植物綱 Magnoliopsida モクレン亜綱 Magnoliidae キンポウゲ目 Ranunculales キンポウゲ科 Ranunculaceae トリカブト属
Aconitum の塊根を乾燥させたものもの。ウィキの「トリカブト」によれば、烏頭(うず)又は附子(生薬名は「ぶし」、毒薬としては「ぶす」と呼ぶ)と呼ぶ。本来「附子」は球根の周り附いている「子ども」の部分を指し、漢方ではトリカブト属の塊根の中央部の「親」の部分は「烏頭(うず)」、子球のないものを「天雄(てんゆう)」と呼んでいたが、現在は附子以外の名称は殆ど用いられていないとあり、それぞれ運用法が違うとする。『強心作用、鎮痛作用がある。また、牛車腎気丸及び桂枝加朮附湯では皮膚温上昇作用、末梢血管拡張作用により血液循環の改善に有効である』。『しかし、毒性が強いため、附子をそのまま生薬として用いることはほとんどなく、修治と呼ばれる弱毒処理が行われ』、『毒性は千分の一程度に減毒される』ものの、『これには専門的な薬学的知識が必要であり、非常に毒性が強いため素人は処方すべきでない』とある。
・「癨痢」これは霍乱による急性の下痢症状であろう。炎暑の頃に暑さにあたって激しく吐き下しする病気の総称を「癨」という。島田氏はこれを「瘧痢」と判読されている(島田氏の底本と私の底本は恐らく版が異なる)が採らない。
・「聾癭」不詳。「癭」は瘤、特に首に出来る瘤を指すから(現在では極めて高い確率(八〇%)で悪性リンパ腫が疑われる)、それによって耳が圧迫されて聴覚障害を起こした症状を言うか?
・「眼翳(そこひ)」眼球内部の障害によって視覚が失われる白内障・緑内障・黒内障などの総称。
・「流涙」涙腺や涙道が詰まるなどすることによって涙が正常に鼻腔内へ流出されないため、涙が出続ける状態。
・「前陰痛腫」男女の生殖器の腫脹を指すものと思われる。
・「五淋」尿路に関わる五つの症状、石淋(せきりん:尿路結石症を伴う排尿障害。)・気淋(きりん:ストレスなどに因る神経性排尿障害。)・膏淋(こうりん:米の研ぎ汁のような白濁した尿の様態。)・労淋(ろうりん:疲労による慢性排尿障害)・・血淋(けつりん:血尿。)を指す。
・「婦人肝傷」肝炎と思われるが、「婦人」という限定は、以下の三種の病態がどれも婦人病と思われるところから、以下、総てに関わるものではないかと私は考えたので、訓読の以下の箇所の記号を変えてある。
・「不足血枯」「血枯」は現代中国語で重症の貧血を指す。
・「血瘕」月経不順。
・「經閉崩帯」「經閉」は無月経症、「崩帯」は帯下(こしけ)のことであろう。女性生殖器から出る分泌液の量が増えたり、分泌液の性質が変化して膣口から流れ出る病的なものを指す。状態によっては子宮内膜炎や子宮癌が疑われる。
・「人をして子、有らしむ」。不妊治療効果があるという意。
・「李時珍、詳かに之を論じて厥陰血分の藥と謂ふ」「本草綱目」の「烏賊魚」の「發明」(物事の意味や道理を明らかにすることの意)には、
*
時珍曰、烏下痢疳疾、厥陰本病也。寒熱瘧疾、聾癭、少腹痛、陰痛、厥陰經病也。目翳流淚、厥陰竅病也。厥陰屬肝、肝主血、故諸血病皆治之。按「素問」云、有病胸脅支滿者、妨於食、病至、則先聞腥少時、有所大脱血。或醉入房、中氣竭肝傷、故月事衰少不來。治之以四烏茹爲末、丸以雀卵、大如小豆。每服五丸、飲以鮑魚汁、所以利腸中及傷肝也。觀此、則其入厥陰血分無疑矣。
*
とある。「厥陰」はウィキの「厥陰病」によれば、漢方で「三陰三陽病」と称する病態の一種で、「少陰病」を経て生ずる最後の外感性疾病とする。「傷寒論」では、『厥陰の病たる、気上がって心を撞き、心中疼熱し、飢えて食を欲せず、食すれば則ち吐しこれを下せば利止まず。』とあって、上気して顔色は一見、赤みがかっているが、下半身は冷え、咽喉が渇き、胸が熱く疼き、空腹だが飲食出来ない症状を指し、多くはやがて死に至るとある。「血分」は出血性疾患の謂いらしい。
・「經病」後漢の張機が「素問」の「熱論篇」に基づき、「傷寒」(「外感病」)の証候と特徴を結びつけて体系化した「六経(りくけい)病」や、六臓六腑(「六臓」は肝・心・脾・肺・腎・心包、「六腑」は胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦)を巡って気血の流れている十二の経脈を意味する「十二経(けい)」(肺経から始まり、大腸経・胃経・脾経・心経・小腸経・膀胱経・腎経・心包経・三焦経・胆経を経て肝経から再び肺経に戻り、全体が一つの流れになっている)に関わる万病のことを指すか。
・「竅病」五竅病・七竅病のことであろう。「竅」は人の顔に開いた穴で、漢方では眼・舌・口・鼻・耳、或いは各二つずつの目・耳・鼻の穴及び口に由来する疾病。
・「月事衰少不來」月経不順や無月経症。
・「五錢」十八・七五グラム。「錢(せん)」は重量単位で、一銭は一貫の千分の一(三・七五グラム)。匁(もんめ)に同じい。
・「茜草」双子葉植物綱 Magnoliopsida キク亜綱 Asterdiae アカネ目 Rubiales アカネ科 Rubiaceae アカネ属 Rubia アカネ Rubia argyi 。ウィキの「アカネ」によれば、『アカネの名は「赤根」の意で、その根を煮出した汁にはアリザリンが含まれている。これを使った草木染めが古くから行われており、茜染と呼び、また、その色を茜色と呼ぶ。同じ赤系色の緋色もアカネを主材料とし、茜染の一種である。このほか黒い果実も染色に使用できるという』。『現在では、アカネ色素の抽出には同属別種のセイヨウアカネ(西洋茜、R.
tinctorum)が用いられることがほとんどである。セイヨウアカネは常緑で、葉は細長く6枚輪生。根が太く、アカネより収量が多い。色素の構成物質がアカネとは若干異なる』。『染色用途のほかには、秋に掘り起こした根を天日で十分乾燥させたものを茜草根(せいそうこん)として、生薬に用いる』。『日本では上代から赤色の染料として用いられていた。ヨーロッパでも昆虫学者のジャン・アンリ・ファーブルがアカネ染色法の特許を取るなど、近代まで染料として重要視されていた』とある。漢方薬としては浄血・通経・止血などの処方に配合されると辞書にあった。
・「鮏」 硬骨魚綱
Osteichthyes サケ目 Salmoniformes サケ科 Salmonidae サケ属 Oncorhynchus サケ(又はシロザケ) Oncorhynchus
keta 。
・「本方には鮑魚と有るも、是れ、未だ何の乾魚と云ふを知らず」「本草綱目」の「烏賊魚」の「發明」の項に、
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時珍曰、烏下痢疳疾、厥陰本病也。寒熱瘧疾、聾癭、少腹痛、陰痛、厥陰經病也。目翳流淚、厥陰竅病也。厥陰屬肝、肝主血、故諸血病皆治之。按「素問」云、有病胸脅支滿者、妨於食、病至、則先聞腥少時、有所大脱血。或醉入房、中氣竭肝傷、故月事衰少不來。治之以四烏茹爲末、丸以雀卵、大如小豆。毎服五丸、飮以鮑魚汁、所以利腸中及傷肝也。觀此、則其入厥陰血分無疑矣。
*
とある(下線やぶちゃん)。因みにこの「鮑魚」はアワビのことではなく、塩漬けにした魚の意で、人見の言うように特定の魚類を指さない。
・「熱眼赤翳」退翳肝熱によって眼球が熱を持って充血し、腫れ上る症状を指す。「翳」は目翳(もくえい)で目の混濁の意。
・「睛を攀して瞳を貫き」島田氏は『攀睛(充血して)』とするが、私の底本は明らかに返り点があり、「睛」には明確に「ヲ」と送られてある。「睛」は瞳・黒目の意、「攀」には、すがる・憑りつくの意があるから、白目だけでなく黒目まで充血が進んでいることを指すものであろう。
・「風熱」二つの意があり、一つは風邪と熱邪が結合した病邪。今一つは風熱の邪によって生じた外感病(高熱・悪寒が軽度であるが、口の渇きや舌の尖辺が紅色になり、舌の苔が微黄を帯びて脈が速い、重くなると口の乾燥・目の充血・咽喉の痛み・鼻からの出血・咳などが見られる症状)を指す。ここは前後に目の症状をしつこく描写しているから後者である。
・「血風」血風瘡か(島田氏も同じく推定)。これは痒みが強く、掻きむしった部分に分泌液が流れ、血痕が見られる症状を指す。
・「黄連」双子葉植物綱 Magnoliopsida モクレン亜綱 Magnoliidae キンポウゲ目 Ranunculales キンポウゲ科 Ranunculaceae オウレン属
Coptis オウレン Coptis
japonica 及び同属のCoptis
chinensis・Coptis deltoidea・Coptis deltoidea の根を殆ど取り除いた根茎の生薬名。苦味健胃・整腸・止瀉等の作用があり、この生薬には抗菌作用、抗炎症作用等があるベルベリン(berberine)というアルカロイドが含まれており、黄連湯・黄連解毒湯・三黄丸・三黄瀉心湯・温清飲といったの漢方方剤に使われるとウィキの「オウレン」にある。
・「黄栢」双子葉植物綱 Magnoliopsida ムクロジ目 Sapindales ミカン科 Rutaceae キハダ属 Phellodendron キハダ Phellodendron
amurense の樹皮の生薬名。現行の薬用名は「黄檗(オウバク)」。キハダの樹皮をコルク質から剥ぎ取ってコルク質・外樹皮を綺麗に取り除いて乾燥させたもの。黄柏にもやはりベルベリンを始めとする薬用成分が含まれ、強い抗菌作用を持つとされる。チフス・コレラ・赤痢などの病原菌に対しても効能があり、主に健胃整腸剤として用いられ、「陀羅尼助」「百草丸」などの薬に配合されている。また強い苦味のため、眠気覚ましとしても用いられたという。「黄連解毒湯」「加味解毒湯」などの漢方方剤に含まれる(以上はウィキの「キハダ」に拠った)。
・「雀白屎」雀の白い糞。「白丁香」とも。腹部の腫瘤・虫歯・目の混濁などの治療に用いられる。漢方では鳥の糞がしばしば登場する。例えば鶏の白い糞は「鶏屎白」と称し、糞の白い部分を日干しした後、白酒(パイチュウ)を加えながらとろ火であぶって乾燥し、それをすって粉末にする(一般に雄鶏のものがよいとされる)。これは「黄帝内経素門」にも「鶏矢」として出る古方で、鼓脹積聚・黄疸・淋病をし、利水・泄熱・去風・解毒作用を持つとされる。本邦で鶯の糞が美顔料として親しまれていることを考えれば、奇異でも何でもない。
・「辰砂」中国の辰州(現在の湖南省懐化市一帯)で産する砂、の意。英名「cinnabar」。硫化水銀(Ⅱ)(HgS)からなる硫化鉱物。六方晶系を成し、結晶片は鮮紅色でダイヤモンド光沢がある。多くは塊状又は土状で赤褐色。低温熱水鉱床中に産し、水銀の原料や朱色の顔料として古くから用いられてきた。朱砂・丹砂・丹朱とも呼び、本邦では古来、「丹(に)」と呼んだ。漢方では鎮静・催眠を目的として、現在でも使用される。有毒であるが、有機水銀や水に易溶な水銀化合物に比べて、辰砂のような水に難溶な化合物は毒性が低いと考えられており、辰砂を含む代表的な処方には「朱砂安神丸」等がある(前半は辞書を、漢方部分はウィキの「辰砂」に拠った)。
・「龍脳」樟脳(双子葉植物綱 Magnoliopsida クスノキ目 Laurales クスノキ科 Lauraceae ニッケイ属 Cinnamomum クスノキ Cinnamomum camphora の枝葉を蒸留して得られる無色透明の個体で防虫剤や医薬品等に使用される。カンフル。)に似た、アオイ目 Malvales フタバガキ科 Dipterocarpaceae フタバガキ属
Dipterocarpus リュウノウジュ Dryobalanops aromatic の木材を蒸留して得られる芳香を持った無色の昇華性結晶。人工的には樟脳・テレビン油から合成され、香料などに用いられる。ボルネオールともいう。以下、ウィキの「ボルネオール」によれば、『歴史的には紀元前後にインド人が、6~7世紀には中国人がマレー、スマトラとの交易で、天然カンフォルの取引を行っていたという。竜脳樹はスマトラ島北西部のバルス(ファンスル)とマレー半島南東のチューマ島に産した。香気は樟脳に勝り価格も高く、樟脳は竜脳の代用品的な地位だったという。その後イスラム商人も加わって、大航海時代前から香料貿易の重要な商品であった。アラビア人は香りのほか冷気を楽しみ、葡萄・桑の実・ザクロなどの果物に混ぜ、水で冷やして食したようである』とある。
・「眼胞生瘡」「眼胞」は目の瞼(まぶた)で、「生瘡」は炎症を指すから、結膜炎やトラコーマ(伝染性慢性結膜炎)か?
・「楊梅皮」双子葉植物綱 Magnoliopsida ブナ目 Fagales ヤマモモ科 Myricaceae ヤマモモ属 Morella ヤマモモ Morella
rubra の樹皮から採る楊梅皮(ようばいひ)という生薬。タンニンに富むので止瀉作用がある。他に消炎作用も持つので筋肉痛や腰痛用の膏薬に配合されることもある(以上はウィキの「ヤマモモ」に拠った)。
・「血崩」生殖器からの大きな出血。
・「湯火瘡傷」火傷。やけど。
・「生薯蕷」生の単子葉植物綱 Liliopsida ユリ目 Liliales ヤマノイモ科 Dioscoreaceae ヤマノイモ属 Dioscoreaヤマノイモ Dioscorea
japonica。ウィキの「ヤマノイモ」によると、「山薬(さんやく)」は本来はナガイモの漢名だが、皮を剥いたヤマノイモ又はナガイモの根茎を乾燥させた生薬もこう呼ぶ。これは日本薬局方に収録されており、滋養強壮・止瀉・止渇作用があり、「八味地黄丸」「六味丸」などの漢方方剤に使われるとある。
・「停耳」耳の腫れと痛みを指す
・「麝香」哺乳綱 Mammalia 鯨偶蹄目 Cetartiodactyla 反芻亜目 Ruminantia 真反芻亜目 Pecora ジャコウジカ科 Moschidae ジャコウジカ亜科 Moschinae ジャコウジカ属 Moschus
の♂の成獣にある麝香腺(陰部と臍の間にある嚢で、雌を引き付けるために麝香を分泌する)から得られる香料。ウィキの「麝香」によれば、麝香『は雄のジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)から得られる分泌物を乾燥した香料、生薬の一種で』『ムスク(musk)とも呼ばれる』。『主な用途は香料と薬の原料としてであった。 麝香の産地であるインドや中国では有史以前から薫香や香油、薬などに用いられていたと考えられて』おり、『アラビアでもクルアーンにすでに記載があることからそれ以前に伝来していたと考えられる。
ヨーロッパにも』六世紀には知として知られ、十二世紀にはアラビアから実物が伝来したという記録が残る。『甘く粉っぽい香りを持ち、香水の香りを長く持続させる効果があるため、香水の素材として極めて重要であった。
また、興奮作用や強心作用、男性ホルモン様作用といった薬理作用を持つとされ、六神丸、奇応丸、宇津救命丸、救心などの日本の伝統薬・家庭薬にも使用されているが、日本においても中国においても漢方の煎じ薬の原料として用いられることはない』。『中医学では生薬として、専ら天然の麝香が使用されるが、輸出用、または安価な生薬として合成品が使われることもある』。『麝香はかつては雄のジャコウジカを殺してその腹部の香嚢を切り取って乾燥して得ていた。香嚢の内部にはアンモニア様の強い不快臭を持つ赤いゼリー状の麝香が入っており、一つの香嚢からは』凡そ三十グラム程得られる。『これを乾燥するとアンモニア様の臭いが薄れて暗褐色の顆粒状となり、薬としてはこれをそのまま、香水などにはこれをエタノールに溶解させて不溶物を濾過で除いたチンキとして使用していた。
ロシア、チベット、ネパール、インド、中国などが主要な産地であるが、特にチベット、ネパール、モンゴル産のものが品質が良いとされていた。 これらの最高級品はトンキンから輸出されていたため、トンキン・ムスクがムスクの最上級品を指す語として残っている』。麝香の採取のために『ジャコウジカは絶滅の危機に瀕し、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)によりジャコウの商業目的の国際取引は原則として禁止された』。『現在では中国においてジャコウジカの飼育と飼育したジャコウジカを殺すことなく継続的に麝香を採取すること』『が行なわれるようになっているが、商業的な需要を満たすには遠く及ばない。六神丸、奇応丸、宇津救命丸などは条約発効前のストックを用いているという』。『そのため、香料用途としては合成香料である合成ムスクが用いられるのが普通であり、麝香の使用は現在ではほとんどない』。『麝香の甘く粉っぽい香気成分の主成分』はムスコンと呼ばれる物質でこれを〇・三~二・五%程度含有し、ほかに微量成分としてムスコピリジン・男性ホルモン関連物質であるアンドロステロンやエピアンドロステロンなどの化合物を含むが、『麝香の大部分はタンパク質等である。麝香のうちの』約十%程度が『有機溶媒に可溶な成分で、その大部分はコレステロールなどの脂肪酸エステル、すなわち動物性油脂である』。「語源」の項。『麝香の麝の字は鹿と射を組み合わせたものであり、中国明代の『本草綱目』によると、射は麝香の香りが極めて遠方まで広がる拡散性を持つことを表しているとされる』。『ジャコウジカは一頭ごとに別々の縄張りを作って生活しており、繁殖の時期だけつがいを作る。そのため麝香は雄が遠くにいる雌に自分の位置を知らせるために産生しているのではないかと考えられており、性フェロモンの一種ではないかとの説がある一方』、『分泌量は季節に関係ないとの説もある』。『一方、英語のムスクはサンスクリット語の睾丸を意味する語に由来するとされる。
これは麝香の香嚢の外観が睾丸を思わせたためと思われるが、実際には香嚢は包皮腺の変化したものであり睾丸ではない』。因みに、『ジャコウジカから得られる麝香以外にも、麝香様の香りを持つもの、それを産生する生物に麝香あるいはムスクの名を冠することがある。
霊猫香(シベット)を産生するジャコウネコやジャコウネズミ、ムスクローズやムスクシード(アンブレットシード)、ジャコウアゲハなどが挙げられ』、『また、単に良い強い香りを持つものにも同様に麝香あるいはムスクの名を冠することがある。マスクメロンやタチジャコウソウ(立麝香草、タイムのこと)などがこの例に当たる』とある。
・「一字」量数単位らしいが、不詳。漠然とした一片か? 識者の御教授を乞う。
・「趺撲」「趺」は足の甲や踵(かかと)を意味するが、そうした特化した傷のようには見えない。島田氏は『うちきずの意か』とされる。
・「金傷」金創。刃物による傷。
・『音は「湯」』島田氏は『陽が正しい』と訳本文注されておられる。なお、「廣漢和辭典」によれば「鯣」は音で「エキ」「ヤク」で、「するめ」は国訓であって、本字は鰻を指すとある。目から鯣、基、鰻、基、鱗。
・「赤鱺」「鱺」は「廣漢和辭典」によれば、本字では大鯰(おおなまず)で、これを「するめ」に当てるのは国訓である。
・「宋の大明」島田氏の訳本文注に『日華本草』とあるのを手掛かりにすると、これは「日中華子諸家本草」という書物らしい。著作年代不詳で、宋の掌禹錫、別名で大名明という人物の書いた本草書らしい。
・「鯗」「廣漢和辭典」によれば、音は「シヤウ(ショウ)・セウ(ソウ)」で、干物・干魚の意(他にイシモチの干物、国訓でフカの意もある)。
・「淡乾」全体にさっと少量の塩を振って干したもの。
・「太刀烏賊」「筒烏賊」ここでは一応、鯣にするイカということで、頭足綱 Cephalopoda鞘形亜綱 Coleoidea十腕形上目 Decapodiformes閉眼目Myopsidaスルメイカ亜目 Cephalopoda アカイカ科 Ommastrephidae スルメイカ亜科 Todarodinae スルメイカ属 Todarodes スルメイカ
Todarodes pacificus を挙げなくてはおかしい。以下に記されている形状も概ねスルメイカに合致する。ところが、この「タチイカ」と「ツツイカ」という呼称は、現行では圧倒的に先に出た閉眼目 Myopsida ヤリイカ科 Loliginidae アオリイカ属 Sepioteuthis アオリイカ Sepioteuthis
lessoniana の別名である。しかし、どうもアオリイカの形状を見ていると、凡そ太刀でも筒でもない。寧ろ、スルメイカこそが「太刀」であり、「筒」ではあるまいか? 「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「烏賊魚(いか)」に続く「柔魚(たちいか)」では叙述自体がこの「タチイカ」が「スルメイカ」であると明記している。
*
たちいか
するめいか
柔魚
明鮝(するめ)〔鹽乾しの者は俗に須留女と云ふ。〕
脯鮝(ほせう)〔淡く乾す者。〕
〔俗に太知以加(たちいか)と云ふ。又は鮝以加(するめいか)と云ふ。〕
「本綱」に、『柔魚は烏賊と相似たり。但し骨無きのみ。』
△按ずるに、柔魚は烏賊に同じくして、身長く大きく、之を乾かして鮝(するめ)と爲す。肥州五島より出づる者、肉厚く大にして、味、勝れり。微(やや)炙り、食ふ〔裂きて食へば則ち佳し。切れば則ち、味、劣れり〕。或は炙らずして、細かに刻みて、膾に代ふ。皆、甘く美なり。柔魚(たちいか)の骨(こう[やぶちゃん字注:ママ。])は亦、舟の形に似て、薄く玲瓏(すきとほ)り、蠟紙に似る〔骨無きと云ふは不審。〕。又、章魚(たこ)を膞(ひつぱ)り乾(ほ)して鮝(ひだこ)と爲す〔乾章魚(ひだこ)と名づく。須留女と稱さず。〕。古者(いにしへ)は是れも亦、須留女と謂ふか〔「和名抄」に小蛸魚、須留女と訓ず。〕】
*
・『「延喜式」の神祇・民部・主計等の部に、『若狹・丹後・隠岐・豊後烏賊を貢する者の有り』と』島田氏は原典を総て引用された上、『豊後は豊前の誤りであろう』と注しておられる。
・「古來、賀祝の饗膳に用ゆ」ウィキの「スルメ」に、『日本においては古くからイカを食用としており、保存ができる乾物加工品としてのスルメも古い歴史がある。古典的な儀式や儀礼の場では縁起物として扱われ、結納の際に相手方に納める品としても代表的なものである。結納品の場合には寿留女の当て字を用い、同じく結納品である昆布(子生婦)とともに、女性の健康や子だくさんを願う象徴となっている。また大相撲の土俵にはスルメが縁起物として埋められている』。『縁起物であるとする理由は諸説有るが、日持ちの良い食品であることから末永く幸せが続くという意味とする説、室町時代の頃からお金を「お足」『といい、足の多いスルメは縁起が良いとする説などがある』とし、『また、江戸時代中期頃から、スルメの「スル」という部分が「金をする(使い果たす)」という語感を持つため、縁起をかついで言い換えた「アタリメ」という言葉が用いられるようになった』とある。またここには「スルメ」の語源説として、『墨を吐く群を「墨群(すみむれ)」と呼んでいたところから転訛したという説があり、かつては乾燥させたタコもスルメと呼ばれていた。平安時代に編纂された辞書「和名類聚抄」には「小蛸魚 知比佐岐太古 一云須流米」(ちひさきたこ
するめともいふ)とある』として、人見が烏賊、基、以下で語る発見が同じく語られてあるのが面白い。
・『源順、崔氏が「食經」を曳きて曰く、「小蛸魚」を「須留女」と訓ず』「和名類聚抄」の「海蛸子(タコ)」の直後に、
*
小蛸魚(チイサキタコ)崔禹錫が「食經」に云く、小蛸魚〔和名、「知比佐木太古」。一に云ふ、「須留女」。〕
*
とある。
・「噎膈」「膈噎(かくいつ)」とも言う。食道上部に起因する通過障害に基づく嚥下困難を「噎」と称し、食道下部に起因するものを「膈」とする。現在の食道アカラシア(esophageal achalasia:食道の機能障害の一種で食道噴門部の開閉障害若しくは食道蠕動運動の障害或いはその両方に起因する飲食物の食道の通過困難を訴える疾患。現在でも原因不明で、根本的な治療方法はないが、迷走神経に障害を生じると発症することが分かっている、とウィキの「アカラシア」にある)や食道癌などが疑われる症状である。
・「雛烏賊」人見は「烏賊の子なり」と述べているが、これは立派な独立した種である十腕形上目 Decapodiformes ヒメイカ目 Idiosepiidaヒメイカ科 Idiosepiidae ヒメイカ属 Idiosepius ヒメイカ Idiosepius
paradoxus を当てることが出来るようにも思われる。というよりも奥谷喬司先生の「WEB版世界原色イカ類図鑑」によれば、この標準和名ヒメイカの原名(!)がヒナイカなのであるから、正統なる同定であると思っている。ツツイカ目ヤリイカ科のジンドウイカ属Loliolusもコイカ・ヒイカ等の小型種を示す別名を持つが、彼らはガタイが大きく「雛」に相応しくない。生態その他はウィキの「ヒメイカ」を参照されたい。
・「黒煮」京都の佃煮屋「六味」の公式ブログ「佃煮ふりかけ六味」の「烏賊黒煮」に、『八寸(烏賊黒煮)烏賊を洗い骨を去り皮をはぎ腹の墨袋を破らないようにして、ボウルを用意し、この時墨袋の薄皮をはがして、中の墨を取り出す。薄皮を入れたボウルに、水を適量加えてよく混ぜ、残っている墨を溶かし、ザルなどで漉します。烏賊は細く切り、お湯を沸かしてサッと霜降りをします。先ほどの墨を鍋に入れ酒、醤油にて味を調へ烏賊を入れ煮て仕上げます。香りは季節の物を使います』とある。
・「蟲積」所謂、回虫・条虫・蟯虫等による寄生虫病による症状を指す。私も一度やったことがあるイカでの感染が知られる線形動物門 Nematoda双腺綱 Secernentea 回虫目 Ascaridida 回虫上科 Ascaridoidea アニサキス科 Anisakidae アニサキス亜科 Anisakinae アニサキス属
Anisakis 等の寄生虫の寄生が、この時代に既にして知られていたことを意味するかも知れない非常に重要な記載のように私には見受けられる。
・「尺八烏賊」閉眼目 Myopsida ヤリイカ科 Loliginidae Heterololigo 属ヤリイカ Heterololigo
bleekeri のことと思われる。貝原益軒の「大和本草」の第十二巻の「烏賊魚」の項に『瑣管(しやくはちいか)するめより小なり。長く骨うすし。之を食へば柔軟なり。又、さばいかとも云ふ』とあるから、人見の「瑣管か」は正しい。「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「柔魚(たちいか)」の条に他種を載せて、
*
瑣管烏賊(しやくはちいか) 身狹く長く、竹の筒(つゝ)のごとし。故に尺八烏賊と名づく。
*
とある。
・「猴染」閉眼目 Myopsida ソデイカ科 Thysanoteuthidae ソデイカ属
Thysanoteuthisソデイカ Thysanoteuthis
rhombus の別名。但し、南方種で外洋性の大型種であって「小烏賊」ではない。そもそも「猴染」というのは明らかに中国本草好みの命名で、猿猴類の赤みを帯びた肌に似たド派手な色に由来すると考えてよい。そうすると実は「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「柔魚(たちいか)」の条には他種として、
*
龜甲烏賊(きつかふいか) 背隆(たか)くして肉厚、故に之を名づく。
*
というのが出るのに着目されるのである。そこで私は以下のように注した。
*
「龜甲烏賊」キッコウイカ このような呼称は現在、生き残っていない。市場での和名と形状から類推するしかないが、形態と呼称の類似からはまず、モンゴウイカという通称の方が有名なコウイカ目コウイカ科カミナリイカ
Sepia
(Acanthosepion) lycidas が念頭に登る。文句なしの巨大種であり、英名 Kisslip
cuttlefish が示す通り、胴(外套膜背面部)にキス・マークのような紋がある。これを亀甲紋ととったとしてもそれほど違和感はない。これが同定候補一番であろうが、私はもう一種挙げておきたい欲求にかられる。ツツイカ目開眼亜目の大型種で、極めて特徴的な幅広の亀甲型(と私には見えないことはない)形態を持つソデイカ
Thysanoteuthis rhombus は如何だろうか。ソデイカは地方名・市場名でタルイカ・オオトビイカ・セイイカ、はたまたロケット、などという名も拝名している(「セイイカ」の「セイ」は「勢」で男性の生殖器のことであろう。「背隆くして肉厚」と称してもグッときちゃうゼ!)。
*
以上の同定をこの時点でも変更する意思はない。
・「狀、烏賊と同じ。但し、背骨、細小にして、芒刺のごとし」ここを読むと、私はまた「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「柔魚(たちいか)」の条に他種として載る、
*
針烏賊(はりいか) 真烏賊に似て、骨の耑(はし:端。)に尻を顯はし、手に碑(たつ)る針鋒(しんぽう:針先。)のごとし。故に名づく。
*
を想起してしまうのである。これは私は十腕形上目コウイカ目 Sepiidaコウイカ科 Sepiidae ハリイカ(コウイカモドキ) Sepia
(Platysepia) madokai を指すと考えている。但し、市場名としてはコウイカ科コウイカ
Sepia
(Platysepia) esculenta と混同されており、コウイカ(若しくは他のコウイカ科のコウイカ類)を「ハリイカ」と呼称する地域もある。コウイカのグループは全体に甲の胴頂方向の頭部が尖っており、生体を触ってもそれが棘のように感じられるのである。
・「南産志」「閩書(びんしょ)南山志」の誤りか。以前に注した中国南北朝時代の南朝の宋の官僚で文人の沈懐遠(しんかいえん)が広州に流罪となった際の見聞になる現在のベトナム北部の地誌である「南越志」と並ぶ彼の著作と思われる。
■やぶちゃん現代語訳
烏賊魚〔伊加(いか)と訓ずる。〕
釈名 烏鰂(うそく)〔源順(みなもとのしたごう)の「和名類聚抄」に曰く、『「烏賊」は、魚扁(うをへん)をそれぞれの字に附けて、「鰞※(うぞく)」に作る。「※」はまた、「鰂」とも書く。』と[やぶちゃん字注:「※」=「魚」+「賊」。]。時珍の「本草綱目」に曰く、『羅願(らがん)の「爾雅翼(じがよく)」に曰く、九月に寒鴉(かんがらす)が水に入って、化してこの魚となる。黒い紋様が極めて規則正しくあるが故に「烏鰂」と名づける。「鰂」は規則の「則」の意である。』と。蘓頌(そしょう)の「図経本草(ずけいほんぞう)」に曰く、『「南越志」に曰く、その性、烏(からす)を好む。常に自然体で水上に浮いていて、飛ぶ烏はこれを見て既に烏賊の死んだものと錯覚してこれを啄もうとする。すると忽ち、その烏を十本の腕で巻き取って水中に引き入れ、これを食らう。因って「烏賊」と名づける。その言うところの意は烏の天敵であることを意味している。』と。或いは曰く、『この魚は水中の小魚を追う。しかし小魚が素早く泳ぎ去ってこれを捕えることが出来ない際には、即座に腹の中の黒い汁を吹き出だして、水をこれ、真黒にさせる。すると小魚は目の前が真っ暗になって動くことが出来なくなる。それを見透かしてこれを捕食して食らう。故に「烏賊」と云う。』と。しかし諸説はいまだ詳らかではない。
集解 江海のありとあらゆる所に於いてこれは獲れる。春の二・三月より、秋の七・八月にかけて最も多く獲れるが、冬場でも、やはり獲れる。
その形は小さな袋のような感じで、口は腹の下、足の上にある。眼は口の上にあり、八つの足は、その口の傍らに集まっていて、円周状に廻(めぐ)って生えている。その八足が交わって生えている根っこの、謂わば、八本の足の太腿に相当する箇所の中央には、白い皮に包まれた一対の黒い骨がある。小さな菱(ひし)の実のような形状を成しており、或いは小さな鴉や小さな鳶(とんび)の嘴(くちばし)によく似ている。故にこれを俗に「鳶烏(とんびがらす)」と称している。これは、ほぼ章魚(たこ)のそれと同じである。また、白い鬚(ひげ)があって、この長さは一尺を越える。全身は一様に淡黒色の薄皮をつけている。皮の上に斑点がある。肉は銀のように白く、味わいはこれ、はなはだ淡美である。
背の上に一つの甲骨(こうこつ)があり、その形は、丁度、玩具の小舟のような形(なり)、或いはまた、若葉の形にも似ている。またさらに他と比較するならば、その骨の感触は鮫の皮に見られるようなざらざらとした白砂(しらすな)のようで、その内部はこれ、焼き塩の塊を粗く削ったものに似ていて、幾重にも紋文(はんもん)がある。即ち、これが「海螵蛸(かいひょうしょう)」である。
烏賊の腹には黒い汁が内臓されており、まさにそれは墨が滴るのに似ている。古人の言うところの「烏賊の血(ち)」である。これは実は味もまた美味い。常に腹の墨を吐いては水を真黒にさせて、自(みづか)らを守って、これを以って人から捕獲されるのを防いでいる。しかし乍ら、漁師は、よくこのことを知っていて網を以って獲る。漁師の子どもらは、竹の枝を鋭利に尖らして、岸の上から海面を窺っては、これを器用に突き刺して獲る。または鰂(いか)は小鯷(ひしこ)や二枚貝や小海老を好んで捕食するので、それらを餌となして、これを釣る。
一種に「泥障烏賊(あおりいか)」というものがいる。腹と背が馬具の障泥(あおり)のようで、このびらびらした部分が普通の烏賊に比べると、やや広く大きくあって、その肉もまた軟らかで、味わいもまた、勝(すぐ)れて美味である。
肉 気味 甘鹹(かんえん)、平。毒はない。 主治 胃を益し、肝を補い、婦人の月経を正常に通じさせ、小児の鳥目(とりめ)を療する。今、俗に於いては、所謂、性は温にして、熱を動かす、として諸瘡を患う人が食することを固く禁じている。しかしこれは、実際にその禁忌を試してみたことがあるのか、また、そうした禁忌自体に根拠があるのかないのか、いまだ詳らかではない。但し、もし、烏賊を食すると風気を動かす、と主張するのであれば、これはまさに呉瑞の「日用本草」に載る説と相い通ずるものではあるとは言える。
骨〔即ち、先の「海鰾蛸」のことである。俗に「烏賊の甲」と言う。〕 気味 鹹、微温。毒はない。〔白及(びゃくきゅう)・白歛(びゃくかん)・附子(ぶす)を忌(い)む。よく、塩辛さを淡くさせ、砂(すな)を除去させ、銀を収縮させる。〕 主治 癨痢(かくり)・聾癭(ろうえい)・小腹痛・眼翳(そこひ)・流涙(りゅうるい)・前陰痛腫(ぜんいんつうしゅ)・五淋(ごりん)・小児疳疾(しょうにかんしつ)に効く。また、婦人の肝傷(かんしょう)、不足血枯(ふそくけっこ)、血瘕(けつか)、経閉崩帯(けいへいほうたい)にも良い。さらには不妊症の婦人に子を産ませる効果もある。
發明 李時珍は「本草綱目」に於いて詳かにこの烏賊の効能を論じて「厥陰血分(けついんけつぶん)の薬」として解説している。その味は鹹(しおから)いが、一度(ひとたび)、血流に入るや、直ちに、ありとあらゆる厥陰(けついん)・経病(けいびょう)・竅病(きょうびょう)、これ、治すことの出来ぬものはないほどである。また、肝傷・血枯・月経不順や無月経などの症状を癒やす。
私は往年、この処方薬を調合して、婦人の無月経の症状を快癒させたことがある。その時は、この海鰾蛸の甲の表層部を削り去つたものを五匁(もんめ)、茜草(あかねぐさ)の根のついたままの一茎(ひとくき)を合わせて細末と成し、雀の卵の汁を以って小豆の大きさの丸薬に製剤した。これを一回に五粒ずつ、干した鮏(しゃけ)を煎じた汁を以って嚥下させた。結果、はなはだ奇々妙々なる効果があったのである。実は、「本草綱目」の処方には『鮑魚(ほうぎょ)の汁を以って飲ます。』とあるのであるが、これは、いまだ以って何の乾し魚であるのか分からない。されば、干し鮭(じゃけ)を以って代用したのである。何故なら干し鮭は、その性が微温にして、よく血を調えるものであるからで、また、本朝に於いてはこれ古えより、婦人の血の道の病いに広く用いてもいるからでもある。詳しいことは本書の「鮏魚(さけ)」の条下に見えている。
附方
熱眼赤翳(ねつがんせきえい)〔ひどい充血が進行して瞳を貫いている病態、及び、風熱がひどく眼を襲っている病態、或いは血風の症状、或いはまた、流涙(りゅうるい)が激しく止まない症状に対して用いるに、烏賊骨(うぞっこつ)・黄連(おうれん)・黄栢(おうはく)・雀白屎(じゃくはくし)各々(それぞれ)を等分、辰砂をそれらの半分、龍脳少々を、総て細末にし、牛の乳汁に和し、鷹の羽根を以って点眼すれば、即座に癒える。これは、はなはだ絶妙なる効験を示すものである。〕
眼胞生瘡(がんほうせいそう)〔烏賊骨の粉・黄栢の粉末を各々等分、和する際には楊梅皮(ようばいひ)の煎じ汁を以ってし、これを点眼する。〕
婦人の血崩(けつほう)〔海鰾蛸の粉末を、塩を溶かした湯で嚥下させる。〕
湯火瘡傷(とうかそうしょう)〔烏鰂骨の粉を細末にしたものと、生の薯蕷(やまのいも)を擂(す)り砕いて粘りが出るようになった状態のものの二品を、一緒に掻き混ぜて均質になったところで、それを患部に貼付する。〕
耳が腫れて痛んで膿が出る症状〔海鰾蛸半匁(もんめ)、麝香を一字(じ)を粉末にし、蘆(あし)の管(くだ)を以って耳の中に吹き入れる。〕
打撲により血が出ている症状〔及び金創(かなきず)の血が止まらない場合には、烏賊骨の粉末を用いて、これを患部に塗付する。〕
鯣〔「須留女(するめ)」と訓ずる。〕 釈名 字書には、『音は「湯(とう)」、赤鱺(せきれい)なり。またの音は同じく「鱺」である。』とする。しかし本朝に於いてはこれを以って「乾(ほ)し烏賊(いか)」とすること、久しい。これは乾した烏賊の名称に、その漢字を借用したものなのであろうか。宋の大明の「日中華子諸家本草」に曰く、干物は「鯗(そう)」である。呉瑞の「日用本草」に曰く、『塩干しの干物は「明鯗(めいそう)」と名づける。淡い塩干しの干物は「脯鯗(ほそう)」と名づける。』とある。「鯗」は音は「想」で、乾し魚(ざかな)の総称である。按ずるに、この「鯗」というのは「乾し烏賊」であって、今の本邦に於ける鯣(するめ)と同じものなのではあるまいか。
集解 鯣は「太刀烏賊(たちいか)」を用いる。その腹と背の形は細く長い。故にこれにかく名づけたものか。或いは「筒烏賊(つついか)」とも称する。これもまた、その筒のような形に拠ってこれに名づけたものである。もし、尋常の烏賊を鯣に用いてしまうと、その乾し肉はこれ、薄く枯れ萎(しぼ)んでしまい、色も黒く汚なく、味もまた良くない。太刀烏賊の干し肉はこれ、厚く肥えており、色は黄白色に微かな赤色を帯びて美しく、まことに如何にも軟らかな感触であって、味わいもまた、なお一層、美味い。大抵、太刀烏賊は乾して干物にするによろしく、また、新鮮な刺身にしてもよろしい。普通の烏賊は刺身にはよいが、干物には向かない。
古えはこの乾した鯣も生の烏賊も一緒くたにして「烏賊」と称していた。「延喜式」の神祇・民部・主計などの部には、『若狭・丹後・隠岐・豊後より烏賊を貢する者がいる。』とあるが、実はこれは皆、今の鯣(するめ)なのである。近世に於いては肥前の五島(ごとう)より齎(もたら)された品を以って上品と成し、丹後・但馬・伊予の産が、これに次ぐ。古来より賀祝の饗膳に鯣は用いられてきたが、今現在もなお、同様である。源順(みなもとのしたごう)は「和名類聚抄」の「小蛸魚(ちさきたこ)」という条で、崔氏の「食経」を引用し、「小蛸魚」を「須留女(するめ)」と訓じているのであるが、はて、これもまた、同じものを指しているのであろうか。
気味 甘温。毒はない。〔日に曝すことを以って「温」となる。〕 主治 噎膈(いっかく)を患う人は、これを食せば、胸(むね)を寛(くつろ)がせ、食が大いに進む。或いは筋骨を強くするともいう。
雛烏賊(ひいか)〔比伊加(ひいか)と訓ずる。〕これは烏賊の子のことである。黒いものと白いものの二種があり、黒いものは普通の烏賊の子で、白い者は先に示した泥障(あおりいか)の子である。形は普通の烏賊と同じであるが、但し、背骨が細く小さく、穂芒(ほすぎ)の棘(とげ)のようである。今はこれを羹(あつもの)に製して食する。その味わいは最も良い。この雛烏賊の身を、その墨の汁及び醬油を和して煮たものを、これ、呼んで「黒煮(くろに)」と称する。但し、およそ雛(ひな)を多く食らうと、体内の虫積(ちゅうしゃく)を濫りに動かさせ、人に悪心(おしん)を起させるので注意が必要である。
一種に、身がすこぶる細小にして長く、竹管のようなものがおり、「尺八烏賊(しゃくはちいか)」と称する。これは世間で「瑣管(さかん)」と呼んでいる烏賊と同じものであろうか。「猴染(べにいか)」と呼ぶものもあるが、これも結局は先の「雛烏賊」と同じく、小さな烏賊のことであろうか。ともに「閩書(びんしょ)南産志」にこれを載せている。
◆華和異同[やぶちゃん注:遅巻き乍ら、「本朝食鑑」には和漢の本草記載の違いを考察する「華和異同」という別項が各部の終りに附されていることに気づいたので、その本文に準じて追加することとした。【二〇一五年五月十三日】。]
□原文
烏賊
一名墨魚又名纜魚日華曰魚有両須遇風波即以
鬚下矴或粘石如纜故名纜魚蘓頌曰腹中血及膽
正如墨可以書字若逾年則迹滅惟存空紙能爾世言
烏賊懷墨而知禮故俗謂是海若白事小吏也物類
相感志云烏則過小滿則形小也南産志曰又名河
伯從事晒乾者閩浙謂之明府又曰柔魚似烏鰂而
長色紫漳人晒乾食之其味甘美瑣管或云即柔魚
第羗小爾又有一墨斗似鎖管而小亦能吐墨亦有
猴染大於墨斗小於鎖管此今之太刀鰂障泥鰂雛
鰂之類乎
□やぶちゃんの書き下し文
烏賊
一名は墨魚、又、纜魚(らんぎよ)と名づく。「日華」に曰く、『魚に、両の須(ひげ)、有り。風波に遇へば、即ち鬚(ひげ)を以つて下矴(かてい)す。或いは石に粘じて纜(ともづな)のごとし。故に纜魚と名づく。』と。蘓頌が曰く、『腹中の血及び膽、正に墨のごとく、以つて字を書(しよ)すべし。若し、年を逾(こ)ゆる時は、則ち、迹(あと)、滅して惟(た)だ空紙を存するのみ。世に言ふ、「烏賊、墨を懷き、禮を知る」と。故に俗に是れを「海若白事小吏(かいじやくはくじしやうり)」と謂ふなり。』と。「物類相感志」に云く、『烏則(うそく)、小滿(しやうまん)を過ぐる時は、則ち、形、小きなり。』と。「南産志」に曰く、『亦、河伯從事(かはくじゆうじ)と名づく。晒し乾す者は、閩(びん)・浙、之れを「明府(めいふ)」と謂ふ。又、曰く、「柔魚(じうぎよ)」は烏鰂(うそく)に似て長く、色、紫なり。漳人(しようじん)、晒し乾して之を食す。其の味はひ、甘美なり。「瑣管(さくわん)」或いは云く、即ち「柔魚」なり。第(た)だ、羗小(きやうしやう)なるのみ。又、「一墨斗(いちぼくと)」有り。「鎖管」に似て小なり。亦、能く墨を吐く。「猴染(べにいか)」有り。「墨斗」より大ひに、「鎖管」より小さき。』と。此れ、今の「太刀鰂(タチイカ)」・「障泥鰂(アオリイカ)」・「雛鰂(ヒイカ)」の類か。
□やぶちゃん注
・「纜魚」「纜」は、船尾の方から出して船を繋ぎ止める舫(もや)い綱、艫綱(ともづな)のこと。
・「日華」北宋の大明の撰になる「日中華子諸家本草」。散逸したが、その内容は後の「本草綱目」等の本草書に引かれて残り、ここも「本草綱目」の「烏賊魚」の条の釈名に、
*
大明曰、魚有兩須、遇風波即以須下碇、或粘石如纜、故名纜魚。
*
に基づく。
・「両の須」有意に長い捕食腕を指すのであろうが、烏賊、基、以下のような使い方はしないと私は思う。
・「下矴」碇を下すこと。
・「蘓頌が曰く」元は一〇六一年に北宋の大常博士であった蘇頌が完成させた薬図と解説からなる全二〇巻の勅撰本草書「図経本草」(原本は散逸)を指すが、ここは恐らく「本草綱目」の「烏賊魚」の集解からの孫引きである。
*
頌曰、近海州郡皆有之。形若革囊、口在腹下、八足聚生於口旁。其背上只有一骨、濃三、四分、狀如小舟,形輕虛而白。又有兩須如帶、甚長。腹中血及膽正如墨、可以書字。但逾年則跡滅、惟存空紙爾。世言烏賊懷墨而知禮、故俗謂是海若白事小吏也。
*
・「若し、年を逾ゆる時は、則ち、迹、滅して惟だ空紙を存するのみ」まことしやかにこう書かれてあり、ネット上にも無批判にそう信じて込んでいる書き込みがあったりするが、実際には消えない模様である。
・「烏賊、墨を懷き禮を知る」墨から文字を知ることに通底させ、さらにそこから儒教の礼を知る有徳(うとく)の生物とする謂烏賊? 基、謂いか?
・「海若白事小吏」東洋文庫の島田勇雄氏の注によれば、『海若は海神、白事とは言上、上申。小吏は役人。「海神の書記」という意味か』とある。
・「物類相感志」島田氏の注に『宋の贊寧著。物と物とが相感して変化する事例を列挙したもの』とあるが、これも「本草綱目」の時珍の『「相感志」云、烏則過小滿則形小也』の孫引き。
・「小滿」二十四節気の第八。通常は旧暦四月内で現在の五月二十一日前後。万物が次第に成長し、一定の大きさに達してくる頃をシンボルし、麦畑が緑黄色に色付き始める時節である。「暦便覧」(太玄斎の著になる暦の解説書で天明七(一七八七)年出版)には『萬物盈滿(えいまん)すれば草木枝葉繁る』と記す(ここは主にウィキの「小満」に拠った)。
・「河伯從事」「河伯」元来は黄河の神。数多い水神の中でも最も重要とされ、豊作や降雨を授ける力があるとされる。殷の時代から祭祀された古い神である。島田氏の注には、『「海神の秘書」という意味か』とある。
・「閩・浙」「閩」は福建省の古名、「浙」はその北の現在の浙江地方。
・「明府」地方長官。明は尊敬の接頭辞。推測であるが、イカの形状が、彼らの衣冠束帯に似ていたからではなかろうか?
・「柔魚」現行でもこれで「いか」と読ませる。これは恐らくスルメイカ
Todarodes pacificus ではないかと私は推定する。
・「漳」現在の福建省漳州一帯。
・「瑣管」既注。ヤリイカ
Heterololigo
bleekeri と思われる。
・「羗小」島田氏はこれに『かたくちいさい』という補訳をされている。「羗」には強いの意があるから、それを謂うか。
・「一墨斗」「墨斗」は大工道具の墨壺のことを指す。墨壺は中国・朝鮮・日本などの東アジアに特徴的に見られる道具で、中国では紀元前から線引きに使われる「墨繩」という漢字が使われていたが、現在のような工具としての墨壺を意味する漢字である「墨斗」という語の出現は唐代以降のことと、有限会社スズキ金物店公式サイトの『(一)「墨斗」の語源について』にあった。確かに、墨とあの形はイカにピッタリだ。本種はただ瑣管より小さく、よく墨を吐くとしか出ないので同定は私には出来ない。
・「猴染」既注。ソデイカ
Thysanoteuthis
rhombus 。
・「太刀鰂(タチイカ)」以下の片仮名の読みは原典のルビである。既注。スルメイカ
Todarodes pacificus 。
・「障泥鰂(アオリイカ)」既注。アオリイカ
Sepioteuthis
lessoniana 。
・「雛鰂(ヒイカ)」既注。ヒメイカ
Idiosepius
paradoxus か。
□やぶちゃん現代語訳
烏賊
一名は「墨魚」、また「纜魚(らんぎょ)」とも称する。「日中華子諸家本草」に曰く、『魚に、両の須(ひげ)が有る。風波に遇うと、即ち、鬚(ひげ)を以って碇を下す。或いはそれを以って石に附着し、丁度、纜(ともづな)のようである。故に纜魚と名づく。』と。蘓頌の曰く、『腹中の血及び膽(きも)はまさに墨のごとく、これを以って字を書くことが出来る。但し、もしそれを書いて後、一年を経過する時には、まさにその痕は全く消滅して、ただの白紙に戻るばかりである。世に言う、「烏賊は墨を懐いて礼を知る」と。故に俗にこれを「海若白事小吏(かいじゃくはくじしょうり)」と謂うのである。』と。「物類相感志」に曰く、『烏則(うそく)は小満を過ぎる頃には、まさにその形は小さくなる。』と。「南産志」に曰く、『また、河伯従事(かはくじゅうじ)と称する。晒して乾した物は閩(びん)や浙に於いては、これを「明府(めいふ)」と称する。また、曰く、「柔魚(じゅうぎょ)」は烏鰂(うそく)に似て長く、色は紫である。漳の人々はこれを晒して乾し、これを食す。その味わいは甘美である。「瑣管(さかん)」というものは或いは称して、即ち、「柔魚」であると言う。ただ、通常の烏賊よりも有意に堅く小さなだけである、と。また、別に「一墨斗(いちぼくと)」と称するものがある。これは「鎖管」に似ているものの遙かに小さい。また、よく墨を吐く種である。「猴染(べにいか)」というものがある。「墨斗」よりも大きく、しかし「鎖管」よりは小さい。』と。これは、今の本邦に於ける「太刀鰂(タチイカ)」・「障泥鰂(アオリイカ)」・「雛鰂(ヒイカ)」の類いであろうか。
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