カテゴリ「村山槐多」始動 / 「槐多の歌へる」 村山槐多 詩 「二月」
カテゴリ「村山槐多」を始動する。
私は既に「心朽窩新館」に於いて「やぶちゃん版村山槐多散文詩集」を、また「心朽窩旧館」にて「遺書二通」の他、「癈色の少女」「鐵の童子」「居合拔き」「美少年サライノの首」「殺人行者」「惡魔の舌」「魔猿傳」「孔雀の涙」「魔童子傳」「繪馬堂を仰ぎて」『村山槐多全集「感想」所収作品』を、また「心朽窩新館」では「やぶちゃん版村山槐多散文詩集」といった作品をオリジナルを電子化しているが、ふと気づいて見れば、ネット上には肝心の彼の詩集の纏まったものが、意想外にも、どこにも存在しないことに遅ればせ乍ら、気づいたのである。
かの芥川龍之介は、鋭く槐多の才能を見抜いていた(私の『村山槐多遺稿詩文集「槐多の歌へる」の芥川龍之介による推賞文』を参照されたい)。
これはもう……僕が始めるしか――ない。
オリジナルの「村山槐多全詩集」を目指す――
底本は、まずは国立国会図書館近代デジタルライブラリーの大正九(一九二〇)年アルス刊の「槐多の歌へる」(正字正仮名)の画像を視認したが、その際、平成五(一九九三)年彌生書房刊の「村山槐多全集 増補版」(但し、新字旧仮名)で校合し、注を附した。なお、同「全集」版では総ての詩篇の最終連最終行に句点が打たれて〈殺菌〉整序されているが、これは最初の数篇までの注で示すに止め、以下は原則、省略した。他に所持する昭和二六(一九五一)年改造文庫刊草野心平編「村山槐多詩集」及び昭和五五(一九八〇)年彌生書房刊山本太郎編『世界の詩70 村山槐多詩集』も参考にした。
手始めに「詩」から始める。底本は各標記年度中の短歌・日記を詩篇の後に配してあるが、これは現行「全集」同様にまず詩篇だけを纏めて電子化することとする。但し、現行全集が独立章として分割している散文詩篇は底本通り、標記年度中に含めることとする。なお、「やぶちゃん版村山槐多散文詩集」で電子化した、底本及び「全集」ともに大正一八(一九〇七)年パートに入れてある散文詩的「童話」(五篇)は、詩篇とは独立させて再電子化する予定である。底本の標記年度の下にある丸括弧内の数字は槐多の年齢(数え)である。なお、底本の一部では、頁の組が変更され、二字分、有意に上っている箇所が散見されるが、これは思うに、実際の槐多自身の原稿の再現というよりも(同一頁内で行われている箇所はそのようにも見える詩篇もあるが)、一行の字数が長くなる箇所では、表記字数を増やすために、二字上げを行っている可能性が強いと判読した。従って、それは再現していない(一部では注で指摘した)。くれぐれも上記リンク先の底本で確認されんことを乞う。
千九百十三年(18)
二
月
君は行く暗く明るき大空のだんだらの
薄明りこもれる二月
曲玉の一つらのかざられし
美しき空に雪
ふりしきる頃なれど
晝故に消えてわかたず
かし原の泣澤女さへ
その銀の涙を惜み
百姓は酒どのの
幽なる明かりを慕ふ
たそがれか日のただ中か
君は行く大空の物凄きだんだらの
薄明り
そを見つつ共に行くわれのたのしさ。
×
ああ君を知る人は一月さきに
春を知る
君が眼は春の空
また御頰は櫻花血の如赤く
寶石は君が手を足を蔽(おほ)ひて
日光を華麗なる形に象めり
また君を知る人は二月さきに
夏を知る
君見れば胸は燒かれて
火の國の入日の如赤くたゞれ
唯狂ほしき暑氣にむせ
とこしへに血眼の物狂ひなり
あゝ君を知る人は三月さきにも
秋を知る
床しくも甘くさびしき御面かな
そが唇は朱に明き野山のけはひ
また御ひとみに秋の日のきらゝかなるを
そのまゝにつたへ給へり
また君を知る人は四月のまへに
冬を知る
君が無きときわれらが目すべて地に伏し
そこにある萬物は光色なく
味もなくにほひも音も打たへてたゞわれら
ひたすらに君をまつ春の戻るを。
[やぶちゃん注:「打たへて」はママ。平成五(一九九三)年彌生書房刊「村山槐多全集 増補版」(以下の注では「全集」と略す)では「打たえて」とする。「×」の記号は「全集」では、全く異なる「+」の記号が用いられている。]