博物学古記録翻刻訳注 ■16 滝澤馬琴「燕石雑志」及び「烹雑の記」に現われたる佐渡の異魚三十種に就いての記載
[やぶちゃん注:先般、カテゴリ『毛利梅園「梅園魚譜」』の「ハリセンボン」を翻刻訳注した際、そこに「佐渡には三十種の異魚あり」とあるのに出逢った。諸本を調べてみると、これは滝澤馬琴の考証随筆「燕石雑志」及び「烹雑(にまぜ)の記」がその濫觴らしいことが判明した。そこでこの二つの該当箇所を電子化訳注することとした。
「燕石雑志」は五巻六冊。文化八(一八一一)年刊。多岐にわたる古今の事物を和漢の書物から引用しつつ、考証したもの。「烹雑の記」も同年刊で、管見するに完全に「燕石雑志」の続編である。
前者については早稲田大学図書館の画像データベースでダウンロードした原典画像を視認して吉川弘文館「日本随筆大成」第二期第十一巻のそれと校合して、後者は「立命館大学アート・リサーチセンター」の同書の画像及び国立国会図書館デジタルコレクションの同書の画像の二つのデータを同じく「日本随筆大成」の第一期第二十一巻のそれと校合して翻刻した。掲載した図は「烹雑の記」に出る図譜で、「日本随筆大成」第一期第二十一巻のものを使用したが、実は「立命館大学アート・リサーチセンター」の原典の当該画像(以下の第Ⅱ-1図・第Ⅱ-2上図・第Ⅱ-2下図相当画像。同センターの画像はウェヴ公開を商用利用と位置づけて使用許可申請を要求しているので、ここでは以上の通り、リンクを示すのみとした)を見ると、単色乍ら、「日本随筆大成」所収のものとは遙かに異なる画像であることが分かった。特に陰影による魚体のグラデーションやマトウダイの円紋をはっきりと見て取ることが出来る。必見。
Ⅰでは、ルビは原典画像にあるカタカナをそのまま使用し、一部難読と思われる箇所に歴史的仮名遣で私が読みを附した。読み易さを考えて随筆大成版を参考にしつつ、読点や中黒を追加した。また。原典の角の丸い囲い文字は【 】に代えた。]
Ⅰ 『滝澤馬琴「燕石雜志」卷之一(十)物の名』より
[やぶちゃん注:《 》は「日本随筆大成」の方にのみ所収が確認出来る頭書で、恣意的に正字化して示した。こちらの引用と訳は、項目ごと、丸々を対象とした。]
□原文
○近江の源五郎鮒(フナ)は、室町家のとき、錦織(ニシゴリ)源五郎といふもの、湖水(コスイ)の漁猟(ギヨリヤウ)を司(ツカサド)りて、毎朝、大(おほい)なる鮒を京都に進(マヰ)らせしかば、この名ありといふ。佐渡(サド)に鯛の婿(ムコ)源八といふ魚(ウヲ)あり。しか名づけたる故は、しらず。この餘(ヨ)、【トクヒレ】・【瘤鯛】・【針千本】・【箱ふぐ】・【鮫の守り】・【かねたゝき】・【コウフク】・【龍宮の鷄】などいふ魚三十種(シユ)ありとぞ。予(ヨ)、いまだその魚を見ざれば、繪も圖(ヅ)せず。しれる人にたづぬべし。
《こゝに錄せし針千本、箱ふぐの類は、予、いぬる秋、左(さ)の乾(かれ)たるものを得たり。こゝに圖を出さゞるを遺憾とするのみ。》
□やぶちゃん注
原典では「○」が一字分上に突出している。「日本随筆大成」版では上文に続いて、
*
靜慮云。古歌当作二連歌一。蒐玖波集十四雑の連歌、
草の名も所によりてかはるなり
難波の蘆はいせの濱荻
*
と出るが(恣意的に正字化した)、これはどう見ても、次の条(地方によって固有名詞の呼称に大きな違いがあるという記載)の枕であるので除去した。
・「錦織(ニシゴリ)源五郎」原則、注を附さないと言い乍ら、早速に禁則破りであるが、大好きな鮒鮨絡みなれば少しだけ。これ、「フナズシ・ドットコム」の「琵琶湖の話 ニゴロブナの由来」に詳しい。それによると、源五郎は元は琵琶湖の漁師であったとあり、身分違いの大納言の姫君に恋をし、彼が父大納言に立派な焼き鮒を献上して姫が食したところ、その腹中より源五郎の恋文が出て参って二人は結ばれたとある。更に同じ馬琴の別の紀行「壬戌羇旅漫録(じんじゅつきりょまんろく)」にも『近江の源五郎鮒は。一説に佐々木家一國の主たりし時錦織源五郎といふ人。漁獵のことを司る。湖水に漁りたる大鮒を。年々京都将軍に獻ず。その漁獵の頭人たるによりて魚の名によび來たれり。』と引用、「錦織源五郎」が「源五郎鮒」に、それが「似五郎鮒」と転訛したという説を示しておられる。何となく、この「錦織」という姓、まさか、な……と思って調べて見たら……フェイスブックのとある御仁の書き込みに、正真正銘、「この」錦織源五郎、「かの」錦織圭のルーツに繋がる宇多源氏佐々木氏の家来だった、とあった。テニスにゃ、全くも以って興味はないが、一応――うっひゃあ!――と言っておこう。
・「トクヒレ」以下に掲げられる異魚については、後掲する「烹雑の記」で詳細に同定注するので注から原則、外した。「烹雑の記」の本文と図のキャプションでは「禿骨畢列(とこひれ)」。
・「コウフク」「烹雑の記」に出る「カウゴリ」と同一であろう。濁音表記しない「カウコリ」の手書き字は「コウフク」と誤写し易いように思われる。現代語訳ではそのままとした。
・「左(さ)の」「左右」で「さう(そう)」と読む「さ」(そ)を「その」の指示語に当て字したものであろう。
・「こゝに圖を出さゞるを遺憾とするのみ」手に入れた秋には本書が校了しており、版木を彫ってしまった後であったのであろう。だから図を附すことが出来なかったのだと推定される。事実、後に示すように、「烹雑の記」の当該箇所の冒頭には、この時のことを回想して記したと思しい、『しかるに、彼(かの)編刻成(なる)のころ、相川の夏海子(なつみし)、件の異魚の乾(かれ)たるを贈れり。〔凡四品。〕」こゝにおいて、その図を載ざるを遺憾とす。故に今、これを圖す』とあるから、間違いない。
□やぶちゃん現代語訳
○近江の源五郎鮒は、室町幕府のあった頃、錦織(にしごり)源五郎といふ者が、琵琶湖水に於ける漁猟を幕命によって掌っており、毎朝、大いなる鮒をこれ、京都に進上していたことから、この名があると伝える。佐渡には、「鯛の婿源八(むこげんぱち)」という魚がいる。かく、名づけたその由縁は知らぬ。この他にも佐渡にては、「トクヒレ」・「瘤鯛」・「針千本」・「箱ふぐ」・「鮫の守り」・「かねたたき」・「コウフク」・「龍宮の鶏(にわとり)」などという、奇体な魚が三十種もいるとのことである。私は未だその異魚類を見たことがないので、絵も描くことが出来ない。そのうち、知れる人に尋ねてみようと思っている――ここに載せた「針千本」及び「箱ふぐ」の類いについては、私は昨年の秋、その乾したものを手に入れた。入れる余裕がないので図を出せないことを遺憾とするばかりである――。
Ⅱ 『「烹雜の記前集 上二卷」「二 多湊(さはと)ぶり」』より
[やぶちゃん注:同標題内の一条。「多湊(さはと)」とは冒頭で「佐渡はさはとの中略なり」とあるように、この「多湊ぶり」の章は膨大な佐渡の物類呼称及び地誌・物産誌に相当する。ここでは標題の佐渡異魚三十種と、それに続くところの海洋生物関連らしきものを含む記載までとした。但し、図Ⅰはその後に続く佐渡産の奇石類等の絵を多く含んでおり、それがまた、すこぶる興味深く、原文を示して注したい願望に駆られるのであるが、そうするとまたまた本テクストの公開が遅れるので、またの機会としたい(左画面下に画師の署名と落款があるが、これは「辰斎」で、葛飾北斎門人であった柳々居辰斎である)。一つだけ指摘しておくと、奇石の図の中に、さり気なく配されてある中央下の「カニツカ」(右図の左端。蟹塚。蟹の墓場の謂いであろう)、キャプションは『蟹のぬけたるそのはさみ、浪にゆりよせられいくつともなく、つきて、蓮花の如し。これは佐渡ならでもあり。今、童蒙の爲にこゝに圖す』とあって、これは極めて高い確率で足動物門甲殻亜門顎脚綱鞘甲亜綱蔓脚下(フジツボ)綱下綱完胸上目有柄目ミョウガガイ亜目ミョウガガイ科カメノテ Capitulum mitella のことを指している。佐渡ではカメノテを食べることを私は確認している。〔 〕は割注。《 》は頭書(漢文脈箇所は訓読し、「々」の字を正字化した)。こちらの原典はほぼ総ルビであるが、五月蠅いので取捨選択してパラ・ルビとした。読み易さを考えて一部に改行を施した。]
図Ⅱ-1
□本文原文
佐渡に三十種の異魚ありといふ。予、曩(さき)に燕石雜志を編(あめ)るとき、その三、四種を載(のせ)たりしが、いまだ形を見ざりき。しかるに、彼(かの)編刻成(なる)のころ、相川の夏海子(なつみし)、件の異魚の乾(かれ)たるを贈れり。〔凡四品。〕」こゝにおいて、その図を載ざるを遺憾とす。故に今、これを圖す。所云(いはゆる)三十種の異魚は、
○「とこひれ」〔文鰩魚(とびうを)に似たり。六ノ稜(かど)、及、小き刺(はり)あり。〕
○針千本〔かたち、しほさえふぐといふものに似て、全身に刺(はり)あり。〕
《追考。「和名鈔」に『鯸※1(コウイ)、和名布久閉(フクベ)、之を犯ときは則、怒る。怒れは則、腹、脹(ハ)りて水上に浮み出る者なり。』。これ、江戸の俗の、「しほさえふぐ」と唱るものなり。石伏は※1なり。「和名鈔」に、『「※1」は、音、夷。和名、「伊師布久」、性、伏沈して石間に在る者なり。』。》
[やぶちゃん字注:「※1」=「魚」+(「頤]-「頁」を(つくり)とする)。]
○箱河豚〔海すゞめといふものに似たり。〕
○鯛の聟(むこ)源八〔鯛に似て、極(きはめ)てちひさし。〕
○鮫の守(まも)り〔魚にあらず、海ほうづきといふもの如し。又、そのかたち、藤(ふぢ)まめに似たり。〕
○鉦たゝき〔鏡鯛に似たり。〕
○かうごり〔末ㇾ詳、石伏(いしふし)の事にや。石伏の一名を「ゴリ」といふ。このもの、二種あり。海・河ともにあり。眞物(まもの)は、腹の下に、ひれありて、杜父魚(とほぎよ)に似て、小なり。声ありて夜(よる)鳴く。ひれに、はりあり。海なるは、やわらかにして、河なるは、するどきよし、「山海名産圖会」にいへり。「カウゴリ」は、河石伏(かふごり)なるべし。〕
○瘤鯛(こぶだひ)〔佐渡にてかんたひといふ、これにや。未ㇾ詳。〕
○海馬(かいば)〔佐渡ならでもあり。大きなるは稀なり。〕
○竜宮雞(りうぐうのとり)〔鬼頭魚の奇品なり。〕
この類、三十種ありとぞ。余はいまだ詳(つばら)ならず。これらを本草に考なば、漢名(かんみやう)のしらるゝも、又、能(のう)・毒もあるべけれど、今、倉卒(さうそつ)の間(あはひ)に錄(ろく)するをもて漏(らう)せり。他日(たじつ)、考(かふがへ)たゞすべし。〔トコヒレ・鉦たゝき・竜宮の雞は、ある人所蔵の画幅を臨写す。〕
又海中に生ずる異草四種あり。
○雪海苔〔土呼(とちのとなへ)は詳ならず。〕
○蔓藻〔海藻(もくず)なり。〕
○海松(かいせう)
○海柳(かいりう)
[やぶちゃん注:ここには原典で改行がある。]
又、海濱(うみべた)に稀に流れよるもの四種。
○藻玉(もたま)
○蛸船(たこふね)
○巨葭(おほよし)
○椰子(やし)〔今按ずるに、藻玉(もたま)、一名(いちみやう)「藤榼子(とうかふし)」、一名「猪腰子(ちよようし)」。この物、蛮國に生ず。「本草綱目啓蒙」卷ノ十四の上、「榼藤子(たふとうし)」の条下を考ふべし。蛸舟(たこふね)は、相摸の江ノ島にていふ鰹の烏帽子(えぼし)の類(たぐひ)なるべし。又、按ずるに、「本草綱目啓蒙」卷ノ一の十、背椰子の條下に、椰子、通名(つうめう)「ヤシホ」、又、津軽にては、「タウヨシノミ」といふよし、見えたり。〕
[やぶちゃん注:ここには原典で改行がある。]
又、花卉(かさう)・鳥獣は、
○黒萩(くろはぎ)〔小倉村にあり。他所(たしよ)にあるは葉、短し。〕
○白蒿(しろよもぎ)〔小泊村、及、西三河にあり。〕
○雪割草〔方言、未だ詳ならず。銀山にあり。又、他所にもあり。〕
○福壽草〔小川村・達者村の辺、特に多かり。〕
○人參草(にんじんさう)〔長江・栗(くり)ノ口・大野等の村にあり。〕
○鷲の巣〔二見(ふたみ)・北※2・岩屋口(いわやくち)・関願(せきぐわん)・深浦(ふかうら)・沢崎(さわさき)・大杉(おほすぎ)等(とう)の村々にあり。〕[やぶちゃん字注:「※2」「犭」+「夷」。]
○寄鯨(よりくじら)〔稀にあり。〕
○玳瑁(たいまい)〔このもの、元文三年のころ、獲たりし事ありとぞ。海亀(うみかめ)は常にあれども、玳瑁は、そのゝち、聞えず。〕
○海獺(うみをそ)
○海豹(かいひやう)〔稀にあり。〕
○葦鹿(あしか)〔北海の俗、「トヾ」といふ。〕
○山獸は狸と兎のみなり。貉(うじな)ありといへども、狸に混雑して慥(たしか)ならずとなん。
○雪なだれ〔形、海月(くらげ)に類す。その色、潔白にして、雪の解(とく)るがごとし。この物、稀にあり。土俗(とちのひと)、これを「雪なだれ」といふ。これ、「大和本草」に所云(いはゆる)、北海に雪魚(ゆきうを)あり。方一丈餘(よ)、その形、鰈(かれい)のごとし。その肉、白くして雪のごとく、脂(あぶら)なし。好(このみ)て海上に睡(ねむ)ると、いへり。これなるべきよし、ある物にしるされたり。〕
□Ⅱ-1図右上の「針千本」(ハリセンボン)のキャプション
針千本
かたちは、「しほさへふぐ」の如くして、惣身の刺(ハリ)は、栗のいがの如し。
Ⅱ-1図左上中央の「箱フグ」(ハコフグ)のキャプション
箱フグ
「海すゝめ」に似て、かたち、もつとも四角なり。
Ⅱ-1図左上の「鯛ノ聟源八」(マツカサウオ)のキャプション
鯛の聟 源八
鯛に似て、極めてちひさく、鱗は甚だ、するどし。
Ⅱ-2上図の「禿骨畢列」(トクビレ)のキャプション
禿骨畢列〔とくひれ魚〕
解(とく)、按ずるに、方言「とこひれ」とは、「長鬣魚(とこひれうを)」の義にや。又、「鋭鰭(ときひれ)」の義にや、「こ」と「き」と通ず。この物、鮫の種類ならん歟(か)。目は黄なり。頭より脊(せなか)に至(いたり)て、すべて薄靑(うすあを)色也。鰭の端は褐色(かちいろ)にて、その餘(よ)は水色に薄黒を帯(おび)て、斑(まだら)に点あり。鰓(あぎと)の端、少(すこし)許、紅(あかし)。
[やぶちゃん字注:以下、下段。]
或記云(あるひとのきにいはく)、此(このうを)、全躰(ぜんたい)、文鰩魚(とびうを)に似たり。六の稜(かど)に小(ちひさ)なる刺(はり)あり。針毎(こと)に細脉(こまかなるすぢ)、亀甲の紋の如し。その質(しつ)、堅硬(かたし)。乾枯(ほしからし)たるものは、年を径(ふ)れども壞(やぶ)れず、径(ふ)ること久しければ、褐色(かちいろ)に變じて、漁人(ぎよじん)、肉を食(くら)ふこと、をしまず。只、乾腊(ほしなし)として玩物(もてあそび)に供(けうす)るの者、長大なるものは、長さ尺餘(よ)なり。上下の長鬣(ちやうれう/ナガキヒゲ[やぶちゃん字注:後者は右に附す。])これをひらけば、雨傘(からかさ)の如し。他魚(たのうを)とおなじからず、といふ。
Ⅱ-2下図の「龍宮の鷄」(アカナマダ?)のキャプション
龍宮の鷄
或(あるひと)のいへらく、「龍宮鷄(りうぐうのとり)」とは、佐渡の方言也。これ、「鬼頭魚(おこじ)」の奇品なるものなり。後(うしろ)に冠(かん)ありて、鷄(にわとり)に似たり。横肚(よこはら)に小(ちいさ)なる方点(はうのてん)、高起(たかくいで)て、刻鏤(きざみゑれ)る如し、乾枯(ほしから)したるものは堅硬(かたく)して、海馬(かひば)に似たり。今、按するに、全體、その色、薄紅(うすくれなゐ)にして、火魚(かなかしら)の如し。實に「おこし」の種類なるべし。
Ⅱ-2下図の「鉦敲魚」(マトウダイ)のキャプション
鉦敲魚
この魚は佐渡のみにあらず、相(さがみ)・豆(いづ)の海中に多くあり。或(あるひと)いへらく、魚の形、大小、一ならず、大なるものは尺(しやく)許(よ)に至るもあり。鱗、なし。その色、薄黑(うすすみ)に靑と黄を帯(おび)て、光澤(つや)あり。横肚(よこはら)は水色の中に薄紅(うすくれなゐ)を帯(おび)たり。鰺(あぢ)の如し。両面に黒圓(くろまろき)紋(もん)あり。この魚、脂(あぶら)ありて、味(あぢわひ)、美なり。相(さがみ)・豆(いづ)の海中、冬・春の交(あいだ)、多くこれを獲る。漁戸(れうし)、これを「的魚(まとうを)」といふ。又、「賀陀比(かだひ)」と呼ぶとぞ。
[やぶちゃん注:以下、同個体の尾鰭の下方にある。]
今、按するに、これ、江戸にていふ「加々美夛比(かかみたひ)」の奇品なるべし。
琴嶺興継写 (落款)(落款)
□やぶちゃん注
・「相川の夏海子」佐渡相川生まれの絵師石井夏海(天明三(一七八三)年~嘉永元(一八四八)年)。通称は静蔵、別号に安瀾堂。絵画を谷文晁と紀南嶺に、測量や油絵を司馬江漢に学んだ。佐渡奉行所地方付(じかたつき)絵図師として天保八(一八三七)年、子の文海とともに伊能忠敬作成の「佐渡図」を改訂した。滝沢馬琴・式亭三馬らと親交があり、狂歌も詠んだ。戯作「小万畠双生種蒔(こまんはたけふたごのたねまき)」などの創作もものした(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠る)。「日本随筆大成」の丸山季夫氏の解題によれば、この「烹雑の記」に記された膨大な佐渡の情報や資料の多くは、この夏海から齎されたものと言われているとある。個人ブログ「佐渡広場」の「佐渡の画廊37:石井夏海・文海の絵画・絵図」で豊富な画像とともに、この石井夏海の業績を知ることが出来る。必見!
・「とこひれ」解説よりなにより、附図を見れば一目瞭然、これは条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目カジカ亜目トクビレ科トクビレ亜科トクビレ属 Podothecus sachi である。ウィキの「トクビレ」によれば、『ハッカク(八角)のほか、サチなど多くの地方名』があり、『和名のトクビレ(特鰭)は、雄にみられる大きな背鰭と臀鰭から付けられた。北海道と関東ではハッカクといい、これは角張った体の断面を八角とみた。青森ではサチといい、学名の Sachi はこれによる。他にヒグラン、フナカヘシ、ワカマツなどがある。北海道では雄をワカマツ、雌をマツヨ、あるいは雄をカクヨ、雌をソビヨと呼び分ける地域もある』とある。『トクビレは北日本・ピョートル大帝湾・朝鮮半島の東岸など、太平洋北西部を中心に分布する海水魚である。沿岸の浅い海で暮らす底生魚で、岩礁や砂泥に体を横たえ、甲殻類や多毛類を主に捕食する』。『体は細長く角張っていて、頭が鼻先に向けて尖る。ホウボウの仲間と類似し』、体長は四十~五十センチメートル程度まで成長する。背鰭は八~十本の棘条と、十二~十四本の軟条で構成されるが、鰭の形態に性的二形があり、雄の第二背鰭と臀鰭の軟条が異様に長く発達するのを特異的差異として観察出来る。また、『吻(口先)が長く突き出ており、腹側に』十本以上の『短い口ヒゲを有することが、近縁種との明瞭な鑑別点となる』(附図はそれも描いている)。『本種は味の良い白身魚で、日本では底引き網・定置網・刺網などで漁獲される。刺身・ 塩焼き・干物・軍艦焼き(腹に味噌を詰めて焼く郷土料理)など、さまざまな調理法が知られている』とある。所謂、異形に属する魚体ながら、私も大変に――見るのも食うのも――好きな魚である。
・「文鰩魚(とびうを)」「随筆大成」版は『文鰡魚』とし、ルビを振らないが、原典二種の画像を見る限り、私には「鰩」としか見えず、しかも孰れもはっきりと「とびうを」とルビする。因みに「鰡」はボラである。このトクビレ、ボラとトビウオ、どっちに似ているかといったら、私は断然、トビウオと思う。
・「針千本」条鰭綱刺鰭上目スズキ系フグ目ハリセンボン科ハリセンボン Diodon holocanthus 。附図は怒張し状態に模して乾燥させた加工品の図と思われる。同種の詳細については、私の『毛利梅園「梅園魚譜」ハリセンボン』の注を参照されたい。
・「しほさえふぐ」呼び名からは現在のフグ目フグ亜目フグ科トラフグ属ショウサイフグTakifugu
snyderi が想起されるが、ネット情報を見ると、現在でも同じトラフグ属のコモンフグ Takifugu snyderi を「ショウサイフグ」と呼称する地域や市場もあるとあるので、必ずしも特定同定はしない方が無難である。なお、「ショウサイフグ」は漢字では「潮際河豚」「潮前河豚」などと表記するようであるが、参照した「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「ショウサイフグ」によれば、『もとは東京、江ノ島、大阪などでの呼び名。意味由来は不明だが、このように細かな斑文のあるコモンフグも「しょうさいふぐ」という地域があり、波の崩れる様を思わせるためか?』とあり、さらに江戸で好んで食われた「フグ」はこのショウサイフグであったことを示唆する内容が書かれてある。さすれば、馬琴がこう言ったことを考えれば(馬琴は頭書で『これ、江戸の俗の、「しほさえふぐ」と唱るものなり』と言っている点にも着目されたい)、ショウサイフグ Takifugu snyderi に同定してよい可能性はかなり高いとも言えるように思われる。
・『「和名鈔」に『鯸※1(コウイ)……』(「※1」=「魚」+(「頤]-「頁」を(つくり)とする)。)源順の「和名類聚鈔」には、
*
鯸※1魚 崔禹錫「食經」云、鯸※1〔侯怡、二音。和名、布久。一云、布久閉。〕犯之則怒。怒則腹脹、浮出水上者也。
*
とある。「※1」は音「イ」で、「廣漢和辭典」によれば、中国ではフグを指す。
・「石伏」は現在は通常、「いしぶし」と訓じ、小石の多い水底にいる魚の意で、ハゼ科のウキゴリ、カワアナゴ科のドンコ、ハゼ科のヨシノボリといった淡水産のハゼ型をした魚類の別名として通用しているが、どうもその他にも雑多な河川性の淡水魚を広範に指す語と思われる(但し、くどいが中国では「※1」はフグを指す)。「和名類聚鈔」には、
*
※1 崔禹錫「食經」云、※1〔音、夷。和名、伊師布之〕、性、伏沈在石間者也。
*
とあり、馬琴の「伊師布久」は誤字或いは誤刻である。
・「箱河豚」フグ目ハコフグ上科ハコフグ科ハコフグ属ハコフグ Ostracion immaculatus 。詳しくは、『毛利梅園「梅園魚譜」ハコフグ』の私の注を参照されたい。
・「海すゞめ」ハコフグ科コンゴウフグ属ウミスズメ Lactoria diaphana 。ネット上の記事を読むと、最近、市場ではハコフグと一緒くたにされて売買されているようであるが、ウミスズメには眼の上部や尻鰭の基部の前方に短い棘状突起があることで容易に識別出来る。
・「鯛の聟源八」棘鰭上目キンメダイ目マツカサウオ科マツカサウオ Monocentris japonica 。詳細については、やはり私の先の『毛利梅園「梅園魚譜」ハリセンボン』の注を参照されたい。
・「鮫の守り」図を見て戴ければこれも一目瞭然、軟骨魚綱メジロザメ目トラザメ科トラザメ Scyliorhinus torazame の卵嚢と同定してよかろう。ウィキの「トラザメ」によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を¥も変更した)トラザメの『雌は輸卵管一本につき一個、合計二個の卵を産む。卵は滑らかで半透明、花瓶型をした黄色い卵鞘に包まれている。卵鞘は幅一・九センチメートル、長さ五・五センチメートルになる。卵鞘の四隅には長い巻きひげがある。卵は特定の成育場に産み付けられ、例えば函館の水深百メートルの地点にそのような場所がある。胚は、三・六センチメートル時点では外鰓を持ち、鰭は未発達で色素はない。五・八センチメートルになると外鰓が消失し、皮膚が小さな皮歯で覆われ始める。七・九センチメートルになると、よく発達した鰭と色素を持つようになり、成体と似た姿になる』。孵化までには水温によって差があり、一五ヶ月から七~九ヶ月がかかり、孵化時の大きさは概ね八センチメートル以上になる、とある。「鮫の御守り」という名は実に言い得て妙の美しい名である。卵嚢の中に小さな鮫がいることから「鮫の」と正しい親が知られ、その形から御守りとした、この美しい日本の古き良き市井の人々を、私は限りなく愛する。英語の“Mermaid Purse”(人魚の財布)の品のなさはどうか! 私の『生物學講話 丘淺次郎 第十章 卵と精蟲 三 卵 (3) 鮫の掛け守とうみほおずき 又は ……あなたは「うみほおずき」を鳴らしたことがありますか……僕には……あります……』に絵が出る。
・「海ほうづき」腹足類(巻貝)の卵嚢の呼称。植物のホオズキの実と同様に、口に含んでキュッキュッと音を鳴らして遊んだ。若い人は実物さえ見たことがもうないであろう。少し、哀しい気がする。前に引き続き、是非、『生物學講話 丘淺次郎 第十章 卵と精蟲 三 卵 (3) 鮫の掛け守とうみほおずき 又は ……あなたは「うみほおずき」を鳴らしたことがありますか……僕には……あります……』の図と私の注をお読み戴きたい。……キュッ……キュッ……という音とともに……遠い日の……私の思い出が……甦る……
・「藤まめ」マメ目マメ科マメ亜科フジ連フジ
Wisteria floribunda の実。グーグル画像検索「フジの豆」をリンクしておく。
・「鉦たゝき」キャプションをお読みあれ。これはもう、新鰭亜綱棘鰭上目マトウダイ目マトウダイ科マトウダイ属マトウダイ Zeus faber である。冒頭で述べたように、「立命館大学アート・リサーチセンター」の原典の当該画像でキマリだ! ウィキの「マトウダイ」から引く(注記記号は省略した。下線部やぶちゃん)。『口が前に伸びて馬面になる』『が、体側面に弓道の的のような特徴的な黒色斑をもち、マトダイ(的鯛)などとも呼ばれる『地方名に、カガミダイ(福島県、千葉県)、ハツバ(千葉県小湊)、カネタタキ(新潟県、愛媛県宇和島市)、クルマダイ(新潟県、富山県、石川県、福井県)、モンダイ(石川県能登町宇出津)、バト(福井県)、バトウ(京都府与謝郡、島根県)、ツキノワ(鳥取県)、オオバ(山口県萩市)、ホンマト(愛知県豊橋市)、マトウオ(和歌山県太地)、マトハギ(和歌山県串本)、マトウ(兵庫県)、ワシノイオ(福岡県)などがある』。『漢名は「海魴」、別名に遠東海魴、日本的鯛、月亮魚などがあり、英語のdoryに基づく多利魚という言い方もある』。『本種は英語で「John dory」と呼ばれるがその起源ははっきりわかっておらず、フランス語の「jaune d'orée(黄色い辺縁をもつもの)」など、由来については諸説ある。一方、ドイツ語(Petersfisch)・フランス語(Saint-Pierre)・スペイン語(pez de San Pedro)など他の複数の言語では、キリスト教における十二使徒の一人、聖ペトロにちなんだ名前で呼ばれる。聖ペトロは貢物のお金をマトウダイの口から取り出したとする伝承があり、本種の黒色斑はこのときにつけられた聖ペトロの指紋に見立てられている。また、英語でも的に見立てた「target perch」という別名もある』。『マトウダイは西部太平洋・地中海・インド洋・東部大西洋に分布する海水魚である。日本の近海にも多く、本州中部から東シナ海にかけての沿岸域に生息する。温暖な海の海底付近で暮らす底生魚で、群れは作らず単独で遊泳していることが多い』。『通常の食性は魚食性で、ときおり甲殻類や頭足類を捕食する。産卵は冬から春にかけて行われ、具体的な時期は地域によって異なる。卵は分離性浮性卵で、仔魚および稚魚は浅い海で成長した後、次第に』水深五十~百五十メートルの『深みに移行する。成長は比較的遅く、性成熟には』四年を『要することもある』。『左右に平たく、著しく側扁した楕円形の体型をもつ』。全長四十センチメートルほどの個体が多いが、最大では九十センチメートルにまで達する。『口は大きく斜め上向きで、前方に素早く突き出すことができ、そうやって餌をとらえる。稚魚の体はほぼ円形で、黒色~褐色の不規則な縦縞をもつ』。『体の両側面には明瞭な縁取りをもつ円形の黒色斑が存在し、本種の大きな特徴となっている。眼に似ていることから眼状斑とも呼ばれ、幼魚のときは鮮明だが成魚になるとやや不鮮明になる。同じマトウダイ科に所属する近縁のカガミダイ(Zenopsis
nebulosa)は本種とよく似た姿をしているが、黒色斑が不明瞭であること、頭部背側がやや陥凹することなどで区別される』。背鰭の棘条は九~十一本で、『前方部の鰭膜は糸状に細長く伸び』背鰭軟条は二十二~二十四本、尻鰭は四本の棘条と二十~二十三本の軟条で構成されている。『鱗は微小で、皮膚に埋もれる』。『白身魚で、味が良いため日本を含む世界各地で食用として利用され』、『旬は産卵期の前で、刺身・煮付け・唐揚げ・フライ・鍋料理などさまざまな方法で調理される。 肝も大きいため食用とされる』とある。
・「鏡鯛」マトウダイ目マトウダイ科カガミダイ属カガミダイ Zenopsis nebulosa 。前注引用にあるように、的が妙に薄くはっきりせず、何よりも、頭部の眼の上のオデコの部分が有意に凹んでいるのでマトウダイとは容易に識別出来る。馬琴先生、キャプションの『これ、江戸にていふ「加々美夛比(かかみたひ)」の奇品なるべし』は蛇足でごわした。
・「かうごり」最後の『「カウゴリ」は、河石伏(かふごり)なるべし』は腑に落ちる。以下、ウィキの「ゴリ」が多様な種を含む「ゴリ」の総説としてよいので、まず引用させてもらう。『ゴリ(鰍、杜父魚、鮖または鮴)は、一般的には典型的なハゼ類の形をした淡水魚を指す一般名、地方名である。ただし、一部にメダカ類やシマドジョウ類を指す地方も存在する』。「ゴリ」は特定魚類の『標準和名ではなく、ゴリの名で呼ばれる魚は地方によって異なる。スズキ目・ハゼ科に属するヨシノボリ類、チチブ類、ウキゴリ類など小型のハゼ類や、カサゴ目・カジカ科に属するカジカ類、あるいはその両方を合わせて呼ぶ場合などがある。「ゴリ」という語が標準和名に組みこまれているのは、ハゼ科・ウキゴリ属のウキゴリ類だけである』。『これらはいずれも川底に生息する淡水魚で、ハゼ類に典型的な大きな頭部、飛び出した目、大きな口などが特徴である。体色は褐色から暗褐色』で、概ねかく呼称される魚類は全長数センチメートル程しかない『小型魚である。一般に種類ごとの特徴がわかりにくく、よく似ている。ハゼ科の「ゴリ」では』、二枚の腹鰭が合わさって一つの吸盤のような役割を担っていて、『これで水底の岩などに吸い付くことで流れの比較的速い川にも生息できる。また、宮城県、島根県、高知県、大分県などの沿岸地域ではハゼ類の幼魚をゴリとよぶ場合がある』(カジカ類の腹鰭ではこうした吸盤化は見られない。本記述で馬琴が「眞物は、腹の下に、ひれありて」という叙述はその特徴を指そうとしているように読める点、正確である)。『青森県の南部地方、石川県の一部などでメダカを指す例があり、岐阜県郡上市ではシマドジョウを指す例がある』。『全国的には、淡水に生息するハゼ類がゴリと呼ばれる場合が比較的多い。しかし、琵琶湖近郊やその重要市場である京都市や徳島県などでは、ハゼ科のヨシノボリのことをゴリと呼ぶ』。『高知県、特に四万十川、それに和歌山県の東部ではハゼ科のチチブの幼魚をゴリと呼ぶ』。『地方によっては、ゴリカジカ、ゴリンベト、ゴリンチョ、ゴリンジョ、ゴリンドーなどの呼び名を使う例もある』。『日本語で「鰍」は「ゴリ」を意味するが、中国語で「鰍」はドジョウを意味する。中国語で「ゴリ」は、「杜父魚」と書かれる』。なお、慣用句の「ごり押し」について、『ハゼ科の「ゴリ」は、吸盤状の腹ビレで川底にへばりつくように生息するため、漁の際には網が川底を削るように、力を込めて引く必要がある。この漁法が、抵抗があるところを強引に推し進めるという意味の「ごり押し」の語源となっているという説がある』とある。
「このもの、二種あり。海・河ともにあり」一般にはゴリ類は河川性の純淡水産と思われがちであるが、実際には前の引用に出る「ゴリ類」の代表種であるチチブ・ヨシノボリ・ウキゴリなどは海と川を回遊し、河口付近の汽水域にも姿を見せるから、おかしな言いではない。また私は当時の「ゴリ」という呼称はハゼ型の形態を示すあらゆる魚類の汎称であったと考えており、そうすると純海産のマハゼやトビハゼなどをも含んでいたに違いなく、この謂いはしっくりくるのである。
・「杜父魚」最も真正にして代表的な「ゴリ」であるところのカサゴ目カジカ科カジカ(河鹿)Cottus
pollux 及びその近縁種の漢名。本邦では「鰍」が一般的(但し、この字は中国ではドジョウを意味する)。以下、ウィキの「カジカ」より引く。『地方によっては、他のハゼ科の魚とともにゴリ、ドンコと呼ばれることもある。 体色は淡褐色から暗褐色まで、地域変異に富んでいる。日本固有種で、北海道南部以南の日本各地に分布する。ただし、北海道に生息するのは小卵型のみである』。『分類については定説がまだなく、 大卵型(河川陸封型)中卵型(両側回遊型)小卵型(両側回遊型)をそれぞれ別種に、湖沼陸封型は小卵型と亜種に分ける説なども出ている』。『生活型によって、一生を淡水で過ごす河川型を大卵型、孵化後に川を下り稚魚の時期を海で過ごして成魚になると再び遡上する小卵型、琵琶湖固有のものをウツセミカジカ Cottus
reinii と分けることが多かったが、近年の研究により小卵型にウツセミカジカを含め、大卵型と小卵型に分けるようになった。また、これらは別種レベルの違いがあると考えられている。大卵型は、山地の渓流などの上流域を中心に、小卵型は中流域から下流域にかけて生息する。石礫中心の川底を好み、水生昆虫や小魚、底生生物などを食べる』。以下、三タイプの解説。河川型(湖沼陸封型)は『淡水を生活圏とし、水棲昆虫を餌とする。きれいな水を好みイワナやヤマメ、アマゴ等の魚と生息域が重なる。カジカ及びカンキョウカジカの性的成熟は』一年魚以上で、♂は体長七センチメートル、♀は体長六センチメートルを越えると産卵を行う。『卵には付着性があり卵塊となって石に付き、オスが孵化まで保護をする。産卵床の形成場所は、比較的流れの緩い"平瀬"や"とろ場"が多く、浮き石や沈み石は用いない。また、泥砂質の河床も利用しない』。開口部が一箇所しかない『洞窟状になった動きにくい石の河床との隙間が多く利用される。水通しの悪い卵塊では、ミズカビに犯され孵化しない』。『山地渓流の個体はダムや砂防堰堤などの構造物の設置によって移動が妨げられ、個体群の分断化がより進行している。また、平地域の個体は、埋め立て、コンクリート護岸化、道路建設などによって生息適地が縮小し、湧水量の減少にともない生息数が減少している』。両側回遊型は『比較的流れの緩やかな砂礫質の川底を好む。広い分布域を持つが、ダムや堰の建設により降海と遡上が阻害され全国的に減少している』。降河回遊型は『河川(淡水)で繁殖を行い、稚魚期を海水中で過ごし河川に遡上する。稚魚期は河口付近の表層を遊泳し、有る程度成長すると着底生活を送』り、孵化後八十日前後の三十ミリメートル程度に成長すると『遡上を開始すると考えられ』ている、とある。なお、「杜父魚」を近縁種であるカジカ科カマキリ Cottus
kazika(一般には「アユカケ」の異名の方が知られ、太平洋側は神奈川県相模川以南に、日本海側は青森県岩崎村津梅川以南に分布)に同定する辞書もある。
・「声ありて夜鳴く」これは「河鹿鳴く」の和歌に詠まれ、前の「ゴリ」の代表種であるカサゴ目カジカ科カジカ Cottus pollux に混同誤認された両生綱無尾目ナミガエル亜目アオガエル科カジカガエル Buergeria buergeri の鳴き声と思われる。現在でもこう誤認されている方は結構多い。因みに、カジカを獲らえた際にキューとかギーとか鳴くというのは、事実ではあるが、凡そ、この反証にはならない。
・「山海名産圖会」五巻から成る物産図会。木村蒹葭堂(けんかどう)序・蔀(しとみ)関月画で、撰者は蒹葭堂ともいうが不詳。「日本山海名物図会」再板(寛政九(一七九七)年板行。五巻。平瀬徹斎編著・長谷川光信画。江戸中期以降の物産会所や物産学の隆盛を背景に初版は宝暦四(一七五四)年板行。鉱山業・農林水産・民芸・軽工業・市など庶民生活に関する産業技術を図解している優れた物産図会である)のあとをうけて寛政十一(一七九九)年大阪の塩屋長兵衛を板元として刊行されたもの。私は所持していないが、先行する「日本山海名物図会」はあるので一応見てみたところ、こちらにもゴリの記載はあるものの、ここで馬琴が述べている淡水産と海産の相違は語られていないように思われる。
・「瘤鯛」これは現行でもスズキ目ベラ亜目ベラ科タキベラ亜科コブダイ Semicossyphus reticulatus で、また馬琴が佐渡方言とする「かんたひ」は「カンダイ」であり、これは現行でも方言ではなく、コブダイの、頭部の上下が異様に大きく瘤状に膨れあがっているところの、♂の呼称である(本種は後で示すように成長過程で♀から♂へ性転換する雌性先熟である)。以下、ウィキの「コブダイ」から引く。『日本南部の太平洋、東シナ海、南シナ海に分布している』。♂は体長八十センチメートルから大型個体では一メートル超に達する。『体色は茶色や黒、白色などが入った赤色』、『雌性先熟で、子供の頃はメスで、卵を産む』が五十センチメートルを超える頃から『コブが張り出してきて、オスに性転換する』。『名前の由来である頭部の上下は大きな瘤状に膨れあがっている。雌はカンダイと呼ばれ、雄に比べて遙かに小さいために、かつては別な種類の魚だとさえ思われており、雄のように頭部が異様な形にはならず、体長も大きくても雄の半分ほどにしかならない。口には巻き貝を砕くために大きな歯と強力な顎を持つ』。『幼魚は体色がオレンジ色で上下の鰭が黒く、白い線が体の横に入り、成魚とは大きく異なる』。『本種はハーレムを創る魚として有名であり、雄は自分のテリトリーを主張し、そこに入ってきた他の雄を容赦なく攻撃して、縄張りを確保しながら、複数の雌を呼び寄せる性質を持つ。また、幼魚には手を出さず、幼魚はそうして成魚に守られながら成長し、学習していくともいわれる』。『非常に強力な顎と硬い歯でサザエやカキ、カニなどをかみ砕き、喉の奥の咽頭歯で更に砕いて中の肉を殻ごと食べてしまう。繁殖は雄と雌が海上付近で体をくねらせながら産卵、受精する』。『本種は暖海性だが、死滅回遊魚でもあり、黒潮に乗って、北海道付近にまで北上することもある』。寿命は二十年前後とされている、とある。カンダイは旬である時期から、「寒鯛」かと推定される。
・「海馬」トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus の大型種の大型成体個体と思われる。本邦産のタツノオトシゴ類は「本朝食鑑 鱗介部之三 海馬」の私の注を参照されたい。
・「竜宮雞(りゆうぐうのとり)」という訓から容易に連想されるのは「龍宮の使い」という和名であろう。確かにウィキの「リュウグウノツカイ」を見ると、『中国・台湾では「鶏冠刀魚」』と呼ぶとあり、ミクシィの投稿記事には京都府での同種の呼称として「リュウグウノツカイ」が出る。いやいや……極め付けがある……東北芸術工科大学東北文化研究センターのアーカイブズの絵葉書にちゃんとリュウグウノツカイが描かれておってそこには「リュウグウノニワトリ」と書いてありまんがな……しかしでんなぁ、この附図のそれは、どうみても、
新鰭亜綱アカマンボウ目リュウグウノツカイ科リュウグウノツカイ Regalecus glesne(グーグル画像検索「Regalecus glesne」)
にしては体長も如何にも寸詰りやし、「使い」らしゅう、おまへんがな。……かと言うて、少し短そうな、
フリソデウオ科サケガシラ Trachipterus ishikawae(グーグル画像検索「Trachipterus ishikawae」)
も「鷄」にゃあ、見えへんし……そっか、「龍宮の使い」や「鮭の頭(かしら)」(クリチャーのギミックめいた頭部構造から「裂け頭」とついたという説もあるが、私は採らない)みたようなお偉いさんやのぅて……「龍宮の庭先で飼ってるニワトリ」だんがな!……じゃけ、これは紅い鶏冠(とさか)みたようなものがおますんやろ……と、当てずっぽうで調べて見れば、それらしいんは、
アカマンボウ目フリソデウオ科フリソデウオ Desmodema polystictum(グーグル画像検索「Desmodema
polystictum」)
か? いやいや!
アカマンボウ目アカナマダ科アカナマダ Lophotus capellei(グーグル画像検索「Lophotus capellei」)
が私にはピン! と来た! 背鰭の紅が鶏冠や! わては勝手にこれに決めました! まずはウィキの「アカナマダ」から解説を引く。体長は七十センチメートルから一メートルを越える程度だが、大型個体では二メートルを越えるものもいる。『太平洋と大西洋の暖海域に分布し、日本でもまれに漁獲され、主に北海道函館沖、神奈川県相模湾から鹿児島県沖、高知県沖、山口県沖などで漁獲、もしくは台風などの後に海岸に打ち上げられる事がある』。『強く側扁した細長い体や灰色の体色、基底が長く、頭部分の張り出しが目立つ赤色の背鰭といった特徴からフリソデウオ科の魚に似るが、臀鰭があることや前頭部が隆起していることで区別できる。口には幾つか歯が生えている』。『うきぶくろの下方に墨汁嚢を持ち、肛門から墨汁のような液を噴出する奇妙な習性がある』。『深海魚なので、詳しい事は不明。他のアカマンボウ目の魚類のように、表層部分を頭部を上にして漂っていると言われるが、定かではない』。『墨汁を吐くのは敵から身を守るためと云われるが、太陽の光が届かない暗黒の深海で墨汁を吐く意味と必要性については確かめられておらず、謎に包まれている』とある。――さても、そもそもがこの附図の個体、頭が如何にもニワトリニワトリしているのが、却って怪しいじゃないか?! 鰓部から上の鶏じみた頭部はこれ、明らかに時間が経って大方の部分が剥落したといった感じで見た方が自然に理解出来ると私は思う。前頭部からひょろりと出ているのが、生体では旗指物のように見える刎部直上に生える赤色の背鰭痕跡であるらしいこと、尻鰭があることなどから私はアカナマダに譲らないのである。なお、アカナマダは「赤波馬駄」と書くらしいが、「ナマダ」というのは関東でウツボを指す語である。これは「赤いウツボみたような変な魚」という意ではなかろうか。
・「鬼頭魚」後で注するように「おこじ」と訓じる箇所が出るし、この「龍宮の鷄」の異形の魚体を見る者は百人が百人、これは新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目 Scorpaeniformes に有象無象巣くうけったいな魚相魚体のオコゼ連中のことだ、と思うに違いない。しかし私は、ここは勝手に、現行でも生きている「シイラ」のことではないか? と直感するのである。それはこの「龍宮の鷄」をアカナマダに同定したことに由来する。アカナマダとシイラとオコゼの仲間を並べて見て貰いたい。これはもう、偏平で頭のでかいシイラとアカナマダにこそ、兄弟の契りはあろうというもんだ! 因みに、シイラという外国語みたような名の由来は「秕(しいな)」であって、これは殻ばかりで実のない籾(もみ)のことを言う。シイラは皮が硬い上に身が扁平で薄いことから可食部分が少ない、という不名誉な呼称なのである。
・「この類、三十種ありとぞ。余はいまだ詳(つばら)ならず」残り、二十種の名前だけでも記して欲しかったです! 馬琴先生!! 「他日、考たゞすべし」て言ってるのに! もう!! 何となく、たとえばミノカサゴとか、ね……佐渡の漁師の方、一つ、三十種数え挙げてみて呉れませんか?
・「倉卒の間(あはひ)」「倉卒」は「さうそつ(そうそつ)」と読み、①突然であること。だしぬけ。②慌ただしいこと。忙しくて落ち着かないこと。③軽はずみであること。いい加減であることで、ここは②の意。通常は「倉卒の間(かん)」と読む。「倉」も「卒」も孰れも、にわか・慌てる・慌ただしいの意があり、畳語である。
・「雪海苔」岩海苔。ウィキの「岩海苔」の解説文中に、『雪海苔として知られる新潟県の岩海苔』と出、「産地」の最後にも『雪海苔-北陸地方の日本海沿岸』とある。以下、ここでも今まで通りの詳細な注を附したい願望に駆られるが(特に私は海藻には眼がなく、二度行った佐渡では神馬草(ホンダワラ)を始めとして十種近くの海藻を土産に買ってしまった海藻フリークでもある)、以降は佐渡異魚三十種から外れるので、今は、あさあさと済ませることとする。
・「蔓藻〔海藻(もくず)なり。〕」「日本随筆大成」版は『藻海』とあってルビがない。誤植か。これは不等毛植物門褐藻綱ナガマツモ目モズク科イシモズク属イシモズク Sphaerotrichia divaricata と思われる。本邦では産生が少ないモズク属モズク Nemacystus decipiens に比すと、より食感が堅く、佐渡では養殖もされていて、私も最も好む食感のモズクである。因みに種名 Sphaerotrichia は「球+糸」、種小名 decipiens は「二股に分かれた」の意である(以上は、学名の由来も丁寧な私のすこぶる偏愛する海藻図鑑田中次郎氏の解説になる「基本284 日本の海藻」(二〇〇四年平凡社刊)に拠る)。
・「海松(かいせう)」緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル Codium fragile に同定しておく。因みに、「みる」は万葉以来の古称であるが、語源は不明である。不明ゆえにこそ、私は何とも美しい響きと感じるものである。
・「海柳(かいりう)」恐らくは十種ほどしか植生しない日本産海産種子植物の代表種である単子葉植物綱オモダカ亜綱イバラモ目アマモ科アマモ Zostera marina 、いやさ、最も長い植物名(異名)として知られるリュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ(龍宮の乙姫の元結の切り外し)であろう。
・「藻玉(もたま)」「藤榼子(とうかふし)」「猪腰子(ちよようし)」『この物、蛮國に生ず。「本草綱目啓蒙」卷ノ十四の上、「榼藤子(たふとうし)」の条下を考ふべし』 マメ目ネムノキ科モダマ(榼藤子)属モダマ Entada
phaseoloides というマメ科の常緑蔓性植物があるが、これはアジア・アフリカの熱帯・亜熱帯に分布し、本邦では屋久島乃至は沖繩の海岸近くの樹林に生ずる莢が長さ一メートルほどにもなる巨大なことで知られる陸生植物であるが、そもそもがこれ以降は「海濱(うみべた)に稀に流れよるもの四種」なのであって、海産生物である必然性はないのである。「この物、蛮國に生ず」とし、後に「巨葭」「椰子」が出ることから考えると、このマメ科のモダマの莢が、はるばる対馬海流に乗って佐渡まで漂着したのだと考えても、これ強ち、おかしなことではない。しかも「本草綱目啓蒙」の当該項を読んでみると、蘭山の記述もこれ、明らかにモダマの実と感じさせる叙述なのである。諸州に漂着し、『皆、海藻に混ず。故に拾ひ得るものあれば、誤認して藻實とす。因て「モダマ」の名あり』とし、その実の形は『圓扁、大さ一寸、あつさ三分ばかり。あるひは二寸、あつさ四分許。大小、常ならず。栗殻色あるひは赤を帶、或は黑をおぶ』とあるのである。これはもうモダマ Entada
phaseoloides でキマリ、である。
・「蛸船(たこふね)」「蛸舟は、相摸の江ノ島にていふ鰹の烏帽子の類なるべし」頭足綱八腕形上目タコ目アオイガイ科アオイガイ属タコブネ Argonauta hians の♀が生成する貝殻である。タコブネについては「大和本草卷之十四 水蟲 介類 タコブ子」の私の注を参照されたい。「鰹の烏帽子の類なるべし」は誤認。「鰹の烏帽子」は言うまでもなく、刺胞動物門ヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目カツオノエボシ科に属する群体クラゲであるカツオノエボシPhysalia
physalis であってタコブネとは何の関係もない(カツオノエボシについては私の『海産生物古記録集■1「立路随筆」に表われたるカツオノエボシの記載』の注を参照されたい)。タコブネが海上を帆走遊泳するというトンデモ流言による程度の低い安易な敷衍解釈で、稀代の戯作者馬琴先生にしては少々イタい誤りである。私も高校時代、富山の氷見海岸で採取した大型の三個体の殻を宝としている。
・「巨葭(おほよし)」文字通りの、単子葉植物綱イネ目イネ科ダンチク亜科ヨシ
Phragmites australis の大きく成長して植生地の河口附近から脱落して漂着したものであろう。ネット検索をかけると、富山県で今年(二〇一五年)の四月の新聞記事で、富山市神通川河口の海岸沿いに大量のアシが漂着し、住民を困らせている、というニュースを見出せる。
・「椰子(やし)」『「本草綱目啓蒙」卷ノ一の十、背椰子の條下に、椰子、通名(つうめう)「ヤシホ」、又、津軽にては、「タウヨシノミ」といふよし、見えたり』。単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科 Arecaceae のヤシ類の実の漂着である。『「本草綱目啓蒙」卷ノ一の十』この数字は誤りである。少なくとも現行の「重訂本草綱目啓蒙」では「卷之二十七果部」の「果之三」の十五番目に「椰子」はある。巻数ばかりではなく、この「背」も不審である。これは全くの推理に過ぎないのだが、これは原稿には正しく「卷ノ二十七椰子」と書いてあったのではなかったか? 翻刻の誤りの可能性である(訳では勝手に訂した)。七の大字(「壱」「伍」のように改竄や誤認を避けるために単純な字形の漢数字の代わりに用いる漢字)の一つは「柒」で、恐らく草書では「背」に似ているのではなかろうか? なお、「本草綱目啓蒙」の当該箇所では『椰子 通名 ヤシホ トウヨシノミ〔津輕〕』と確かにある。
・「黒萩(くろはぎ)」不詳。ヤマハギの変種で、マメ科ハギ属クロバナキハギ(黒花木萩)Lespedeza
bicolor var. higoensis というのが「Weblio辞書 植物図鑑」にあるが、分布域が愛知県と熊本県とあって一致しない。
・「小倉村」現在の(以下省略)佐渡市小倉。小佐渡のほぼ中央。棚田で知られる。
・「白蒿(しろよもぎ)」キク亜綱キク目キク科ヨモギ属シロヨモギ Artemisia stelleriana 。ウィキの「シロヨモギ」によれば、本邦では『北海道、本州の新潟県・茨城県以北に分布し、日当たりのよい海岸の砂地に生育』し、『全体が白い綿毛でおおわれ、雪白色になるため、シロヨモギ(白蓬)という』とある。
・「小泊村」佐渡市羽茂小泊。小佐渡の西、素浜(そばま)海岸に面する。
・「西三河」佐渡市西三川。小泊の内陸側。砂金山で知られる。施設や地理対象によって「西三河」とも表記されている。
・「雪割草」これはキンポウゲ目キンポウゲ科ミスミソウ Hepatica nobilis var. japonica及び同変種のオオミスミソウHepatica
nobilis var. japonica f. magna 及びHepatica
nobilis var. japonica f. variegata を指す(現在和名として別に高山植物のツツジ目サクラソウ科サクラソウ属セイヨウユキワリソウ亜種ユキワリソウPrimula
farinosa subsp.
modesta があるが、これではない)。私の定宿「ホテル大佐渡」のブログの写真をリンクしておく。
・「銀山」佐渡市下相川及び相川北沢町を中心とした大量の金銀を産出した所謂、佐渡金山、相川鉱山のことであろう。
・「福壽草」キンポウゲ目キンポウゲ科フクジュソウ Adonis ramosa 。特に珍しいものではないと思われるが、おそらく夏海から得た情報にリストされてあったのであろう。絵師であった彼にして荒海の佐渡で春を告げる福寿草は、殊の外、忘れ難い美花であったであろうことは想像に難くない。
・「小川村」佐渡市小川。北部の大佐渡の尖閣湾の一部である海府海岸(そとかいふかいがん)の西端に位置する。
・「達者村」佐渡市達者。尖閣湾の一角で小川の東北部。山椒太夫伝承で生き別れとなっていた母とその子厨子王がこの地で再会して互いの達者を喜んだことに由来する。
・「人參草(にんじんさう)」ニンジンソウはざっと調べて見ても、以下の三種が候補に挙がる。
バラ亜綱セリ目セリ科ヤブジラミ Torilis
japonica
セリ科セントウソウ Chamaele
decumbens
キク亜綱キク目キク科キク亜科ヨモギ属カワラニンジン Artemisia
apiacea
同定不能。但し、これも孰れも全国に分布する種である。
・「長江」佐渡市長江。加茂湖の北西。
・「栗(くり)ノ口」不詳。佐渡市栗野江という地名が。小佐渡の内陸寄りにある。
・「大野」長江の北方にある佐渡市梅津大野か。
・「二見」佐渡市二見。大佐渡の最西南端で真野湾の西の端に位置する。
・「北※2」(「※2」「犭」+「夷」。)不詳。ただ、現在、両津湾の西側の大佐渡に佐渡市北五十里(きたいかり)という地名を見出せる。現代語訳ではこう訓じた。
・「岩屋口」佐渡市岩谷口。大佐渡の北、外海府海岸に位置し、修行僧の籠った岩屋洞窟がある。
・「関願(せきぐわん)」岩谷口の南にある佐渡市関か。
・「深浦」佐渡市深浦。小佐渡の西端の港町。
・「沢崎(さわさき)」佐渡市沢崎(さわさき)。深浦の北側。
・「大杉」佐渡市大杉。小佐渡の本土側の海岸線に位置する。
・「寄鯨(よりくじら)」これは能動的に寄ってくる鯨ではない。死んだり弱ったりして海岸に漂着したクジラを指す語である。
・「玳瑁(たいまい)」鼈甲細工の原料とされて別名「鼈甲亀」とも呼ばれた、一属一種の爬虫綱カメ目潜頸亜目ウミガメ上科ウミガメ科タイマイ Eretmochelys imbricata 。彼らはインド洋・大西洋・太平洋の熱帯・亜熱帯の海水域を繁殖域とし、本邦は最北の繁殖地として石垣島や黒島などで少数の産卵が見られるばかりであるから、この佐渡でのタイマイの捕獲(ここは「海亀は常にあれども」「獲たり」とあり、死後の亀甲の漂着ではない感じがする)は、迷走して渡って来たとすると驚異的である(タイマイは珊瑚礁が発達した海洋を棲息域としてカイメン類を常食とするウミガメで、外洋を回遊すること自体が稀だからである。ここはウィキの「タイマイ」を参照した)。
・「元文三年」西暦一七三八年。
・「海獺(うみをそ)」哺乳綱食肉(ネコ)目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科アシカ亜科 Otariinae のアシカ類を指す。中でもこれは、本邦に回遊してくるそれではなく、常在的に棲息していたニホンアシカ Zalophus japonicus を指している可能性が濃厚である。そして本種は既に……乱獲され、保護政策が全くとられないうちに絶滅してしまった日本固有種のアシカだったのである(ウィキの「ニホンアシカ」を是非、参照されたい)。……
・「海豹(かいひやう)」イヌ亜目鰭脚下目アザラシ科 Phocidae のアザラシ類。ウィキの「アザラシ」によれば、本邦近海では北海道を中心にゴマフアザラシ・ワモンアザラシ・ゼニガタアザラシ・クラカケアザラシ・アゴヒゲアザラシの五種が棲息する。
・「葦鹿(あしか)〔北海の俗、「トヾ」といふ。〕」アシカは前出なので、ここはアシカ類の中でも割注に出るトドで採りたくはなる。一属一種の巨獣アシカ科トド Eumetopias jubatu である。但し、ウィキの「トド」によれば、『"トド"という和名は、アイヌ語の"トント"に由来し、これは「なめし革」を意味する。日本各地にトド岩という地名も散見されるが、過去においては日本ではトドとアシカ(ニホンアシカ)は必ずしも区別されておらず、アシカをトドと呼ぶ事も度々みられ、本州以南のトド岩の主はアシカであったようである』とあるから、ここも巨大なトドを除く、中型のアシカ類の中で「海獺」と「葦鹿」が区別されていたと考える方が無難のようには思われる。先の「佐渡の画廊37:石井夏海・文海の絵画・絵図」で夏海が描くオットセイ(膃肭臍)の図などを手掛かりに考証したくなるところだが、取り敢えず、名残惜しいけれど、ここまでとしておく。
・「山獸は狸と兎のみなり」佐渡には狐はいない。狸もいなかったが、慶長六(一六〇一)年に佐渡奉行となった大久保石見守が金山で使用する鞴(ふいご)の革素材にするためタヌキを移入したのが始まりなのである。こんなことを何で知っているかというと、「耳嚢 巻之三 佐州團三郎狸の事」に出、続く「耳嚢 巻之三 天作其理を極し事」にも出て、さんざん調べたからなんである。
・「貉(うじな)」ネコ目イタチ科アナグマ亜科アナグマ Meles meles のことであるが、「うじな」という読みは初見。
・「雪なだれ」『「大和本草」に所云、北海に雪魚あり。方一丈餘、その形、鰈のごとし。その肉、白くして雪のごとく、脂なし。好て海上に睡ると、いへり』不詳。――形はクラゲに似ている――色はすこぶる白いもので雪が解けかけたもののような印象である――佐渡の人々がその見た感じがそっくりなことから「雪雪崩(ゆきなだれ)」と呼んでいる――貝原益軒の「大和本草」に『北海産の「雪魚」という海洋生物/約三メートル四方の鰈(かれい)に似た、大きさに比べて平たい四角っぽい形を成した生物/肉は全くの白身で脂がない/好んで海面にその巨体を浮かべては眠りこけている生物』であるとある書物に書かれていた生物……さても……私が最初に頭に浮かべたのは
――刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目ユウレイクラゲ科 Cyanea capillata の大型個体
だ。……しかしなぁ……「白身」や「脂」どころか、刺されたら、これ、てえへんなクラゲだしなぁ……次に……「白味」で「脂」がなくて「鰈」に似ている巨大な「魚」で考えてみたのは吊り上げでしばしば皆、CG合成と見紛う
――新鰭亜綱棘鰭上目カレイ目カレイ科オヒョウ属タイヘイヨウオヒョウ Hippoglossus stenolepis の♀
だった。巨大なものは体重二百キログラム超、確かに三メートルを超える……しかし、オヒョウは海面に浮かんで昼寝はせんぜよ!……となると白身で平たくてでっかくて四角くて海面で横たわって寝るとなると……こりゃ、もらもらちゃんや、ないかい?
――条鰭綱フグ目フグ亜目マンボウ科マンボウ Mola
mola
しかしだ……何より困ったことには、幾ら捜して見ても、益軒の「大和本草」には、ここに馬琴が引くような記載が見当たらないんである。……おまけに「大和本草」にはマンボウが項目として挙がっているものの、ここに書いてあるのとは、違う、如何にも自然なマンボウ君の話なのである。……最早、識者の御教授を乞うばかりである。よろしくお願い申し上げる。……
Ⅱ-2上図の「禿骨畢列」のキャプション・パート
・「解(とく)」滝澤馬琴の本名(元の興邦から改名したもの)。
・「乾腊(ほしな)して」丸干しにして。
・「他魚(たのうを)とおなじからず」この「おなじからず」の部分、判読に自信がなく、意味も良く分からぬ(訳は誤魔化した)。識者の御教授を乞う。
Ⅱ-2下図の「龍宮の鷄」のキャプション・パート
・「火魚(かなかしら)」カサゴ目ホウボウ科カナガシラ
Lepidotrigla microptera であろう。まあ、全体の頭でっかちの体型と、背面の橙色から赤褐色を呈した派手な雰囲気は、似ていないことはない(が「如し」とまでは私なら言わない。グーグル画像検索「Lepidotrigla microptera」をリンクしておくので、前にリンクしたアカナマダのそれと比較されたい)。
Ⅱ-2下図の「鉦敲魚」(マトウダイ)のキャプション・パート
・「許(よ)」「餘」に同じい。
・「薄黑(うすすみ)」「黑」はママ。
・「賀陀比(かだひ)」ウィキの「マトウダイ」には別名として、地方名に、カガミダイ・ハツバ・カネタタキ・クルマダイ・モンダイ・バト・バトウ・ツキノワ・オオバ・ホンマト・マトウオ・マトハギ・マトウ・ワシノイオを掲げるが、それらしいものはない。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「マトウダイ」を見ると、マツダイ・マテ・マトダイ・マトエ・ツキノワ(月の輪)・ツキ・ヤイトウオ(灸魚)・ワシウオ・ワシダイ・モンダイ(紋鯛)・モンツキ(紋付)・ウマダイ(馬鯛)・ウマウオ(馬魚)・カガミとあり、その中に遂に「ガダイ」というのを見つけた。これはどうも円紋を絵に画いたように見えるという「画鯛」ではあるまいか?
・「加々美夛比」「夛」は「多」の異体字。
・「琴嶺興継写」馬琴の一人息子滝澤興継(おきつぐ)。琴嶺は号。他に宗柏。松前候の医員であった。馬琴はこの子を非常に可愛がり、医師としての評判を上げてやるために自作の作品の中で宣伝をしたり、彼の名で自身が代筆までしているが、正体不明の病いを患い、天保六年(一八三五)に三十八歳で若死にしている。上図の「禿骨畢列」の絵も同じ。署名は「十四屋(?)琴嶺」か。彼は「琴嶺舎」とも号したから「屋」は何となく分かるが「十四」は不詳。識者の御教授を乞う。
□やぶちゃん現代語訳
[やぶちゃん注:一部の文脈を、より分かり易い位置に変更してある。]
佐渡に三十種の異魚がいるという。私は先に「燕石雑志」編した際、その三、四種をそこに載せたが、実は未だにそれらの実物を親しく見たことがなかったのであった。しかるに、かの編が翻刻なったそも折りも折り、佐渡相川在の石川夏海(なつみ)氏が、件(くだん)の異魚の標本を私に贈って呉れたのであった――その数はおよそ四品――。その時、私はそれらの図を載せなかったことをすこぶる遺憾に思うておった。ゆえに今、これを図すこととした。さても所謂、その三十種の異魚とは、
○「とこひれ」――文鰩魚(とびうお)に似ている。体側に六つの稜(りょう)及び小さな棘(とげ)を有している。
○針千本――その形は、当地江戸に於いて「しおさえふぐ」と呼び慣わす魚に似て、全身に棘(とげ)がある。
○箱河豚――「海すずめ」と呼ぶものに似ている。
○鯛の聟(むこ)源八(げんぱち)――鯛に似て、極めて小さい。
○鮫の守り――本品は魚ではない。所謂、「海鬼灯(うみほおずき)」と呼ぶものに似ている。また、その形は藤の豆にも似ている。
○鉦たたき――鏡鯛(かがみだい)に似ている。
○こうごり――いまだ詳らかでない。これは「石伏(いしぶし)」のことであろうか? 「石伏」の一名を「ゴリ」とも言う。この「ゴリ」には二種ある。海と河ともに、全く別な魚として棲息しているものを言うのである。一般に知られる真正の「ゴリ」とは、その腹の下に鰭があって、本草書で言うところの「杜父魚(とほぎょ)」に似ており、しかもがたいの小さいものである。これは魚でありながら声を発し、夜(よる)、しきりに鳴く。その鰭には有意な棘(とげ)がある。一方、海産の方の「ごり」なる魚はというと、その鰭が如何にも柔らかであるのに対し、淡水産の「ゴリ」なるものは、すこぶる鋭いと、以上、「山海名産図会」に記されてあった。以上からこの「コウゴリ」というのは「河石伏(こうごり)」の意、と考えてよいであろう。
《追考を示す。「和名類聚鈔」には、『鯸※1(コウイ)、和名、「布久閉(フクベ)」。これを刺激する際には直ちに、怒る。怒ると、即座にその腹が怒張し、海上に浮かび出るものである。』と。さてもこれは、江戸に於いて俗に「しおさえふぐ」と呼び慣わす魚に他ならない。さればこそ「石伏」は「※1(イ)」なのである。「和名類聚鈔」には、『「※1(イ)」は、音、(い)。和名は「伊師布久(いしぶし)」、性(しょう)、伏沈(ふくちん)して石の間に棲息する魚である。』と記す。[やぶちゃん字注:「※1」=「魚」+(「頤]-「頁」を(つくり)とする)。]》
○瘤鯛(こぶだい)――佐渡にては「かんだい」と言うのが、これであろうか。未だ詳らかではない。
○海馬(かいば)――佐渡でなくても棲息している。しかし、佐渡のように大きなものは稀れである。
○竜宮の鶏(とり)――鬼頭魚(きとうぎょ)の奇品である。
以上、これら佐渡の異魚の類い、計三十種ある、とのことである。私はいまだ、その三十種すべてを詳しく知っている訳ではない。これらの種に就いて、種々の本草書に照らし合わせ、考証したならならば、その正式な漢名を知ることが出来るであろうし、また、その効能や毒性もこれ、知り得るであろうけれども、今これ、何かと慌ただしい中にあって、それらのことを落ち着いて精査し記録することが、やりたくとも出来ず、本書からは遂に漏れ損ずることと相い成ってしまった。他日(たじつ)を期して、じっくりと考証してみるつもりである。――なお、「トコヒレ」・「鉦たたき」・「竜宮の鶏」の三種については、とある御仁の所蔵せる画幅を以って臨写しておいた。
また、これとは別に、海中に生ずるところの異草四種がある。
○雪海苔(ゆきのり)――佐渡土俗にては何と呼称しているかは、よく分からない。
○蔓藻――所謂、「海藻(もずく)」である。
○海松(かいしょう)
○海柳(かいりゅう)
また、海辺に稀れに流れ寄せてくるところの稀品四種。
○藻玉(もだま)
○蛸船(たこぶね)
○巨葭(おおよし)
○椰子(やし)
――今、按ずるに、藻玉(もだま)というのは、一名「藤榼子(とうこうし)」、また一名「猪腰子(ちょようし)」と称する。この物は外国に植生するものである。「本草綱目啓蒙」巻の十四の上の「榼藤子(とうとうし)」の条下を参考にされたい。
――蛸舟(たこぶね)は、相模の江の島にて謂うところの「鰹の烏帽子(えぼし)」の類いであろう。
――また、按ずるに、「本草綱目啓蒙」卷の二十七の「椰子」の条下に『椰子、通名(つうみょう)「ヤシホ」、また、津軽にては「トウヨシノミ」と言う』といった記載が見える。
また、佐渡の花卉(かき)・鳥獣については、
○黒萩(くろはぎ)――小倉村に植生する。他所(よそ)にある黒萩というのは、ここのものよりも遙かに葉が短かい。
○白蒿(しろよもぎ)――小泊村及び西三河に植生する。
○雪割草(ゆきわりそう)――当地での方言は未だ詳かでない。当地の銀山に植生する。また、これは佐渡に限らず他所(よそ)にても植生するものではある。
○福寿草――小川村・達者村の辺りに特に多く植生する。
○人参草(にんじんそう)――長江(ながえ)・栗ノ口(くりのくち)・大野などの村に植生する。
○鷲の巣――二見・北※2(きたいかり)・岩屋口(いわやくち)・関願(せきがん)・深浦・沢崎(さわさき)・大杉などの村々で現認出来る[やぶちゃん字注:「※2」「犭」+「夷」。]。
○寄鯨(よりくじら)――稀れに見ることがある。
○玳瑁(たいまい)――このものは元文三年の頃、捕獲したことがあったということである。海亀(うみがめ)は佐渡の臨海に常に棲息しているけれども、玳瑁はこの時の捕獲を以って、その後は漁獲したということを聴かない。
○海獺(うみおそ)
○海豹(かいひょう)――稀れに見かける。
○葦鹿(あしか)――佐渡の北の海の方(かた)にては、俗にこれを「トド」と呼ぶ。
○山の獣は狸と兎のみである。貉(むじな)もいるとは言うが、狸と雑種化してしまっていて、果たして純粋に貉として独自に生態系を作っているかどうかはこれ、よく分からないという。
○雪なだれ――その形は海月(くらげ)の仲間と類似している。その色はあくまで混じり気のない純白であって、言うなら、雪が解け始めた折りの状態にそっくりである。このものは稀れに姿を現わす。土地の人はこれを「雪なだれ」と呼んでいる。これはかの「大和本草」に謂うところの『北海に雪魚(ゆきうお)がいる。大きさは一丈四方余り、その形は魚の鰈(かれい)に似ている。その肉は極めて白くて雪のようであり、脂身はない。この生物は好んで海面に寝そべって眠る。』と記してあった。さても、まさにこれこそが、この佐渡の「雪なだれ」に違いないといったことが、これ、とある書文書に記されてあったのである。
□Ⅲ-1図右上の「針千本」(ハリセンボン)のキャプション
針千本
形は「しおさえふぐ」に似ていて、惣身の棘(とげ)は栗の毬(いが)にそっくりである。
Ⅱ-1図左上中央の「箱フグ」(ハコフグ)のキャプション
箱フグ
「海すずめ」に似て、形は遙かに四角い様相を呈する。
Ⅱ-1図左上の「鯛ノ聟源八」(マツカサウオ)のキャプション
鯛の聟 源八
鯛に似て、極めて小さく、鱗は、はなはだ鋭い。
Ⅱ-2上図の「禿骨畢列」(トクビレ)のキャプション
禿骨畢列――とくびれ魚
私こと解(とく)が按ずるに、方言である「とこひれ」というのは、「長鬣魚(とこひれうお)」の義ではなかろうか? また、「鋭鰭(ときひれ)」の義でもあろうか? 「こ」と「き」とは音では容易に通ずるものである。この魚はこれ、鮫の一種類であろうか? 目は黄色である。頭より背中(せなか)に至るまで、総て薄青色を呈する。鰭の端は褐色(かちいろ)であって、その他の部分は水色に薄黒を帯びており、斑らに点がある。鰓(えら)の端が少しだけ、紅(あか)い。ある人の記したものによれば、『この魚は、その魚体全体は文鰩魚(とびうお)に似ている。体側に沿って六つの稜(りょう)があり、小さな棘(とげ)を有する。その針ごとにまた、細かな筋があって、それが亀甲(きっこう)の紋様を呈するのである。身の肉質は極めて硬い。乾燥させて干物にしたものは時間が経過しても原形はこれ、一向に崩れず、さらに時を経ると、全体が褐色(かちいろ)に変じて、漁師はまた、そうなった肉を食らうことを、却ってすこぶる好む。ただ丸干しにして子どもの玩具に供する者に至っては、長大なるものは長さ一尺余りになるものもある。この上下の長い鬣(ひれ)を広げた際には、人一人分が入れる唐傘(からかさ)のようでさえある。ともかくもこれ、尋常の他の魚とは、何から何まで、異なっている。』とのことである。
Ⅱ-2下図の「龍宮の鷄」(アカナマダ?)のキャプション
龍宮の鷄
ある人が言うことに、『「龍宮の鶏(とり)」というのは佐渡の方言である。これは「鬼頭魚(おこじ)」の奇品中の奇品とも言うべきものである。後方に冠(かんむり)があって、鶏(にわとり)によく似る。横腹には、小さな四角い点が有意に魚体から盛り上がって浮き出ており、あたかも刻み鏤(え)ったようである。完全に乾燥させたものは、すこぶる硬くして、かの海馬(かいば)の干物に似ている。』と。今、按ずるに、この魚の全身、その色は薄紅(うすくれない)であって、所謂、火魚(かながしら)のようである。実にこの魚は「おこじ」の近縁であるに違いない。
Ⅱ-2下図の「鉦敲魚」(マトウダイ)のキャプション
鉦敲魚
この魚は佐渡のみに限らず、相模・伊豆の海中にも多く棲息している。ある人が言うことには、『この魚の形は、大小も一方ならず、大きなものは一尺を超える個体もある。鱗はない。その色は薄墨に青と黄を帯びて、光沢(つや)がある。横腹は水色の中に薄紅を帯びている。鯵に似ている。体側の両面に黒い丸いくっきりとした紋がある。この魚の身は脂(あぶら)がよくのっており、その味わいたるや、まことに美味いものである。相模・伊豆の海中に、冬から春にかけて多くこれを獲る。漁師はこの魚を「的魚(まとうお)」と呼んでいる。また、「賀陀比(かだい)」とも呼ぶ。』とのことである。今、按ずるに、この魚はこれ、江戸で言うところの「加々美夛比(かかみだい)」の奇品と見た。
琴嶺興継(きんれいおきつぐ)写す。(落款)(落款)