「今昔物語集」卷第三十一 常陸國□□郡寄大死人語 第十七
「今昔物語集」卷第三十一 常陸國□□郡(こほり)に寄る大ひなる死人(しにん)の語(こと) 第十七
今昔、藤原の信通(のぶみち)の朝臣と云ける人、常陸の守(かみ)にて其の國に有けるに、任畢(にんはて)の年、四月許(ばかり)の比(ころ)、風糸(いと)おどろおどろしく吹て、極(いみじく)く荒ける夜、□□の郡の東西の濱と云ふ所に、死人(しにん)被打寄(うちよせ)られたりけり。
其の死人の長(た)け、五丈餘也けり。臥長(ふしたけ)、砂(いさご)に半ば埋められたりけるに、人、高き馬に乘て打寄(うちより)たりけるに、弓を持たる末(すゑ)許(ばかり)ぞ此方(こなた)に見えける。然(さ)ては其の程を可押量(おしはか)るべし。其の死人、頸(くび)より切(きれ)て、頭(かしら)、無かりけり。亦、右の手、左の足も無かりけり。此れは、鰐(わに)などの咋切(くひきり)たるにこそは。本(もと)の如くにして有ましかば、極(いみ)じからまし。亦、低(うつふ)しにて砂(いさご)に隱たりければ、男女(なんによ)何れと云ふ事を知らず。但し、身成り・秦(はだ)つきは女にてなむ見えける。國の者共、此れを見て、奇異(あさまし)がりつ、合(あひ)て見喤(みののしり)ける事限無し。
亦、陸奧(みちのく)の國に海道(かいだう)と云ふ所にて、國司(くにのつかさ)□の□□と云ける人も、此(かか)る大人(おほきなるひと)寄たりと聞て、人を遣(や)て見せけり。砂(いさご)に被埋(うづまれ)たりければ、男女(なんによ)をば難知(しりがた)し。女にこそ有(あん)めれとぞ見けるを、智(さと)り有る僧なむどの云けるは、「此(こ)の一世界(いつせかい)に此(かか)る大人(おほきなるひと)、有る所有(あり)と、佛、説(とき)給はず。此(これ)を思ふに、阿修羅女(あしゆらによ)などにや有らむ。身成(みなり)などの糸(いと)淸氣(きよげ)なるは、若(も)し然(さ)にや」ぞ疑ひける。
然(さ)て、國の司(つかさ)、「此(かか)る希有(けう)の事なれば、何(いか)でか國解(こくげ)不申(まうさ)では有(あ)らむ」とて、申上むと既にしけるを、國の者共、「申し上げられなば、必ず官使(くわんし)下(くだり)て見むとす。其の官使の下らむに、繚(あつかひ)大事(だいじ)也(なり)なむ。只(ただ)隱して、此の事は有るべき也(なり)」と云ければ、守(かみ)、不申上(まうしあげ)で隱して止(やみ)にけり。
而る間、其の國に□□の□□と云ふ兵(つはもの)有けり。此の大人(おほきなるひと)を見て、「若(も)し、此(かか)る大人(おほきなるひと)寄來(よりき)たらば、何(いか)がせむと爲(す)る。若(も)し箭(や)は立(たち)なむや、試(こころみ)む」と云て射たりければ、箭、糸(い)と深く立(たち)にけり。然(しか)れば、此れを聞く人、「微妙(めでた)く試たり」とぞ、讚(ほ)め感じける。
然(さ)て、其の死人、日來(ひごろ)を經(へ)ける程に亂(みだれ)にければ、十(じふ)、二十(にじふちやう)町が程には、人否(え)不住(すま)で、逃(にげ)なむどしける。臭さに難堪(たへがた)ければなむ。
此の事、隱したりけれども、守(かみ)、京に上にければ、自然(おのづか)ら聞えて、此(か)く語り傳へたるとや。
□やぶちゃん注
出典は未詳であるが、二件の記事のカップリングから見ても、創作ではなく、事実として風聞されたものであると考えてよい。小学館「日本古典全集」版の解説では、『三面記事的説話であるが、また巨人伝説的な匂いもある。海流の関係で、常陸・陸奥の海岸には、遠い国々から漂着がまれにあったようだ』とし、『本話は史実に合致する国司の名も見えることから』(後注参照)『誇張はあるが一応事実を伝えたものであろう』と評している。私の授業やサイトに親しんでおられる方は、即座に滝沢馬琴の「兎園小説」に出る「うつろ舟の蛮女」(「やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン」参照)を想起されるであろう。特に、後半の話に於いて、お上に報告すると、検分の調査団が派遣されて来て、その接待や何やかやで、当方の一方ならぬ難儀となるということで、秘かに握り潰す(「兎園小説」では円盤状の乗り物に乗って漂着した金髪の白人成人女性をまた同船に載せて突き流している)辺り、遠く本話に通底している。
さらに私は、本話の二例ともに、遺体が非常に大きいこと、首や四肢が大きく欠損しており(腐敗脱落や本文にあるように鮫などに喰われたと考えてよい)、人形(ひとがた)とはいうものの、通常の人体そのままにそれが何倍(前者では「五丈」であるから十倍近い)にもなった生命体であるとは述べていないことに着目する。私はこれはしばしば人魚の正体とされる大型海生哺乳類の遺体ではなかろうか? 知られたジュゴン(哺乳綱 Mammalia 海牛(ジュゴン)目 Sirenia ジュゴン科 Dugongidae ジュゴン属 Dugong
ジュゴン Dugong
dugon)は三メートルを超える個体もいる。但し、ジュゴンの生息分布が現在は沖繩が北限であることを云々する向きには、後半の陸奥の遺体はアシカ・アザラシ類のそれであると見ておけば問題あるまい。では驚くべき大きさの前者はどうなる、と問われるであろうが、まず現実的な人々は――これはクジラ類の腐敗進行した遺体であろう――と推理されることは想像に難くない。しかし、私は寧ろ、前者も後者も別な生物を考えているのである。「五丈」をありがちな誇張表現と見て、半分の五~六メートルから七~八メートルほどとするならば(そもそもそう考えないと胴高比からそのままではだらんした長々しいものになって人に見えぬ)、ぴったりの生物がいるからである。ジュゴンの仲間で、北方種(寒冷適応型カイギュウ類)である私の愛するステラ、
海牛目ジュゴン科ステラーカイギュウ亜科 Hydrodamalinae ステラーカイギュウ属 Hydrodamalis ステラーカイギュウ Hydrodamalis gigas
である。本種は通常の成体個体でも体長五~六メートル、大きいものでは七メートルを超え、記録によれば最大八・五メートルにも達し、体重は五~十二トンにもなったと言われる超巨大海獣である。知らない? 当然だ。一七六八年或いはそれ以降に、既にヒトが乱獲したために絶滅してしまったからである(今また沖繩辺野古でジュゴンの棲家が破壊されつつある。こうして人類は着実に己れの身勝手から他の生物を殺戮し根絶やしにする野蛮人である)。詳細はウィキの「ステラーカイギュウ」を参照されたい。最後に。私の電子テクストである南方熊楠「人魚の話」の私の注もご覧戴けるならば、恩幸これに過ぎたるはない。外国サイトのステラの頭骨を見られよ。私はこれを見る都度、涙を禁じ得ないのである。……
・「藤原の信通」(生没年未詳)は底本注によれば、公卿藤原永頼(承平二(九三二)年~寛弘七(一〇一〇)年)の子で、『常陸介には万寿元年(一〇二四)から在任』しており、『同四年、子の永職』(「ながもと」と読むと思われる)について、公卿藤原実資の日記「小右記」に『父、明春、得替(とくたい)』(「得替」とは国司などの任期が終わって交替することをいう)とあることから、『任期は同五年(一〇二八)年まで』とあり、まさに「任畢(にんはて)の年、四月許(ばかり)の比(ころ)」がリアルに時制限定出来るのである(下線やぶちゃん)。
・「常陸の守」常陸国は親王が遙任国「守」として任ぜられた国であるが、実務国司であった常陸「介」(ひたちのかみ)を、通称(恐らく特に現地に於いて)では「常陸の守(かみ)」と呼称していた。
・「東西の濱」諸本、所在地未詳とする。
・「長け五丈餘」体長十五・二メートル超。
・「臥長(ふしたけ)」横転しているその胴の高さ。
・「人、高き馬に乘て打寄たりけるに、弓を持たる末許ぞ此方に見えける。然ては其の程を可押量るべし」当時の馬の丈はポニーほどであったから(百三十五~百四十七センチメートル)、高い百五十として、それにに成人男性が跨って漂着個体の向こう側に近づいた際、その左手(ゆんで)に掲げた弓筈(ゆはず)だけが、こちら側で立っている人間に見えた、というのは、両者の立ち位置にもよるが、胴高は二メートル弱はあったことを意味すると思われる。
・「鰐」鮫類の古称。特に大型のものをいう。
・「身成り・秦(はだ)つきは女にてなむ見えける」「身成り」は見た感じの体つきの意、「秦」は「肌」「膚」の当て字。ウィキの「ステラーカイギュウ」の復元図は黒みの強い灰色であるが、『冬になって流氷が海岸を埋めつくすと、絶食状態になり、脂肪が失われてやせ細った。このときのステラーカイギュウは、皮膚の下の骨が透けて見えるほどだったという』とある。
・「陸奧の國」当時、こう言った場合は福島以北の東北地方全般を指す。
・「海道」底本注で池上氏は『いわゆる浜通り(福島県の太平洋岸)をいうか』とされ、「日本古典全集」版注では不詳としながらも、「大日本地名辞書」を引き、『常陸(茨城県)多珂郡より入り、逢隈の渡し(宮城県曰理郡)に至る間を曰へり」とある』とする。「多珂郡」は多賀郡と同じで、茨城県北端の現在の高萩市・北茨城市・日立市(一部を除く)に相当する。「曰理郡」は現在の亘理(わたり)郡のことであろう。多賀郡に北で接する。因みに私は前話の「東西の濱」というのも、この「浜通り」に接する南部分を言っているのではなかろうかと考えている。とすると「常陸國□□郡」とは「多珂郡」となる。
・「阿修羅女」六道の一つである阿修羅道(修羅道)の主である阿修羅の女鬼神版。「観音経義疏」には『阿脩羅千頭二千手。萬頭二萬手。或三頭六手。此云無酒。一持不飮酒戒。男醜女端。在衆相山中住。或言居海底。』とある(「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」に拠る)のを、「智り有る僧」なればこそ知っていたのであろう。
・「身成などの糸淸氣なる」僧侶が視認した対象をかく評しているのは興味深い。この個体は死んで間もなかったのであろう。私はアシカやアザラシであったなら、人によっては不快感を懐かずにこう表現すると思う。各地で出現しては話題になるそれらを考えてみれば、納得出来る。
・「ぞ疑ひける」「ぞ」の前の引用の格助詞「と」が脱落したものであろう。
・「繚(あつかひ)」諸注は接待・世話とする。訳の結果はそれでもよいが、本字はもともと、もつれる・まつわる・まきつかせるの意であるから、ここには寧ろ、面倒・厄介のニュアンスが強く感じられると私は思う。
・「十、二十町が程」遺体から半径一キロメートルから二・二キロメートル。倍の差があるのは、風向きによるものであろう。
・「臭さに難堪ければなむ」北方適応型の海産哺乳類の大きな特徴である厚い脂肪が腐って、もの凄い臭気を発しているのである。
□やぶちゃん現代語訳
常陸国の××郡に大きな死人(しん)が漂着した事
第十七
今となっては……昔のことじゃ……藤原の信通(のぶみち)の朝臣(あそん)とおっしゃられたお方が、常陸の守(かみ)として、かの国にあられた――が、それは、そのお方の国司の任の終わられた、その――四月ばかりの頃のことじゃった、と。……
その日は昼間っから、風がたいそう、おどろおどろしゅう吹いて、そりゃあもう、夜中じゅうひどぅ荒れに荒れたんじゃ。
その翌朝のことじゃった。××の郡(こおり)の「東西ノ浜」という所ところに、一体の死人(しびと)がこれ、うち寄せられて御座ったじゃ。
その死人の身の丈けは、何とこれ! 五丈あまりもあった!……
胴はこれ……そうさな……砂に半ばは埋まって御座ったが、の――傍らに人の立って、その向こうに、丈けの高い馬に乗ったお侍がうち寄せてこられたところが、その騎馬のお侍の、左手(ゆんで)に持って掲げておられた弓筈(ゆはず)ばかりが、ちょっこし、こっち側(がし)から見えた――というこっちゃから、さても、その胴体の高さのほども推し量れようほどに。……
さて、その死人はの、頸(くび)のところより上は切れて、頭(かしら)はこれ、御座らなんだんじゃ。
また、右の手(てぇ)も左の足も、ちぎれて、のぅなっておった。
これは按ずるに、鰐鮫(わにざめ)なんどが、食わんがために噛み切ったものに違いない。……が……もし……もし、頭も右手も左足も皆、元の通り、ちゃんとちゃんとついとったとしたらば……これ……と、とんでもない大きさの人間じゃったに違いなかろうほどに。……
また、うつ伏しになって砂に半ば埋もれておって、隠しどころは全く見えなんだによって、男女(なんにょ)孰れの巨人なるかは……残念なことに、分からず終いじゃった。が……しかし……そのふくよかなる体つきや……肌の白さや、その柔らかさから推すに……これ――女の巨人――には見えたのぅ。……
常陸の国の衆(しゅ)は、これを見て、皆、驚き呆れあっては見、見ては大騒ぎすること、果てしがなかった、と。……
*
さてもまた、別な似たような一件じゃて。
これも、常陸からは、ほど遠からぬ陸奧(みちのく)の国の、「海道」と申す海っ端(ぱた)でのことじゃ。
国司(くにのつかさ)×の××と申さるるお方の許へ、これ、前(さき)の話のようなる、大きなる人間が浜に漂着致いたとの知らせのあったによって、家来を遣して検分させてみた。
こちらもやはり……下半身の砂に埋もれておったによって……男女(なんにょ)の区別は分からなんだ。が……しかし……やはり、そこはかとなく、これは女に違いなかろうと人々の見て感じておった、と。
そこへ、土地の学識のある僧なんどのしゃしゃり出て参って言うことには、
「……現世の遍き人間(じんかん)の世界のうちに――かかる巨人の存しておるなんどということ――御仏(みほとけ)はこれ一切――お説きになっておられぬ。――さすればこそ――これ思うに――かの六道の今一つの、修羅道界に住まうところの――阿修羅女(あしゅらにょ)――などと呼ばわるところの女(にょ)の鬼神などにても御座ろうか?……体つきの滑らかなる感じ……なんとも光沢(つや)のあって……えも言われず綺麗なところなんどをみると……もしや、まさに……ひょっとして、ひょっとするかも、知れんのぅ……」
なんどと、分かったような妙なことを申しておった。……
さて、その国司さまは、これ、かの遣わせる者の報告を受けると、
「……これはもう……まっこと、稀有(けう)の珍事出来(しゅったい)なればこそ……何はさて置き、ともかくも国解(こくげ)を、これ、上申せねばなるまいのぅ。……」
と、まさに国解のための文書をも記し、さても使者を以って都に上(のぼ)せんとしたところが、下役の国の地の者どもがこれ皆、口を揃えて、
「……もし上申なさってしまわるると、これ、必ずや、お上の御使者の方々、こちらへお下りになられ、子細に御検分ということとなりましょう。……そうした官使の方々が、これお下りになられますると……これ、そのぅ……準備やら接待やらなんやかやと……これ、費用も手間も心労も、大きにかかりまして……大変に厄介なことと、なりましょうぞ。……さればこれ……ここは一つ、ただただ、この大女がことは……お隠しになられ……黙っておられまするが、これ、よろしいかと存じ奉るので……御座いまする。……」
と、有体(ありてい)に申し上げた。されば結局、守(かみ)もその謂いをもっともなりと、上申書は出さず終いとなり、奇体な巨女が遺骸の漂着の一件はこれ、全く以って隠し通してしまったとのことで御座った。
そうこうしておる間のことじゃ。……その国に××の××と申す侍の御座ったが、この者、この漂着した巨人を見物に参り、一目見るや、
「……さても! もし、かかる巨人の我が国へ攻め来ったとならば、これ、一体、どう闘(たたこ)うたらよいものか?……まさか……矢(や)はこれ、この巨体に……果たして……立つものであろうか?……何よりますはそこじゃて! 一つ、試してみようぞッツ!!」
と思い立つや、その場にて即座に、
――よっぴいて、ひょう!
と放った。
すると矢は、巨人の遺骸へ、尾羽根も隠れんばかりに、
――ぶっす!
と、美事、突き立って御座ったという。
されば、これを見聴き致いた人々はこれ、
「あっぱれ! 試射し果(おお)せたり!! やんや、やんや!!!」
と、褒めそやして感激せぬ者は、これ、おらなんだ、ということじゃった。
さて、その大女(おおおんな)の死体、これ、日の経つにつれて、ジュクじゅくジュクじゅくと腐れ朽ちて参ったによって、遺体の周囲、これ実に十~二十町が内は、人が住めずなって逃げ去り、また、立ち入らんとする者も、一人としておらなんだ。
嗅いだ鼻が腐って落ちんばかりの――あまりの臭さに、堪えきれなんだからであった。
この後者の一件、先に申した通り、当時、世間にては一切、隠し通してあったのであるが、その×の××と申さるる国司のお方が、その後、任の果てて京にお戻りになられて後、誰からともなく、自然と噂の如く湧き出して、瞬く間に広ごり、かく、語り伝えらるるようになった、とかいうことである。
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