橋本多佳子句集「命終」 昭和三十三年 乗鞍嶽行
乗鞍嶽行
砂利採りが砂利にまぎれて木曽青し
鮎の底流木曽となる荒性見せ
[やぶちゃん注:この句、詠の対象は分かる気がするものの、どう切ってよいのか、私にはよく分からぬ。]
昼寝部落よ屋根にみな石重く
杏子熟れ落つ飛驒つ子の重瞼(おもまぶた)
青田豊年定紋頑(がん)と飛驒の倉
山のバス駿雨に合歓の紅の惨
緑山中下りがあつて車輪疾し
真つ昼の照燈霧の盲目バス
一燭のわが寝(い)に霧の窓をおき
いなびかり雪溪二重ガラスの外
靴に踏み固しもろしこれが雪溪
-瞬の日にも柔らぎ雪溪照る
雪溪に手袋ぬぎて何を得し
大雪溪太陽恋ひの顔あぐる
雪溪にひろふ昆虫の片翅を
蝶蜂の如雪溪に死なばと思ふ
残りて汚れて雪溪日曝し霧曝し
摂理の罅走る雪溪滅びのとき
霧の嶽上わが背に鳴るはわが翼
身伏せれば地ややぬくし霧押しくる
霧去つて魔王嶽南雪溪垂り
[やぶちゃん注:「魔王嶽」は乗鞍二十三峰の一つ魔王岳。標高二千七百六十メートル。]
死を遁れミルクは甘し炉はぬくし
炉にかはき額にかたまる霧の髪
颱風に襲はれ山小屋に數日寵る。
青林檎の青さ孤絶の山小屋に
豪雨中雪溪真白(しんぱく)以て怺ふ
[やぶちゃん注:「怺ふ」は「こらふ」と読み、「堪(こら)ふ」に同じい。]
雪溪がごつそり瘦せて豪雨晴れ
登山荘煙吐き吐く我らこもり
一行中七〇歳の老婆あり。
避難下山負はれて老いの顔高く
いまは花野決壊の傷天に懸け
[やぶちゃん注:底本年譜の昭和三三(一九五八)年七月の条に(十八日以降)、『「流域」の松山利彦に誘われて乗鞍嶽に登る。誓子、利彦ら同行。高山で一泊し、翌朝三千米級の乗鞍三兆近くまで到着。借用の登山服、登山靴で、生まれて初めて雪渓を踏み感激する。乗鞍での二日目に台風に遭う。道路決壊し、下山路は途絶。下山不能。山上の山小屋で缶づめとなる。心臓発作おこる。新聞に「病人一人出る。」と出たが、多佳子のことであった。三日後、平湯山嶽部員やリーダーの松井利彦の力により、ザイルを伝い、六里』(凡そ二十四キロメートル弱)『の道を歩いて平湯に下りる。美濃白鳥、郡上八幡を経て岐阜に出』た、とある。当時、多佳子五十九歳。かなりハードな経験である。]
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