日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十九章 一八八二年の日本 茶の淹れ方 / 東京生物学会主催「化醇論」講演
図―619
お茶を入れる時には、若しお茶が上等な物だと、先ず急須に薬罐(やかん)から熱湯を注ぎ込む。そこで湯を棄て、即座に茶を入れると共に、茶碗に湯を入れる。茶は急須に残る湯気によって僅かに湿り、そこで茶碗の湯を急須に注ぐと、なまぬるくはあるが、いい香が出る。茶入罐から直接急須へ茶を入れぬように注意する。湯気が茶入罐の中の茶に影響するからである。茶は茶杓で取り出さねばならぬ。茶杓までもが、優雅の芸術品である。図619はその二、三の形を示したものである。宮岡はこの順序を示しながら、前夜酒を飲み過ぎた時には、このようにして作った茶の茶滓に醬油をすこしつけて食うと、この上もない解毒剤になると話した。
[やぶちゃん注:「宮岡」前掲の宮岡恒次郎と思われる。当時は数え十八で酒云々とあるが、満二十歳未満の者の飲酒を禁じた未成年者飲酒禁止法は大正一一(一九二二)年三月三十日の制定である。]
図――620
六月三十日に私は、生物学会主催の公開講演会で講演をした。会場は新しく建られた大きな西洋館で、千五百名分の座席がある。私が行った時には、ぎっしり人がつまっていた。有賀氏が私の通訳をつとめ、演題は人間の旧古で、人間の下等な起原を立証する図画を使用した。聴衆中には数名の仏教の僧侶と一人の朝鮮人とがいた。また見覚えのある顔も多く、彼等が私を親切な目で見詰めているのを見ると、旧友達の間へ立ち帰ったような気持がした。日本の婦人方も多数来聴され、タナダ子爵〔田中不二麿子〕及び夫人、蜷川その他の古物学者や学者達も来た。図620は入場券である。
[やぶちゃん注:東京入場券は、
木挽町明治會堂ニ於テ
モールス先生講談
六月三十日午後三時半ヨリ
とある。磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によれば、主催は東京生物学会主催で演題は「化醇論(かじゅんろん)」(進化論)であった。辞書を調べると、「醇化」という語があり、①手厚い教化。②不純で雑多な小部分を取り去って純粋にする。雑多な知識を整理して組織的にする。という意があるから、確かにそれをひっくりかえした目新しい雰囲気の熟語は「進化」論という新たな考え方の教化にも、組織だった論理化という、二重の意味に図らずも相応しいと言えよう。
「有賀」昔の教養課程でのモースの教え子であった、後の法学者・社会学者の有賀長雄(あるがながお 万延元(一八六〇)年~大正一〇(一九二一)年)。当時(この明治一五(一八八二)年に東京大学文学部卒業)はフェノロサの弟子であった。明治一七(一八八四)年に元老院書記官となり、二年後の明治十九年からヨーロッパに留学、ローレンツ・フォン・シュタインに国法学を学んで、翌年に帰国、枢密院・内閣・農商務省に勤め、その後陸軍大学校・海軍大学校・東京帝国大学・慶應義塾大学・早稲田大学などで憲法・国際法を講じた。日清戦争及び日露戦争の際には法律顧問として従軍、ハーグ平和会議では日本代表として出席している。著書「社会学」は本邦初の体系的社会学的著作として知られる(以上はウィキの「有賀長雄」に拠った)。
「タナダ子爵」原文“Viscount Tanada”。“Viscount”は中世以降のヨーロッパに於ける貴族の称号の一種で、イギリス貴族に於いてはバロン(baron:男爵)より上位で、アール(Earl:伯爵。英国外ではカウント Count )よりも下位(但し、ドイツ圏には存在しない)。日本語訳では「子爵」の語が充てられる。底本では直下に石川氏による『〔田中不二麿子〕』という割注が入る。この「子」は敬称。「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 51 モース先生一時帰国のための第二回送別会 又は モース先生、指相撲に完敗す 又は モース先生、大いに羽目を外す」で既注の元文部大輔田中不二麿。ウィキの「田中不二麿」によれば、『未就学児の増加ならびにいわゆる学力低下を招いたとして政府内で批判が強まり』、この二年前の明治一三(一八八〇)年に司法卿に配置換えとなっていた。このモースの叙述が不審なのは、『以後は教育行政から遠ざかり、参事院議官、駐イタリア公使、駐フランス公使、枢密顧問官をへて』明治二四(一八九一)年、『「藩閥色を薄めるために薩長出身者以外の閣僚を」との伊藤博文・山縣有朋らの要請を受け』(彼は元尾張藩士であった)、第一次松方内閣の司法大臣を拝命、『後、位階正二位に任ぜられ子爵を授与される』とあることで、この明治十五年の段階では彼は子爵ではない点である。その後もモースとの文通があったか、誰かの知らせを受けたかして、執筆時のモースは田中が子爵になっていたことを知っていたのであろう。]
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