譚海 卷之一 下總國松戶にて鯉人の夢に見える事
下總國松戶にて鯉人の夢に見える事
○安永元年の冬、下總國松戶にて川をせき水をほし、鯉鮒のたぐひを捕得(とりえ)て市にひさぐに、六尺餘りの鯉をえたり。是を貯(たくはふ)る物なければ、酒屋の酒を造る桶に入(いれ)たるに、所の寺の住持おほくの錢に代(かへ)てもらひ受(うけ)、もとの淵にはなちたり。已來(いらい)此鯉取得(とりう)るものありとも、構(かまへ)て殺すまじきよしを戒め約しけりとぞ。同五年にも刀禰川(とねがは)にて捕(とり)たる鯉七尺餘有(あり)けるを、ある人の夢にみえけるまゝ、千住にて金三百疋に買取、しのばずの池にはなちたりとぞいひ侍る。
[やぶちゃん注:「安永元年」一七七二年。
「松戶」現在の千葉県北西部に位置する松戸市。ウィキの「松戸市」によれば、『市内の河川は西に向かい東京湾へつづく江戸川水系と、東に向かい太平洋へ注ぎ込む東の手賀沼・利根川水系に分かれている。なお、市内を流れる坂川は、北千葉導水路の一部として江戸川に流れている』とある。
「川をせき水をほし」瀬干(せぼし)漁と呼ばれる川漁。川の中で瀬が二つ或いはそれ以上に分かれている箇所の一方を堰止めにして水を抜いて瀬を干し上げ、中に残った魚を採捕する漁法である。
「六尺」一・八メートル。
「七尺」二・一メートル。
「三百疋」銭百疋が一貫文で、一貫文は一両だから、三両。安く見積もって現行の十五万円ほど。]
« わが好きは妹が丸髷くぢら汁不動の呪文しら梅の花 與謝野鐡幹 | トップページ | 甲子夜話卷之一 39 松平乘邑日光供奉のとき威望の事 »