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2015/06/30

氷の涯 夢野久作 (14)

 人間の運命といふものは大抵、一本調子の直線か弧線を描いてゐるものだが、それでも時々人を驚かす。だから、それが放物線なぞを描いて來ようものなら、ドレ位(くらゐ)、人を不思議がらせるかわからない。

 ところが僕の場合は、それが突然にポキンと折れ曲つた鋭角を描きあらはして來たのだ。

 それから一時間ばかり後(のち)の僕は、快速らしい白塗のモーターボートに乘つて、松花江(しようくわかう)を下流へ下流へと滑走していた。運轉をしてゐるのは一昨夜、僕を刺さうとしたニーナで、時速七、八哩(マイル)も出して居たらうか。

[やぶちゃん注:●「時速七、八哩(マイル)」時速十一・三~十二・九キロメートル。]

「このボートは英吉利(イギリス)の石炭屋さんが置いて行つたソアニー・クロストの十二シリンダーよ。素人(しろうと)に扱へないから買手(かひて)が無かつたんですつて……七十五哩(マイル)まで出るつて云ふのにタツタ八百五十弗(ドル)だつたのよ」

[やぶちゃん注:●「ソアニー・クロストの十二シリンダー」商標らしいが不詳。私はメカにも冥い。識者の御教授を乞う。それにしても十二気筒というのが凄いぐらいは分かる。 ●「七十五哩(マイル)」時速百二十一キロメートル(!)。 ●「八百五十弗(ドル)」ネット上の情報によれば、一九二〇年代(本作の作品内時間一九二〇年)の一米ドルは当時の日本円で二円で、凡そ現在の六百円相当とあるから、五十一万円相当となる。十九の娘の台詞としては法外な金額を「タツタ」と言うことを含め、台詞全体、完全にステキにイッてる!]

 とニーナが説明したが、しかし萬一を警戒するためにランタンを消して、成る可く岸沿(きしぞ)ひに走つてゐたので、微かな機械の音とダブリダブリと岸を打つ暗い波の音しか聞えなかつた。細い月はもうトツクに上流の方へ落ちて居たが、それでも河明りがタマラなく恐ろしかつた事を考へると僕は、いつの間にか醉ひから醒めてゐたらしい。

 ニーナは片手で巨大な日本梨(にほんなし)を嚙(かじ)つてゐた。ガソリンの罐(くわん)を蔽(おほ)うたアンペラの上に、新聞紙(しんぶんし)に包んで並べてあつた一つを、ニーナが云ふ通りに丸剝(まるむ)きにしてやつたものであつた。

[やぶちゃん注:●「アンペラ」アンペラの茎を打って編んだ筵。アンペラはイネ目カヤツリグサ科アンペライ属 Machaerinaの多年草。湿地に生え、葉は退化して鱗片状をなし、高さは〇・五~二メートル。茎の繊維が強い。熱帯地方原産。アンペラ藺(い)。呼称はポルトガル語“ampero”又はマレー語“ampela”に由来する。]

 それを受け取つたニーナは暫くジイツと考へて居た樣であつた。何が悲しいのか梨を持つた右手の黑い支那服の袖で、シキリに眼をコスリまはして涙を拭いて居る樣にも見えたが、やがてガブリと梨の横つ腹に嚙み付いて、美味(うま)さうに頰を膨らますと、汁を飮込(のみこ)み飮込み話し出した。案外に平氣な投げやりな口調で……。

[やぶちゃん注:●「何が悲しいのか梨を持つた右手の黑い支那服の袖で、シキリに眼をコスリまはして涙を拭いて居る樣にも見えた」この涙が――いい――。 ●「支那服」「全集」も同じく『支那服』である。本作から脱線するが一言言っておく。私は本作でここまで『支那人』を『中国人』と断りなしに書き換えてきた「全集」編者が『支那服』を書き換えないことを正当とする論理を全く以って認めない。おかしい。]

「……何處までもアンタと一緒に行(ゆ)くわ。アンタの樣な何も知らない正直な人間を、仕事の邪魔になるから殺す……なんて決議をした奴等は、モウ決議した時から妾(わたし)の敵だわ。日本の官憲だつて白軍だつて何だつてアンタに指一本でも指(さ)した奴はミンナ敵にして遣るわ。だつてアンタを怨んだり罰したりする法なんて何處にも無いんだもの。

 ……イイエ。アンタは何も知らないの。無賴漢街(ナハロカ)と、裸體踊(はだかをど)りと、陰謀ゴツコが哈爾賓の名物だつて事をアンタは知らないで居るのよ。殺される譯が無いつたつて殺される時には殺されるのが哈爾賓の風景なんだもの。だから何が何だか見當がつかなくなる筈よ。間違ひ無いのはお太陽樣(てんとさま)と松花江(スンガリー)が、毎日反對に流れて居ることだけなの。さうして其の中で妾(わたし)がタツタ一人ホントの事を知つてゐるだけなのよ……さうぢや無いつて云ふならアンタの手から短劍を奪(と)り上げて行つた人間の名前を云つて御覽なさい。當つたら豪(えら)いわ……ホーラ。ネ。知らないでせう……ホホホ……

[やぶちゃん注:●「無賴漢街(ナハロカ)」ナハロフカ。既注。プリスタン西側隣接地の低湿地帯で古くからの白系ロシア人難民の貧民街であった。志賀直哉に師事した女性作家池田小菊(明治二五(一八九二)年~昭和四二(一九六七)年)の、昨年発見された未発表小説の題名は「ナハロフカ(無能者)」である。池田が満州事変直前にハルピンを旅行した体験を素材に昭和七(一九三二)年に執筆したものとニュース記事にあった。ロシア語の綴りは探し得なかった。なお「全集」は『ナハロハ』とルビする。]

 ……だから妾(わたし)の云ふ事をお聞きなさいつて云ふのよ。馬鹿正直に人の云ふなりになつて、何が何だか解ら無いまゝマゴマゴウロウロして居るうちに、ヘツドライトもサイレンも番號札も何にも無いトラツクの下に敷(し)かれつ放(ぱな)しになつたら、ドウするの……誤解の解けるまでどこかに隱れて身の明(あか)りを立てなくちゃ噓だわよ。……捕まりさうになつたら構はない。此の河をハバロフスクまで行つて、あそこで油と食料を買ひ直(なほ)して、それからニコライエブスクまで下つて行(ゆ)く。そこから汽船で樺太(からふと)に渡つて日本に逃げ込むだけの事よ。妾(わたし)日本が見たくて見たくてたまらなかつたんだから丁度どいゝわ。

[やぶちゃん注:●「明り」「全集」は『証』(證)。ルビはないが、普通に読む者は「あかし」と訓ずるはずである。 ●「ニコライエブスク」「全集」は『ニコライエフスク』。現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ(Никола́евск-на-Аму́ре)はロシア極東部の文字通りの極東の町で間宮海峡の北を挟んでサハリン(樺太)の北部と対峙する。アムール川河口から八十キロメートルほど上流左岸(北岸)にある港湾都市で、ハバロフスク地方ニコラエフスキー地区の行政中心都市。漢字では「尼港」と表記された。ハバロフスクからは九百七十七キロメートルとウィキの「ニコラエフスク・ナ・アムーレ」にはある。因みに地図上で単純に直線計測すると直線でもハバロフスクからここまでが六百五十キロメートル、ハルピンからではやはり直線で千三百キロメートルを超え、気の遠くなるような涯である。そこへ行くことを隣町に行くように語るニーナ……そこから樺太へ行って、日本へ行きましょうよ! 私、日本、大好きよ!……これまたステキな少女!]

 ……妾(わたし)は主義とか思想とか云ふものは大嫌いだ。チツトも解らないし面白くも無い。「理屈を云ふ奴は犬猫に劣る」つて本當だわ。

 ……妾(わたし)には好きと嫌いの二つしか道が無いのだ。妾(わたし)はその中で好きな方の道を一直線に行くだけだわよ。

 ……妾(わたし)が赤軍に加勢して居たのは、アブリコゾフを好いてゐたからだ。妾(わたし)はツイ二三日前まで赤軍がドンナ事をして居るものなのかチツトも知らなかつたのだ。たゞアブリコゾフを生命(いのち)がけの男らしい仕事をしてゐる人間と信じ切つて居ただけだ。それ以外に何の意味も無かつたのだ。

 ……今だつてオンナジ事だ。妾(わたし)は何がなしにアンタを救ひ出さずには居られなくなつたのだ。赤とか白とか云つて卑怯(ひけふ)な陰謀の引つかけくらばつかりしてゐるサナカに、アンタみたいなお人好しの正直者を放(ほ)つたらかしておくのが恐ろしくてたまらなくなつたのだ。コンナ危なつかしい馬鹿々々しい鬼ゴツコの中から、とりあへずアンタを引つぱり出してしまひた度(た)くなつたのだ。さうして二人でコツソリと事件のドン底に隱れてゐる十五萬圓を探り出して、日本の官憲と、白軍と、赤軍を一ペンにアツと云はせてみたくなつたのだ。

[やぶちゃん注:●「引つかけくら」引っ掛けっこ。掛け合い。「くら」は「競(くら)」で、所謂、「くらべ」の略。「にらめっくら」「かけっくら」、即ち、「にらめっこ」「かけっこ」の「~こ」と全く同じで、動詞の連用形或いはそれに促音の付いた形につけることで、そうしたある種の競争をすることの意を添える接尾語である。]

 ……妾(わたし)はブルジヨアでもプロレタリアトでもない。だからブルジヨアでもプロレタリアトでも乞食(こじき)でも泥棒でも構はない。正直な一本調子(ちようし)の人間が好きだ。だから賄賂(わいろ)を取らない。噓をつかない。ニユーとしてゐる日本の官憲は、地下室にモグリ込んでゴヂヤゴヂヤした策略ばかり考へて居る露西亞人だの、ジヤンクの帆みたいに噓のツギハギをしてゆく支那人なんぞよりもドレくらゐ好きだか知れやしない。

 ……だけども惜しい事に日本の軍人はアンマリ正直過ぎる樣だ。人の良い、職務に忠實な日本の軍人は惡い知惠にかけてはトテモ普通の日本人に敵(かな)はない樣だ。銀月の女將(おかみ)と十梨(となし)通譯が書いた筋書(すぢがき)に手もなく乘せられてオスロフをどうかしてしまつたのを見てもわかる。それが大間違ひだつた事は、赤軍の連中が肩を組み合つて喜んで居たのを見てもわかる。星黑(ほしぐろ)だつてさうだ。軍人だけに正直過ぎたから殺されたのだ。日本の軍人は普通の日本人と人種が違ふのぢや無いかと妾(わたし)は思つてゐる。

 ……その日本の軍人の中でも妾(わたし)はアンタが一番好きになつちやつた。妾(わたし)はアンタが銀月の中に這入つた事を知つてゐたけど、チツトも心配なんかしなかつた。アンタは外の軍人とおんなじくらゐ正直な上に、赤の連中がピリピリするくらゐ頭がよくて、おまけにスゴイ勇氣と力を持つて居るんだからね……銀月の女將の手管(てくだ)なんかに引つかゝる氣づかひは絶對に無い。キツト無事に切り拔けて銀月を出て來るに違ひ無いと思つてゐたんだからね……。

 ……イヽエ。オベツカなんて云つたら妾(わたし)、憤(おこ)るわよ。妾(わたし)はモウ其のズツト前からアンタを見貫いて居たんだよ。……妾(わたし)がアンタを殺さうとしてタタキつけられたでしよ。あの屋上でさ。あの時からよ……あの時から妾(わたし)はアンタを殺すのを止めたんだよ。アンタが弱蟲弱蟲つて云ふ評判を聞いて居たから、眞實(ほんたう)かと思つてたら、トテモ強いんだもの……おまけに彼(あ)の素早(すばや)さつたら……トテモこの人には敵(かな)はないと思つたわ。だから助けて貰つた時には、ずゐぶん極(きま)りが惡かつたわ。

 ……アンタの手から短劍を奪ひ取つたのほ、ヤツパリ妾(わたし)よ。……ナアニ……何でもなかつたの……妾(わたし)はあの時に追つかけて來た憲兵をモウ一度裏梯子の蔭に隱れてやり過したの。どこの憲兵でも、あんなボコボコした長靴を穿いてゐるから駄目よ。犯人を逃がす爲に穿いてゐるやうなもんよ。だけど其の憲兵が行つてしまつた後で、妾(わたし)はフト短劍の鞘だけ握つて居るのに氣が付いたから、惜しくなつて

引返したのよ。キツト其處いらに落ちて居るに違ひ無いと思つてね……たゞ夫れだけの事だつたのよ……だつてアノ短劍は、モスコー出來(でき)の上等なんだもの。惜しいぢや無いの、今こゝに持つてるわ……アンタだつて拔身(ぬきみ)のまゝ持つて居たら怪我するぢや無いの……ホホホ……。

 ところが引返してみるとアンタが大舞踏室の窓から覗き込んで居るでせう。今にも飛込みさうな恰好で、妾(わたし)の短劍を逆手に握つて居るでせう。だから妾(わたし)もソーツとアンタの背後(うしろ)から室の中を覗いてみたら、タツタ一眼(ひとめ)で、何もかもが駄目になつた事が判明(わか)つたの。それと一緒にアンタが斯樣(こん)な處へ飛込んで、オスロフを助けようとするのは危險(あぶな)いと思つたから、思ひ切つて短劍を引つたくると其のままモウ一度、屋上から裏階段へ拔けて駈け降りたの。さうして通りかゝつたタクシーに飛乘つて、埠頭に來て、そこから向う岸のコサツク部落に住んで居るドバンチコつて云ふ花造りの爺(ぢい)やのところへ遁込(にげこ)んだの。

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