毛利梅園「梅園魚譜」 ネコザメ
虎頭鯊(コトウサ)〔海産。〕
〔猫ザメ。〕
〔猫ヅラ。〕
〔サヽヱワリ。〕
乙未(きのとひつじ)閏七月廿六日、日本𣘺の
魚餅店(うをもちだな)に於いて箭筆(せんぴつ)して寫す。
改めて色を看(み)、眞圖す。
[やぶちゃん注:日本近海に生息するネコザメ科の代表種である軟骨魚綱板鰓亜綱ネコザメ目ネコザメ科ネコザメ Heterodontus japonicus と同定してよいであろう(本邦には他に、本種に比べると比較的珍しいシマネコザメ(縞猫鮫)Heterodontus
zebra も棲息するが、体表面に白色地の二十二~三十六本の暗色横帯が入る)。ウィキの「ネコザメ」によれば、『太平洋北西部。日本では北海道以南の沿岸で見られる他、朝鮮半島、東シナ海の沿岸海域に分布する』。水深六~三十七メートルの『浅海の海底付近に生息し、岩場や海中林などを好む』。最大全長は一・二メートルに達する。背鰭は二基で、『いずれにも前端に鋭い棘を備える。これはとくに幼魚が大型魚の捕食から逃れるのに役立っている。臀鰭をもつ。体型は円筒形。薄褐色の体色に、縁が不明瞭な』十一~十四本の『濃褐色横帯が入る。吻は尖らず、眼の上に皮膚の隆起がある。この眼上隆起を和名ではネコの耳に、英名』(Japanese bullhead shark)『ではウシの角に見立てている。歯は他のネコザメと同様、前歯が棘状で、後歯が臼歯状である。循鱗は大きく、頑丈である』。『底生性で岩場や海藻類の群生地帯に住み、硬い殻を持つサザエなどの貝類やウニ、甲殻類などを好んで食べる。臼歯状の後歯で殻を噛み砕いて食べるため、サザエワリ(栄螺割)とも呼ばれる。日中は海藻や岩の陰に隠れ、夜間に餌を求めて動き回る夜行性である。遊泳力は弱いが、胸鰭を使って海底を歩くように移動することもある』。卵生で、本邦では三月から九月にかけて産卵が行われ(三~四月が最盛期)、雌は卵を一度に二個ずつ、合計六~十二個を産む。『卵は螺旋状のひだが取り巻き、岩の隙間や海藻の間に産み落とされた卵を固定する役割がある。仔魚は卵の中で』約一年かけて成長し、約十八センチメートルで孵化する。雄は六十九センチメートルで成熟する』。『刺し網などで混獲されるが、水産上重要でない。日本の和歌山など地方によっては湯引きなどで賞味される。酢味噌をあえる場合もある』。『日本では水族館などでよく飼育、展示される。下田海中水族館(静岡県下田市)はネコザメの繁殖賞を受賞している』(私もそこで初めて直にネコザメに触れた。すこぶるおとなしい)。『人には危害を加えない』とある。掲げた画像は国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正 巻二」の保護期間満了(自由使用許可)のものである。
「塩縣圖經」は恐らく「海塩県図経」のことであろう。同書は明末の文人胡震亨(こしんこう 一五六九年~一六四五年)が著わした、彼の生地である海塩県(現在の浙江省嘉興市海塩県)の地誌。海塩県は銭塘河口の杭州湾北岸。胡震亨は一五九七年に挙人となり、定州知州などを経て兵部職方司員外郎に抜擢された。父祖以来の蔵書家で、著書に代表作である本「海塩県図経」の他「赤城山人稿」など数多く、特にライフ・ワークである唐詩の総集で、現在知られる「全唐詩」の本(もと)となった「唐音統籤(とうせん)」の最後にある「唐音癸籤(きせん)」三十三巻(唐詩に関わる見解や資料を多く収める)が知られる(以上は主に小学館「日本大百科全書」に拠った)。
「乙未(きのとひつじ)七月廿六日」天保六年閏七月二十六日はグレゴリオ暦一八三五年九月十八日
「日本𣘺」言わずもがなであるが、後の関東大震災を契機として日本橋魚河岸は築地に移った。
「魚餅店」或いは「ぎよへい」、店「みせ/てん」と読んでいるのかも知れない。「魚餅」とは蒲鉾のことである。
「箭筆寫」矢竹製の持ち運びの容易な細い筆でデッサンしたことを指すものと思われる。矢竹とは単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科ヤダケ Pseudosasa japonica で、「竹」とつくが、成長しても皮が桿(かん:イネ科の植物では茎に相当する中空の幹をかく呼称する)を包んでいることから「笹」に分類される。現在は庭園竹・盆栽として植栽されるが、古くから矢軸の材料とする他、筆軸・釣竿・キセルの羅宇・装飾用の窓枠に利用されている(以上はウィキの「ヤダケ」に拠る)。
「改めて色を看、眞圖す」この記載から見ると、後日、同じ蒲鉾屋に出向いて、別個体を見ながら彩色を施したように読める。]
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