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2015/06/30

薄き雨   村山槐多

  薄き雨

 

銀の雨ふりそそぐ

或時は朱に輝きつ

また或時はほのかなる紫にしばし光りぬ

涙ぐむ空の光に

 

寶玉にたとふべき戰慄(をののき)に

とろとろとふりしきるその爲めか

櫻は花は

流れ消ゆ薄赤く

 

銀の雨大方は空にふる

また雨やむときは

いづこにか吹き鳴らす濕りたる笛もあり

ほのかなる紫にしばしきこゆる

 

たらたらと落つる寶玉

悦びとかなしみの間にて列をつくり

大空の涙まなこに

濃き薄き樂音がひびくなり

 

 

   ×

忙ぎゆくわが身に

薄暮か幽かな月夜か

美少年の汗か

何かしらぬ情念がまつはりつくす、

 

未だ道は盡きぬ燈が消えぬ

こばるとの鋭い明るい道路

春の眞晝の霞に

明りつけたる美しう鋭き道路

 

   ×

美しき酒をとうべてわが『時』は

豐かに醉へり暮迫(せま)る

雨に都は浮き漂よひ

燈は蕩殺の靑かざす

 

耐へがたきかなしみに

五月よりそひ

湯殿より見る如き

君ぞ見へたる

 

あなあはれあなあはれ

美しき時

かなしみを越へてめぐれり

空を君が方にと

 

   ×

血は増す血は増す

春赤く血に醉ひにけり

美しき遊戯の庭に

春赤く血を吸ひ出す

 

濃き赤に坐せる人人

晝もなほ燈をとぼしたり

その燈赤くおびへて

その人の血は増しにけり

 

   ×

孔雀の尾のしだり尾の

薄紫の草生に身を投ぐれば

山の色はあせ

石の原は眞靑に涙ぐむ

 

春鹽田かすたれて

ほのかに霞む心に

時しもかつと日は照る

眩しく麻醉の如く

 

孔雀の尾の紋の如

華奢をつくせし小花に

吹くは三月の強き風

またあせしわが息

 

石原をのぞめば

朱の古りし、子供が一人

草生のはての池には

冷たき水ものこるなり

 

   ×

眞紅の玻璃窓に身を凭たせ

深夜の街を見下せば

ああ遠方に雨ぞふる見ゆ

つぶやく如く泣く如く

 

薄紫と銀とに

ものうくも怖ろしくもふる雨見ゆる

惡女の赤よりあざやかに

われは眞赤にひとりこの深夜の玻璃窓に照さる

 

深夜の空の暗きをば

焦げゆく思ひ打鎭め

見入れば怪し羽根ぬれしかうもりは

薄明をともなひて街上を走り狂ふ

 

血に彩られし怪館の眞紅の玻璃窓に

われのみあざやかに目覺めたり

冷めたき外面

雨はふるふる

 

深夜の街にいま人々の

數千のその寢いきは

泣くが如

わが赤き玻璃戸を通して來る

 

   ×

身ぞ濕る廢園の春

音樂す廢地の水面(みのも)

幽かなる夕ぐれか人くるけはひ

狂嘆の古りし貴婦人

 

豪情に身をばうしなひ

恐る可き貧困ののち

なほ猛る古りし貴婦人

ふととまる

 

 

[やぶちゃん注:本篇で大正二(一九一三)年のパートが終わる。例によって、「全集」は記号(底本は「×」)で区切られている五つのパートの最終連最終行末総てに句点を打つ。

第五連一行目の「忙ぎゆく」はママ。「全集」は「急ぎゆく」とする。

同じく第五連四行目「何かしらぬ情念がまつはりつくす、」は読点の後に『」』のようなものが見えるが、植字のスレと判断して、無視した。因みに例によって「全集」は読点はない。

第七連一行目の「とうべて」はママ。「全集」では「たうべて」に訂する。「食(た)ぶ」は吞むの上代からある古語。

同じく第七連三行目の「漂よひ」はママ。

同じくだ七連四行目の「蕩殺」とは聴き馴れぬ語であるが、「たうさつ(とうさつ)」と読んでおき、すっかりとろかすしてめろめろにする、の意で私は採る。

第八連四行目の「見へたる」はママ。

第九連三行目の「越へて」はママ。

第十連一行目は「全集」では「薄き赤に坐せる人人」とある。かく対義語で訂した理由、不明。頗る不審。

同じく第十連三行目の「おびへて」はママ。

第十一連一行目「春鹽田かすたれて」意味不詳。「春鹽田か/すたれて」もリズムが悪く、無理がある。しかし「かすたる」という動詞もピンとこない。春の塩田の朧に霞む実景のようにも思われるが、識者の御教授を乞うものである。

第十六連四行目の「かうもり」はママ。

最終連第一行の「豪情」はママ。「全集」は「豪奢」に訂してしまっている。]

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