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2015/06/05

明恵上人夢記 50

50

 建暦二年九月十九日の夜、夢に云はく、上師を以て大阿闍梨と爲し、灌頂(くわんぢやう)の道場に入りて五智の法水を浴む。其の作法、一々に皆具足せり。二つの大印を受け奉る。一つは五鈷(ごこ)の印、一つは獨鈷(とこ)の印也。其の印は皆内傳の印也。五鈷は常の印〔内傳五鈷の印〕の如し。獨鈷の印は内傳にして、中の指を立合せたるなりと云々。又、問ひ奉りて曰はく、「法花の法には釋迦・多寶の二尊を合せ行じて、正念誦(しやうねんず)にも兩尊の眞言を用ゐるか。」上師答へて曰はく、「正念誦に多寶中一尊の眞言を用ゐるべき也。惣て此の法は多寶を本と爲る也。」

[やぶちゃん注:底本では、この前に「49夢」までとは異なる別資料であることを示すマークが入っており、この「50夢」から「夢に母堂に謁す。尼の形也。常圓房、其の前に在りと云々」までが同一資料となる(注には原典資料の書誌情報が載らない)。

「建暦二年九月十九日」西暦一二一二年。この年の一月二十五日、京都東山大谷で法然が亡くなっており(満七十八歳)、しかもこの夢の二ヶ月後の十一月には「摧邪輪」が完成している。

「上師」前の「49夢」(冒頭に述べた通り、「49夢」と、この「50夢」は異なる別資料であるが、私は特にその事実によってこの考え方を変えるつもりはない)で示した通り、ここまでの私の考え方から、これは、母方の叔父で出家最初よりの師である上覚房行慈とする。明恵は建仁二(一二〇二)年二十九歳の時、この上覚から伝法灌頂を受けている。上覚は底本の別な部分の注記によると、嘉禄二(一二二六)年十月五日以前に八十歳で入寂しているとあるから、この頃は未だ生きていたと考えられる。

「灌頂」今まで注していなかったので(但し、「夢記」では「灌頂」の語はここで初めて出る点で特異点である)、ここでウィキの「灌頂」を参照して注しておく。灌頂は『主に密教で行う、頭頂に水を灌いで諸仏や曼荼羅と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式のことを』言い、元来は『インドで王の即位や立太子での風習である。釈迦の誕生日を祝う祭りである灌仏会もこれの一例であったが、インド密教において複雑化した。いくつかの種類や目的の別があり、場合によって使い分けられる』。本邦では八百五年に『日本天台宗の開祖である最澄が、高雄山の神護寺で初めて灌頂を行ったといわれる。また、最澄は渡唐の際に龍興寺の順暁から「秘密灌頂」を受け、後年、真言宗の開祖である空海が伝来した金剛界・胎蔵界の両部の』「結縁(けちえん)灌頂」も受けたとあり、対象者と目的によって結縁灌頂・授明灌頂等、種々の灌頂形態があるが、ここで言うのは、伝法(でんぼう)灌頂で、『金胎両部伝法灌頂ともいう。阿闍梨という指導者の位を授ける灌頂。日本では、鎌倉時代に覚鑁の十八道次第を先駆とし成立した四度加行』(しどけぎょう:真言密教に於ける初歩的階梯の四種の修行を指す。伝法灌頂を受けるための準備的修行で、十八道・金剛界・胎蔵界・護摩の四法を伝授されることを言う。)『という密教の修行を終えた人のみが受けられる。ここで密教の奥義が伝授され、弟子を持つことを許される。また仏典だけに捉われず、口伝や仏意などを以って弟子を指導することができ、またさらには正式に一宗一派を開くことができるとも』言い、『別名を「阿闍梨灌頂」、または「受職灌頂」ともいう。現在の中国密教やチベット密教の「伝法灌頂」は日本のものとは大きく異なり、チベット密教では主にタントラ経典の灌頂の際に「阿闍梨灌頂」を伴い、別尊立ての大灌頂の際にも「阿闍梨灌頂」を行なうことができる』。『ただし、日本には「阿闍梨灌頂」はあっても、密教の阿闍梨が守り継承するべき徳目を挙げた戒律である「阿闍梨戒」が無い。それに対して、中国密教やチベット密教には今も「阿闍梨戒」』『が伝わっているところから、一説によると、「阿闍梨戒」は伝わっていないのではなく、現時点では』『鎌倉時代に失伝したのではないかと見られている』とある。

「五智」密教で大日如来の智を五種に分けて説いたもので、①究極的実在それ自身である智(法界体性智)、②鏡のようにあらゆる姿を照し出す智(大円鏡智)、③自他の平等を体現する智(平等性智)、④あらゆる在り方を沈思熟慮する智(妙観察智)、⑤成すべきことを成し遂げる智(成所作智(じょうそさち)) の五つを指す(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

「法水」「はふすい(ほうすい)」或いは「ほつすい(ほっすい)」と読み、仏法が衆生の煩悩を洗い清めることを水に喩えて言う語。法雨。灌頂では実際に頭頂に水を灌ぐことでそれをシンボライズする。

「其の作法、一々に皆具足せり」私はまず、ここに着目する。これは彼が実際に受けた伝法灌頂のフラッシュ・バック――ではない。であれば、こういう言い回しはしないと私は思うからである。即ち、これは全く新たな明恵の受けた伝法灌頂であったのだ。だからこそ夢の中の出来事なのに、恐ろしくリアルで定式に則った全き伝法灌頂であったと、明恵は心底、驚いているのである。

「五鈷」インド神話に於ける武器であったものを仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心を表す様に譬えて法具とした密教の法具ヴァジュラ( Vajra )、金剛杵(しょ)の一種である五鈷杵。柄の両端に、中央の刃の周囲に更に四本の刃が付随した計五鋒を持つ厳めしいもので、魔を払い、身を守る密教を代表する金剛杵の中では両先端が一鋒の独鈷(とっこ)やフォーク状の三鈷などに比すと最もインパクトが強い形状を成すものの一つである。忿怒や威嚇の形相を示す愛染明王・金剛夜叉明王などの明王像や金剛力士像も、この五鈷杵を持った姿で造形されることが多い。ここで明恵が「五鈷」と「獨鈷」の「印」を授けられるという以下の部分には、私は仏教上の基本義とは別に、明恵の中の極めて個人的な隠された神聖数的象徴が潜んでいるように思われてならない。「五」と「一」である。何故なら、この夢で彼はこの二つが自身の宗教的な唯一絶対の任務をシンボライズするものとして語られているように思えてならないからである(単なる法具としてのこの二つは極めてポピュラーなものであるにも拘わらず、明恵はここで敢えて「其の印は皆内傳の印也」としながら――「五鈷は常の印〔内傳五鈷の印〕の如」きもので、公的な知られた伝法の証、意味を指しているけれども、それに対し、今一つ授けられた「獨鈷の印」の方は私だけに命ぜられた「内傳にして」、それは私の両の「中の指を立合せた」ものを象徴しているのであると述べているように思えてならないからである。今、私にはこの「五」(先の五智と強い連関は感じる)と「一」の暗号の意味は分からない、分からないが、しかしこれは、尋常な謂いではないことが私には何か、直観されるものがあるのである。

「多寶」多宝如来。ウィキの「多宝如来によれば(下線部やぶちゃん)、『サンスクリットではプラブータ・ラトナ Prabhūta-ratna と言い、「多宝」は意訳である。法華経に登場する、東方の宝浄国の教主。釈尊の説法を賛嘆した仏である。多宝塔に安置したり、多宝塔の両隣に釈迦牟尼仏と合わせて本尊(一塔両尊)にしたりする』。この如来は過去仏(釈尊以前に悟りを開いた無数の仏)の一人とされ、『東方無量千万億阿僧祇(あそうぎ)の宝浄国に住するという(「無量千万億阿僧祇」とは「無限のかなた」というほどの意味)。中国、朝鮮半島、日本を通じて多宝如来単独の造像例はほとんどなく、法華経信仰に基づいて釈迦如来とともに』二体一組で『表される場合がほとんどである。釈迦如来と多宝如来を一対で表すのは、法華経』第十一章『見宝塔品(けんほうとうほん)の次の説話に基づく』。『釈尊(釈迦)が説法をしていたところ、地中から七宝(宝石や貴金属)で飾られた巨大な宝塔が出現し、空中に浮かんだ。空中の宝塔の中からは「すばらしい。釈尊よ。あなたの説く法は真実である」と、釈尊の説法を称える大音声が聞こえた。その声の主は、多宝如来であった。多宝如来は自分の座を半分空けて釈尊に隣へ坐るよう促した。釈尊は、宝塔内に入り、多宝如来とともに坐し、説法を続けた。過去に東方宝浄国にて法華経の教えによって悟りを開いた多宝如来は「十方世界(世界のどこにでも)に法華経を説く者があれば、自分が宝塔とともに出現し、その正しさを証明しよう」という誓願を立てていたのであった』とある。実は、先の五智に関わって、五智如来信仰というのがあり、真言密教などでは五智に大日如来(中央)・阿閦(あしゅく)如来(東方)・宝生如来(南方)・阿弥陀如来(西方)・釈迦如来(北方)を当てるが、例えば、秋田県能代市の浄土宗大窪山光久寺の公式サイト内の「本尊 五智如来」の頁を見ると、阿弥陀如来を尊崇する浄土宗にあっては『中央に阿弥陀如来、向かって右に釈迦如来、薬師如来、左に大日如来、多宝如来を安置』とあり、多宝仏は『本来は亡くなられたあとに「法華経」というお経が正しいことを証明してくれる仏さまといわれ』ると解説されてある。さて、この順列から見ると、釈迦如来は五智の内でも、鏡のようにあらゆる姿を照し出す智大円鏡智を、多宝如来は成すべきことを成し遂げる成所作智を、それぞれシンボルすることになる(また金剛界曼荼羅にも多宝如来は五智の一つとして描かれることがあるようである)。私はこれは明恵に課せられたものが、五鈷に示された公的な意味に於いて生きとし生けるものに対する全返照という釈迦の大義であり智であったとするならば、独鈷によって独り私的に命ぜられた使命こそが、当然に成すことを当然に成し遂げる、「あるべきようは」であったのではないか、という解釈を秘かにしたくなるのである。そうして後者こそが明恵にとってまさしく成し遂ぐるべき絶対の使命であることを黙示したのが、この最後のシーンではなかったか? 明恵が「法花の法には釋迦・多寶の二尊を合せ行じて、正念誦(しやうねんず)にも兩尊の眞言を用ゐるか。」――やはり普通通り、釈迦(公的天啓たる使命)と多宝(私的天啓たる使命)の両方の真言を誦しますか?――と問うたのに対し、上師は「正念誦に多寶中一尊の眞言を用ゐるべき也。惣て此の法は多寶を本と爲る也。」――そなただけの唯一の正念誦に於いてはこれ、多宝(私的天啓たる使命)その一尊の真言のみを専一に用いねばならぬのである。すべてこの霊験あらたかなる、そなただけの真正の誦法とはこれ、多宝をこそ本(もと)とするものであるからである――と述べているのではかろうか? 勝手な思い込みではある。大方の御叱正を俟つ。

「二尊を合せ行じて」先の多宝如来の注の下線部と合致する。

「正念誦」底本の編者注に、『五種念誦のうちの三摩地念誦』(さんまじねんじゅ)とある。「念誦」は真言宗で真言を繰り返し唱える修法で、その方法には①蓮華念誦(誦ずる声が自分自身の耳に聞こえる程度の声を出す最初期階梯の誦法)・②金剛念誦(唇と歯は閉じ合わせ、僅かに舌先のみを動かして真言を唱える誦法)・③三摩地念誦(舌を動かさずに心に於いて唱える誦法)・④声生(しょうせい)念誦(心中に蓮華を想い、その上に白い法螺貝があると観想してその貝から妙なる音声(おんじょう)が遍く世界に音楽的に響き渡る誦法)・⑤光明(こうみょう)念誦(口から光明を発しつつ唱える即身成仏の誦法。六波羅蜜寺の六体の阿弥陀如来が口中より出現している空也上人像はこの光明念誦を形象化したものである)があるとする。この五種の解説は大森義成「実修真言宗の密教と修行」(二〇一〇年学研刊)や正式な真言宗寺院のサイト及び真言僧のブログを複数参考にしたが、大森氏によれば、三摩地念誦は『舌すら動かさず、心の中で真言を唱える。そのときに心の中に「蓮華」と「月輪」』(月のことであるが「がつりん/がちりん」と読む)と梵字(原本では古代サンスクリット文字が入る)のア(密教では阿字本不生(あじほんぷしょう)と称し、宇宙のあらゆるものは「阿」という字音のなかに含められるとし、総てのものが本来、存在するものであって原理そのものが現れているのだとする、大日如来自身の内的悟達と同一であるとする思想。阿字観瞑想法の基本)『を迷走して、一体になりきる』と解説されておられる。]

 

□やぶちゃん現代語訳

50

 建暦二年九月十九日の夜、こんな夢を見た。

「上師上覚房さまを以って大阿闍梨となし、伝法灌頂(かんじょう)を受けるために道場に入堂し、五智の法水を浴びる。

 その作法たるや、これ、夢の中の出来事であるにも拘わらず、細かな部分まで定式通りであって、夢にありがちないい加減ところや、おかしなところなど、これ、一つとしてないのであった。

 私は伝法の証しとして、二つの大きな印(いん)を受け奉った。

 その一つは五鈷(ごこ)の印、今一つは獨鈷(とっこ)の印であった。

 その印はこれ、二つを合わせて、内密に伝授された証しとしての印なのであった。

 五鈷はこれ、こうした伝法灌頂にあって知られた印――真言宗一般の内伝の五鈷の印であった――と全く変わらぬものであった。

 しかしそれに加えられた今一つの独鈷の方の印の方は、これこそまことに秘かに内々に伝授されたものであって、それは仏さまの中指を、これ、ぴたりと縦に合わせた、実に凛々しい形をしているのである。……

 また、その折り、私はふと疑問に思って上覚房さまに問い奉ったことがあった。それは、

「――法華経読誦の修法には、これ、やはり釈迦・多宝の二尊を合わせて行じて、また、正念誦(しょうねんず)に於いても釈迦・多宝両尊の真言を用いるのですか?」

という疑義であった。

 すると上覚房さまは鮮やかにきっぱりと、こう、お答えになられたのである。

「正念誦にはこれ、まさに多宝一尊の真言をこそ用いねばならぬ! すべて、この法は多宝を本(もと)とするものだからじゃ。」

と……」

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