譚海 卷之一 出雲國造の事
出雲國造の事
○出雲の國造(くにつくり)は其(その)國人尊敬する事神靈のごとし。氷の川上と云所に別社ありて、神事に國造の館より出向ふとき、其際の道筋へ悉く藁を地に敷(しき)みちて、土民左右の地にふし、手に此わらを握りて俯(ふ)しをる。國造藁をふんで行過(ゆきすぐ)る足を引(ひか)ざる内に、みなみなわらを曳取(ひきとり)家に持歸(もちかへ)り、神符(しんぷ)の如く收め置(おく)なり。國に疫病諸病等有(ある)時、此わらをもちて祓ひまじなふに、平癒せずと云事なし。
[やぶちゃん注:「出雲國造」底本の竹内氏の注に、『出雲大社の神官の長たる国造家、天穂日命』(あめのほいのみこと)『の後で、近世は千家と北島家にわかれ、大社に奉仕した。古代のクニノミヤツコ(国造)の名が踏襲されてきたのである』とあり、ウィキの「出雲国造」に詳しく、現在は千家系が大社を主管している模様で、現在の当主は第八十四代国造(こくそう:現行ではこう呼称しているらしい)千家尊祐(たかまさ)氏で、最近、この人物の長男である出雲大社権宮司千家国麿が、高円宮憲仁親王の次女、典子女王と結婚したことで、私も千家の名は知っていた。]