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2015/06/28

氷の涯 夢野久作 (4)

 あの憲兵の黑い襟章といふものはナカナカ考へたものだ……と其時に僕は思つた。それだけの連中が揃ひの黑襟章でズラリと椅子にかゝつてゐる處を見ると、今にも犯人が捕まりさうな空恐ろしい氣持がした。……むろん僕が犯人では無かつたのだが……。

 その連中(れんぢう)が詰めかけて來ると間もなく當番係の上等兵の命令で、戰友の一人が當番卒を拜命して行つたが、そのうちに午後になると、上等兵がいくらかフクレ氣味になつて僕を呼び出した。

「……オイ、上村(うへむら)、濟まんが君代りに搜索本部に行つて呉れ。モツト哈爾賓の事情に明るい者を寄越せつて曹長に怒鳴り付けられたんだ。君が居なくなると司令部が不自由するんだが……」

 僕は笑ひ笑ひ身仕度をした。不平どころか……一種の探偵劇でも見るやうな漸新な氣持で、勢よく階段を駈上つたものであつた。

 行つてみると搜索本部には、今云つた六人のはかに司令部附の鬚達磨(ひげだるま)と綽名(あだな)された歩兵少佐と、特務機關から派遣されたらしい色の生白(なまじろ)い近眼鏡(きんがんきやう)の中尉と、それから當(たう)の責任者らしい上席の一等主計が控へてゐた。ちやうどセントランニヤ内部の參考人調べが濟んだところであつた。

 僕はその部屋の入口に近い當番用の卓子(テーブル)と椅子に納まつて、並居るお歷々の諸氏がドンナ搜索をするかを一所懸命に注意してゐた。むろん夫れは大きな退屈の中から絞り出された、つまらない一種の探偵趣味に過ぎなかつたが併(しか)し、それでも此部屋(ここ)に集まつて來る報告は出來るだけ頭に入れて置こう。まかり間違つたら、俺一人で犯人を捕(とら)へるのも面白からう……ぐらいの野心は聊かながら持つてゐた事を白狀する。とにかく何時も引込み思案の僕が、永い間の退屈病(たいくつびやう)に惱まされてゐたせゐであつたらう。此時に限つて、今までにない生き生きした興味の中に蘇生し始めてゐたのであつた。

 搜索本部の手は最早(もう)、午前中に八方に伸ばされてゐた。哈爾賓市中は云ふに及ばず、東は露支(ろし)國境のポクラニーチナヤ、寧古塔(ニクタ)、北は海倫(ハイリン)、西は齊々瞭爾(チヽハル)、滿洲里(マンチユリー)、南は長春(ちやうしゆん)、奉天(ほうてん)と嚴重な警戒網が張られていて、今にも犯人が引つかかるか引つかかるかと鳴りを鎭めて待つてゐる狀態であつた。

[やぶちゃん注:●「ポクラニーチナヤ」現在のロシア沿海地方、中国国境まで十三キロメートルほどのポグラニチニ(Пограничный)。ハルピンから直線で東南東へ四百十キロメートルに位置する。 ●「寧古塔(ニクダ)」(ニングダ/ねいことう)は清代から一九三〇年代初頭にかけて満州東部の牡丹江中流域にあった地名で、清が満州を統治するに当たり重要な役割を果たした場所であった。現在の黒竜江省牡丹江市寧安に相当する。参照したウィキの「寧古塔」によれば、『清代末期になると北京条約などによりアムール川以北やウスリー川以東はロシアに割譲され、毛皮貿易など少数民族相手の交易は衰える。また東清鉄道建設に伴いハルビンなどの街が建設されるが、それでも寧古塔は満州東部の数少ない都市でありロシアなどに対する軍事拠点だった。特に牡丹江沿岸にあたるため水田耕作に適した土地で』、十九世紀終わりから『漢民族や朝鮮人が周辺に移住し稲作や畑作を始めた』。『吉林省設置以降は寧安府、次いで寧安県が寧古塔に置かれたが、寧安県設置以後も寧古塔という名は慣用的に使用されていた。辛亥革命以降の混乱期には、寧古塔は中国人の革命運動や朝鮮人の抗日パルチザンなどさまざまな勢力の拠点となった』。一九三〇年代に『日本が満州国をこの地に建国してからしばらくの間も寧古塔は農林業の集散地として栄えていたが、牡丹江市の建設により農林業上・軍事上の拠点としての地位を譲ることとなった』とある。地図で確認すると街としての牡丹江はポグラニチニのほぼ西百四十キロメートルにあり、現在の牡丹市内の寧安(ここも市)は牡丹江市を貫通する牡丹江の直線で四十キロメートルほど下流にある。 ●「海倫(ハイリン)」ハルピンのほぼ北百八十キロメートルにある街。現在の黒竜江省綏化(すいか)市海倫市。ロシア国境まで二百五十~三百キロメートルほど。 ●「齊々瞭爾(チヽハル)」現在の黒竜江省(省直轄市)斉斉哈爾(チチハル)市。ハルピンの北西約二百六十キロメートルに位置する、ハルピンに次ぐ黒竜江省の大都市。 ●「滿洲里(マンチユリー)」現在の中華人民共和国内モンゴル自治区ホロンバイル市内の満州里市。ハルピンの北西約八百キロメートルのロシアとの国境直近。モンゴル国境も五十キロメートルほどしか離れていない。 ●「長春」現在の省政府が置かれている吉林省長春市。ハルピンの南南西二百三十キロメートルに位置する。 ●「奉天」旧中華民国と旧満洲国にかつて存在した現在の瀋陽市に相当する都市。長春をほぼ中間点としてハルピン南南西凡そ五百キロメートルに位置した。現在の朝鮮民主主義人民共和国国境までは南東に二百キロメートルほど。]

 一體この星黑(ほしぐろ)といふ主計は、名前の通りに色の淺黑いツンとした小柄な男で、イヤに神經質に勿體ぶつた八釜(やかま)し屋であつた。ふだん戰鬪員から輕蔑される傾向を持つてゐる計手(けいしゆ)とか軍樂手とかにあり勝ちなヒガミ根性が、この男にも執念深くコビリついてゐたものらしい。戰時には餘り八釜(やかま)しく云はれない缺禮(けつれい)を、この男は發見次第に怒鳴りつけたので人氣(にんき)が恐ろしく惡かつた。

 しかし之に反して一緒に逃げた十梨(となし)通譯は格別、憎まれてゐなかつた。ちよつと見た所、何の特徴も無いノツペリした色男だつたので兵卒連中(れんぢう)から幾分、輕蔑されてゐる傾(かたむき)はあつたが、それでも外國語學校出身の立派な履歷を持つてゐたさうである。人間が如才ない上に露西亞語が讀み書き共にステキに達者なので、着任早々から三階(がい)の連中(れんぢう)に重寶がられてゐた事實と、これも如才ない一つであつたらうか、軍隊内で禁物(きんもつ)の赤い思想の話が、どうかした拍子にチヨツトでも出ると、忽ち顏色を變へて露西亞の現狀を罵倒し初めるのが、特徴と云へは特徴であつたといふ。尤も「彼奴(きやつ)は露西亞語ばかりぢやないぜ。支那語もステキに出來るらしいぞ」と云ふ兵隊も居たが、しかし本人は絶對に打消してゐたといふ。

 其二人は今や全軍の憎しみを引受けつゝ行衞(ゆくゑ)を晦ましてゐる譯であつたが併し、捕まつたといふ情報はなかなか來なかつた。さうしてその日が暮れて、翌(あく)る日の火曜日になると、もう、そろそろと大陸特有の退屈が舞ひ戻つて來た。入口の扉(ドア)に新しく「○○○○軍政準備室」と貼紙をした以外には何一つ變つた事の無い搜索本部の片隅に腰をかけて、北滿特有の黄色い窓あかりを眺めてゐるうちに、ともすると腹の底から巨大な欠伸(あくび)がセリ上(あが)つて來るのをヂツと我慢しなくてはならなくなつた。

 もつとも、それは僕一人ぢやなかつたことを間もなく發見する事が出來た。

 僕は最初のうち意兵諸君の行儀のいゝのに感心してゐた。芝居の並(なら)び大名と云つた格(かく)で、一列一體に威儀を正したまゝ、いつまでもいつまでもかしこまつてゐる。執務中のつもりであらう煙草一服吸ふ氣色(けしき)もない。時々思ひ出したやうに「電話はかゝらないか」とか「電信は來ないか」とか云つて一軒隣りの司令部に僕を聞きに遣る。さうかと思ふと又、思ひ出したやうに地圖を引つぱり出したり、一度投げ出した汽車の時間表を拾ひ上げて繰り返し繰り返し檢査したりする。……此邊(このへん)は汽車の時間表は無い方が正確なのに……と思つたが恐らくこれは退屈凌(しの)ぎの積りであつたらう。

 此連中(れんぢう)が腕ツコキと云はれてゐる理由は、發見された犯人を勇敢に追跡して、引つ捕(とら)へて、タヽキ上げて、處刑するまでの馬力がトテモ猛烈で、疾風迅雷式(しつぷうじんらいしき)を極めてゐるからであつた。たゞそれだけであつた。だから其の犯行の徑路(すぢみち)を推理したり、犯人の遁路(にげみち)を判斷したりするところの所謂、警察式の機能、もしくは探偵能力といつたやうなものは絶無なので、何でも嫌疑者と見れば片ツ端から引捕(ひつとら)へて處刑して行(ゆ)く。其中のどれかゞ眞犯人(ほんもの)であれば夫れでよろしい……といふところに黑襟(くろえり)のモノスゴサが認められて居るのであつた。これは決して惡口(わるくち)ではない。戰地では内地の警察みたやうな叮嚀、親切な仕事ぶりでは間に合はない事を僕らは萬々(ばんばん)心得てゐたのだ。從つて軍政下における「靜寂」とか「戰慄」とか云ふものは實に、かうした黑襟の權威によつて裏書きされてゐると云つてもよかつたのだ。

 彼等黑襟の諸君は、だから斯樣(かう)して威儀を正しながら偶然の機會を待つて居るのであつた。犯人が高飛(たかとび)をするとなれば必ずや鐵道線路を傳(つた)ふに相違ない。それ以外の地域はまだ交通、生命の安全を保障されていないのだからその要所要所に網を張つて置けばキツと引つ掛かるに相違ないといふ確信を持つてゐるらしかつた。しかも其要所要所に見張つてゐる黑襟の諸君が矢張りコンナ風に、その要所要所で一團となつて、威儀を正してゐるであらう光景を想像すると何ともハヤたまらないアクビがコミ上げて來るのであつた。

 そいつを我慢しいしい向家(むかひ)のカボトキンの時計臺が報ずる十一時の音を聞いた時には最早(もう)、トテモ我慢出來ない大きなアクビが一つ絶望的な勢いでモリモリと爆發しかけて來た。ソイツを我慢しようとして俯向(うつむ)きながら兩手を顏に當てようとすると、其時遲く彼(か)の時早く、その欠伸(あくび)が眞正面の中尉殿の顏に公々然(こうこうぜん)と傳染してしまつた。そこで待つてゐましたとばかり上席から末席に亙つて一つ一つに欠伸玉(あくびだま)の受け渡しが初まつたが、併し感心なことに其のやゝこしいアクビのリレーが片付いても笑ふ者なぞ、一人も居なかつた。間もなく元の通りのモノスゴイ、靜肅な搜索本部に立ち歸つてしまつたのであつた。

 僕は後悔した。僕を搜索本部の當番の刑に處した上等兵を怨んだ。汽車の通らない停車場(ていしやば)の待合室よりもモツト無意味だと思つた。

 しまいには自分自身が嚴然たる憲兵に取り卷かれて、第三等式の無言の拷問を受けてゐる犯人みたやうなものに見えて來た。……これぢや、とても辛抱し切れない。いよいよ遣り切れなくなつたら「私が犯人です」と云つて立上つてやろうか知らん。さうしたら、いくらか退屈が凌げるかも知れない……なぞと途方もない事までボンヤリと空想し初めてゐた。そのうちにヤツト晝食の時間が來た。

[やぶちゃん注:●「第三等式」程度の低い、拙劣な、という意味であろう。]

 僕は本部の連中に、辨當のライスカレーとお茶を配つた。それから自前の食事を濟ましに地下室へ降りると、そこで又、悲觀させられた。當番連中が一齊に僕の周圍に集まつて來て、

「どうだ。捕まりそうか」

 と口々に聞くのであつた。其のまわりを料理人(コツク)の支那人、雇人頭(やとひにんがしら)のコサツク軍曹、耳の遠い掃除人夫の朝鮮人と云つた連中が取卷いて、靑や、茶色や、黑の眼に、あらん限りの興味をキラキラと輝やかして居るのであつた。

[やぶちゃん注:●「濟ましに」「全集」では『済まして』となっているが、これは明らかに「濟ましに」が正しい。第一書房版全集の方の誤植である。]

 僕は手を振つて逃げる樣に自分の食卓に就いた。

「……駄目だよ。捕まつたのはアクビだけだよ」

 と云ひたいのを我慢しいしい皮のままのジヤガイモを頰張つた。

 食事を濟ました僕は、地獄に歸る思ひで地下室を出た。イヤに長い午後の時間を考へながら、屠所(としよ)の羊よりもモツト情ない恰好で、三つの階段をエンヤラヤツト登つたが、早くも出かゝつた欠伸をかみ殺し、入口の扉(ドア)を押すと同時にビツクリした。出會ひ頭に待構へてゐたらしい、曹長のキンキン聲が機關銃みたいに飛び付いて來たので……。

「オイ。當番。これを第二公園裏の銀月といふ料理屋に持つて行け。知つとるだらう。經理部の取調(とりしらべ)が濟んだから返すのだ。銀月の會計係の阪見(さかみ)といふ男に返すんだ。阪見が居らなければ銀月の女將(おかみ)に渡せ、それ以外の人間に渡すことはならんぞ。えゝか」

[やぶちゃん注:●「第二公園」本作の後の描写と、現在のハルビン(哈爾濱)の地図を眺めての印象に過ぎないが、これは松花江の南岸の市街地にある兆麟公園がモデルではなかろうかとも思われる。]

 僕は曹長の手から四角い平べつたい、靑い風呂敷包みを受け取つた。

「ハッ、復誦します。上村當番はこの帳簿を銀月の……」

「馬鹿……誰が帳簿と云ふたか」

 曹長は千里眼に出會つた樣に眼を剥(む)いた。

「その包みの内容は極(ごく)祕密になつとるんだぞ」

 僕は情なくなつた。これが帳簿だとわからない位(くらゐ)なら一等卒を辭職してもいゝと思つた。

「ハツ。上村は此の四角い箱を銀月に持つて行(ゆ)きます。そこの會計主任か、女將に渡します。それ以外の人間に渡さなけれはならない場合は持つて歸ります」

「よし……女將の名前は知つとるぢやらう」

「ハイ。知りません」

「富永(とみなが)トミといふのだ。えゝか」

 曹長は重大そのものの樣な顏をした。

 僕は卷脚絆(まききやはん)と帶劍を捲附(まきつ)つけて外へ出た。

 何を隱そうトテモ嬉しかつた。死ぬより辛い退屈地獄から思ひがけなく救ひ出された愉快さで一パイになつてゐた。相濟まぬ話だが司令部から遠ざかれば遠ざかるほど救はれたやうな氣持ちになつて行つた。

 僕は惡い事と知りつゝわざと遠まはりをした。キタイスカヤの雜沓を避けて、第二公園の方向から外(そ)れた廣い通りへ廣い通りへと出て行つた。

 道の兩側に並んだ楡(にれ)や白楊(はくやう)の上にはモウ内地の晩秋じみた光りが横溢(わういつ)してゐた。歩道の一部分に生垣をめぐらした廣い公園だの、白楊の靑白い幹が幾十となく並んだ奧に、巨大なお菓子か何ぞのやうに毒々しい色の草花を盛り上げた私人(しじん)の庭園だの、仙人掌(サボテン)、棕櫚(しゆろ)、蝦夷菊(えぞぎく)、ダリヤなぞ云ふ植物をコンモリと大らかに組合はせた花壇だのが、軒並に續き繫がつてゐるのを、僕は今更のやうにもの珍しく覗いて行つた。その奧に見える病院みたやうな窓の中から、面白さうな手風琴(てふうきん)の音(ね)が洩れて來るハルピンの午後の長閑(のどか)さ。なつかしさ……。

 靑い風呂敷包みを抱へた僕は口笛を吹きながらユツクリユツクリ歩いて行つた。さうして茶鼠色の薄い土煙を揚げる歩道をみつめながら、いつの間にか眼の前の退屈事件の事を考へ續けてゐた。

 ……星黑と十梨は今頃どこに居るだらう。

 ……二人は果して共犯者だらうか。

 假に俺が犯人とすれば、ドンナ風に逃げるだらう。搜索本部の能力を最初から看破つてゐるとすれば左程に怖がる必要は無いかも知れないが、しかし逃げる身になつてみたら左樣(さう)タカを括(くゝ)る譯にも行(ゆ)かないだらう。否でも應でも、あらん限りの知惠を絞らずには居られないだらう。搜索本部は果してソンナ處まで犯人の心理作用を警戒して居るだらうか……。

 ……汽車で逃げるのは一番捕まり易い道を行くやうなもんだ。哈爾賓以西の安全區域だけを上下してゐる、松花江通ひの汽船に乘つても同じ事だ。目下の處(ところ)日本官憲の手が屆くのは、さうした交通機關の動いてゐる範圍内に限られて居るのだから、其樣(そん)なもの利用して逃げるのは官憲の手の中を這い廻るのと同じことになる。それを知らない二人ではあるまい。

 ……ところで夫れ以外の通路を傳つて哈爾賓の外まはりの茫々たる大平原の起伏(きふく)に紛れ込んだら何樣(どう)だらう。人間も蟲(むし)も區別が付かなくなるのだから、たゞ日本の官憲に捕まらないだけが目的なら此(この)方法が一番であらう。

 ……しかしそこには日本の官憲よりもモツト恐ろしい者が知らん顏をして待ち構へてゐる虞れがある。その第一は西比利亞から北滿へかけた平原旅行に付きものゝ飢餓行進曲(きがかうしんきよく)だ。難波船の漂流譚(へうりうものがたり)を自分の足で實驗しなければならないばかりでなく、日本人と見たら骨までタタキ潰す赤(あか)の村が何處に隱れてゐるか解からないのだ。そんな村に片足でも踏込(ふみこ)んだら、最後、○○支隊(したい)でも全滅するのだから敵(かな)はない。

 ……その次はお膝元の哈爾賓市中に潜り込んで居て、ホトボリの醒めた頃、變裝の高飛(たかとび)を試みる手段がある。ナハロフカだの傅家甸(フーチヤテン)だのにはソンナ潜入孔(もぐりあな)がイクラでも有るだらう。ナハロフカは横着部落(わうちやくぶらく)といふ意味だそうだ。だから其處いらにウロ付いてゐる縮緬(ちりめん)の上衣(うはぎ)を着た唇の眞赤な露西亞女でも、赤いスウヱータを着た賭博宿(ばくちやど)の婆さんでも、十圓札の二三枚ぐらゐ見せたら一週間や十日位(くらゐ)はオンの字で奧の室(へや)を貸して呉れるであらう……。イヤイヤ、そんな劍呑(けんのん)なところへ飛込(とびこ)まなくとも傅家甸(フーチヤテン)の平康里(へいかうり)(娼婦街)に紛れ込んで、釣鐘形(つりがねがた)に紅い紙の房(ふさ)を下げた看板の下(した)を、煉瓦造(れんぐわづくり)の中へ一歩踏込めばモウこつちの物と思つていゝ。支那人が珍重する十二三の子供みたやうな女を買ひ續けて居るうちに、絶對安全の遁道(にげみち)が、自然と判明(わか)つて來るものだ……といふ話も聞いてゐる。

[やぶちゃん注:●「支那人が珍重する十二三の子供みたやうな女を買ひ續けて居るうちに、絶對安全の遁道が、自然と判明つて來るものだ……といふ話も聞いてゐる」久作節炸裂の意味深長意味不明なすこぶる妖しく怪しい淫靡隠微なるもの謂いではある。]

 ……此の三つしか目下の處、拔け路が無い樣だ。一方に星黑が想像通り露語(ろご)通譯を連れて居るものとすれば、その逃亡計畫はかなり遠大なものと見なければならないが、サテどの方法を執つてゐるのであらう。

 ……搜索本部の連中は夢にもそんな事に氣づいて居ないやうであるが……。

 そんな事を考へ考へ司令部からシコタマ溜めて來た欠伸を放散(はうさん)しいしい歩いてゐるうちに僕は、小脇に抱えてゐる帳簿の風呂敷包みが落ちさうになつたので、チヨット立ち止まつて抱へ直した。……と……同時に僕は又、心機一轉して或る重大な想像を頭の中に旋囘させ初めたのであつた。

 後から考へると僕がこの時に心氣一轉した結果が……モツト端的に云ふと、僕が此時に靑の風呂敷包みを抱へ直した一刹那が、今日のやうな重大な政局の變化を東亞(とうあ)の政局にもたらした一刹那だつたとも云へる樣に思ふ。……と云つて何も別に氣取る譯ぢやない。僕がソンナに偉かつたと云ふ説明には毛頭ならないが、所謂、魔がさしたと云ふものであらうか。哈爾賓市中を彷徨してゐる巨大な退屈魔の一匹が突然に一種の尖鋭な探偵趣味に化けて僕のイガ栗頭(ぐりあたま)に取憑(とりつ)いた結果、今日(こんにち)のやうなモノスゴイ運命に吾と吾身を陷れる事になつたとも、考へれば考へられるであらう。

 僕は帳簿の包みを抱へ直したトタンに或る一つの大きなヒントを受けたのであつた。もしや星黑主計は銀月に隱れて居るのではないか知らん……と……。

 これは單なる僕の想像程度のものに過ぎなかつたが、しかし、それでも全然理由のない考へではなかつた。今持つて行く帳簿は、星黑主計が費消した官金の行方を調べ上げる參考にしただけの物である事は解り切つてゐるが、しかし今までチツトも話を聞かなかつた銀月が、犯人の祕密の遊び場所だつたとすると、そこを犯人の有力な隱れ場所の一つとして數へ上げない譯には行(ゆ)かないであらう。これが憲兵だから氣付かないで居るやうなものゝ、内地の警察か何かだつたら、ドンナに鈍感な刑事でも、直ぐに疑ひをかけてみる處であらう。

 銀月は哈爾賓切つての一流料理店だといふ。同時に北滿切つての見事な日本建築の室があつて「莫斯科(モスコー)の洞穴(ほらあな)」を眞似た祕密の娯樂室が幾室(いくら)でも在るといふ話だが……待てよ。

[やぶちゃん注:●「莫斯科(モスコー)の洞穴(ほらあな)」不詳。モスクワの古伝承か? それとも、荘厳壮大なクレムリン宮殿の譬えか? 識者の御教授を乞う。]

 コンナ風に賴まれもしない事件の眞相をタツタ一人で……恐らく世界中にタツタ一人で眞劍に考へめぐらしながら、覺えず知らず探偵趣味を緊張させてゐるうちに、どこを何樣(どう)曲つて來たものか銀月の三層樓閣がモウ向うに見えて來た。何と云ふ式(しき)か知らないが、スレート屋根の素敵に大きい、イヤに縱長い窓を矢鱈に並べたカーキ色の化粧煉瓦張(けしやうれんぐわば)りの洋館に、不思議によく似合つた日本風の軒燈(けんとう)。二階(かい)三階(がい)の窓硝子(まどガラス)に垂れ籠めた水色のカーテン……そんなものが氣のせいか妙に祕密臭くシインと靜まり返つて、正午下りの秋日をマトモに吸ひ込んでゐた。

[やぶちゃん注:●「妙に祕密臭くシインと靜まり返つて」底本は「妙に祕密臭いシインと靜まり返つて」であるが、「全集」と校合して訂した。]

 僕はチヨット躊躇しながら往來に面した銀色のダイヤグラスの扉(ドア)を押し開ゐた。わざと玄關へ廻るのを避けて勝手口へ來たのだ。……やはり僕の探偵趣味がさうさせたのかも知れないが……。三坪ばかりの白タイル張の土間の上り口から右に廻ると直ぐに玄關へ出るらしい。一段高くズーツと奧の方へ寄木細工(よせぎざいく)の廊下が拔け通つて右と左に扉(ドア)が並んでゐる。ちやうど正午過(ひるすぎ)の掃除が始まつた時分と見えて、その扉が一つ一つに開け放されてゐた。

[やぶちゃん注:●「ダイヤガラス」古い建具などで見かける、ガラス表面に有意な凹凸があって、角度が変わるとダイヤのように輝く、本邦製のアンティーク・ガラス。よく似た輸入ガラスに「クリアテクスチャ(ダイヤクリア)」というガラスがある。こんな小道具も美事に大正ロマンを漂わせていることに着目されたい。]

 今一度、躊躇しながら上り口の呼鈴(よびりん)を押すと、奧の方からバタバタと足音がして十六、七の小娘が出て來た。その小娘がまだ立ち止まらないうちに僕が敬禮しながら、

「阪見さんは居(を)られませんか。司令部から來ましたが……」

 と怒鳴ると、ちやうど待つてゐたかのやうに直ぐ横の應接間らしい扉(ドア)が開いて、奧樣風(おくさまふう)の丸髷(まるまげ)に結つた女が顏を出した。

 與謝野晶子と伊藤燁子(いとうあきこ)の印象をモツト魅惑的に取合(とりあ)はせた見目容(みめかたち)とでも形容しようか。年増盛(としまざか)りの大きく切れ上つた眼と、白く透つた鼻筋と、小さな薄い唇が水々した丸髷とうつり合つて、あらゆる自由自在な表情を約束してゐるらしかつた。その黑い黑いうるんだ瞳と、牛乳色(ぎうにういろ)のこまかい肌が、何とも云へない病的な、底知れぬ吸引力を持つてゐるやうにも感じられた。それが僕の顏をチラリと見ると、すぐにイソイソと出て來て廊下の端にしなやかな三指を突いた。

[やぶちゃん注:●「伊藤燁子」大正三美人の一人で「筑紫の女王」とスキャンダラスに称された歌人柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん 明治一八(一八八五)年~昭和四二(一九六二)年)のこと。柳原は旧姓で、本名は宮崎燁子。伊藤は再婚相手で九州の炭鉱王伊藤伝右衛門の姓。宮崎滔天の長男で『解放』元主筆であった社会運動家宮崎龍介との駈け落ち(白蓮事件)は大正一〇(一九二一)年十月二十日のことであるから、作品内時間(大正九年)で「伊藤」姓とするのは芸が細かいとは言える。]

「……あの……阪見はちよつと出かけておりますが……妾(わたし)はアノ……富永でございますが……」

「あ、左樣ですか。富永トミさんですね」

「ハイ……」といふうちに女將は如何にも心安さうに僕の前の板張りへペタリと坐つた。一種のスキ透つた、なまめかしい匂ひをムーツと放散させながら大きな瞳をゆるやかにパチパチさせた。

 僕は固くなつた。

「司令部から來ました。……昨日(きのふ)お借りした……帳簿をお返し……しに來ました」

 と一句一句石ころみたいな口調を並べた。

「まあ。御苦勞樣。いつでもよござんしたのに……濟みません。たしかに……お受取を差上げましせうか」

「どうぞ。しかし帳簿と書かないで下さい」

「……かしこまりました」

 と云ふうちに女將は何かしらニツコリしながら風呂敷を解いた。中からは封印した新聞紙包(しんぶんしづつ)みが出て來た。

 女將の笑顏が一層、深くなつた。

「……では……あの新聞紙包み一つと書いて置きませうね」

「ハイ、結構です」

 僕はヤット冷靜になつた。コンナ處でドギマギしてゐた自分の馬鹿さ加減を自覺すると同時に、最初から僕を呑(の)んでかゝつてゐるらしい女將の感度に輕い反感をさへ感じた。

「かしこまりました……ホホ……」

 と女將は笑ひ笑ひ立ち上つたが、その序(ついで)に僕の腕章をチラリと見ると又、立ち止まつた。

「……あの……ちよつとお上りになりませんか。只今お受取をこしらへさせますから……」

 さう云ふ女將の言葉が終るか終らないうちに、小娘が飛降(とびお)りて來て、僕の靴にカバーを押し付けた。

「……や……これは……」

 とばかり僕は又も躊躇してドギマギした。むろん平常(いつも)の僕だつたら此處で九十九パーセントまで御免蒙る處であつたらう。上り口(ぐち)に腰をかけて待つて居ても用は足りるばかりでなく、たゞの當番卒でしかない僕が、公用のお使ひに來て上り込んだりするのは、非常に不自然な行動に違ひ無かつたのだから……。

 ところが此時ばつかりはソンナ遠慮氣分や、不自然な感じがチツトもしなかつたから妙であつた。多分それは何か物言ひたげな女將の素振りが、最前から動きかけてゐた僕の、銀月そのものに對する探偵趣味を示唆つたせゐであつたらう。そのうちに一種の勇氣を奮ひ起した僕は、案内されるまにまに默つて左右を見まはしながら、タツタ今女將が出て來た應接間に這入つた。

[やぶちゃん注:●「示唆つた」底本にはルビがない。「全集」には『示唆(そそ)った』とルビする。 ●「案内されるまにまに」「全集」では「案内されるままに」であるが、実は言葉としては「ままに」が一見正しいように見えるものの、ここでは上村が「左右を見まはしながら」移動するのであってみれば、私はこの「まにまに」の方が実は正しいと感じる者である。]

 それは實に立派な部屋であつた。何もかもがまだ一度も見た事のない風變りな、凝つた物であつたばかりでなく、ヒイヤリとするほど薄暗かつたので、最初のうちは何が何やら見當がつかなかつたが、よく見るとそれは印度風(インドふう)と支那風(しなふう)を折衷した、夏冬兼用の應接間であつたやうに思ふ。低い緞子(どんす)の椅子に坐ると彈力に乘せられて思はず背後の方へ引つくり返りさうになつた。トタンに頭の上のバンカアが香水を含んだ風をソヨソヨと煽(あふ)り出したので僕は思はず赤面させられた。

[やぶちゃん注:●「緞子」繻子織り(しゅすおり:経(たて)糸と緯(よこ)糸の交わる点を少なくして布面に経糸或いは緯糸のみが現われるように織ったもの。布面に縦又は横の浮きが密に並んで光沢が生すると同時に肌触りもよい高級織布。)の一つ。経繻子(たてしゅす)の地にその裏織り組んだ緯繻子(よこしゅす)によって文様を浮き表わした光沢のある絹織物。室町中期に中国から渡来した。「どん」「す」は孰れも唐音である。 ●「バンカア」底本も「全集」も濁音であるが、これは実は「パンカア」が正しいのではあるまいか? 英和辞典によれば、これはインド英語“punka”であって発音は【pˈʌŋkə】「パンカア」、マハラジャのイメージにありがちなあの、布製で天井から吊して綱で引いて扇ぐ例の大団扇、無論ここは電動のシーリング・ファン、天井から吊された麻布などで覆われた骨組みからなる大きな扇風機のことである。現在は航空機やバスなどで見かける、局所空調・換気用の、あの球面体の一部に吹出し口を設けて球面を回転させることによって吹出し方向を変えることの可能なスポット形吹出し口の一種を“punkah louver”(パンカールーバー)と呼んでいる。]

 すると又、入口の扉(ドア)が音もなく開ゐたから、モウ受取が出來たのかと思つて腰を浮かしかけると豈(あに)計らんや大きな銀盆の上に色々な抓(つま)み肴(ざかな)と、果物(くだもの)と、麥酒(ビール)を載せたものを、白い帽子に白い覆面(ふくめん)の支那人が二の腕も露はに抱へ込んで來たのであつた。

 これにはイヨイヨ驚いた。いくら哈爾賓一流の銀月でもアンマリ手廻しが良過ぎる。況んや普通の兵卒がお使ひに來たのに對して此のもてなしは少々大袈裟過ぎる……と内心疑はぬでも無かつたが、そんな考へをめぐらす隙もなく這入つて來た女將は、螺鈿(らでん)の丸卓子(まるテーブル)の向うにイソイソと腰をかけた。水蒸氣に曇つた麥酒のコツプをすゝめながら極めて自然に話しかけた。

「……どうもお待ち遠(どほ)さま。只今阪見を呼んで居りますから……お一ついかゞ……」

「濟みません」

「どう致しまして、お國の爲に遠いところからお出でになつてねえ。失禮ですけど、お國はやはり○○の方(かた)で」

「あつ。どうして解ります」

「ホヽ。お言葉の調子でわかりますわ。何時頃から司令部においでになりまして……」

「八月からです」

「御苦勞さまですわねえ。これから又ズツト哈爾賓にいらつしやるんですつてね」

「ハア……どうして御存じですか」

「ホヽヽヽヽヽ……」

 女將は生娘(きむすめ)のやうに顏を染めて笑つた。

 僕はその笑ひ聲の前で身體が縮まるやうな氣がした。こんな風に自由自在に顏を染め得る女が、如何に恐ろしい存在であるかを、僕は知り過ぎるくらゐ知つてゐた。のみならず此の女將の云葉がサツキから非常なスピードで、うち解けた合(あひ)の子語(こご)に變化してゆくに連れて、何かしら僕に重大な事を尋ね度(た)がつてゐるらしい氣(け)はひを感じてゐたが、果して……果してと氣が付くと、油斷なく腹構へをしながら冷たいビールをグツと飮んだ。

[やぶちゃん注:●「合(あひ)の子語(こご)」女将が、妙に仄かに艶めいて親しげな感じで、何か独特の、意味深長の響きを以って語りかけてくることを、かく言ったものであろう。]

「ホヽヽヽヽ。そりやあ存じて居りますわ。商賣の方と關係が御座いますからね。今、日本軍の方(かた)が引上げて行(ゆ)かれたら、此(この)店はモウとても……ねえ……さうでせう……」

 僕は深くうなづいた。成る程と氣が付いたので又も赤面した。

「……でもねえ。霹西亞人仲間に云はせると、日本軍は來年の春になつたら立退(たちの)くにきまつてゐるつて……さう云ふのですよ」

「露西亞人つてオスロフがですか」

 今度は女將の方が驚いたらしい。又も、ちよつと顏を赤らめながら衣紋(えもん)をつくろつた。

「ええ。さうなんです。公然の祕密だつて……さう云つておりますけれどね……」

「そんな馬鹿な事は無いでせう。今更(いまさら)日本軍が引上げるなんて……」

「……ねえ……さうでせう。兵營の設計もチヤント出來てゐるし、飛行機の着陸場(ちやくりくば)も松花江の近くのどこかに買つて在るつて云ふお話でせう」

「それは誰が話したのですか」

「ホヽヽヽヽ。でもほんたうでせう」

「えゝ。僕もその圖面つて云ふのを曹長に見せて貰つたんですが……若(も)しや星黑さんが話したんぢや無いでせうか……こゝで……」

 此の質問は僕としては餘りに不謹愼であつた。僕の探偵的興味が如何に高潮してゐたとは云へ、まだ女將が知つてゐないかも知れない……と同時に知つてゐるとすれば尚更(なほさら)危險な十五萬圓事件の急所を、曝露したも同樣な質問をこゝで發したのは、あまりに無鐵砲であつた。……と直ぐに氣が付いたがモウ遲かつた。

 ……女將は僕の言葉が終らぬうちにサツと顏色を變へた。眼をマン丸にして僕の顏を凝視したが、間もなく大きな瞬きを二つ三つしたと思ふと、見る見るうつむき勝ちになつて、左右の耳朶(みゝたぼ)をポツと染めた。

「えゝ。さうなんです。ですけど此の事ばかりは後生ですから内密(ないしよ)にしといて下さいましね。ドンナお禮でも致しますから……星黑さんばかりぢやありません……妾(わたし)を……可哀想そうと思(おぼ)し召して……」

 女將(ぢよしやう)は顏も得上(えあ)げないまま螺鈿(らでん)の卓子(テーブル)の上に石竹色(せきちくいろ)の指を並べた。前髮が卓子(テーブル)の平面にクツつく程お辭儀をしたが、その神妙らしい婀娜々々(あだあだ)しい技巧には又も舌を捲いて感心させられた。

[やぶちゃん注:●「女將(ぢよしやう)」ここまで「おかみ」であったものの特異点のルビである。この後は「おかみ」にまた戻る。但し、この時代のルビは校正係の担当範囲であったから、単なる誤植の可能性も高いとは言える。しかし、話柄の流れからは確かにここは一種の特異点ではあるのである。 ●「石竹色」ナデシコ科の植物セキチク(ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensis )花のような淡い赤色。ウィキの「石竹色」によれば、『セキチクは中国原産種でおもに観賞用に栽培され、その花は赤や白やそれらの色を組み合わせた模様など多くの種類が存在するが、色名としては桃色に近い花の色のことをさす。撫子色、ピンクととほぼ同じ色合いであり、同様の語源を持つ。英語ではチャイニーズピンク(Chinese pink)という』とある。この色である。]

 しかし幾分、麥酒が廻つてゐたせゐでもあつたらう。愚(おろか)にも僕は女將(おかみ)のかうしたデリケートな技巧を、さほど重大に考へなかつた。

(後から思ひ合はせると此の時に女將は、何處かに隱して在つた呼鈴(よびりん)の釦(ボタン)を押したに違ひないであつたが、それさへも此時には氣づかなかつた)たゞ相手に事件の内容を感付かせないまま圖星(づぼし)? を指し得たもの……とばかり考へてゐたので、多少の誇りに滿たされながら輕く頭を下げた樣に思ふ。

「……ハハハ……心配しなくともいゝですよ。僕等の眼にはゐる位(くらゐ)のことなら祕密でも何でも無いにきまつて居ますからね。……しかし星黑さんはシヨツチウ此方(こちら)へ來ましたか」

「えゝ。ほんの時々ですけど……」

「十梨君と一緒にですか」

「…………」

 女將は返事をしなかつた。ちやうどその時に最前の小娘が扉(ドア)から覗いたので、女將は何かしらうなづきながら立上つた。

  「……あの……ちよつと失禮を……」

 といふうちにパタパタと逃げるやうな足音が、重たい扉(ドア)で遮られてしまつた。

 僕はホンノリとした頰を兩手で押へた。今更のやうにフハフハする椅子の中に反(そ)りかへつてノウノウと伸びを一つした。久し振りに飮んだせいか麥酒が恐ろしく利(き)いてしまつて、何も考へる事が出來なくなつた。モウこの上に女將から事件の眞相を探り出す方法は無いものかと焦躁(あせ)りながらも、首のつけ根を通る動脈の音がゾツキゾツキと鳴るのを聞いてゐるばかりであつた。あんまり醉つたので若しや麻醉をかけられたんぢや無いか……なぞと馬鹿々々しい事を考へてゐるうちに何時の間にかホントウに眠り込んでしまつたらしい。

 扉(ドア)の開(あ)いた音で眼を醒ますと、女將がお盆の上に紙布(かみきれ)を載せながらニコニコしてはいつて來た。

「どうもお待たせしまして……阪見が先(さき)から先(さき)に廻つて居たものですから……どうぞ司令部の方(かた)によろしく……」

 僕も慌てゝ眼をコスリながら跳ね起きた。

「ヤ……どうも……」

 と頭を下げながら腕時計を見ると三時半近くになつてゐる。先刻(さつき)から二時間餘りも睡(ねむ)つてゐた譯だ。

「ホヽヽヽヽ御迷惑でしたわねえ。司令部へお電話して置きませうか。阪見が居ないので、お引止(ひきと)めしましたわけを……」

「ハア。どうか……イヤ。司令部から電話が掛つたら、さう云つといて下さい。それでいゝです……」

 と云つて女將が差出す紙包みを極力押し除(の)けながら靴カバーを除(と)るなり逃げる樣に表へ飛出した。

 ……イヤ大失敗々々。搜索本部へ歸つたら曹長に大眼玉を喰(く)ふかも知れないぞ。酒と女に心許(こゝろゆる)すな……か。イヤ大失敗々々……。」

[やぶちゃん注:●二箇所の「大失敗々々」の「々」はママ。「全集」では孰れも『大失敗、大失敗』となっている。]

云ふ中にも僕は狼狽して帶皮を締め直した。

「……失禮ですけど……これはお小遣ひに……」

 と微苦笑(びくせう)しいしい麥酒の醉ひを醒ますべく帽子を脱いでは汗を拭き拭きした。

 處がこの時に演じてゐた僕の失敗はソンナ淺墓(あさはか)なものではなかつた。銀月の應接間でウツカリ洩らした僕の一言(ごん)が、それからタワイもなく居眠りしてゐる間に驚くべき事件を誘發して、東亞の政局の中心にグングンと展開してゐた……それを夢にも思ひ知らないまゝ西日にさゆらぐ楡並木の下をセツセと司令部の方向に急いでゐるのであつた。

 僕はセントランの階段を大急ぎで二階(かい)へ駈け上つた。今一度帽子を冠(かぶ)り直しながら、搜索本部の扉(ドア)をノツクしてみたが誰も返事をしない。

 僕はチヨツト變に思つた。

 思ひ切つて扉(ドア)を開いてみると誰も居ない。……オヤ……と思つて司令部に引返してみるとここにはチヤント鍵がかかつて居る。鍵穴へ耳を當ててみたがシイーンとしてゐて咳拂ひ一つ聞えない。又……オヤと思はせられた。平生(いつも)より一時間以上早く引けて居る。

 三階(がい)へ駈け上つてみると將校以下、下士官の部屋まで一つ殘らずガラ空きになつてゐた。

 僕はその時に何かしら胸騷ぎがした。星黑主計が捕まつたにしては少し樣子が變だが……もしかすると夫れ以上の大事件では無いかと氣が付いたので、そのまゝ一階へ駈け降りて、玄關の入口に立つてゐる○○連隊の歩哨(ほせう)に樣子を問ひ訊(たゞ)してみると、歩哨も何かしら不安を感じてゐるらしく、妙な顏をしながら眼をパチパチさせた。

「……イヤ。俺は何も知らない。しかし司令部の樣子は、すこし可怪(をか)しい樣だ。……何でも俺の前の前の一時の歩哨が立つて居るうちに此の箱(歩哨の背後二、三歩(ぽ)の街路に面した壁に取りつけて在るセントラン專用の郵便受箱)の中から當番係(たうばんがかり)の上等兵が取出した手紙の中に、一通妙なものが混つてゐた。赤い露西亞活字で裏書した、白い大きな西洋封筒で、郵便切手が一枚も貼つて無いのに郵税不足(いうぜいふそく)にもなつてゐないので上等兵は歩哨に見せて「何だらう」……と話し合つた。多分ゾロゾロ通つてゐる毛唐(けたう)の中の一人が、歩哨の氣づかないうちに投げ込んで行つたものだらう。

 ……ところで上等兵に洋文字は苦手だつたらしい。階段の上を通りかかつた雇人頭(やとひにんがしら)のコサツク軍曹を、歩哨の處へ呼び下(おろ)して讀んで貰ふと「日本軍司令部御中」とだけ書いて發信人の名前が書いて無いことがわかつた。すると又ちやうど其處へ、何處からか歸つて來た憲兵中尉が二人の背後から「何だ」と云つて覗き込んだので、二人は慌てて敬禮した序(ついで)に、その封筒を見せたものださうな。

 ……何氣なく受取つた憲兵中尉はスラスラと上書(うはがき)を讀みながら、「フン。又何かの廣告だらう」と云ひ云ひ無茶作に封を切つたさうだ。ところが、その中に這入つてゐる靑い露西亞文字の奧の方をチラリと見ると中尉の顏色が少々變(へん)テコになつて來た。慌ててその手紙を握り潰したまゝ、默つて二階に駈け上つてしまつたさうだが、それから急傳令(きふでんれい)が二三人どこかへ飛んだと思ふと、上等兵を殘した當番卒の全部が召集された。さうしてその當番卒と一緒に、何かしら書類の包みらしいのを手に手に持つた司令部の連中が、愉快さうに笑つてゐる旅團參謀を先に立てながら出て行つた……といふ話だが、詳しい事情は知らない。みんな「何だらう。何だらう」と不思議がつてはゐるが、未だにその手紙の正體は判然(わか)らずに居る。しかし、そのうちに當番連中が歸つて來たらアラカタ樣子がわかるだらう。

[やぶちゃん注:●「旅團參謀」「全集」では『旅団副官』となっている。変えた意味は不明。識者の御教授を乞う。]

 ……そのほかに變つた事は一つも聞かない。……ウン……それからチヨツとした事だけれども、その後で立つた二時の歩哨が俺と交代するヂキ前の事だつたと云ふ。停車場(ていしやじやう)の方からこつちへ曲り込んで來た一臺の立派なタクシーが、向うの辻(キタイスカヤとヤムスカヤの交會點)の眞中で故障を起してしまつた。猛烈なプロペラみたいな爆音と一緒に、眞白な煙を吹き出してへタバツたので、通りがゝりの人が皆(みな)立ち止まつて見物した。するとその中から旅行服、(狩獵服の見誤り?)に黑のハンチングを冠(かぶ)つた背の高い紳士が一人、片手に新聞を持つて出て來たが、それと一緒に見物人の中で帽子を脱ぐ者がチラホラ居たので、變に思つてよく見ると、それは久しく姿を見せなかつたオスロフだつた。……オスロフはニコニコ顏で答禮しながら運轉手に金をやると、自分で鞄を提げて、何か話しかけようとする連中(れんちう)を、手を振つて追ひ退(の)け追ひ退けサツサとセントラルへ這入つて來た。……すると又、そいつを四階(かい)の窓から見て居たらしい、眞白にお化粧をした嬶(かゝあ)と娘が出迎へて、歩哨の前で飛び付いたり嚙(かじ)り付いたり、長い長いキツスをしたりしながら引込んで行つたので、かなりアテられたといふ話だ。しかし往來に立つてゐた連中は、それを笑ひもせずにヂイツと心配さうな顏をして見送つてゐたので歩哨は妙な氣がしたといふが、オスロフはソレキリ出て來ない樣だ……搜索本部の連中も最前から一人も降りて來ないのだから、みんな居ると思つて居たが、何處へ行つたんだらう。

[やぶちゃん注:●「ヤムスカヤ」は最初に司令部の位置の解説にも出てくるのであるがよく分からない。前に紹介した個人サイト「里村欣三ホームページ」の里村の「放浪病者の手記」についての評論「満州小考」にある地図を見ると、キタイスカヤ街は南の端で西北から斜めに走るより大きな街路にぶつかっているのが分かる。最初に上村は「司令部に宛てられた家はキタイスカヤ大通の東南端に近い、ヤムスカヤ街の角に立つてゐる」と記しているから、これはこの交差点よりキタイスカヤ街を入った一本目の横丁の角ということになろうか(ーグル・マップで推定位置を示す)。なお、この司令部は前に示したサイト「みに・ミーの部屋」の「満州写真館 ハルピン 2」に出る、同じキタイスカヤ大通(但し、位置はもっと松花江寄り)にあった見晴らしのよかった松浦洋行の建物がどうもモデルであるような感じがする。下から八枚目のそれを見ると「セントラン」っぽい「中央ホテル」の看板も見える。 ●「セントラル」一貫して「セントラン」であるから、これは誤字か誤植であろう。「全集」では「セントラン」となっている。]

 ……當番係の上等兵が、もちつと前に司令部附(づき)の少尉殿から呼ばれてゐたさうだが、何か知つてゐるかも知れない。聞いてみたまへ。君も宿なしになつちや困るだらう。ハハハ……しかし歩哨の守則(しゆそく)(警戒上の注意事項)は平常(いつも)の通りだから大した事件ぢやないかも知れないよ」

 ……と答へながらモウ一度眼をパチパチさせるばかりであつた。だから僕も仕方なしに要領を得ないまゝ眼をパチパチさせた。さうして今さつき入りがけに歩哨に見せるのを忘れてゐた「公用外出證」を出して見せた……。

 ……僕は此處でもウツカリしてゐたのだ。

 僕がもし此時に、今少し注意深く其處いらを見まはしたら、僕の背後の階段の陰に、此家(ここ)の雇人たちの不安相(ふあんさう)な眼が黑や、靑や、茶色を取りまぜて、憂鬱に光つてゐるのを發見したであらう。……表の往來にひしめくキタイスカヤ特有の夕暮の人出が妙に減少して向家(むかひや)のカボトキン百貨店の黄金色(わうごんしよく)の大扉(おほど)が、今日に限つてピツタリと閉まつてゐるのに氣が付いたであらう……更にモツト以前に歸つて、僕が銀月を出た瞬間から、もう少し注意深く往來を見まはして來たら、此のキタイスカヤを中心とする大通りの辻々に、平服を着た、又は勞働者や支那人に變裝した日本の軍人が三々伍々(ごゝ)と配置されてゐて、その連中の一人が片手を擧げると同時に、辻々が機關銃で封鎖されるといふ、オキマリの非常警戒の準備が出來て居ることを看破(かんぱ)したであらう。……同時に、司令部が立退(たちの)いたのは萬一の場合を警戒したものである事を察し得たであらう。……さうして司令部付(づき)の當番卒の中でタツタ一人その事情を知つて居殘つてゐる上等兵が、わざと寢臺(しんだい)の上に引つくり返つて眠つたふりをしてゐるのに氣付いたであらう。

 しかし遲刻の方にばかり氣を取られてゐた僕は、そんな重大な形勢をミジンも感づかなかつた。それよりも搜索本部が留守になつたお蔭で、豫期してゐた曹長の大眼玉とキンキン聲にぶつからなかつたのを勿怪(もつけ)の幸(さいはひ)にして、帶劍を地下室に解き棄てると、何喰はぬ顏で、空つぽの搜索本部に歸つて來たのは吾ながらおぞましい限りであつた。

 僕はそれから搜索本部の机の上をグルグルと見てまはつた。拳銃(ピストル)と帶劍と帽子がなくなつてゐる巨大な帽子掛を見上げながら、取調(とりしらべ)に關係した書類が、どこかに在りはしないかと探しまわつたが、そんな物は何處に片づけられたものか影も形もなかつた。たゞ市内で賣つてゐる、いゝ加減な案内圖だの、洋食屋の受取だの、二三枚の新聞紙が散らばつてゐる切(き)りであつた。

 僕はガツカリして入口の横の机に歸つた。その中(うち)に連中(れんちう)が歸つて來たら事情が判明するだらうと諦めを付けると、机の上に頰杖を突ゐたまゝ天下泰平の大欠伸を一つした。麥酒の醉ひが醒めかけたせゐであつたらう。女將の媚(なま)めかしい眼付だの、薄い唇だの、日本風の襟化粧(えりげしやう)だの、その上に乘つかつてゐる丸髷の恰好だのを考へてゐるうちに又もグウグウと机の上に寢込んでしまつた。

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