サイト「鬼火」開設十周年記念 尾形龜之助詩抄Ⅰ(中国語訳) (訳注/心朽窩主人・矢口七十七 写真/矢口七十七(PDF横書版・11MB)
サイト「鬼火」開設十周年記念
「尾形龜之助詩抄Ⅰ(中国語訳)」(訳注/心朽窩主人・矢口七十七 写真/矢口七十七(PDF横書版・11MB)
を「心朽窩 新館」に公開した。11MBという、私のサイト内では単独ファイルとしては驚愕の重さであるからして、ダウンロードには少し時間がかかるものと思うが、どうか御寛恕願いたい。
これはここの、私のブログ・カテゴリ「尾形龜之助」で、昨年2014年10月より本2015年5月にかけて、私の盟友にして中国語に堪能な矢口七十七氏とともに行った、フォト・イメージ(撮影も矢口氏)附きの尾形龜之助の中国語訳凡そ100篇を、写真とともに一括集成したものである。
一括化に際しては、矢口氏が中文訳を今一度精査してかなり手を加えた。
また、出典を全篇に附し、必要と思われる注も追加、必要と考えられる注の中文訳なども増補してある。
さらに添えた写真についても、幾つかをより相応しいと判断した別なものへ差し替えたりしており、PDF版でのそれは、恐らくはブログ版とはまた異なった印象を持たれるであろうと考えている。
まずはこれが我々の尾形龜之助中文訳抄の第一弾の決定版と思って戴いて結よろしい。
特に、実質的な中文訳を担当して呉れた矢口氏より、是非とも中国人或いは中国語を母語とされる方に読んで戴きたいというメッセージを受け取っている。しかしそれは――本訳が中国語として正しいかどうか――まずは詩としての表現の基礎段階として、中国語として正しく訳されているか、中国語でちゃんと腑に落ちるかどうか――ということをネイティヴの方に忌憚なく確かめて評して戴きたい、という彼のすこぶる謙虚な思いからである。実際、本訳作業に於いては私は勿論、矢口氏も一切、訳文を中国語を解する方に読んで貰っては、いない。特に矢口氏はそれが容易な環境にいるにも拘らず、自らの今の力でのみ、本訳出を完成させるという節を、厳しく守ったのである。
矢口氏のそうした思いに加え、本詩抄で私は、現行の尾形龜之助の詩集で知られている詩形とは異なるものを敢えて掲げており、その詩形で矢口氏に訳して貰ってもいる。これは私の現行の尾形龜之助の幾つかの詩篇の扱いに対する、私の強い違和感を表明するものでもあるのである。
即ち、これはあらゆる多層的な意味に於いて――全く独自の中国語訳尾形龜之助詩抄――であるということである。
どうか、お知り合いの中国語を母語とされる方へ、本訳詩集を御紹介戴けるならば、恩幸、これに過ぎたるは、ない。――
「尾形龜之助詩抄Ⅰ(中国語訳)」(訳注/心朽窩主人・矢口七十七 写真/矢口七十七(PDF横書版・11MB)
を「心朽窩 新館」に公開した。11MBという、私のサイト内では単独ファイルとしては驚愕の重さであるからして、ダウンロードには少し時間がかかるものと思うが、どうか御寛恕願いたい。
これはここの、私のブログ・カテゴリ「尾形龜之助」で、昨年2014年10月より本2015年5月にかけて、私の盟友にして中国語に堪能な矢口七十七氏とともに行った、フォト・イメージ(撮影も矢口氏)附きの尾形龜之助の中国語訳凡そ100篇を、写真とともに一括集成したものである。
一括化に際しては、矢口氏が中文訳を今一度精査してかなり手を加えた。
また、出典を全篇に附し、必要と思われる注も追加、必要と考えられる注の中文訳なども増補してある。
さらに添えた写真についても、幾つかをより相応しいと判断した別なものへ差し替えたりしており、PDF版でのそれは、恐らくはブログ版とはまた異なった印象を持たれるであろうと考えている。
まずはこれが我々の尾形龜之助中文訳抄の第一弾の決定版と思って戴いて結よろしい。
特に、実質的な中文訳を担当して呉れた矢口氏より、是非とも中国人或いは中国語を母語とされる方に読んで戴きたいというメッセージを受け取っている。しかしそれは――本訳が中国語として正しいかどうか――まずは詩としての表現の基礎段階として、中国語として正しく訳されているか、中国語でちゃんと腑に落ちるかどうか――ということをネイティヴの方に忌憚なく確かめて評して戴きたい、という彼のすこぶる謙虚な思いからである。実際、本訳作業に於いては私は勿論、矢口氏も一切、訳文を中国語を解する方に読んで貰っては、いない。特に矢口氏はそれが容易な環境にいるにも拘らず、自らの今の力でのみ、本訳出を完成させるという節を、厳しく守ったのである。
矢口氏のそうした思いに加え、本詩抄で私は、現行の尾形龜之助の詩集で知られている詩形とは異なるものを敢えて掲げており、その詩形で矢口氏に訳して貰ってもいる。これは私の現行の尾形龜之助の幾つかの詩篇の扱いに対する、私の強い違和感を表明するものでもあるのである。
即ち、これはあらゆる多層的な意味に於いて――全く独自の中国語訳尾形龜之助詩抄――であるということである。
どうか、お知り合いの中国語を母語とされる方へ、本訳詩集を御紹介戴けるならば、恩幸、これに過ぎたるは、ない。――

