生物學講話 丘淺次郎 第十二章 戀愛(12) 四 歌と踊り(Ⅴ) まとめ
獸類の中にも、雄が踊つて雌に見せるものがある。「かもしか」類はその例であつて、雄は雌の集まつて居る前で高く踊り上つたり蹴ね廻つたりする。鬣のある種類では、その際毛が舞ひ立つて見事になる。また雄が雌の前で戲に喧嘩の眞似をして見せる種類が幾らもあるが、雌はこれを見て居る間に本能が呼び起され、踊の濟む頃には自ら進んでいづれかの雄に從つて行く。一體獸類には交尾期になると、牝を奪ひ合ふために、牡が眞劍に勝負をし、終に一方が死ぬ程の場合が多くあるが、かやうな際には、牝は側から熱心にこれを見物して居る。そしてその間に段々情が起つて來て、ときとすると偶然その場處へ來合せた他の牡の處へ寄り添うて行くことさへある。これらのことから考へて見ると、鳥や獸などの如き神經系の發達した高等の動物では、爭鬪と色情との間には密接な關係があつて、戰爭に擬した踊りをやつて見せても情を起こさせることの出來る場合があり、更に轉じては相手なしに獨りで戰いの身振を演じて見せても、同じ目的を達し得るに至つたのではなからうか。鳥や獸が踊は如何にして起つたものか、その原因は決して一通ではないかも知れぬが、少なくもその一部分は戰の眞似に始まつたことは餘程眞らしい。人間でも野蠻人の踊には戰の眞似が多く、しかもこれを女の前でして見せるのは、頗る獸類などの踊によく似て居る。また精神病者の中には、相手を殘酷な目に遇はすか、自分が殘酷な目に逢ふかして初めて情の滿足を得るものがあるが、これなども多少獸類の或るものに似た所がある。
[やぶちゃん注:「カモシカ」カモシカ(「氈鹿」「羚羊」)は広義には、ウシ目ウシ亜目ウシ科ヤギ亜科 Caprinae に属するサイガ族 Saigini・シャモア族 Rupicaprini・ジャコウウシ族 Ovibovini の三族の総称で、八属十種が現生する。参照したウィキの「カモシカ」によれば、『シカの名が入っているが、シカの属するシカ科ではなく、ウシやヤギと同じウシ科に属する。したがって、シカとは違い、ウシ科のほかの種同様、角は枝分かれせず、生えかわりもない』。また、『羚羊をカモシカではなくレイヨウと読めば、アンテロープ、つまり、ウシ科の大部分を含む(しかしカモシカは含まない)不明確なグループのことになる。なお「カモシカのような足」という表現に現れるカモシカとは、本来はレイヨウのことである』。対して、狭義には『シャモア族カモシカ属(シーロー属)の動物、すなわち、シーロー亜属のスマトラカモシカ(シーロー)、カモシカ亜属のニホンカモシカ、タイワンカモシカの三種を指』し、『これらはアジアの山岳部を生息域とする』。『また、日本ではしばしば、カモシカと言えば、国内に棲息する唯一のカモシカ類であるニホンカモシカを指す。山形県・栃木県・山梨県・長野県・富山県・三重県の県の獣にも指定されている』とある。本書のここでは、シャモア族カモシカ属ニホンカモシカ
Capricornis crispus で採っておく。
「餘程眞らしい」老婆心乍ら、「眞」は「まこと」と訓じている。]
[「くも」の踊]
[やぶちゃん注:これは底本のそれは粗く汚いので、国立国会図書館デジタルコレクションの画像を少し明るく補正して用いた。]
小さな蟲の中では、「くも」類の雄が雌の前で種種の奇妙な踊りをやつて見せる。尻を上
げたり體を振つたり左右へ躍つたりして、長い間雌の注意を促すが、その擧動は前頁に掲げた圖でも分る通り、實に何ともいへぬ滑稽なものである。元來「くも」類は肉食するもので、常には雌雄と雖も相離れて生活し、雌は滋養分を含んだ卵を多く産まねばならぬから、隨分貪食の癖があり、動くものには何にでも飛び掛るので、雄もこれに近づくことは頗る危險である。雄が奇妙な踊をするのは、これによつて、常に食慾のために隱されて居る色慾を喚び起し、雄の近づくのを許すまでに心を柔げるためであらう。
[やぶちゃん注:幾つかの動画があるが、大型でないクモ類なら平気な方と、その色彩の派手さに相俟った、奇抜で素敵な求愛ダンスのダントツの面白さで、「コモンポスト」の『熱烈な求愛ダンスを披露するクモ「ピーコックスパイダー」の情熱的なダンスが面白い!!』を挙げておく。但し、自己責任で。なべて昆虫が苦手で複眼系が駄目な方は、やはりクリックしない方が無難。また丘先生の引く図の蜘蛛とは異なる(私はクモ類には昏いので同定出来ない。識者の御教授を乞う。そのためにも図の明度を上げてある)。因みに、「ピーコックスパイダー」は新蛛亜目ハエトリグモ上科ハエトリグモ科 Maratus volans でオーストラリアに棲息する。]
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