毛利梅園「梅園魚譜」 海鷂魚(ツバクロエイ)
〔海産。無鱗。〕
海鷂魚(ヱイ)〔一種。〕
〔ヨマサヱイ。〕
脊圖
同 腹圖
乙未南呂(なんりよ)廿二日、行德の
魚商、善、持り來たる。之を得て、
眞寫す。
[やぶちゃん注:「梅園魚品図正」巻二より(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正」の中の当該保護期間満了画像)。軟骨魚綱トビエイ目ツバクロエイ科ツバクロエイ Gymnura japonica 。成体では体盤全長(前後の尾先までの長さ)約一メートルに達し、盤状の体は横に長い菱形を呈する。体盤幅は全長の凡そ一・五から二倍になる。背・腹面ともに円滑で、毒棘を持った尾部は非常に短く(体盤全長の半分しかないことを特徴とする)、鞭状を成しており、尾部腹部側には五~六本の黒色帯がある。暖海性のエイで、南日本から東シナ海にかけて分布する(本邦には他に近縁種のオナガツバクロGymnura
poecilura (尾部が長く、体盤の長さとほぼ同長であることで判別は容易である)の計二種が分布する。以前、別種とされていたメガネツバクロはツバクロエイと同物異名であることが判明している)。両種とも胎生で春に八尾程度の子を産む。底引網で漁獲され、本邦では練り製品の原料にする。和名は体盤が広く、燕が飛ぶように見えることに由来する(英名は“butterfly ray”。以上は複数の辞書類を参考にした)。
「無鱗」サメ・エイなどの軟骨魚類は鱗がないわけでは実はない。彼らのそれは楯鱗(じゅんりん)と呼ばれる退化した鱗で、真皮から突出した象牙質をエナメル質が覆っおり、構造的には歯とよく似ている。サメではこれが密集するために所謂、ざらざらした鮫肌を形成しているが、エイでは散在している。
「海鷂魚」「鷂」は音「エウ(ヨウ)」で、鳥綱タカ目タカ科ハイタカ属ハイタカ Accipiter nisusを指す。形状と遊泳の様からの合字であろう。鳥の鷂(はいたか)は「疾き鷹」が転じて「ハイタカ」となった。かつては「はしたか」とも呼ばれ、元来は「ハイタカ」はハイタカの♀を指し、体色が異なる♂を別に「コノリ」と呼んだ。「大言海」によれば「コノリ」の語源は「小鳥ニ乘リ懸クル意」であるという(ハイタカについてはウィキの「ハイタカ」に拠った)。なお、エイは漢字では他に「鱏」「鱝」「鰩」などとも書く。
「ヨマサヱイ」望月賢二監修「魚の手帖」では地方名として「アミガサエイ」(和歌山)・「チョウエイ」(富山。英名と同じである)・ヨコサエイ(和歌山)などが載るが、本記載の「マ」は良く見ると、なぞった(訂正した?)感じに墨色がこの字だけ濃く、「コ」のようにも見えなくはない。孰れにせよ、これは「ヨコサヱイ」が正しい(少なくとも「ヨマサエイ」ではネット検索が掛からない)。
「乙未南呂廿二日」「南呂」は陰暦八月の異名。従ってこれは天保六年八月二十二日で、グレゴリオ暦では一八三五年十月十三日である。
「行德の魚商、善」既出。梅園御用達の魚屋。魚善(うおぜん)の若旦那の方であろう。]
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