毛利梅園「梅園魚譜」 柔魚(ケンサキイカ?)
壽曰く、
柔魚、風乾(すぼし)するを「閩書(びんしよ)」に「明府(めいふ)」と云ひ、
又、「螟※」に作る。「本朝式」文に、「鯣(するめ)の孚(ふ)」
[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「府」。]
を用ひ、「延喜」の「神祇」に、「民部主計」等
の式に若狹・丹後・隱岐・豊後より
烏賊(イカ)を貢(こう)すと云ふは、則ち、「スルメ」なり。
今、肥前五嶌(ごたう)より出だすを最上とす。
伊豆の國及び丹後・但馬・伊豫より
出だすを次ぎとす。長門より出だすもの、其の
大いさ、尺に至る。肉厚く、美佳(みか)也。古へより
賀祝の席に用ゆ。
河豚(フグ)にあたりたる者、スルメを炙(や)く
とも、煎じるとも、早く是れを食はしむ。
河豚の毒、制伏(せいぶく)なすはこれに過ぎたるはなし。
故に河豚の振る舞ひには必ず向附(むかうづけ)にス
ルメの鱠(なます)・茄子の塩漬けを用ゐること、
良方なり。
同腹ノ圖
乙未(きのとひつじ)十二月十日、
眞寫す。
[やぶちゃん注:少々迷ったが、「全国いか加工業協同組合公式」サイト内のウェブ版の奥谷喬司先生の「新編 世界イカ図鑑」を主に参考にするに、ずんぐりとした全体とヒレの形状及び分布域(江戸の梅園にもたらされた、捕獲からそう長い時間が経っていない個体といった様子)から判断すると、軟体動物門 Mollusca 頭足綱 Cephalopoda 鞘形亜綱 Coleoidea 十腕形上目 Decapodiformes 閉眼(ヤリイカ)目 Myopsida ヤリイカ科 Loliginidae ケンサキイカ属 Uroteuthis ケンサキイカ(メヒカリイカ型)Uroteuthis
(Photololigo) edulis (Hoyle, 1885)ではなろうか。迷った最大の理由は体色で、ネット画像を見ると全体に強い赤褐色を示すものが多いが、これらは基本、興奮時のそれで、生体時の体色は多分に透明度が高い。キャプションの「ナガスルメ」や前半の叙述からは、開眼(ツツイカ)目 Teuthida スルメイカ亜目 Cephalopoda アカイカ科 Ommastrephidae スルメイカ亜科 Todarodinae スルメイカ属 Todarodes スルメイカ Todarodes pacificus としたくなるのであるが、スルメイカにしてはヒレが大き過ぎ、こんなに寸詰っていない。しかもそもそもがこのキャプション、広くイカ類全般に亙る概説と読め、この前後には他のイカの絵がないことからも、かく同定しておいた。使用した二枚の画像は国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正」巻二の中の保護期間満了画像である。
「コモソウイカ」不詳。形状から「虚無僧烏賊」か?
「閩書」「閩書南産志」。明の何喬遠撰になる福建省の地誌。
「明府」中文サイトを見ると、現在でも寧波(福建省の北の浙江省の沿岸都市)の特産として「明府鯗」(「鯗」は音「ショウ」で「干物」の意)が挙がっており、そこにはこれは烏賊を指す旨の記載がある。
「本朝式」後の「延喜」と同じく「延喜式」のこと。
「鯣の孚」乾したスルメイカの皮・殻の意であろう。人見必大の「本朝食鑑」の「烏賊魚」の「鯣」の条に(リンク先は私の原文訳注附テクスト)、
*
古へは混じて「烏賊」と稱す。「延喜式」の神祇・民部・主計等の部に、『若狹・丹後・隠岐・豊後烏賊を貢する者の有り』と。是れ皆、今の鯣なり。近世、肥の五嶋より來たるを以つて上品と爲(な)し、丹後・但馬・伊豫、之に次ぐ。古來、賀祝の饗膳に用ゆ。今、亦、然り。源順、崔氏が「食經」を曳きて曰く、「小蛸魚」を「須留女」と訓ず。此れも亦、同じ種か。
*
とあり、どうも梅園は、この必大の記述を参照したようにも見える。
「河豚にあたりたる者、スルメを炙くとも、煎じるとも、早く是れを食はしむ。河豚の毒、制伏なすはこれに過ぎたるはなし」下関の「いちのせ水産」の公式サイト内の「ふぐ中毒・迷信あれこれ」に、フグ毒由来の嘔吐に対しては、『スルメを焼いて煙をかがせる』と『烏賊魚の墨をのませる』と効果があるとする。因みに本文では以下に別な解毒効果を期待出来る食材として「茄子の塩漬け」が一緒に添えるとあるが、これも同頁の解毒効果として『茄子のヘタを食べる』とある。梅園先生、「良方なり」なんどと宣うておられるが、無論、効果は――ない。
「乙未十二月十日」天保六年十二月十日で、グレゴリオ暦では一八三六年一月二十七日である。季節的にも、水揚げ後、変色腐敗するまでは比較的持ちそうな時期である。]
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