『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 釋迦堂谷
●釋迦堂谷
大御堂(おほみだう)の東隣なり。元仁元年十一月十八日。泰時亡父追福(つゐふく)の爲に此地に釋迦堂を建立ありしより此稱あり。
[やぶちゃん注:大御堂ヶ谷(次項)の東、現在の釈迦堂トンネルの西の谷。地の人は「しゃかんど」と呼称していたらしい。「吾妻鏡」によればここに記されている通り、元仁元(一二二四)年の表記の日にここに釈迦堂(宗旨未詳)の建立を計画したが、実際には翌嘉禄元年六月に新造供養が行われている。この本尊(清凉寺式釈迦像)は「新編相模国風土記稿」には現在は杉本観音堂にあるとするが、現在は東京の目黒行人坂の大円寺(天台宗。江戸三代大火の一つである明和の大火(放火)の火元として知られる)にある(重文指定)。谷の奥に「宝戒寺普川国師入定窟」と称された大きなやぐらを中心とする五十穴ほどのやぐら群があったが、保存もいい加減な上に、宅地開発によって主要部分が破壊されてしまった。]
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