七 氣違ひの茶話會(さわくわい)
家の前の樹の下に、一つのテーブルが置いてありました。そして三月兎(ぐわつうさぎ)とお帽子屋とかそれに向つて、お茶をのんで居りました。山鼠(やまねずみ)が二人の間に坐つたまま、グウグウ混て居りました。すると前の二人は山鼠をクツシヨンにして肘(ひぢ)をその上にのせ、その頭の上で話をして居ました。「山鼠は隨分氣持ちがわるいでせうねえ。」とアリスは考へました。「でもまあ、よくねて居るから何ともないだらうけれど。」
[やぶちゃん注:「三月兎とお帽子屋」孰れも前の「(六) 豚と胡椒」で注を附したので参照されたい。
「山鼠」原文“Dormouse”。ネズミ目ヤマネ科 Gliridae のヨーロッパヤマネ属ヨーロッパヤマネ Muscardinus avellanarius 。英名は“Hazel Dormouse”であるが、本種は『ブリテン諸島に自生する唯一のヤマネ科の動物であり、単にDormouseとも呼ばれる』と参照したウィキの「ヨーロッパヤマネ」にある。グーグル画像検索「Muscardinus avellanarius」をリンクしておく。因みに、本邦産のヤマネ(山鼠・冬眠鼠)は固有種(種小名は正に正真正銘)であるヤマネ科ヤマネ属 Glirulus ヤマネ Glirulus
japonicus で別種である。参照したウィキの「ヤマネ」によれば、『現生種では本種のみでヤマネ属を構成する。別名ニホンヤマネ』とも言い、同属の化石種ならば『ヨーロッパの鮮新世の地層から発見されている』。『日本が大陸と地続きで温暖な時代に侵入した遺存種と考えられて』おり、山口県の五十万年前『(中期更新世中期)の地層から化石が発見されている』。このヤマネ(ニホンヤマネ)は『大陸産ヤマネからは、数千万年前に分岐したと推定され、日本列島に高い固有性を誇る。遺伝学的研究によれば、分布地域によって、別種と言ってよいほどの差異が見られる』とある。グーグル画像検索「Glirulus japonicus」もリンクさせておくので比較してご覧になられることをお薦めする。]
テーブルは大きなのでしたが、三人はその隅つこの方にかたまつて坐つて居ました。アリスがやつて來たのを見ると、二人が、「席がない、席がない。」とどなりました。
「あいたところは澤山あるぢやないの。」とアリスは怒つてさう言つて、直ぐに、テーブルの隅にあつた、大きな安樂椅子に腰を下しました。
「葡萄酒をお上り。」と三月兎はすすめるやうにいひました。
アリスはテーブルを見まはしましたが、か茶の外には葡萄酒なんかありませんでした。「葡萄酒なんか見あたらないわ。」とアリスは言ひました。
「少しもないよ」と三月兎が言ひました。
「それでは、ないものをすすめるなんて失禮ぢやありませんか。」とアリスは怒つて言ひました。
「招待をうけないで坐るのは失禮ぢやないか。」と三月兎は言ひました。
「わたし、お前さんのテーブルとは知らなかつたのです。」とアリスは言ひました。「三人よりもつと多勢の爲に置いてあるんぢやないの。」とアリスは言ひました。
「お前の髮は切らなければいけない。」とお帽子屋は言ひました。お帽子屋はしばらくの間、不思議さうな顏をして、アリスをヂツと見て居たのでした。それでこれがお帽子屋の最初の言葉でした。
「人の事、あんまり立ちいつていふもんぢやないわよ。」とアリスは少しきびしく言ひました。
「ずゐぶん失禮だわ。」
お帽子屋はこれを聞いて目を大きくあけました。けれども、それからお帽子屋の言つたことは「烏(からす)は何故(なぜ)寫字机(しやじつくゑ)に似て居(ゐ)るのだらうか。」といふことだけでした。
[やぶちゃん注:この謎かけの原文は“"Why is a raven like a
writing-desk?"。研究社の「新英和中辞典」やウィキの「ワタリガラス」等によれば、“raven” は広義の大型のカラス或いはスズメ目カラス科カラス属ワタリガラス Corvus corax(カラスの通常の総称である“crow”よりも大きく、死や悪病を予知する不吉な鳥とされ、光沢の強い黒い羽毛は髪などの黒いものの比喩に用いられる(これは日本語の「烏の濡れ羽色」という形容と酷似している。因みに知られたエドガー・アラン・ポーの幻想詩篇「大鴉」の原題はこの“The Raven”である。また、本種は日本では北海道の冬の渡り鳥として観察出来る)。“writing-desk”は、引き出し付きの書き物机(通常は上部が高く傾斜している)或いは筆記道具が入っていて同時にそれが筆記台にもなる携帯用の箱のことを言う。]
「さあ、これから面白くなつてくるわ。」とアリスは考ヘました。「みんなが謎をかけはじめたならうれしいわ――あたしきつと當(あ)てられるわ。」と大きな聲でつけ加へました。
「お前がそれに答えを見つけられるつていふつもりなのかい。」と三月兎が言ひました。
「さうだとも。」とアリスは言ひました。
「それではおまへの思つて居ることを言はなければいけない。」と三月兎はつづけて言ひました。
「わたし言ひますわ。」とアリスはあわてて答へました、「すくなくとも――すくなくとも、わたしの言つてることを、わたしは思つて居るのですわ、――それは同じですわ、ねえ。」
「少しも同じぢやない。」とお帽子屋は言ひました。「それでは『わたしはわたしの食べて居るものを見ている』といふのと、『わたしの見てゐるものを、わたしはたべてゐる』といふのと同じことになると、お前は言はうといふのだねえ。」
すると三月兎がそれに附け加へて言ひました。「それでは
『わたしが手に入れたものを、わたしは好きだ』と言ふのと、『わたしはわたしの好きなものを手に入れた』と云ふのと同じだとお前は言はうといふのだねえ。」
[やぶちゃん注:底本は「『わたしはわたしの好きなものを手に入れた』」の最初の二重鍵括弧が落ちている。誤植と断じて補った。]
すると山鼠がそれにいひ加へました。それは眠つたままものを言つて居るやうに見えました。
「それでは、『わたしは、わたしがねてゐるとき呼吸をする』と云ふのと、『わたしは呼吸をするとき、寢る』と云ふのと同じことになると、お前は言はうといふのだねえ。」
「お前さんにはそれは同じことだよ。」(山鼠はいつも寢て居るといふことからでて來たのです。)とお帽子屋は言ひました。これで會話はおしまひになつて、みんなはしばらく默つてしまひました。けれどもアリスは自分の知つて居る限りの鳥(とり)と、寫字机(しやじづくゑ)のことをのこらず(といつてもさう澤山ではありませんでしたが)思ひ出して見ました。
[やぶちゃん注:「けれどもアリスは自分の知つて居る限りの鳥(とり)と、寫字机のことをのこらず(といつてもさう澤山ではありませんでしたが)思ひ出して見ました」の「鳥(とり)」はママ。実はここの原文は“"It is the same thing
with you," said the Hatter, and here the conversation dropped, and the
party sat silent for a minute, while Alice thought over all she could
remember about ravens and writing-desks, which wasn't much.”で(下線やぶちゃん)、明らかに原文は“ravens”で「烏(からす)」なのであるが、私は敢えてそのまま電子化することにした。無論、誤植のの可能性が非常に高く、ルビも植字工が誤植した者に校正係が勝手に「とり」とルビを振ったものである可能性がいや高いとは言えるのであるがしかし、私は(後に見るように)「烏(からす)は何故(なぜ)寫字机(しやじつくゑ)に似て居(ゐ)るのだらうか。」という、この最初の謎かけ自体が一種のアナグラムに違いないと思われること、更に穿って言うならば、ただでさえ、生物の多くの種名を挙げることなどおよそ出来ない欧米人(例えば一般の欧米人は一般の日本人のようには昆虫や魚貝類の名を個別的に挙げることが圧倒的に不得手である)の中の、そのまた中の少女アリスを想起するに、到底、カラスの種名を挙げ得ることは出来ず(尤も、私も一般的な「烏」である森林性ながら平地へも進出して勢力を拡大したスズメ目カラス科カラス属ハシブトガラス Corvus macrorhynchos 、それに次いでハシボソガラス Corvus
corone しか挙げられないのだけれど。なお、我々が最もカラスらしいカラスとして認識しているハシブトガラスはヨーロッパには棲息しない)、まさに“which wasn't much”――ろくなことは思い出せませんでしたが――に決まってるからである。因みに研究社の「新英和中辞典」ではカラスを意味する単語としてカラスの総称としての“crow”を挙げ、更に大型のカラスを“raven”、中型のを“crow”,小型のそれを“jackdaw”或いは“rook”と一般に呼んでいるとある。]
まづ口を切つたのはお帽子屋でした。「今日は何日だい。」とアリスの方を向いて言ひました。お帽子屋はそれまでポケツトから、懷中時計をとりだして、不安さうに眺めたり、時時振つたり、それから耳許に持つていつたりしてゐました。
アリスは一寸考へて、「四日です。」と言ひました。
[やぶちゃん注:少なくともここまで物語内の時制が何月かは示されていない。冒頭の川辺の土手からエピローグのそこでのうたた寝からの目覚めという設定は春か夏であるが、イギリスは四月中旬くらいからでないと暖かくならないし、夏でも普通は日本のようには酷暑にはならない(私は十年前にアイルランドを旅した際には恐るべき暑さに閉口したが、冷房自体が殆んどの建物についていなかったのを思い出した)。さらに当時三十歳の独身(彼は生涯妻を娶らなかった)のルイス・キャロルが家族ぐるみで親しく付き合っていたリデル家(オックスフォード大学の数学講師であったキャロルの住んでいた学寮クライスト・チャーチの学寮長一家)の三姉妹、ロリーナ(Lorina Charlotte Liddell 十三歳)、アリス(Alice Pleasance Liddell 十歳:無論、彼女がアリスのモデルである)、イーディス(Edith Mary Liddell 八歳)らとともに習慣となっていたテムズ河畔をボートで遡るピクニックに出かけた一八六二年七月四日、この日に口頭で彼らに語り出したのが、まさに「不思議の国のアリス」(刊行は三年後の一八六五年十一月二十六日)のプロトタイプであったことを考えれば(以上は主にウィキの「不思議の国のアリス」に拠った)、この作品内時間は七月と考えてよい。]
「二日違つて居るよ。」とお帽子屋は溜息をついて言ひました。「それでわしはバタは仕事に何の役にもたたないといつたのだ。」と怒(おこ)つた顏で、三月兎を見ながら言ひました。
[やぶちゃん注:「それでわしはバタは仕事に何の役にもたたないといつたのだ。」原文は“ "I told you butter
wouldn't suit the works!"”で、原文は確かに“the works”であるが、これでは分からない話がますます分からなくなってしまう。これは「仕事」ではなく、時計という「器械」「機器」「機器構造」の謂いであろう(福島正実氏の訳も『機械』である)。時計に点す機械油の代わりに三月兎の差し出したと思われる高級バターを使ったが、結局そのお蔭で時計がおかしくなって日付が合わなくなったんだ、と批難しているのである。]
「ありやあ一番上等のバタだつたよ。」と三月兎はおとなしく答へました。
「うん、だがパン屑もいくらか入つて居たよ」とお帽子屋はぶつぶつ言ひました。「パン切ナイフなんか、入れてはいけなかつたんだよ。」
三月兎は時計をだして、沈んだ顏をして見てゐました。それから時計を茶呑茶碗に入れてまた見ました。けれども最初の言葉通り、又、「ありや一番上等のバタだつたよ。ねえ。」と云ふよりほかにいい考へがでてきませんでした。
アリスは物珍らしく、兎を肩越しに見て居ました。
「何んて面白い時計でせう」とアリスは言ひました。「何日(いくか)かを示して、何時(なんじ)かを示さないのね。」
「ふん、そんを用があるもんか。」とかとお帽子屋はつぶやきました。「お前の時計は年(ねん)が分るかい。」
「無論分りつこないわ。」とアリスはきつぱり答へました。「でも、それは隨分永い間同じ年で、とまつてゐるからよ。」
「それは丁度わたしのと同じだ。」とかお帽子屋がいひました。
アリスはひどく、分らなくなつてしまひました。お帽子屋の言葉は何の意味もないやうにアリスには思へました。けれども、それはたしかに英語でした。「わたしあなたのいふことが、少しも分りませんわ。」と、できる丈(だけ)叮嚀にアリスは言ひました。
[やぶちゃん注:原文は“"Which is just the case
with mine," said the Hatter.”。“case”をどうとるかで意味が変わるように思われる。正しく長く年を指し続けることこそが私にとっての人生上の(人間が生きる上での――私はこれが後の方の帽子屋の台詞と関係するように思う)まさに大問題なのだ、と帽子屋は言っていると私は読むが、それが意味の上でも勿論のこと、認識の上でも理解出来ない、とアリスは言うのであろう。]
「山鼠は又寢てしまつた。」とお帽子屋は言つて、その鼻の中に熱いお茶を注(つ)ぎ込みました。
山鼠はいらいらした様に、頭をふりました。そして目を開けないで、かう言ひました。「無論さ、無論のことさ。そりやわたしが言はうとした通りだよ。」
「お前(まへ)謎がとけたかい。」とお帽子屋はアリスの方を向きながら言ひました。
「いいえ、わたしやめたわ。」とアリスは言ひました。「答(こたへ)は何なの。」
「わたしにも、チツとも考へつかないよ。」とお帽子屋は言ひました。
「わたしにも。」と三月兎は言ひました。
アリスは、いやになつたものですから、溜息をつきました。
「お前さんたち、そんな答のない謎をかけて、時をむだにするより、もつとそれを、上手につかふ工夫がありさうなものだわ。」とアリスは言ひました。
[やぶちゃん注:ここに至って我々は先の帽子屋の出した「烏は何故寫字机に似て居るのだらうか」という謎かけは答えがないのだとはぐらかされてしまうのである。私のような偏執的な人間はここで星一徹卓袱台とまでは行かないまでも、気持ちの悪い鬱々悶々たる思いにふさぎ込んでしまうところなのであるが、幸いなことに今回は、ウィキの「帽子屋」で以下のように解説されているのに出逢って、取り敢えずは作者自身の種明かしがあってまさに眼から鱗であった(アラビア数字を漢数字に代え、注記号は省略した)。
《引用開始》
「狂ったお茶会」のはじめのほうで、帽子屋はアリスに「カラスと書き物机が似ているのはなぜ?」("Why is a raven like a
writing desk?")というなぞなぞを投げかける。アリスはしばらく考えても答えがわからずに降参するが、帽子屋や三月ウサギは自分たちにもわからないと答え、結局答えのない問いかけであったということがわかる。この本来答えのないなぞなぞは、ヴィクトリア朝の家庭の中でその答えをめぐってしばしば話題になり、一八九六年の『不思議の国のアリス』の版のキャロルによる序文には、後から思いついた答えとして以下の回答が付け加えられた。
"Because
it can produce a few notes, though they are very flat; and it is nevar put with
the wrong end in front!"
(訳)なぜならどちらも非常に単調/平板(flat)ながらに鳴き声/書き付け(notes)を生み出す。それに決して(nevar)前後を取り違えたりしない!
「決して」は正しい綴りは"never"であるが"nevar"とするとちょうど"raven"(カラス)と逆の綴りになる。しかしこのキャロルのウィットは当時編集者に理解されず、"never"の綴りに直されて印刷されてしまった(キャロルはこれを訂正する機会のないまま間もなく亡くなっている。このキャロルの本来の綴りは、一九七六年になってデニス・クラッチによって発見された)。
キャロルが答えを付けて以降も、さまざまな人物がこのなぞなぞに対する答えを考案している。例えばアメリカのパズル専門家サム・ロイドは、「なぜなら、どちらもそれに就いて/着いてポーが書いたから」("Because Poe wrote on
both" エドガー・アラン・ポーが「大鴉」を書いていることにちなむ)、「なぜなら、どちらにもスティール(steel/steal)が入っているから」(机の脚にスチール(steel)が入っていることと、カラス(raven)という単語に奪う・盗む(steal)の意味が含まれることとをかけている)など複数の答えを提示している。
オルダス・ハクスリーは、このなぞなぞに対し、"Because there is a B in
both and an N in neither. "という答えを提示している。この文は「どちらもBを含み(実際には含んでいない)、どちらにもNが含まれない(実際には含まれている)」という意味にも「both(どちらも)という単語にはbが入っており、neither(どちらにもない)という単語にはnが入っている」という意味にも読める。ハックスリーはまた、『人間の形而上学的な問いというものはいずれもこの帽子屋のなぞなぞのようにナンセンスなもので、実際にはどれも現実についてではなく、言語についての問いにすぎないと記している』。
《引用終了》
ハックスリーの解も面白く、これは数学者であったキャロルも別解として認定してくれそうな気が私はする。]
「若しお前さんが、わたしと同じに、時と知り合(あひ)なら、それをむだにするなんぞとはいはないだらう。それぢやなくて、あの人と云ふんだよ」
[やぶちゃん注:原文は“"If you knew Time as well
as I do," said the Hatter, "you wouldn't talk about wasting it. It's him."”アリス同様に「いやにな」るほど訳の分からない箇所であるが、これについて、山下稚加氏の論文「『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』における言葉遊び、マザーグースの翻訳の可能性」の「Ⅱ言葉遊び・キャロルが作り出した語、またはナンセンス語」の②に、英語の慣用表現を巧く用いたものとして、以下の解析されてある。
《引用開始》
ここでは、名詞を固有名詞にするという技がはいっている。' I might do something better
with the time、than waste it in asking riddles
that have no answers.'(もう少し時間をうまく使ったら?そんな答もないなぞなぞばかり聞いて時間を無駄にしていないで。)というアリスに、'If you know Time as well as I
do, you wouldn't talk about wasting it. It's him.'(もし私と同じくらい時間と良く知り合っていたなら、それを無駄にするなんて呼び方はしないね、彼だよ。)このカッコ内の訳は自分で訳したものである。ここでは、いきなり、timeをTimeと、また大文字にすることで、固有名詞にして時間さんという扱いにするところから始まる。そのあと、アリスは何のことだか分からずでも話しをすすめていく。そこで、いくつも、timeをつかった慣用表現を出して、話はどんどん違う方向にむかっていく。たとえば、beat time(拍子を打つ), kill(murder)time(暇をつぶす)などをそのままの単語の意味でとって、時間をたたく、時間を殺す、など話はどんどん恐ろしくなるのだ。日本語でも、実は時間を利用した慣用表現がいくつか存在する。「時を刻む(きざむ)」「時間をつぶす」などだ。これを上手く当てはめてその続きの文を翻訳すると、
「たぶんないわね、でも、音楽を教わるときには、こうやって時間をきざむわよ」
「おぅ、それだそれ、そのせいだよ。かれだってきざまれたらかなわないよ。・・
これなら、そういう意味じゃないことは分かりつつ、うまく言葉のあやを使い面白く、理解することが可能になる。この例では、原作から日本語への翻訳は日本語にも慣用表現が存在することで、成功していると思う。
《引用終了》
なお、福島正実氏の訳では、この帽子屋の台詞は以下のように私にとっては面白く訳されてある。
《引用開始》
「あんたが私くらい『時間(タイム)』のことを知ってるなら」と帽子屋が言いました。「『時間(タイム)』をつぶすなんていいかたはしないものだよ。『時間(タイム)』は人間(ヒム)だよ」
《引用終了》]
アリスは、いやになつたものですから、溜息をつきました。
「わたし、お前さんの云ふことが分らないわ。」とアリスは言ひました。
「無論わからないだらう。」とお帽子屋は、馬鹿にしたやうに、頭をつきだして言ひました。「多分お前は時に話しかけたことはないだらう。」
「恐らくないことよ。」とアリスは用心深く答へました。けれどわたし音樂を稽古するとき、時をうつ(拍子をとる)ことを知つて居りますわ。」
「ああ、それで分つたよ。」とお帽子屋は言ひました。
「あいつは打たれるのをいやがるだらう。そこでか前があれと仲良くして居さへすれば、お前の好きなやうに時計を動かしてくれるよ。たとへて言へば、朝の九時が本を讀みはじめる時間だとすると、お前は時にちよいと小さい聲で合圖するんだ。すると目(め)ばたきするうちに、針がまはるのだ、それで晝飯の一時半といふことになるんだ。」
(三月兎は、すると小聲で獨(ひとり)ごとをいひました。「わしはそればかりのぞむのだ。」)
「それは素敵らしいわねえ。」とアリスは考へこんで言ひました。「でも、さうなると――それでお腹(なか)までへるといふことはないでせう。」
「多分初めはないだらう。」とお帽子屋は言ひました。「だがお前さへその氣になりや、一時半に合(あは)す事が出來るやうになるさ。」
[やぶちゃん注:「だがお前さへその氣になりや、一時半に合(あは)す事が出來るやうになるさ。」の初めの鍵括弧は底本にはない。誤植と断じて加えた。]
「それがお前さんのやり方なの。」とアリスは尋ねました。
お帽子屋は悲しさうに頭をふりました。「わたしにはやれないよ」と答ヘました。「わたし達はこの三月に、喧嘩をしたのだ。丁度あれが氣違ひになるまへにさ――。」(とお茶の匙で三月兎を指ざしながら)――「ハートの女王主催の大音樂會があつた時だつたよ。それにわしも歌はなければならなかつたのだ。
「ひらり、ひらり、小さな蝙蝠(かうもり)よ、
お前は何を狙つて居るの。」
「お前この歌を知つて居るだらうねえ。」
「わたし聞いたやうよ。」とアリスがいひました。
[やぶちゃん注:福島正実氏の訳ではここにこの歌詞が『有名な「きらきら星よ」の替え歌』である旨の割注が入っている。「きらきら星よ」はこの主題によるモーツァルトの変奏曲で知られるあれである。ウィキの「きらきら星」によれば、この原曲は十八世紀末の『フランスで流行したシャンソン"Ah! Vous dirais-je,
Maman"(あのね、お母さん)の日本語名(邦題)。イギリスの詩人、ジェーン・テイラーの』一八〇六年の『英語詩 “The Star” による替え歌"Twinkle, twinkle, little star"(きらめく小さなお星様)が童謡として世界的に広ま』ったものとある。]
「次はかうなんだ、ねえ。」とお帽子屋は歌ひつづけました。
「世界の上を飛び廻り、
まるでみ空(そら)の茶盆(ちやぼん)のやうだ。
ひらり、ひらり――」
そのとき山鼠が身體(からだ)をふつて、睡りながらうたひました、「ひらり、ひらり、ひらり、ひらり――。」いつまでたつてもやめませんでしたから、みんなは抓(つね)つてやめさせました。
「さて、わしはまだ第一節を歌ひきらない中(うち)にだね。」とお帽子屋は話しだしました。「女王はどなりだしたんだ。『あの男は時(とき)を殺(ころ)して居る。首を切つてしまへ』つて。」
「まあ、なんてひどい野蠻(やばん)なのでせう。」とアリスは叫びました。
「それ以来ズツと、」とお帽子屋は悲しさうな聲で言ひつづけました。
「あいつは、わたしの賴むことをしてくれないのだ。それでいつでも六時なのだよ。」
[やぶちゃん注:紅茶の国イギリスではハイ・ティー(High tea)と言って午後六時頃に勤めから帰った主人が家族とともに紅茶を飲んだ。これは通常はそのまま夕食となった。名称は居間のロー・テーブルではなく、食堂のテーブル(ハイ・テーブル)で飲むことに因ると日本コカコーラ公式サイト内「紅茶花伝」の「紅茶辞典」の「紅茶の一日」にある。]
それでアリスは、ハツキリと一つの考へが浮んできました。「それでここにこんなにお茶道具がならんで居るのですか。」と尋ねました。
「うん、さうなんだよ。」とお帽子屋は溜息をついて言ひました。「いつでもお茶の時刻なんだ。それで、お茶道具を洗ふ時間なんてないんだよ。」
「それぢやお前さんは、いつもぐるぐる動きまはつて居るのねえ。」とアリスは言ひました。
「その通りだ。さうきまつてしまつたのだから。」とお帽子屋は言ひました。
「けれどもいつお前さんは初めにかへつていくの。」とアリスは元氣をだして尋ねました。
「話の題を變へるといいなあ。」と三月兎はあくびをしながら、口を入れました。「わしにこの話にはあきてきたよ。若い御婦人に一つ話しだしてもらひたいよ。」
「わたし話なんか知らないことよ。」とアリスはこの申し出に一寸驚いて言ひました。
「それでは山鼠が話さなければいけない。」と二人が言ひました。「目をさませよ、山鼠」かう言つて二人はその横腹を兩方からつねりました。
山鼠はそろそろと目を開けました。「わしは寢入つてなぞゐやしないよ。」としやがれた細い聲で言ひました。「わしはおまへ達が話してた言葉は一一聞いてゐたのだよ。」
「何か話を聞かせないか。」と三月兎は言ひました。
「さあ、どうぞ、か願ひします。」とアリスか賴みました。
「さあ早くやれよ。」とお帽子屋はつけ加へました。
「さうでないと、話がすまないうちにまた寢てしまふからなあ。」
「むかし、むかし三人の小さい姉妹(きやうだい)がありました。」と、大急ぎで山鼠が話しだしました。「そしてその子たちの名前は、エルジーに、レーシーに、チリーといひました。三人は井戸の底にすんでゐました――。」
「その人達は何を食べて生きてゐたの。」とアリスはいひました。アリスはいつも食べたり飮んだりすることに大層興味を持つてゐました。
「その人たちは砂糖水(さたうみづ)をのんで生きてゐたよ。」と山鼠は少しの間(あひだ)考へて言ひました。
「それでは暮していけなかつたでせうねえ。」とアリスはやさしく言ひました。「病氣になつたでせうねえ。」
「さうなんだよ。」と山鼠が言ひました。「大層わるかつたよ。」
アリスは、こん風變りなくらし方をしたら、どんなだらうかと一寸考へてみましたが、あまり妙に思へたものですから、つづけて尋ねました。
「では、なぜその人達は井戸の底で暮してゐたの。」
「もつとお茶をお上り。」と三月兎はアリスに熱心にすすめました。
「わたしまだ何にも飮んでゐませんわ。」とアリスは怒つて言ひました。「それだから、もつとなんて飮みやうがないわ。」
「お前はもつと少しは飮めないと云ふんだらう。何にも飮まないより、もつと多く飮む方か大層樂だよ。」とお帽子屋がいひました。
[やぶちゃん注:原文は“"You mean you can't take less," said the Hatter: "it's
very easy to take more than
nothing."”。 これは直前の"so I can't take
more."というアリスの言い方の揚げ足を取っているようだ。福島正実氏の訳は、『「あんたのいうのはもっと少なくは飲めないという意味だろう」と、お帽子屋がいいました。「ゼロよりもっと多く飲むのは、わけないじゃないか。」』となっている。]
「誰もお前さんの意見なんかききはしないよ。」とアリスが言ひました。
「さあ、人の事をたちいつて喋(しやべ)るのは誰だ。」とお帽子屋は得意になつてたづねました。
アリスはこれに何と言つてよいか全く分りませんでした。それでアリスは自分でお茶とバタ附パンをとり、それから山鼠の方をむいて又、質(たづ)ねました。「なぜ井戸の底に住んで居たの。」
山鼠は又一、二分考へてから言ひました。「それは砂糖水の井戸だつたのだ。」
「そんなものはないわ。」とアリスは大層怒つて言ひだしました。お帽子屋と三月兎とは「シツ、シツ。」と言ひました。すると山鼠がふくれていひました。
「もしか前さんが、禮をわきまへなければ、自分でそのお話のけりをつけた方がいいよ。」
「いいえ、どうか先を話して下さい。」とアリスは大層おとなしくいひました。
[やぶちゃん注:最後の句点は底本にはないが補った。]
「わたしもう口出しなんかしませんわ。一つ位(くらゐ)そんな井戸があるかも知れないわね。」
「一つだつて、」と山鼠は怒つていひました。けれどもつづけていふことを承知しました。「さてこの三人の姉妹(きやうだい)は――この三人の姉妹(きやうだい)は、汲みだすことを覺えました。」
[やぶちゃん注:原文は“"One, indeed!" said
the Dormouse indignantly. However, he consented to go on."And so these
three little sisters—they were learning to draw, you know——"”福島正実氏の訳では後者の部分は『「それで、この三人の姉妹は――、みんな絵を描く(ドロー)のをならっていましたので――」』(「ドロー」は「絵を描く」全体のルビ)とある。以下、次のアリスの台詞が『「その人たちは、何の絵を描(ドロー)いてたの?」』(「ドロー」は「絵を描」の部分のルビ)となり、次の帽子屋の台詞で初めて『「糖蜜を汲んで(ドロー)いたのさ」』(「ドロー」は「汲んで」全体のルビ)と初めて汲むが出る。本訳では“draw”の意味の言葉遊びによる半可通状態が全く訳し出されていない。]
「何を汲みだしたの。」とアリスはさつきの約束を、スツカリ忘れて言ひました。
「砂糖水をだよ。」と山鼠は今度は、チツトも考へないで言ひました。
「わたしはきれいな、コツプが欲しい。」とお帽子屋が口を入れました。「みんな場所を變へようぢやないか。」
お帽子屋はかう言ひながら動きだしました。山鼠があとにつづいていきました。アリスは少しいやいやながら、三月兎のゐた場所へ坐りました。席をかへた事で得をしたのは、お帽子屋だけでした。アリスは前ゐたところよりズツト惡い場所でした。といふのは三月兎が、今しがたミルク壺を皿の上でひつくり返したからでした。
アリスは山鼠を、おこらしてはいけないと思ひましたので、大層氣をつけて話しだしました。
「けれども、わたし分らないわ。その人達はどこから、砂糖水を汲みだしたのでしやうねえ。」
「お前さん淡水(まみづ)は、淡水(まみづ)の井戸から汲みだすだらう。」とお帽子屋はいひました。「それぢや砂糖水は、砂糖水の井戸から汲めるわけぢやないか、――え! 馬鹿!」
「でもその人達は井戸の中にゐたんでせう。」とアリスは今お帽子屋のいつた終(しま)ひの言葉には、氣づかないやうな風をして、山鼠にむかつて言ひました。
「無論井戸の中にゐたのさ。」と山鼠はいひました。
[やぶちゃん注:この山鼠の最後の台詞は原文は“well in.”と短い。これは前のアリスの“But they were in the well,”という疑義の言葉尻を食って捻ったものらしい。福島正実氏は前のアリスの台詞を『だけど、姉妹は井戸の中(イン・ザ・ウェル)にいたのよ。』(「井戸の中」全体にルビ)とし、それを受けて『ずっと深くね(ウェル・イン)。』(カタカナは全体のルビ)となっている。また「ポポロ工作室の小さな教養図書館@西の『不思議の国のアリス』 東の『かぐや姫』 ファンタジー世界へ誘う傑作集」(Atelier Popolo 編集)の訳では、『彼女たちは井戸《well》の中で快適《well》に過ごしているんだよぉ。』」となっており(グーグル・ブックスで視認)、青空文庫の大久保ゆう氏の訳「アリスはふしぎの国で」では、『「もちろんせまい。」とヤマネ。「だからそこそこに。」』と粋に洒落ている(因みに、大久保氏は諸氏の多くが「描く」と訳す“draw”を、「かきわける」という語で統一して処理している)。]
この返事は可哀想(かはいさう)なアリスを、ますます分らなくさせたものですから、アリスはもう口を入れないで、しばらくの間(あひだ)山鼠に勝手にしやべらせてゐました。
「姉妹(きやうだい)たちは、汲みだすことを覺えました。」と山鼠は大層睡たかつたものですから、欠伸(あくび)をして目を擦(こす)りながら言ひました。
「いろんなものを汲みだしました。――M(エム)の字のつくものは何んでも。」
「どうしてMの字のつくものを。」とアリスが言ひました。
「何故それではいけないといふのだ。」と三月兎が言ひました。
アリスは默つてしまひました。
山鼠はこの時兩眼(りやうがん)をとぢて、コクリコクリと睡り始めました。けれどもお帽子屋につねられたのでキヤツと言つて目をさましました。そして言ひつづけました。「――先づMの字で始まつて居るものは、鼠わな(Mouse traps(マウス・トラツプ)、お月さま(Moon(ムーン))、もの覺え(Memory(メモリー))、それから、どつさり(Muchness(マツチネス))、――それにお前も知つてゐる、似たり寄つたり(Much of Muchness(マツチ・オブ・マッチネス))といふものをさ。お前今までに「似たり寄つたり」を汲みだすのを見たことがあるかい。」
[やぶちゃん注:「鼠わな(Mouse traps(マウス・トラツプ)、」の読点は底本にはないが補った。「Much of Muchness」は辞書で見ると、「Much of a Muchness」が英語表現として正しく、実は原文もちゃんとそうなっているのであるが、訂するとルビがおかしくなるのでママとした。福島正実氏の訳では何故か、『似たり寄ったり(Much of the Muchness)』となっており、先に出した「ポポロ工作室の小さな教養図書館@西の『不思議の国のアリス』 東の『かぐや姫』 ファンタジー世界へ誘う傑作集」の訳では、本書と同じ綴りでしかも『「Much of Muchness《=もうたくさん》」』としている(同訳では前の「Muchness」も「Muchness《=とてもたくさん》』としている)。序で乍ら、次のアリスの台詞の中間部の「アリスは全く」の箇所は底本では「アリスはは全く」となっているが衍字と断じて除去した。しかしここにきてこれ、Mのつくものを――汲みだす――ではそれこそ文意を汲むことが出来ぬ。これはやはり――描く――でなくては無理がある。]
「おや、おまへさん今、わたしにものを訊(き)いたのねえ。」とアリスは全くこんがらがつていひました。「わたし知らないわ――。」
「それぢや、お前は話をしていけない。」とお帽子屋が言ひました。
この失禮な言葉でアリスはもう我慢ができなくなつてしまひました。で、すつかり怒つて、立ち上つて歩きだしました。山鼠は直(すぐ)に寢入つてしまひました。他(ほか)のものはアリスの出ていくのには、氣をとられてゐないやうでした。けれどもアリスは呼び返されるだらうと思つて、一、二度振り返つて見ました。一番しまひにふり返りましたとき、二人は山鼠を急須(きふす)の中に入れようとしてゐました。
「とにかく、わたしはもう決して、あすこへいかないわ。」とアリスは森の中をテクテク歩きながら言ひました。「あんな馬鹿げた茶話會には、わたし生れて初めていつたわ。」
丁度アリスが、かういひましたとき、気がついて見ると一本の樹に戸がついてゐて、その中に入れるやうでした。「ずゐぶん珍らしいのね。」とアリスは考へました。「でも今日は何から何まで、珍らしづくめだもの。だからやつぱり又、直(すぐ)入つてみてもいいと思ふわ。」さういつてアリスは内へ入つていきました。
又もやアリスは、長い廣間の内にでました。そしてすぐ側(そば)にガラスのテーブルがありました。「さあ、今度はうまくやれさうだわ。」と獨(ひとり)ごとを言ひながら、金(きん)の鍵を手にとつて、庭につづいて居る戸をあけました。それからアリスは、背(せい)が一尺位(ぐらゐ)になるまで、蕈(きのこ)をかぢり始めました。(アリスは蕈をポケツトに入れてゐたのでした)。それから小さい廊下を通つていつて、そして目の覺(さ)めるやうな花床(はなどこ)や、凉しい泉水のある綺麗な庭にでていきました。