製作と感想 村山槐多
製作と感想
俺は描いてゐる。大きなカンヷスをつかまへて俺は素描をし終つた。
その素描にはまだまだ下の世の空氣が、俗人の影響が微笑して居た。
が俺はかう言ふことが出來た。
「はづかしくない事を俺はした」と。
そこには俺の眞實の眼が作用して居た、それが○○の習慣に勞れ、煙草のもたらす眩暈になやむ俺の眼であつたにしろ、俺は眞實を描いた、
見える所を描いた。
そこで俺は色彩にかからんとして居る。
俺はやはり俺の眞實を語らう、
俺は時として火炎の如く高まる俺の○○の力を以つて、
俺のカンヷスに色彩をほどこそう、
火とダイヤモンドとの壯麗な畫面を形作らう、
そしてそこには俺の強い未來を暗示しやう、
過去の頽廢(デガダンス)が素描を形成した、
が健康なる未來が色彩を閃(ひら)めかすであらう。
ああ、このカンヷスの完成は
天才誕生の美しい曙だ、
見よ、日本全土の幸福を。
俺はこゝに製作しつつある。
靜かに沈默して
そしてひとりただひとり
俺の製作をつづけやう。
一切の俗衆を離れて
聖者の樣に描かう。
[やぶちゃん注:「ほどこそう」「暗示しやう」「つづけやう」はママ。
伏字については「全集」では注でそれぞれを以下の文字に山本太郎氏が推定復元している。行ごと推定復元したものを示す。
*
そこには俺の眞實の眼が作用して居た、それが自瀆の習慣に勞れ、煙草のもたらす眩暈になやむ俺の眼であつたにしろ、俺は眞實を描いた、
*
俺は時として火炎の如く高まる俺の魔羅の力を以つて、
*
私はこの山本氏の推定復元案に支持・不支持をするだけの知見は持たない、とだけ言っておく。
「頽廢(デガダンス)」「デガダンス」は「頽廢」のルビ。「全集」は「デカダンス」とするが、拡大してみるとほぼ間違いなく「デガダンス」と濁点が打たれていると私は見る。
「靜かに沈默して」底本は「沈默」が「波默」であるが、これは誤字或いは誤植と断じ、かくした。「全集」も無論、「沈默」となっている。]