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2015/07/28

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅰ) 大正元(一九一二)年 (1)

 

   大正元(一九一二)年 久作満二十三歳

 

[やぶちゃん注:当時は慶應大学大学部文学科(大学令によって正式に文学部になるのは大正九年)三年。]

 

 八月一日 木曜 

 

五月雨に訪ふ歩とも無し圓覺寺

 とゞろに落つる松の下露。

 

若葉影並ぶ碧岩蓮華經

 吹く風淸く木の間くゞりて。

 

相模洋万里を亙る春風に

 綠色濃き鎌倉の山。

 

[やぶちゃん注:「万はママとした。「亙」は底本では「亘」であるが、この字は私が生理的に嫌いなので「亙」とした。「相模洋」は「さがみなだ」と訓じていよう。以下「洋」は私は総て「なだ」と読む。]

 

行く春の柵なれや花の色。

 

[やぶちゃん注:句点が打たれているが、これは俳句なのではなく、次の一首の上句別稿と私は推定する。「柵」は「しがらみ」と読ませるのであろう。]

 

春風のホゝに止まる花の色

 匂ひこぼるゝ山櫻哉。

 

水淸屍草むす屍數々に雄々しき人名をぞ止むる。

 

[やぶちゃん注:一行表記の特異点の一首。「淸」(底本は「清」)はママであるが、これは「漬」の誤字か誤判読か誤植の可能性が頗る高く、「水漬屍」(みづくかばね)としか思われない。「人」の後には「の」など脱落が想起される。

 以下、八月五日までは殆んどが詩歌の特異点であり、八月三日には舟遊びを語った僅かな美文調の日記が載る。底本の杉山龍丸氏の「註解」によって、当時、夢野久作の父茂丸は鎌倉市材木座に邸宅を持っていたことが知れた(私の父の実家は材木座である)。]

 

 

 

 八月二日 金曜 

 

◎春風になでまはさるゝ鎌倉の

  大佛樣大悲顏哉

 

◎峠茶屋茶碗にうつる若葉かな

 

[やぶちゃん注:これは明らかに夢野久作の現存する最古の数少ない俳句である。彼は後に川柳を好んで作るが、確実に川柳ではなく俳句と推定し得る作品はここまででは――敢えて挙げるならば直前の「行く春の柵なれや花の色」以外には――ない。駄句乍ら、次の次の「山の上」一句(これは寧ろ川柳か)とともに非常に貴重な一句と言える。]

 

〇かくて又とはむと思ふ夢

  醒めてか花の散り初めにけり。

 

〇山の上一句も出でぬ景色哉。

 

 

 

 八月四日 日曜 

 

〇あら吹く洋の荒浪亂れ立ちて岩にくだくる吾が心哉。

 

〇一劔雄圖遠乾坤有一人死生奚畏眼裡絶繊塵

 

[やぶちゃん注:禅語の一種の引用のようにも見えるが、前後の短歌と同じく圏点を打っているので、漢詩文と採る。「一劔(いつけん)の雄圖(ゆうと) 遠(えん)乾坤(けんこん) 一人(ひとり)有りて 死生(ししやう) 奚(なん)ぞ畏れん 眼裡(がんり) 繊塵(せんじん)を絶つ」と私は訓読した。]

 

〇秋の野の芒の末の富士の雪

  天下の冬の魁にけり

 

[やぶちゃん注:「魁にけり」は「さきがけにけり」と読む。]

 

〇これやこの夢とも見えずまこととも

  しら雪淸く高き冨の嶺

 

[やぶちゃん注:「冨」の字体は底本のママ。無論、「ふじ」と訓じている。]

 

〇人知れず黃金の箱に祕め置きて

  君にと思ふ吾心哉

 

 

 

 八月五日 月曜 

 

〇吾心家に野山に海に河に

  花に紅葉に國に力に。

 

〇水や空見果もつかぬ海の果に

  走る白帆の影をしぞ思ふ

 

〇相模洋はるかに望む三原山

  空に棚引く夕榮の雲。

 

〇忽ちに五色七彩雲飛びて

  勇々しく出でし初日影哉

 

〇あひ見てもまた會ひ見ても會ひ見ても

  あかぬは古き友にぞありける。

 

 

 

 八月六日 火曜 

 

〇何となく憐を知りえ夜更けて

  枕に近き蟲のこえごえ

 

[やぶちゃん注:「こえ」の「え」はママ(後の「寂しさを」のそれもママ)。「こえごえ」の後半は底本では踊り字「〲」。]

 

〇遠山に紅葉一幹見えにけり

  山坂幾里隔てたるらむ

 

〇寂しさを打てや長谷寺の鐘のこえ

  由井濱邊に寄する白波

 

[やぶちゃん注:「由井濱邊に」はママ。「由比」が正しく、無論、これで「ゆひのはまべに」と訓じていよう。]

 

〇盜人もたまには入れや侘住居

  寢覺淋しき秋の夜長に

 

[やぶちゃん注:因みに、この翌日の八月七日の日記は打って変わって「〇弟の死」と題し、前年一月一日に亡くなった(恐らくは結核性肋膜炎)九つ違いの愛弟(異母弟)五郎を追懐する慙愧の念に満ちた非常に長いものである。因みに、その追憶の中に「昨年の秋」(時系列を追って書いたための一昨年の誤りと思われる)「余は彼と共に當鎌倉なる日蓮上人雨乞池附近の山に到りて菌を取りぬ」とあり、五郎はその帰りに激しい胸部痛を訴えたと記している。]

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