ある美少年に贈る書 村山槐多
ある美少年に贈る書
君よかくの如く、
また君に書を贈る者を君はよく知つて居るだらう
彼は惡鬼だ。無力を裝ふに豪惡のマスクを以てし肉を裝ふに靈を以てし絶えず劣惡な繪畫を描いて居る怪物だ。彼がもう二三年來君をつけ覗つて居ることは君がよく承認する處だろうと思ふ
君はそれに對して如何なる感じを持つて居るか恐らく君の心には或る一種不可思議なる恐喝を感じて居るに相違ない。事實恐喝が續いた
西の都にありし日の事の回想がこの怪物をして醜惡なる微笑に耽らせるに足る
中學校の教室から君に手渡されたラブレター
あの時君は恐ろしく赤くなつた君の昂奮が「恐れ」に關連して居た事を察するに難くない。それから夜毎に乞食の樣ななりをした(いつでもそうだ)かの怪物が君の家のまはりをうろつき始めた彼は近衞坂と呼ぶ君の家の横の坂を上つたり下つたりした
君は確かにその姿を二三度見つけたに相違ない
それから二三度續いたラブレタァ、怪物が京都を去つて災害が漸やく去つたと思ふと再びラブレタァの連續遂に君は返事を書いたね
怪物が泣いて嬉しがつたのを知つて居るか、
ああ其後一年は過ぎた。無難にそして君は東京へやつて來た五月の或る美しい夜君は再び怪物の襲來を受けた始めて二人が打解けて話をしたのだ
君はこの怪物が柄になく美しいナイーブな思を有つて居ることを發見した事と思ふすくなくとも或安堵を得たことと思ふそうありたいと怪物は村山槐多は願つて居るのだ、彼の戀は未だ連續して居るから。彼は君の美に死ぬまで執着して居る
彼はすつぽんだブルドツグだ君から彼を離すには君は彼に君の「美」を與へるの他はない
君はこの怪物に君を飽きるまで眺めさせなければならない彼が君を口説いたらう
「肖像畫をかゝして呉れ」と
それがとりも直さず彼の戀の言葉なのだ
ああ世にも不運なる君よ
君は恐るべき怪物につかれた彼は君にとりついたが最後君から彼は美を吸ひとらずには居ぬ
彼は「美を吸ふ惡魔」だ
永遠に生命の限り彼は君につきまとひ君が空になるまで君の美を追求せずには居ぬのであろう
君がそれを憎みそれを厭ふ事はこの怪物にとつて何等の痛みでもない
この怪物は無神經だ
センチメンタル。なき意志のみで出來た人間だから以上の不貞腐れを君に贈る
一九一五年五月
怪物より
[やぶちゃん注:私は既に「やぶちゃん版村山槐多散文詩集」で「全集」版を電子化しているが、今回は初出「槐多の歌へる」版でゼロから再電子化した。
「君がよく承認する處だろうと思ふ」の「だろう」はママ。
「回想」は底本の用字。
「近衞坂」既注。これによって本詩が槐多の愛した美少年、京都府立第一中学校の一級下の稲生澯(きよし)であることがはっきりする。前掲の「紫の微塵 村山槐多」を参照されたい。なお、槐多の稲生へのラブレターは「全集」には載らないが、三重県立美術館蔵の、ピンク色の紙に認められたステキなそれを、『芸術新潮』一九九七年三月号の「特集 村山槐多の詩」の見開き頁の巨大な画像で読むことが出来る。近い将来、電子テクスト化しようと思っている。
「(いつでもそうだ)」ママ。
「そうありたいと」ママ。
「執着して居る」「全集」は「執着してゐる」。不審。
「美を吸ふ惡魔」「全集」は「美を吸う惡魔」。「全集」の誤植か校正洩れと思われる。
「居ぬのであろう」ママ。
「それを厭ふ事」「全集」は「美を吸う惡魔」。「全集」の誤植か校正洩れと思われる。
「センチメンタル。なき」句点はママ。「全集」では除去されて「センチメンタルなき」と問題なく読めるようになっている。それ(句点トルツメ)でよいと思うが、敢えてママとした。]
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