夢野久作 定本 獵奇歌 (Ⅱ)
森中の枯れ木は
ひとり芽を吹かず
一心こめた毒茸を生やす
[やぶちゃん注:「毒茸」は「どくたけ」と訓じてたい。]
狼が人間の骨を
ふり返りふり返り去り
冬の日しづむ
妖怪に似た生あたゝかい
我が腹を撫でまはしてみる
春の夜のつれつれづれ
自殺やめて
壁をみつめてゐるうちに
フツと出て來た生あくび一つ
交番の巡査が
一つ咳をした
霜の夜更けに俺が通つたら
伯父さんエ
此の剃刀を磨いでよと
繼子が使ひに來る雪の夕
[やぶちゃん注:諸本は一行目を「伯父さんへ」とする。]
死に度い心と死なれぬ心と
互ひちがひに
落ち葉踏みゆく落ち葉踏みゆく
[やぶちゃん注:「落ち葉踏みゆく落ち葉踏みゆく」の後半は底本では踊り字「〱」である。「踏」は「蹈」かも知れない。但し、私は生理的にこの字体が嫌いであるし、「踏」を好んで用いた作家も多いので、ここは所詮、私の恣意的変換であるものなれば、敢えて私の好みを反映した。また通常、踊り字「〱」「〲」は直前にある動詞部分を総て繰り返すのが不文律の鉄則であるのだが「落ち葉踏みゆく踏みゆく」としたのではこの一首、如何にもな破調に過ぎたものになると判断し、掟破りでかく表記した。大方の御批判を俟つ。]
埋められた死骸はつひに見付からず
砂山をかし
靑空をかし
知らぬ存ぜぬ一點張りで
行くうちに可笑しくつて
空笑ひが出た
[やぶちゃん注:「空笑ひ」は「そらわらひ」と訓じておく。一般的には「ひとりわらひ」で、破調であるからそれでもよかろうとは思う。空笑(音「クウショウ」)は訳もなく突然笑い出してしまうことを言う。]
海にもぐつて
赤と綠の岩かげに吾が心臟の
音をきいてゐる
此の顏はよも
犯人に見えまいと
鏡のぞいてたしかめてみる
毒茸がひとり
茶色の粉を吹く
何事もよく暮るゝ秋の日
[やぶちゃん注:「毒茸」は「どくたけ」と訓じてたい。「粉」は「こ」。]
彼女の胸に
此の短劍が刺さる時
ふさはしい色に春の陽しづめ
美しく毛蟲がもだえて
這ひまはる硝子ガラスの瓶の
夏の夕ぐれ
(昭和四(一九二九)年六月号『獵奇』・署名「夢野久作」・総表題は「獵奇歌」)
[やぶちゃん注:前回の掲載が前年の同誌の十一月号であるから、半年以上、間が空いている。第一書房版全集年譜を見ると、この間に発表した目ぼしい作は「押絵の奇蹟」(『新青年』昭和四年一月)、「いなか、の、じけん」中の「模範兵士」「兄貴の骨」「X光線」(順に『獵奇』同年三月・四月・五月)、「支那米の袋」(『新青年』同年四月)であるが、他にこの昭和四年九月二十日に「ドグラ・マグラ」の草稿「狂人」(第二推敲稿)を擱筆しているとあるから、このインターバルは恐らくはそのためであろう。]
何者か殺し度い氣持ち
たゞひとり
アハアハアハと高笑ひする
[やぶちゃん注:「アハアハアハ」の後ろの二つの「アハ」は底本では孰れも踊り字「〱」。]
屠殺所に
暗く音なく血が垂れる
眞晝のやうな滿月の下
[やぶちゃん注:「垂」は旧字の「埀」を好んで書く作家が思いの外少なく、同じく私自身が生理的に好まない字体なのでママとした。]
風の音が高まれば
又思ひ出す
溝に棄てゝ來た短刀と髮毛
殺しても殺してもまだ飽き足らぬ
憎い彼女の
横頰のほくろ
[やぶちゃん注:「殺しても殺しても」の後半は底本では踊り字「〱」。]
日が照れば
子供等は歌を唄ひ出す
俺は腕を組んで
反逆を思ふ
わるいもの見たと思うて
立ち歸る 彼女の室の
挘られた蝶
[やぶちゃん注:「挘られた」は「むしられた」。]
わが心狂ひ得ぬこそ悲しけれ
狂へと責むる
鞭をながめて
(昭和四(一九二九)年七月号『獵奇』・署名「夢野久作」・総表題は「獵奇歌」)
うつゝなく人を佛になし給へ
み佩刀(はかせ)近く
香まゐらする
[やぶちゃん注:「香まゐらする」は、第一書房版及び筑摩書房版「全集」孰れも「吞みまゐらする」である。よく考えてみれば、これは「香(かう)」でないと、意味が通じないと私は思う。但し、底本には編者注はない。]
君の眼はあまりに可愛ゆし
そんな眼の小鳥を
思はず締めしことあり
彼女を先づ心で殺してくれようと
見つめておいて
ソツト眼を閉ぢる
蛇の群れを生ませたならば
………なぞ思ふ
取りすましてゐる少女を見つゝ
頭の無い猿の形の良心が
女と俺の間に
寢てゐる
フト立ち止まる
人を殺すにふさはしい
煉瓦の塀の横のまひる日
欲しくもない
トマトを少し嚙みやぶり
赤いしづくを滴らしてみる
幽靈のやうに
まじめに永久に
人を呪ふ事が出來たらばと思ふ
觀客をあざける心
舞ひながら假面の中で
舌を出してみる
(昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』・署名「夢野久作」・総表題は「獵奇歌」)
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