夢野久作 雑詠 短歌十四首
[やぶちゃん注:以下の歌群は西原和海編「夢野久作著作集 6」の「獵奇歌」の大パートの定本「獵奇歌」後に配されてある総表題「雜詠」十四首である。
同氏の解題によれば、昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載されたものである。西原氏によればこの雑誌は京都で刊行されていたもので、当雑誌の印刷所は「からふね印刷所」で、久作御用達の『獵奇』の印刷所と同じであることから、西原氏は『加羅不彌』の編集兼発行人である堀尾緋沙子なる人物はこの印刷会社の係累なのではないか、彼女は『獵奇』に投稿することもあり、そうした関係から久作への原稿依頼があったと思われると推理されておられる(夢野久作の日記等を駆使した詳細は底本解題をお読み戴きたい)。確かに「獵奇歌」の創作期ではあるが、詩想や詩句・書記法はずっと穏やかで「獵奇歌」とは一線を画している、というより、署名(夢野久作)を伏せたら、誰もあの血塗られた歌群の作者と同じ人物の歌とは思うまい。因みに、同時期の「獵奇歌」はこちらになる。久作満三十歳。]
雜詠
冬の夜ふけひそかに耳の鳴るごとし遠き山べに雪ふるごとし
春まひる廣い座敷のまん中に泣かぬ孩兒が手足うごかす
[やぶちゃん注:「孩兒」は「がいじ」と読んでおく。幼な子・乳飲み子のこと。この歌――いいな――。]
ストーブのほのほしばらく押しだまり又ももの言ふわれひとりなれば
山をのぼり山を下れば此の思ひ今はた更にふかみゆくかな
わが古き罪の思ひ出よみがへるユーカリの葉のゆらぐ靑空
村に住む心うれしも村に住む心悲しも五月晴れの空
わが知らぬ世の大いなる運命かも雲より出でゝ雲に入る月
病院の音こともなき曉を患者はいかに耳すますらん
カステラの粉ホロホロと皿に落ちナプキンに落ち秋闌けにけり
[やぶちゃん注:「ホロホロ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
エスペラントと英語といづれが六ケしきヒラヒラと秋の夕浪の立つ
[やぶちゃん注:「ヒラヒラ」の後半は底本では踊り字「〱」。国際補助語である人工言語エスペラント語はこの四十二年前の一八八七年(明治二十年)に、当時のロシア領ポーランドのユダヤ人眼科医ザメンホフ(ルドヴィーコ・ラザーロ・ザメンホフ(エスペラント語表記:Ludoviko Lazaro Zamenhof)が提案している。]
ニンジンの花に夕日の赤が一つ一つ浸みつき光り秋高晴るゝ
[やぶちゃん注:「一つ一つ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
墓は墓おもひおもひにむき立てり北にむかへる公孫樹さびしも
[やぶちゃん注:「おもひおもひ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
小さきコスモポリタンの墓とわれ死なば書いてやらんといひし友かな
わがおもひ胸にあまりて墓地にゆくさびしや墓地の死者に口なし(母戀ふ鳥)
[やぶちゃん注:この末書「母戀ふ鳥」の意図は私には不明である。]
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