夢野久作詩歌集成 始動 「赤泥社詠草」1
夢野久作が雑誌『探偵趣味』『猟奇』『ぷろふいる』の三誌に昭和二(一九二七)年から昭和一〇(一九三五)年にかけて、断続的に「猟奇歌」と総称される一連の怪奇幻想趣向に満ちた短歌群二五一首を発表していることは、まさにその猟奇性ゆえに頓に知られる事実である。
但し、大正六(一九二七)年の雑誌『黒白』で本格的な作家活動を始める二年も前、大正四(一九一五)年の佐々木信綱主宰の竹栢会の知られた短歌雑誌『心の花』に既に杉山萠圓(ほうえん)或いは杉山泰道(彼の本名は直樹。孰れも正に同年出家後の法名)の署名で短歌を発表していた事実は凡そ一般に知られているとは思われない。と言っても私も一九九六年葦書房刊の西原和海氏編の「夢野久作著作集」によって初めて知って驚愕したのであるが、驚愕はそれのみ止まらない。西原氏の丹念な発掘によって例えば、大正六四月には萠圓名義で書評「翡翠を読んで」を『心の花』に載せている(西原編「夢野久作著作集 6」の作品年表に拠る(但し、これは残念なことにデータのみで著作集には所収していない)。この「翡翠」とは何を隠そう、あの(!)芥川龍之介が書評したそれ、龍之介が最後に愛した才媛、片山廣子の処女歌集「翡翠」(「かはせみ」と読む)以外の何物でもないではないか!
西原氏の著作集には第一巻と第六巻に夢野久作の詩歌が載る。西村版の著作集は現在最良の夢野久作作品集の校本であり、例えば「猟奇歌」などは、第一書房版全集も一九九一年~一九九二年刊行のちくま文庫版十一巻全集(私は所持しない)のそれ(青空文庫版は後者を底本とする)には、何と、久作の作歌でないと断じられる無署名作品八首が含まれていることが指摘されており、西原氏は第六巻解題に於いて、『「猟奇歌」は、本巻に集成した形をもって、いわば〝定本〟の体裁を有したことになる』と述べておられるのである。
されば、他人の歌が混入していない正しき「猟奇歌」の電子データが公にされる必要があると私は考える。
ただ、それだけでは私の節が満足しない。
そこで底本としては西原氏の第一巻に載る、夢野久作若き日の詩歌群から始めて、第六巻の、後の「猟奇歌」を含むミステリアスな歌群までをここで電子化し始めることとする。
そして私のいつものテクスト・ポリシーに則り、戦前の作であるこれらについては、漢字を表記を恣意的に正字化して示すこととする。
では……。
[やぶちゃん注:以下は西原和海編「夢野久作著作集 1」に載る「赤泥社詠草」である。これは西原氏の解題によれば『九州日報』大正七(一九一八)年十一月二十四日号~翌大正八年六月一日の間に断続的に十六回発表された夢野久作こと「杉山萠圓」(署名)の短歌六十三首である。『九州日報』(後の『西日本新聞』)は父杉山茂丸(玄洋社系国家主義者の巨魁)が社主を務めたことがあり、久作はこの投稿途中かその直後かに同新聞社の記者となっている((第一書房版年譜に拠る。大正十一年より同『九州日報』の家庭欄に多くの童話を発表し始め、大正一三(一九二四)年三月一日に同社を退社している))。掲載情報は底本に従い、後に( )で附したが、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の事例報告でより詳細な掲載データ一覧を見ることが出来る。]
賢きは都の殘り愚かなるは田舍に歸り秋老けにけり
秋風を右に左にかへり見て野の夕まぐれ馬の嘶く
いつしかにまゐるとも無くまゐり來ぬ落葉林の奥のみやしろ
(大正七(一八一八)年十一月二十四日)